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2:無音の魔女

挿絵(By みてみん)


「オート、君はどう思う?」


 獣に育てられた彼は獣か人間か。すぐには誰も答えられない。仮にそういうことが出来る人がいても即答している以上、思考回路の凝り固まった……誰かの主義主張に染まった考えなしのクソ野郎。


「理論上、あり得ないことではないですね。確かにそういう前例もありますし……」


 狼少年、狼少女はでっち上げ。人の子供は狼の乳で栄養を摂取出来ない。しかし、その子供が乳幼児でなければ話は別だ。野草を食べ、肉を食べられる程成長していたならば。野生の狼が人の子供を襲わず育てた例はある。


「結論から言えば、今回の騒ぎ……ラウジッツの狼は、狼少年とその仲間のパックだ」


 隣接するブランデンブルクに狼は生息しているが、ベルリンに入ることは許されない。野生動物が暮らす動物公園……森林や湖も多い場所ではある。けれども一国の首都を、狼が彷徨くことは好ましくない。狼を巡る論争は終わらず故にこの都市に、動物騎士団と猟騎師団の本部が置かれている。


「山で羊を盗む程度なら保険や保障で賄えるが……街中に羊はいない。鹿や兎はいるがな」


 もしもベルリンに入り込んだなら、彼らは野生動物だけを狙ってくれるだろうか? 大勢いる人間を襲わないと何故断言できる? 団長からの問いかけに、再び僕は黙り込む。狼が来てからでは遅い。騎士団、師団の対立は……これからの未来、可能性を見据えての攻防だった。


「少年は数年前に保護され……人の言葉を、文字を覚えた。しかし、狼としての生活が忘れられず……行方を眩まし、仲間の元へと帰ってしまった」

「団長は、彼らがベルリンまでやって来るとお思いですか?」

「あのパックは追い詰められている。他のパックとの縄張り争いに負けて……人がいる方いる方へと追いやられているんだよ。人と衝突する日は必ずやって来る」


 一度、人の世を知った仲間が戻って来た。何処に獲物が居るか、どうすれば安全に入り込めるかも知っている仲間が。恐らくこれは……騎士団としても師団としても、少年を狼から引き離したいという話。


「オート、君はどんな犬でも従わせられると豪語していたな。君の実技は見せて貰った。第二試験では“ウルフドッグ”さえ完璧に手懐けたとか。君は性格に難はあるがトレーナーとしては優秀であるし、どんな犬でも君自身がリーダーになれる。私もそれを認めよう。だがね……君の要望通り、一人前の騎士と認めるには条件がある」


 団長は僕に無理難題を押しつけた。犬の血が一滴でも入っているなら、狼との混血だって僕は従わせてみせる。それでも“彼”は人間だ。それをどうやって従わせろと言うのだろう? 彼は犬でも狼でもないと言うのに。


「彼を人間社会に連れ戻し、狼から犬に変えるんだ。そして君が彼のリーダーとなる。それが成功したなら君を一人前と認め、単独行動を許可しよう」


                   *


 ベルリンでキャロル団長と話したのが三ヶ月前。その間僕は努力は続けて来た。それでもロランはあの通り。僕はまだ、あいつの所為で見習い騎士。僕の努力も虚しく……ロランは未だ人の形をした狼。そう、曲がりなりにも狼なのに……


(犬に攫われる奴があるか! 犬にまで最下位(オメガ)扱いされてどうする!)


 あいつはオメガはオメガでも、弱いからと言うよりは……子供扱いされていた。ロランが所属していたパックは頭数が少なく、リーダーもメスという特殊な環境。最も幼い子供として、弟として群れの仲間には愛されていた。ロランは弱者を演じることで、他者からの保護を引き出す能力に長けている。アンジェリカの暴走は、その保護欲を引き出しすぎた反動。ロランは初対面の犬をも盾として扱える。僕とは違うやり方で、あいつは命令を下せるのだ。


(あいつに限って、危険と言うことはないが……)


 ロランにとって自然や野生は脅威とならない。なるのはむしろ……人の方。騒ぎが大きくなる前にロランの回収を図りたい。ロランがアンジェリカに攫われた後、僕は支部へと連絡を入れ車を手配。ロランはあれで頑丈だから心配する必要はない。心配をするなら見知らぬ土地に放り出されたアンジェリカ。飼い主を叱るのは簡単だが、それで事態は好転しない。僕は冷静に、小さなお嬢さんの相手を務める。子供の相手は苦手だが、子犬と思って接しよう。


「アルチナさん……話を聞かせて貰えるかな?」

「…………あの子は私に懐いてくれないの」


 移動中……アルチナが呟く声は、先程と打って変わって弱々しい。帰りのことを考慮して、付き人を支部に残してきたからか? 強がる姿も見られない。お転婆なお嬢様が、愛犬なしではすっかりしおらしい。彼女の頭両サイドに結ばれた、二つの尻尾髪(ツインテール)は、気落ちした犬のように垂れている。悪路で揺れる車内に、彼女の大きなリボンが揺れていた。


「君が飼い主じゃないのか?」

「アンジェは姉様の。だけど姉様……家を出ちゃって。それからアンジェは私の犬なの。クレールは犬の専門家なんでしょ? 騎士団(パラディン)の……。何が問題か解る?」


 隣から、僕を見上げる視線は幼くも……関係の改善を望んでいる。愛犬のことを知りたいと彼女はちゃんと思っている。それならば、変われるはず。キングチワワは身体こそ大きいが、チワワの性質を強く受け継いでいる。基本的にはよく懐き、番犬にもなる可愛い犬だ。愛らしい姿はそのままに、巨大なぬいぐるみのように成長した体躯。大型化したことにより変化は生まれ……身体に対する自信のためか勇敢がやや前に出て、臆病な性格が裏に隠れることも多い。


「あの子は、飼い主一人に愛情を向けることが多い犬種だ。君のことは家族と認めてはいても、君をリーダーやパートナーとして認めていないようだね」

「私、姉様大好きだけど……姉様ばっかり狡い。私だってアンジェが小さな頃からの可愛がってたもん! 私はアンジェの傍にいたもん!」

「そのお姉さんと同じようにはいかないかもしれない。それでも君と彼女がもっと良い関係になるための方法はある」


 騎士団の運転手は、首輪の位置情報を頼りに車を走らせる。車内後部座席には僕とアルチナ……ローランド。残されたローランドは悲しげで、それでも大人しく僕に抱えられていた。


「この子はローランド。僕の飼い犬じゃない。それでも僕の言うことを聞いてくれる賢い子だ」


 落ち着かせようと撫でてはみるが、彼は心細く鳴くばかり。ローランドにはロランが必要なのだ。命令通り動かせても、僕では彼の代わりにはなれない。


「君がそうなる必要はないけれど……彼らには、自分より下の存在が必要なんだよ」

「え?」

「犬が安心するためにリーダーは必要だ。それでも自分が一番弱いと思い続けるのは辛いこと。自信の喪失にも繋がり、彼らの心を傷付ける。人と動物の関係性には様々な形があって、不要な関係は恐らく一つもないはずなんだ」


 自分の口から零れる言葉。ロランの前では絶対に言えない言葉。僕の前ではローランドがこんなに悲しい顔をする。あいつがこの子の剣なんだ。ローランドが名前の通りの英雄に、なるにはあいつが必要だ。


「アルチナさん、動物にも心がある。だから一番大事な人を、無理矢理変えることは出来ない。それでも友達や仲間、家族にはなれる。……違うかな?」

「…………無理よ」


 アルチナにできるだけ優しい声で僕は諭してみたが、沈黙の後彼女が返した言葉は全てに対する否定であった。それ以上何を聞いても彼女は深く黙り込み、何も答えてくれなくなる。参ったな……そう思いながら情報端末に目を向けると、目的地付近まで来ていた。農作地から外れた先に、広がる森林地帯。これ以上は車で進めない。足を使っての捜索になる。

 僕は後部座席から車を飛び降り、付いて来ようとしたアルチナを牽制。運転手に頼み、後ろからは扉が開けられないようロックを頼む。動物の脱走防止の装置だが、こんな時も役に立つ。


「ありがとうございました。後は僕らが」


 僕はローランドを地に下ろして銃を取り、茜色の空へと向ける。音も煙も上がらない特殊な弾だ。猟兵にはまだ気付かれない……動くなら今の内。先を急ごうとしたその時、僕の発砲に応えるように銃声が鳴る! 正面の森からだ。


「何!? やっぱり私も行く!!」


 怯えは逡巡。すぐにアルチナが騒ぎ立てるが……一般人が一緒に来るのは足手纏いだ。きっぱりと伝えても反感を買うだけ。彼女は無視しよう。早足で森へと向かった僕の背後で。


「グルルルル――……っ!」


 突如飛び出す大きな影は、僕の頭上を飛び越えた。無理向いた先、アルチナの悲鳴が上がる! 強化硝子を破るだと!? 

 今僕が使ったのは犬笛銃。人間には聞こえない周波数の音を出す。騎士団の犬達にはこれで訓練させている。普通の犬笛が聞こえない距離からでも指示を下せるのが利点だが……やって来たのはオリヴィエでもローランドでもなく、この色、模様は……アンジェリカ!?

 怪我の確認をしようと彼女に手を伸ばすも、興奮していて聞き入れられない。


(何があった……?)


 位置情報を確認するとオリヴィエのすぐ傍まで来ている。位置が殆ど動いていない以上、彼らは合流したと見るべきか……? だが、集合の犬笛弾に応じない理由は何だ? 首輪が外れた? 外された……? 騎士団の犬だと解っていて首輪を外す猟兵などいないのに。


「座れっ――……!」


 彼女の目を見つめ、僕は命令を下す。反射的に座り込んだ彼女を落ち着かせるよう撫でながら、アンジェリカの様子を探る。


(これは――……!)


 彼女の首を撫で、その質感に驚いた。ロランの奴、やってくれたな。訓練もされていない我が儘犬が、見知らぬ音に飛び出したのは……“ロランを守ろうとした”結果?

 キングチワワは勇敢だ。あいつはあいつのやり方で、彼らの生まれ持った潜在能力を引き出した。今だってアンジェリカは怪我を負ってまで救出を求めた。アンジェリカに従わない僕ではなく、我が儘に付き合ってきたアルチナなら……ロランを助けてくれると信じて!

「鍵を開けて! 彼女を外に! アルチナさんの力が必要です。それから貴方にもお願いが一つ……!」

 アンジェリカにハーネスとリードを繋ぎ、僕は車を振り返る。その先で運転手は、深く被った帽子を外して頷いた。


                   *


 ロランが目覚めた。私が必死に彼の顔を舐めたおかげ。


「俺のこと、守ってくれたんだね。ありがとう……アンジェリカ」


 甘えた声を出す彼に、私もようやく安堵する。しかし目覚めたロランは何か困っている風だ。何処をどう走って来たか解らないが、静かで安全そうな場所まで運んで来てあげた。草木が生い茂った森の中……私が驚く物は何にもない。そう、このアンジェリカ様は勇敢なのだ。急に大きな音を出されでもしなければ、取り乱したりしない。私はあの方なき後の、エッセ家の主なのだから! 誰より強く勇敢なアンジェリカ様なのだ!

 そんな私と一緒なのに、ロランの奴め。臆病だな。何が不安だというのか。小さなお前くらい私が何とか守ってやれる。私の身体はこんなに大きいのだ。暖かいし、夜が来ても大丈夫。


「猟兵に見つかったら不味いな。君の身体は大きいし……」


 困るとすれば……食料が乏しいこと。私は鼻を動かして、食べ物の匂いを探る。ロランの服から良い匂いがまだするが……私は先程彼の食料を食べた。彼への施しも必要だろう。我慢しなくては。何々“猟兵”? あまり聞かない言葉だな。

「ね、アンジェリカ。いや、アンジェリカ様。お腹空かない? お腹空いてたんだよね。移動が苦手なんだ? 吐くと大変だもんね掃除とか。そっか、だから乗る前に食べられなかった?」

 ロランは私の言葉を正しく理解する。空腹に気付き、隠し持った食料を私へ差し出した。優秀な部下だ。アルチナとは大違い。これなら私も愛でてやっても良いと思える。いざという時守ってやろうと。

 先程私が平らげたのは、大きなソーセージ。それでも超大型犬のアンジェリカ様は、たった一本では満足出来ない。ロランが出して寄越したのは、味も素っ気も無いクッキー。甘さは控えめだが、柔らかな弾力のある食感とバニラの香りが病みつきになる。一枚一枚取り出すのは面倒と、ロランはクッキー入りのポーチごと私へ預けた。ポーチからはこの場に居ない者の匂いを感じる。この匂い……あの人間か?


「オリヴィエは敵じゃないよ、クレールも」


 オリヴィエ……細く大きくふわふわした犬。あれの飼い主。ロランがクレールと呼んだ。毛の長い子供。あれがこの菓子を作ったのか。甘えれば或いは脅せばもっと私にくれるだろうか?


「街に帰ろうアンジェの姐御。帰ったらもっと美味い物食わせてやるから。ここの名物って結構良いのが揃ってて」


 そこまで言うのなら吝かではない。私はロランの前を進み……道が解らない。仕方なく、どちらへ行くのだと意見を求めた。ロランは私が隠れた森の外、遠くに見える民家を目指そうと言う。部下の癖に名案だ。私の可愛さがあれば、ご馳走くらい出てくるだろう。

 私は機嫌良く、森の外へと足を運んだ。森を出てすぐに、近付いてくる軽やかな足音。野生動物たちの匂いに惑わされていたのを、飼い主お手製の餌の匂いを察知して……グレートスタンダードプードルが現れる。彼はその場で片手を差し出す。そこへロランがお手をする。ロランに芸をさせるとは。オリヴィエの方がロランより偉いようだ。


「流石オリヴィエ! ありがとう」

「ワン!」

「頼りにしてるよ、オリヴィエさん」


 ロランに声を掛けられて、オリヴィエはリーダーを装う。私は少し気に入らないが、彼は私よりも大きく見える。威嚇の声で少し睨んでみるけれど、彼は涼しげ。私のことなど意にも解さないその堂々たる風格が、私の遙か格上であると告げていた。

 それでも部下のロランの前で、情けない姿は見せられない。強がる彼の様子を観察すると、ロランも緊張している様子が見て取れる。オリヴィエに脅えている……わけではない。


「ここが、ブレーメン内だといいんだけど――……もしもニーダーザクセン州まで来ていたら、少し面倒だな」


 ロランは何やら呟いた後、空に向かって遠吠えをする。私も数回覚えがあるが、基本的に家にはいつも部下がいるから、遠吠えの必要が無い。私がリーダーなのだから。あの人が家を出てからは久しく、そんな手段もあったかと思い出す程忘れていた。でもロランの遠吠えは、私のそれとは異なる。彼の遠吠えは、これまで聞いたこともないような……長く悲しい音だった。


「……まだ、いないか。パックの声もないし、迷惑は掛けてないよね」


 今のは何とオリヴィエに尋ねると、「ローランドを呼んだ」と彼は言う。返事がない所を見るに、聞こえる距離まで迎えは来ていないそう。遠吠えが不発に終わったと、ロランは小さな機械をカチャカチャ弄り始めてすぐに諦めた。要らないなら玩具としてくれないかしら? 私がソワソワしていると、ロランは今度は下の服へと手に掛ける。外した長いベルトを私の首へ巻き付けて、近場の蔓を編み込んで……簡易的な首輪とリードを作り出す。窮屈なのは嫌いと言えば、首輪にちゃんと隙間を作ってくれる。


(でもこんなの見窄らしい。オリヴィエの方が素敵な首輪をしているし、あっちの方が良いわ)


 彼の首輪は鈍い銀色、ピカピカ光る。クールな彼によく似合っているが、私が付けたらその何倍も素敵に違いない。私の不満をロランは察し、彼と首輪を交換してくれる。私が満足げになったところで、ロランは私に懇願をした。


「……お願いだ、アンジェリカ様」


 ロランは足を引きずり出した。これまで我慢していたが、何処かで捻っていたようだ。私の運び方がいけなかったのか? 私も不安になる。貴方の部下は困っている。助けを呼んできて欲しい。彼の切ない鳴き声に、私は任せてと短く吠えた。彼はポーチを再び私に嗅がせて、首輪へ結ぶ。怪我をしたロランは心細く、弱っている。彼は群れに帰りたいのだ。


「……ワン」


 オリヴィエが無理するなと言ってくれたが、私は部下を助けたい。彼を見捨てるならお前はリーダー失格だと私は言うが、オリヴィエは何も答えない。その代わり「血の匂いがしたらすぐに逃げろ」と囁いた。

 言葉の意味や真意は不明だが、私は頷いた。後はもう振り返らない。今の私は可愛い部下のため、悲しむロランのため、忘れた帰り道を懸命に探り出す。クレールの匂いはまだなくとも、私が通った匂いを私が辿って行けば良い。ローランドが私の匂いを追っているなら、いつか鉢合わせる。私ったら天才! そうそう、ここを通って来たのだった。それに彼の匂いも微かにこっちから。そう、この農場を……


「あれ……? こんな所でどうしたの? えっと、迷子かな?」


 高い声、女の声。クレールではない、女の声。それでも優しげな響き。私を可愛いと思っている。クレールでなくともロランの力になってくれるだろうか? 私は彼らを値踏みする。ヒクヒク鼻を動かすと……二人からは、獣じみた匂いが漂う。こんなに優しい声なのに、人間なのに……どうして他の動物の匂いが沢山するのだろう? 鳥や鹿……猪、兎、狐。色々な獣が彼らにまとわりついている。傍で物音はしないのに。

 屋敷では嗅ぐことのない不思議な匂い。私はその場に立ち止まり、彼らを凝視した。


                   *


挿絵(By みてみん)


「先輩のばかー!! 嘘吐きー! 狼青年!! クソ野郎――っ!!」


 息の続く限りの悪態を、私は空に響かせる。夢と現実の違いって、余りにも無慈悲。


(何が「ブレーメンには狼はいません」よ。本物の遠吠えが聞こえたわ! ……もう最悪!)


 私、スティラ=ヴィントが初めて借り受けた猟区。そこはブレーメン郊外の耕作地。畑の外れにある狩猟小屋が仮住まい。此処で畑を荒らす野生動物の駆除を行うのが私の仕事。森の猟区が得られなかったのは残念だが、ゆくゆくは広大な自然の中で、人と自然の均衡を守りたいと思っている。


(そう、今はまだ――……修行期間なんだわきっと!)


 前向きに自分に言い聞かせてみたが、軽い失望は拭えない。私はあの天才の弟子なのだ。もっと師団から認められても良いはずなのに。私は猟兵免許を取って二年目に、運命の出会いを果たした。あれから一年間……私は“先輩”の下で狩りを学んだ。若くして多くの害獣を仕留める天才ハンター! その銃撃スキルは百発百中! 【猟騎師団(イェーガーディヴィジョン)】が誇る天才猟騎師【無音の魔女(スティル・ロジェス)】! 嗚呼、憧れの先輩ロジェス様……そんな先輩がこんなクソ野郎だとは。そもそも男の二つ名が魔女ってどういうこと? クールビューティーお姉さんを想像していたのに、【無音の魔女】がこんな優男だとは思わなかった。


「皮肉なものですね」

「げ、先輩いたんですか」

「いましたとも。君の成長した姿を見たいと思いまして」


 私の猟区にクソ野郎一名ご案内。招待した覚えはない。


「留守番じゃなかったんですか? さっきまで農家の娘さんとそりゃあ仲睦まじくお話されていませんでした?」

「この辺りのことを聞いていたんですよ。やはり獲物としては鹿が多いようですね」


 膨れ面で答える私に先輩は……優しく微笑み返す。くそっ、この顔だ。この顔で何人落としたんだ! それでも一年彼の下で学んでいれば、底の知れない男のことも……多少なりとは理解する。先輩が笑っている時は、大体違うことを考えている。そう、ろくでもないことを!


「上手くスティラ君が仕留められたら、私が腕を振るいましょう」


 緑色の目を細め、笑う先輩は穏やかで……言っていることはまともに聞こえた。先輩の料理は美味しいし、願ってもない申し出ではある。しかし彼の突然の来訪を、手放しに喜べるほど――……私はこの人を信用していない。この人は、イェーガーではなくハンター気質。


「先輩の猟区って、ブランデンブルグじゃなかったんですか?」


 国境からブランデンブルグへ入り込んだ狼。時の流れにより彼らのパックは増え、生息圏は拡大。いつかベルリンまで至る狼が現れることを人々は恐れた。それから【赤い水曜日】の悲劇によって、狼の排除へと人々の意見は変わる。この人が猟兵として優秀なのは本当だ。この人が猟区を得て、ブランデンブルグから狼は消えた。一匹残らず――……消えてしまった。それが正しい事かそうではないのか、私にはまだ解らない。いつか答えを見つけたい。見極めたいとは思う。それが師であるこの人を、私が超える意味だから。


「話さなかったかな? 私は狩り場を変えたんですよ。あそこにもう、獲物はいませんし」


 さも当然と語られると、私が聞き逃したか忘れているようにも感じるが、私はそんなこと一言だって聞いてはいない。これが先輩のやり口だ。一年間、私は何度騙されてきたことか!


「君が先走り猟区を借りてしまいましたが、師団の所有する共同猟区も近場にありましてね。君の顔を見るついでに、少し遊んでいこうかと」

「ど、どうしてそれをもっと早く教えてくれなかったんですか! 私借金してレンタルしちゃったんですよ!?」

「スティラ君……君も猟兵なら、どんな貸し借りも(それ)で返せば良い」


 先輩は畑に向かって猟銃を構えて、口元だけで小さく笑う。先輩を、ロジェス様を見ていると――……狩猟が貴族の遊びだった話を思い出す。この人は優雅に楽しみながら、獲物の命を奪うのだ。それが本来の在り方なのかもしれないけれども、この人の目は……心の底から笑っていない。私の方を見ていても、私のことなんか見ていない。


「スティラ君、この州での狼対応は?」


 狼を巡る議論は現代でも終わらない。自然管理の側面から語るなら、猟兵と狼は同業者。畜産関係者への財産保証制度が出来ても、狼を忌み嫌う者は多い。人の歴史や物語……植え付けられた認識は、簡単には変えられない。一世紀前のドイツで狼が生息していたのはザクセン、ブランデンブルク州のみ。それが今ではシュレスヴィヒ=ホルシュタイン、ベルリン、ブレーメン以外の全ての州で群れ(パック)が確認されている。【動物騎士団(パラディン)】と【猟騎師団(ディヴィジョン)】が対立する原因の一つが“狼”。複雑な問題のため、これは騎士団・師団内でも意見が割れていて……州毎に独自の規則が設けられている。


「お隣のニーダーザクセンでパックがいるのは東部南部の州境付近ですし……万が一迷い込んでもブレーメンは猟区も少ないですし、定着はしないと思います」

「そうだね、いないものをいると定義し話し合うことはない。だから判断は――……猟区を守る義務を負う、我々が決める。おや……?」


 射程に近付く獲物に先輩が、一発撃ち込んだ! かに思われた。しかしいくら何でも静かすぎる。弾詰まりだろうか?


「ロックされましたねぇ。あれは騎士団の、ですか」

「騎士団? 水兵襟が見えませんけど」

「何処かに引っかけて置いてきたのかな。スティラ君、保護して差し上げなさい。思想は異なるとは言えね、恩を売るのも悪くありませんし……単純に目障りですから」


 獲物の前に立ち塞がれては撃てるものも撃てなくなる。邪魔をされては堪らない。呟く先輩の顔から、微笑みは消えていた。


 先輩の視線の先……畑の草陰から姿を現したのは犬! それも大きな犬! 可愛い!!


「きゃあああ! 君迷子? おいでおいで、怖く無いよーほらほら!」


 私は今朝方仕留めたキジ肉を、それの前に差し出すが……その子は全く口を付けずに、じっと私達を見つめている。何かその子は伝えたそうだが、私には解らない。そんな此方の様子に失望したのか、大きな犬は悲しげに鳴き私達を通り過ぎる。


「あ! 待って! 何処行くの!?」


 私の声に驚いたのか、その子の逃げ足は速くなる。その子が見えなくなったところで……


「何してるんですか先輩!?」


 この男、撃ちやがった! 騎士団と師団は対立している。怪我なんかさせたらどうなることか。しかもここ、私の猟区だから……責任が私に来るじゃないの!


「猟銃に掛けられた騎士団の枷は、センサーなんですよ。ですからそれが届かない距離に至れば理論上射撃は可能です」

(あれ? そう言えば何であんなに銃声が……?)


 先輩は数種類の銃を持つ。その中でも静かな空気銃(エアライフル)がお気に入り。距離を詰めなければ仕留めることも難しいのに、そんな遠距離から仕留めるか!? と言う眉唾物の武勇伝を幾つも彼は持っている。一年間、彼の仕事を見て来た私に言えるのは……それら全てが嘘ではないと言うこと。この人なら、確かにやれる。そんな先輩が珍しくも、今は二丁の銃を使っている。良く見たら、先に使われ捨てられた……この一丁は私のだ。この男は、猟銃の銃声で空気銃のガス音を消した。どの距離からロックが外れるか確認しているのだ。


「ふっ、残念」


 笑って銃を返した彼に、私は勢いよく怒鳴り散らした。


「解って何でやるんですか、ここ私が今責任者なんですよ!? 私の将来潰す気ですかー!?」

「いえ、何。空砲ですよ。詰め忘れましたねスティラ君」


 先輩は笑って言った。拾い上げた銃には確かにロックが掛かっていない。実弾がないのだから、首輪持ちを撃っても問題ないと判断された?


「先程読み取った登録情報があの犬種と違うようなのでね。スティラ君、君はここを守る義務があるのにあんな怪しげな犬を野放しにしたのですか?」

「え、えっと……それは」


 首輪は迷子札の意味もある。首輪の情報を携帯端末で読み取ることは確かに可能。騎士団の首輪を悪用されているとするなら、確かにあの子はとても怪しい。


「で、でもここは私のレンタル猟区です! 先輩は余計なことしないで! あの子は生かして捕らえます! 小屋でお茶でも飲んでて下さい!!」


 信用ならない先輩を私は牽制しつつ、指笛でパートナーを呼んだ。


「ホルス様ー……あれ?」


 もう一度呼ぶ。誰も来ない。焦れば焦るほど、上手く音が出なくなる。そんな私の姿に先輩は笑いながら、高く響く音色を出した。


「スティラ君、君にはまだ教えることが多そうですね」

「キルケ様!?」


 大空から舞い降りたキルケ様。先輩のパートナーである鷲。大きな彼女を間近で見ると、やはり迫力に圧倒される。


「君のハヤブサを回収して来て下さい。私はあの鳴き声を確かめなければいけません」

 パートナーを手に、ロジェス先輩は笑う。ヘーゼル色の目は、久方ぶりの喜びを宿して。


                   *


「今の音は……」

「ねぇ! 今の何なのクレール!」

「……犬鷲。あの大きさは、雌か!?」

「クレール?」


 騎士団内でも、鷲を扱う者は少数だ。鳥騎士の多くは、もっと小型の鳥をパートナーに選ぶ。それだって飼育放棄された者、怪我により自然に帰ることが困難な者達を保護し使役したもの。現代では国家民間問わず、鳥型ドローンが悪用される機会も増えた。それらの駆除に、大型猛禽類への依頼は尽きないが――……、鷹狩りの技術は多くの国で廃れている。支部のあいつは遠方の依頼を受けていて、この先数ヶ月は帰って来ない。犬鷲がこの一帯に生息するとも迷い込んだとも聞いてはいない。残る可能性は猟兵のパートナー。


「【無音の魔女】……」


 その二つ名は、彼のパートナーにも由来する。まさかあの男が? 説明を求めるアルチナを無視し、僕はローランドに語りかける。


「ローランド、危険だが……行ってくれるか?」

「わんっ!」

「よし、行けローラン!」


 小さな身体の彼ならば、捕えられれば一溜まりもない。それでも身を隠すには十分な木々がある。上空から襲われる危険性は低い。


「ちょっとクレール! あの子ひとりで行かせて良いの!?」

「アンジェ! 君の勇敢さを見せてくれ」

「ウゥーっ、……ワンワンっ!」

「きゃぁあああ!」


 アンジェリカに引っ張られ、転倒しかけたアルチナを僕は抱える。靴の仕込み車輪を出すことで、簡易犬橇ならぬ犬スキー。ハーネスは犬の引く力を増幅させる。元凶の元まで僕らが走るよりずっと、早く彼女は導いた。


「……おや、奇遇ですね」

「貴方こそ。こんな狩り場の少ない街に何のご用で?」

「ワンっ! ワンっ!!」


 猟兵ロジェスを前にして、アンジェリカは敵意を剥き出しにする。しかし彼の視線を受けた直後に「キャン!」と鳴き、僕の背中に身体を隠す。全く隠し切れてはいないけど。


「ちょっとあんた何よ! 私のアンジェが脅えてるじゃない! まさかさっきの発砲音って貴方なの? アンジェに何かしてみなさい! 貴方みたいな人じゃ一生かけても返しきれないような賠償金がそっちに行くわよ! それから殺人未遂で豚箱行きよ!!」


 すっかり脅えてしまったアンジェリカ。愛犬の様子に、怒り狂うアルチナは、クレーマー気質も感じるが、愛犬を思う気持ちは一人前だ。


「其方の小うるさいお嬢さんが、新しい騎士ですかオート君? 君とあまり相性が良いとは思えませんが。しかし……そうですか、大変ですね」

「何だその哀れんだ目は」

「君の相棒は今、首輪もなくし野放しだ。お互い苦労しますね。私にも不肖の弟子がいまして……その子が余計なことをしていなければ良いのですが」

「お前に弟子だと? そんな人間性が残っていたとは意外だな」

「ふふふ、仕事でそのような言葉遣いは如何なものかと。折角の外見でも、それでは野蛮に見えますよ」

「黙れ」

「そう短気にならず。私は弟子の猟区へ休暇で来たのです」


 胡散臭い笑みを浮かべたロジェス。こんな怪しい笑顔の人間が、よく猟兵免許を更新出来ているものだと感心する。師団の連中目が腐っているのでは? 僕が睨み付けてもロジェスは何処吹く風。


「クレール……何あいつ、感じ悪いけど知り合いなの? 友達とか?」

「あんな友人がいて堪るか。話しかけられても二秒で詐欺師と疑うあんな奴」


「なるほど、二秒は欺せると言うことですね。それだけあれば十分です。そう、例えば……探偵の行く先々で事件は起こる。彼が出歩かなければ果たして不幸な事件はなかったのか? 否。それは解決されないだけ。事件は不幸な事故となる」

「……貴方は何を言っているんだ?」

「私の目的に意味はない。私の向かう先々で何かが起こるとするならば、それは私が解決しただけに過ぎないと言うことですよ」

「面白い冗談だな。お前が犯人ではなくて探偵だと?」

「オート君。君は聞いたか解りませんが、先程狼の遠吠えがありましてね。猟騎師として事実確認は義務となります。同行されても構いませんよ? 師団と騎士団、初めての共同作業と参りましょうか?」

「師団の出る幕じゃない」


 時間稼ぎは彼方の目的? 上等だ。此方も稼ぎたいのは時間。ロランは頼りにならないが、僕のオリヴィエは優秀だ。どれだけの弟子か知らないが、あのふたりならば逃げられる。


「そうですか冷たいですね。時にオート君、君は時々女性に間違えられませんか?」

「今度同じ事言ったら名誉毀損で訴訟に持ち込んでやる」

「失礼、外見だけではありません。君はそれをリーダーの風格、性質だと思っているようですが…………そのやり方は、子育て時期の母親ですよ。一番獰猛な時期の、獣のね」

「っ……!」

「そんなに“お父上”が嫌いですか? いや、罪滅ぼしかなそれは。さて、君は誰を守ろうとしているのか。首輪のないパートナー? それとも……もっと大事な誰かが?」


 もう一秒だってこの男と話したくない。この場から逃げたい。そんな気持ちを押し殺し、僕はロジェスと対峙する。心の揺らぎは表に出さず、冷静を取り繕って奴を睨み続ける。


「クレール……?」


 殺気めいた場を見て、アルチナは不安げに此方を見上げる。前に出ようとする彼女を、僕は片腕を広げて制止。彼女も一般人。僕が守るベき対象だ。ロジェスには近づけられない。この男が使役するのは、あの大鷲だけではないのだ。


(そうだ、あいつがいない!)


 何処へ行った? 追いかけさせる手札が足りない。焦りを感じたその刹那、僕もロジェスが聞いたそれを聞く。狼の、遠吠えだ!


「行け、スキュラ!」

「待てロジェス! 彼らを使うなっ!!」


 草むらに隠し待機させていた犬に、狼を追わせるロジェス。遠吠えを聞いてからのロジェスは早い。狩猟小屋まで走り、弟子の物と思われるバイクに跨がった! あれで犬を追うつもりか! 号令に従い飛び出した黒い影達。彼らはそう大きくはない。しかし数が厄介だ。走り去るパックは全部で六匹! 追わせても全てを捕らえることは不可能。今ならまだ撃てる、麻酔銃で……駄目だ。小さな彼らの身体には毒。


「くっ……アンジェリカ!」


 行こうと命令しても、彼女は脅えて従わない。知らない匂いを恐れているのだ。アンジェリカが脅えていたのは、ロジェスひとりではなくて……“スキュラ”達を含めてだった。


「くそっ……」


 拳を握りしめた僕の背に、小さく甘える声がする。アンジェリカ? いやこの声は……!


「オリーヴ!!」


 オリヴィエだ。僕は駆け寄り彼を抱き締める。無事で良かったと泣きそうになりながら、もう一つの影を見上げた。命令に忠実なオリヴィエが、ひとりで帰って来るはずがない。


「……その足はどうした」

「ベルト、首輪に使っちゃってさ」


 ローランドを胸に抱きながら、あいつは言った。ズボンが下がるから捨てて来た。あっけらかんと告げるロランは裾の長い制服上着だけを纏う。女性服のデザインなら、少し丈の短いワンピースにも見える。馬鹿な新入りなら、騙されたかも知れないな。


「…………“ローラ”、彼女は?」


 遅れて現れた影はもう一つ。緑のベストに羽根付き帽子の少女。彼女の腕には白いハヤブサ。その出で立ちは猟兵らしく、彼女の衣服には師団の紋章が刻まれている。対する彼女は、僕らの襟の騎士団紋章には気付いていない。ロジェスの不肖の弟子は本当にポンコツなのかも。


「森で迷っていたら外まで案内してくれたんだ」

「そうですか。迷惑を掛けました、ありがとうございます」


 ロランの馬鹿の代わりに僕が頭を下げる。すると少女は慌てた様子で彼の言葉を否定した。


「いえ、そんな感謝なんて! 偶々なんです! この子を探しに行ったら偶然ローラちゃんと会いまして! お兄さんですか? お揃いの服だなんて素敵ですね! そっちの子はお友達かな? 合流できてほっとしました!」


 ロランの子供っぽい雰囲気とオリヴィエの優雅さがあれば……大きな飼い犬と散歩をする少女、そんな微笑ましい光景にも映る。擬態が上手いなこの野郎。猟兵の様子を見る限り、彼女は本当に騙されているな。襤褸が出る前に退散しよう。


「私、スティラって言います。今レンタルさせて貰っていまして、しばらくこの猟区の管理をするんです。困ったことがあったらいつでも相談に乗りますから!」


 僕達を、土地の所有者の子供だと思っているのか? その勘違いに感謝しながらアルチナ、ロランを連れて僕は住宅地へと急ぐ。そこまで行けば、あの狂人もかき集めた理性を働かせて人間に擬態するはずだ。


「ロラン、お前鳴いたか?」

「うん、一回。それでローランドが来てくれたと思ったんだけど?」

「…………リナルナさんに感謝しろよ」

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