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3:我が儘お嬢様の依頼

「…………お嬢様」

「解ってる。言わないでルビー」


 支部へと帰った私を出迎えるトリヴィア・ロード。侍女は怒りに震えていた。私達が帰って来たのは辺りもすっかり暗くなり、広場はライトアップ……酒場が騒がしくなる頃合いで。彼女の怒りはもっともだ。心配性の彼女に私は電話どころかメールの一通すら忘れていたのだ。トリヴィアの視線が私に突き刺さる。彼女は私の帰りを怒り喜びながら……同じく戻った騎士達を不審がる。こんな時間まで私を連れ回した責任を問おうと睨んだ先に、待っているのは色物集団。少年騎士の一人はズボンを森に捨てて来た簡易女装、運転士は付け髭までする懲り具合。一人まともなクレールが、胃を押さえているのが若干哀れだ。


「お帰りなさいませ騎士団の皆様。随分と遅いお帰りでしたね。お嬢様がお疲れのようですが?」

「いいの、帰りに街を案内して貰っただけよ」


 本当のことを話したら、彼女が何を言い出すか分からない。騒ぎを起こしたアンジェリカを、バスにもトラムにも乗せられず……まさか歩いて来たなどと。これは貸しだからなと私は彼らを睨む。ロランという騎士に至っては、私と視線さえ合わさない。遅れて合流した運転士、もとい女騎士に抱き付いている。何なのあれ。


「いいえ我慢なりません。アルチナ様をエッセ家のご息女と知っての振る舞いなのですか?」

「申し訳ありません、私が車を出したのですが……すれ違ってしまいました」


 うちの家名を聞いて、不味いと顔に出したのはクレールだけ。ロランは女騎士から離れ、アンジェリカを食堂に案内している。この女騎士……リナルナは、涼しげな表情で僅かばかりの謝罪を告げる。下手に出て、法外な要求をされても困ると言うことか。穏やかに見え、強い意志を感じる目。女だてらにのし上がって来た切れ者か。彼女は付け髭を外し、まともな美女へと戻る。


「ご挨拶が遅れましたね、私がこのブレーメン支部を預かる支隊長リナルナ・ベルタです。この度は騎士団へのご依頼、誠にありがとうございます。謝罪も兼ねて、簡単な物ではありますが……食事の席をご用意させて頂きました」


 リナルナは身体のラインを隠すため、夏場にコートを着込んだだけの雑な変装。そんな上司に気付かなかったクレールの目は節穴か? アンジェリカが気がかりで、そんな怪しさに気付けなかった私も同類か。


「ルビー、彼らもこう言っていることだし……ほら、アンジェがもう待ちきれないみたいよ」


 落ち込みながらも私は、アンジェリカが食事中であることを持ち出しトリヴィアから反論の余地を奪う。ごねて話が拗れるのは此方としても本意ではない。


「名物料理もあるんですって。私ももうお腹空いたわ! ルビー、早く取り分けて」

「畏まりました」


 私が我が儘にトリヴィアは逆らえない。騎士団の連中、私を唯の我が儘娘だと思っていたかしら? 我が儘も使いようなのよ。こうして交渉の役に立つんだから。威張る私にクレールは呆れた様子。

「何これ、良い匂い」


「ブレーマークニップは初めてですか? 食感の良い穀物入りのハンバーグだと思って下さい」

 それでも料理の説明はしてくれるから、悪い人ではないのだろうな。付き合いの良い彼に、私は少し興味を覚える。


「ルビー、おかわり! 同じのまた取って来て!」

「アルチナさん、食後にコーヒーとケーキは?」


 侍女を遠ざけ彼と話をしようとしたが、すぐにトリヴィアはヒールをカツカツ鳴らして戻る。


「毒味もなしにお嬢様に飲食物はいけません! お嬢様が眠れなくなったら困ります!」

「ノンカフェインですよ。コーヒー王ロゼリウスの栄光で、今もこの近くにはコーヒーショップが多いんです」


 トリヴィアはとうに飲酒可能な年齢だろうに水ばかり飲んでいる。そう言えば、彼女が酔い潰れた所は見たことが無い。コーヒーを勧められると、私の前に毒味でカップに口付けた。


「ごめんねうちのルビーが。折角のもてなしを疑うのは失礼よ! 頂くわ。……美味しい。それに随分と詳しいのね。貴方、この辺り出身なの?」


 我が儘からのまともな対応。こういう切り替えって大事よね。子供の身分を有効活用しながら、唯の子供じゃないと思わせられる。クレールも私への評価を改めている様子だが、彼は自分のことを質問されて口籠もる。ロランと違い、彼が視線を逸らすのはなんだか珍しい。聞かれたくないことだった?


「そんなことより、貴女の話が聞きたいな。旅の途中と言うことでしたが、どちらまで?」


 再び目を合わせて来たクレールは営業モード。誤魔化されたと解るのに、顔が良いから私も照れる。仮面と演技は彼が一枚上手。ちょっと、いやかなり悔しい。次は負かす。そう決意しながら私は再び我が儘娘を装った。


「北欧よ。今すっごく暑いでしょ? 最後はアイスランドまで避暑に行くの。いいでしょー!」

「我々はベルゲンから客船に乗るのです」


 依頼の件はブレーメン支部にも伝わっている。当初の予定通り騎士を雇うならクレールが適任か。トリヴィアも探りを入れに会話へ加わった。


「ベルリンで依頼をお願いしたのですが、此方で合流と話が来ていませんでしたか? ……今回の件で陸路には不安があります。本日のよう、乗車拒否される可能性もございます。ですから騎士団の航空機を出して頂きたいのです」

「これ以上ケージはアンジェが可哀想! アンジェは“人間”なのよ? 証明書だってあるんだから! それに報酬はお父様が幾らでも出すわ! ここの支部ボロっちぃし貧しいんでしょ? 喜びなさいよ」

「……アンジェの姐御、電車も飛行機も嫌だって言ってるけど。ケージは狭くて嫌いだし、寄り道しないで早く“アルミダ”に会いたいんだって。船が良いんじゃいかな、騎士団の」


 旅の説明をする私達に、まるで「明日の天気は晴れだよ」と言う風な……軽い調子でロランが発した言葉。あまりにも自然だったから私も納得しそうになった。けれども続く言葉が引っかかる。


「あと車酔いは大丈夫だから移動前でもご飯食べたい。今日は空腹で大変だったって怒ってるよ。暴れたのはそれも原因で……それから逃げた“ライカン”に噛み付いてやらなきゃ気が済まないって」

「ち、ちょっと待ちなさい! 何であんたがあいつや姉様のこと知ってるの!?」


 エッセ家は有名。娘達の名が知られていてもおかしくはない。しかし先程までこの男、エッセのエの字も威光も知らない馬鹿だった。そんな男が何故何処で、アルミダの名を知ったのか。ライカンのこともそう。それは、私がこの街に来てから解雇した男の名。広場での騒ぎの原因はあの男。あいつは解雇に腹を立て、アンジェリカを蹴り飛ばして逃げだのだ。あの男の行方については、騎士団とトリヴィアに任せていたが……。


「手掴みで食うな馬鹿。服が汚れる、誰が洗濯すると思ってるんだ」

「クレール」

「この野郎……! お前ごとヴェーザー川に叩き込んでやる! いや、そんなことより早く下の服を着ろ! 一応ご令嬢との会食なんだ、失礼だろ」


 私が戸惑う内、クレールとロランがじゃれつき始めた。人の質問すらスルーするとは何事か。ロランのペースに巻き込まれると、クレールの営業騎士モードも形無しで、大人びて見えた姿も普通の男の子に見えた。


「ルビー、喋った?」

「いいえ。あのような野蛮な殿方とは一切口を利いておりません。私に粗野さが移り、お嬢様に移ったならば困りますもの」


 この通りトリヴィアは、興味外の対象に関しては無関心の極み。私達のプライベートを明かすことなどあり得ない。驚く私にリナルナは、笑みを浮かべて近付いた。


「ふふふ、やんちゃに見えても彼も犬騎士。犬の言葉など手に取るように分かるものです」

「いやいや、おかしいわよ! 解るのって感情的な物でしょ!? 彼の発言は言語化された意思疎通に思えるわ! それとも貴女が話したって言うの隊長さん!?」


 私に犬の言葉は解らない。それでも嘘を吐いている人間の顔はよく解る。家が無駄に裕福だと、嘘吐きばかりが擦り寄って来るのだ。私は昔から、そんな嘘吐き達の顔をよく見て育った。この隊長は私に嘘を吐いている! 強く彼女を見つめると、根負けしたよう彼女が話し出す。


「…………信じる、信じないかはお任せします。眉唾物の話でしょうが、アルチナ様のご推察の通りロランは犬と会話が出来ますし、それを人間に正確に伝えることも可能です」

「一つ、聞いてみても良いかしら? 信じるか信じないかはその後決めるわ。……ロラン、アンジェに聞いて貰いたいことがあるんだけど」


 クレールと取っ組み合いの喧嘩をしていたロランは、やる気のない服従のポーズを決めていた。取っ組み合いで負けたらしい。


「アンジェは……」


 本当に犬と会話が出来るなら、私がリーダーになる手間が省ける。ロランを介し意志を通じ合わせれば良い。アンジェリカも私と同じ気持ちのはず。今はそれが上手く噛み合わないだけ。


「オロンドさんのことをどう思ってる?」


 彼の名を口にした途端、アンジェリカの目が釣り上がる。彼女の怒りを人の言葉で、どう表現するかロランは少し悩んだ風に、ぽつりと一言で返す。


「…………“許さない”だって」

「それだけ?」

「ちょっと、ここでは言えない。もし君と二人きりになることがあったら話すよ」


 回りくどい言い方。ロランが気を使っている。私ではなくアンジェリカに。


「話になりませんねリナルナ様、依頼には其方のクレールさんにお願いします。こんな野蛮ナンパ男は旅に連れてはいけません」

「待ちなさいトリヴィア!」


 名前を呼ばれた彼女は驚愕、私の命令通り鎮まった。私が親しみを込めず、彼女を呼ぶことは珍しい。


(……アンジェは人と同じ権利を持っている)


 兄弟団が莫大な資産と影響力で作り上げた、動物人権。金で買わせた“人権”だ。アンジェリカが傷付けられたら傷害事件、殺められたら殺人事件。器物破損では終わらない権利がここにある。そんな人権持ちの動物が権利を失う時。それは重い罪を犯した場合。


(ロランをこのままにしておくと、リナルナ達に計画をバラされるかも)


 口封じは難しい。ならばそのチャンスを奪う。それに何より、ロランの能力は魅力的。仲間に引き込めば、私の計画にも役立つ才能。独特の価値観で生きていそうな彼は、金で靡くとは思えない。私達に肩入れさせるための時間と親密さが必要だ。


「一緒に行動したけど、彼だけでは頼りないわ。まだ見習い騎士なのでしょう? せめてもう一人は付けて欲しいわ。アンジェも懐いているし、そこのロランでも構わないけど?」


 どうしても欲しい、そんな態度が出ないよう……私は仕方ないわと告げてやる。先に目を逸らしたのはリナルナだ。整った眉根を曲げて、彼女は降参よと頷いた。


                   *


 狼男と魔女の違いを、満足に語れる人間が果たして何人いるだろう? かつてはそのどちらもが人の迫害対象、人に害為す存在と信じられていた。問題は次々訪れる。此方の抱えた物の大きさを、こんな風に思い知るとは。


(魔女に遭遇しないで済んだのは不幸中の幸いね、私もロランも。そう思っていたのに)


 現れた少女もまた、魔女だ。彼女は良き魔女へ育ってくれることを希望する。


「幸せが逃げるぞ、リナルナ」

「何処へ行っていたの、私の幸せ? 肝心な時に出て来てくれないんだから」

「ほっほっほ、無茶を言うな。老い耄れはもう眠い時間でな」


 魔女は味方にもいたか。私は額を押さえて溜め息、嫌味を吐き出した。音も無く室内に現れたマリアジ。相変わらず気配を殺すのが上手い。不審なマント姿も夜に出会うと似合って見えるから不思議。


「なーにが老い耄れよ! 私より肌つや良いじゃない! 睡眠きっちり取れてるんでしょ!?」

「鳥騎士の朝は早いんじゃ」

「ああ、さっきは助かったわ。マリアの部下達にもお礼を言って置いて」

「ふむ、承った。リナルナ……書類が進まぬようじゃな。一服しては?」

「……そうね、ありがと」


 先程は食べるどころの話ではなく、対応をクレールに任せ私は私室へと戻った。いつの間にやら運ばれていた夕食に、私は従姉妹へ礼を言う。何度見ても嫌な書類は嫌なまま。眼鏡を掛けても変わらない。外してしまえと放り投げ、パンを片手に書類へ再び目を落とす。

“あれ”を使用したことは、本部に報告しなければ。人に聞かれていたならば要らぬ恐怖を植え付ける。情報の根回しを彼方に頼まなければ。

 ロランの鳴き真似は、彼が持つ特技の一つ。必要となる機会もあろうとクレールはロランの遠吠えを録音していた。彼は使い魔の目撃情報から、魔女の到来を察知。自身が魔女と対面し、私を遠方へと送る。離れた位置で車のスピーカーから遠吠えを流し、魔女を攪乱させた。咄嗟にあれだけ考えられるのだから、現場に出しても彼は上手く仕事をするだろう。それでもまだ、手元から離すことを不安がるのは……私の我が儘なのだろうか?


「……参ったわね。問題ばかりだ頭が痛い。自称被害者もまだ見つかっていないようだし……」


 無音の魔女だけでも手一杯なのに、アンジェリカの事件もある。自称被害者……ライカン。彼は鳥騎士の目でも見つけられなかった。元はエッセ家の使用人というその男……身を隠す以上、やましいところがある様子。


(あそこの父親は相変わらずだな。今度は何を企んでいるのやら)


 相手がエッセ家と知っていて、挑んで来るのは政敵のスパイか。騎士団は兄弟団の内乱に巻き込まれた? きっと相手はすぐには出て来ない。エッセ家に悪い話が持ち上がったところで、追い打ちを掛けるのが目的。アンジェリカは人間の争いに巻き込まれた被害者に過ぎない。

 それでも公共の場で騒ぎを起こしたことは逃れようがない。ブレーメンでは今回の件でペット連れの観光客への注意喚起が為される。今後、大型犬のリード強度の確認が、駅や空港で必要となるかもしれない。


「そう抱え込むのはお前さんの良くない癖じゃ。昔からそういう所があるのぅ。良いではないか、事件自体は解決したのじゃから。ライカンなる男の件も、目撃者の証言では彼から仕掛けたようじゃし。傷害事件で起訴された所でエッセ家が負けるとは思えんのぅ」


 マリアジの言葉は正しい。二人は無事にキングチワワ脱走事件を解決した。猟騎師団との衝突も未然に回避……それだけでも御の字だ。二人の連携は未熟であるが、伸びしろは未知数。彼らに私は期待している。多少の尻拭いくらい喜んでやってやるわ。


「クレールを追跡に回さなかったことに不満があるかの?」

「……無いわ。クレールなら逃げた男を捕まえられただろうけど、ロラン一人でアンジェリカは止められなかった。貴女の采配は間違いじゃない。貴女の目で見つからないなら、もう州外に逃げたんでしょうね」

「面目ないのぅ。……帰ってすぐに大仕事で疲れたじゃろう、ルナ」

「そうでもないわ」


 支部に帰った私は、二人の成長具合を確かめようとマリアジと一芝居を打った。二人に任務を任せるため、運転手に扮し待機をしていたのだが急な依頼が飛び込んだ。窮地は好機と考えて、そのまま私も同行したが……クレールは人間に興味がないため私の変装に気付けなかった。変装時に胸は潰しているとは言え、私の男装にも気付かないとは。あの子……女の子と思われると怒る癖に、自分のことを棚に上げていない? 少しは人の顔を見るように言っておこう。


「クレールは優秀なんだけど心配なのよね」

「ほっほっほ、その点ロラン君の鼻は見事じゃの。ルナと先に話した儂から匂いを感じ取っておったわ」

「お菓子の匂いで誤魔化すなんて失礼ね。私ってそんなに臭う?」

「色気付いて香水なんか使うからじゃ」

「だから私は犬騎士には向いてないのよ。もう一生、驢馬騎士でいいわ」


 支部を預かる隊長として各所に呼び出される私は、普段多くの動物たちに囲まれているから、獣臭いと酷評の嵐。外へ出かける際は香水くらい必要だろう。

「野生のロラン、理性のクレール。二人が打ち解けたら凄いことになるって解るのに……何でこう上手く行かないかしらね」


 二人の素性を知った時、正直私は震え上がった。運命とはこの世に実在したのだと。


「二人とも分かり易いのに素直じゃないじゃない? 彼は身体のこともあるし……あんまり丈夫じゃないでしょ? 無茶ばかりで、その頑張りが……いつか裏目に出るんじゃないかって」

「そこはのぅ。二人が信頼し合えばの話じゃが……傍に居れば、直に馴染んで行くはずじゃ。生存とは適応能力と進化の為せる技。今日まで彼らは生きて来た。そう簡単にはくたばらん。劇薬も時に薬となろう。リナルナ……焦りは禁物だ。出来ることも出来なくなるぞ」

「そうね、ありがと」


 冷えたスープを口に運び、私は面倒な依頼についてを考える。ロランの発言の後、あの場の空気は一変した。そこから強引に話を持って行くアルチナは……私に懐かしい痛みをもたらす。

 お転婆お嬢様と侍女は……明と暗。アルチナと付き人トリヴィアは、対照的な表情で答えてくれた。なんでも避暑を兼ねて、世界旅行中の姉君の旅に一時的に合流するのだとか。


「……マリア、何よその顔」

「ほっほっほ。お前さんが仕事以外でそんな顔をするのは久々じゃと思うてな」

「あんた、食堂の陰とか隣の部屋から話聞いてたでしょ」

「残念、窓の外からじゃ」

「不審行動はやめろっていつも言ってるじゃない」


 マリアジに隠し事は出来ない。そう諦めながらも私は不満を口にする。


「綺麗事だけで組織は成り立たぬぞ」

「説得力があるんだかないんだか……私のことはいいわ」

「そうかのぅ? 待機時にトリヴィア嬢と話をしてな。無論受付令嬢らしい言葉遣いで対応してやったわ」

「普段からそうしてお願いだから」

「くくく……よりにもよって“エッセ家”とは」

「私が選んだものの全ては、あの子達が果たしてくれる。クレールとロランに託すわ」

「その言葉を自分で信じ切れていないから、そうやって悩んでいるのに?」


 ブレーメン支部に来たそもそもの依頼は、近年増えつつある避暑旅行への同行任務。非常時に備え、海難救助要員が欲しい他……厄介なペット連れへの対応を望まれてのこと。アルチナからの依頼がなくとも、我々はその客船へ向かうつもりではあった。そこにもう一つ“犬の躾”依頼が舞い込んだという、唯それだけのこと。


(……アンジェリカをあのままにはしておけない。この依頼は無視できない、それは確か)


 飼い主は彼女を制御できていない。ここまで無事だったのは、トリヴィア嬢の頑張りのお陰。彼女はもう体力の限界。きっと、国外でも同じことを引き起こす。仮にリードが切れなくとも、リードが緩んだ瞬間に脱走は起きていた。

 旅には他の使用人がいないのかと尋ねてみたが、全て解雇したのだとか。流石にそれでは心許ない。エッセ家当主……アルチナの父親イドラスは、何度か新たに使用人を送り込んだが、それら全てがアルチナ・アンジェリカに撃退された。犬好きの彼女が頷く相手と彼は考え……ベルリン本部に依頼を出した。その白羽の矢が立ったのが今回の依頼。

【エッセ家のご令嬢を、ベルゲンまで送り届けよ。その後は例の任務と並行し、彼女の問題行動の阻止へと当たれ。本部からの増員はなし】

 私は再び指令書から目を外す。こんなに短い文章で、散々な気持ちにしてくれるのだからキャロル団長は天才だ。


「団長……これは流石にあんまりだわ」


 恨み言も口から漏れよう。確かにあの任務には二人を送る予定でいたが、そこにエッセ家のご令嬢が絡むとなると政治問題に発展する。あの二人は将来有望な犬騎士だが、人間としては未熟な少年達。あまりに敷居が高すぎる。成金へのマナーや礼儀などあの子達には欠片もない。


「じゃが、幼いエッセの娘を騎士団寄りに出来るなら……団の未来は明るい」


 今の内に人脈を作り、彼女の価値観を変えられたら……組織としても有り難い。犬騎士を傍に置くことに対して私も異論はない。マリアジの言葉は正論である。


「本当、嫌な役回りよ。全部仕事投げ出して、クルーズ旅行なんて私も行きたいわ」


 旅の詳細を見ると、客船はベルゲンの前にコペンハーゲンを経由する。姉との合流がベルゲンだというアルチナは騒ぐかもしれないが、クレールに宥めさせよう。そう……意外なことに、意外でもないか。彼をよく知らない相手からすれば、彼は魅力的に見える。街に高価な宿を取ってあるにも関わらず、彼から離れたくないとアルチナは騎士団に泊まると言い出した。対応はクレールに丸投げしたからあの子は今、内心半泣きだと思う。人間嫌いが人間に好かれてしまうのだから、彼の業は深い。


(お嬢様とクレールかぁ……見た目ならなかなかお似合いなんだけど)


 数年後の二人の姿を想像し、私は微笑ましく思う。あの子達は動物好きで人間嫌い。度合いや意味合いは異なるもの。それでも彼らは人間だ。彼らのような子達を、人の世に繋ぎ止める鎖は必要。私一人だけでは、鎖が軽すぎるのならば……鎖を増やし重くするしかないだろう。


(ロラン程ではないけれど、クレールも欠けているのよね)


 だからあの子はまだ、一人前と認められない。実力は十分に備わっている本人はさぞかし不服なことだろう。入団試験の際に実技も筆記もトップでクリアしたクレールは、騎士団に単独での活動許可を求めた。対して団長がクレールに求めたのは、師団との対立原因の一つ……狼を巡る争いの解決だ。結果、彼方からの妨害もあり此方の企みは失敗に終わる。此方が得た物は、ロランという希望と……クレールの古傷を抉る痛み。


(“ロランのことは犬だと思え。その方が上手くいく”……)


 私が彼へ送ったアドバイス。私が傍に居ることで、彼らは私を頼る。しばらく距離を置いてみたが効果は薄い。二人の関係に進展は見られない。


「師団の動きも気になる。彼らを遠方に送るというのは儂も賛成じゃ。……だがな、ルナ。劇薬であっても、外部からの刺激は必要。そう思うか?」

「魔女と対面して、クレールはロランを守った。それが答えよ」


 二人の歯車は非常時に上手く噛み合う反面、危険がなければ守り合わない。まだ幼い彼らを、私の手の届く範囲で見守り育てる。そんなやり方はあの二人に向いていない。危険と隣り合わせでも、実戦に送り込むしかないのだ。


「駄目ね、ちゃんと鬼にならないと」

「野生なら迷った者から死んで行く。悩むのは人間の証じゃろう」


 机に突っ伏した私に、マリアジが言葉を投げる。彼女の言葉重力に従うように、私の胸までストンと落ちた。

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