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1:動物騎士団

百年後の世界の物語です。

魔法の出て来ない話なので、現実世界が舞台です。

しかし、実在するありとあらゆるものには関係ございません。国にも組織にも関係ありません。


人と動物の関係について揉め続ける世の中が、本当の百年後はすばらしいものでありますように。

挿絵(By みてみん)

 まだ肌寒い春の日、森は雨に包まれた。肌に触れる冷たさは……泣かない彼の涙のよう。黄金色の彼の瞳は、彼らの一族とよく似ていて。僕の目とは違う。それでも彼は人間だ。


「やめろ。やめるんだ」


 人である少年は獣になろうとしていた。その行動自体が、彼が獣から遠離る行為と知らずに。


「そこを、退け。そいつが殺したんだ!」

「お前が狼になるのなら、僕がお前を撃つ」


 僕が庇う男は負傷している。このまま捨て置こうと、一度も思わなかったわけではない。しかし、人間から遠い心を持ったその男はそれでも尚……人間だった。


「お前に恨みはない。それでもお前が人に害を成すなら、僕はお前を……」


 人間は弱くて臆病で、安寧のために多くを殺す。そんな奴らは嫌いだが、そういう場所で生きている以上、人には従うべきルールが在る。僕に恨みがあるかと問えば、彼は何も答えない。


「僕を退けようとするのなら、お前だって同じだ。お前は――……」


 こいつを庇ったことを恨んでいるなら、まず僕から殺して見せろ。そう告げて、銃を捨てる。僕の行動に彼は「どうして」と呟いて、金の瞳から雨を落とした。


                   *


 人と獣の境界はとても不確かな物。心を傾けた瞬間に、誰かの中で彼らは人となる。しかしその逆も起こり得る。僕は彼をどう扱えば良いのか、まだよく解らない。姿形は人に似て、言葉を介して会話も可能。けれども彼の心身、その一部分は人から遠い場所にある。

 出会った日の、牙のような鋭さは何処へやら。間抜け面で床に寝転がる彼を見て、僕は何度目かの溜息。呼んでも起きない奴を見限り、僕は受付カウンターまで戻る。幾らここが自由都市であっても、こいつは自由過ぎやしないか? そう、自由都市――……かつて童話の動物たちが目指した都ブレーメン。英雄ローランド像に見守られ、自由は今日まで続く。その名を頂く男がこれとは。英雄に失礼だろう。


「何あれ? レストラン? それともペットショップ?」

「いや、何か違うようだ。猫カフェの総合動物バージョン? 話のネタに覗いてみよう」


 時は2120年。一世紀前より世界はどれ程変わったか。ここはドイツ・ブレーメン……マルクト広場より南。中世的な町並みが広がるベトヒャー通りを抜けた先。辿り着くのは聖マルティン教会。その左後方……川岸に妙な看板が一つ。『Bremer Rettungsmannschaft~ブレーメンの救助隊~』。ヴェーザー川の畔に構えたこの建物も、ベトヒャー通りから続く……或いは抜け出した? 中世的な佇まい。そっと聞き耳を立てて見れば、風と水音人の声……その他に、愉快な声が聞こえてくるだろう。街の至る所に飾られたかの有名な音楽隊! ロバ・イヌ・ネコ・ニワトリの声もここから外へと届く。一体この街で、誰を救助するというのだろうか? 酔狂な店名のペットショップと勘違いされることも多々。時折非番が任意で楽隊となり、彼らを街へ連れ出すこともあるためか。サーカスだと思われている節もあり、観光客が覗きにも来る。その度僕は無愛想に追い返す。たった今建物入り口までやって来た若い男女の旅行者も、この看板が見えていないらしい。


「ははは! また観光客が入っていったよ。ありゃー、川で溺れた酔っぱらいを引き上げるのが仕事なのに」

「一応、動物学校もやっているんだろ? なら似たようなものだ。茶は出て来ないだろうがな」


 店主質の軽口も勿論違う。僕らはそんな安い仕事をするために此処にいるのではないのだ。レストランだのペットショップだの散々な言われようだが、ここは【動物騎士団(Tier Orden)】……通称“騎士団(パラディン)”ブレーメン支部。


「こんにちは、お嬢さん。ちょっと休みたいんだが、お値段どのくらい?」


 英語での問いかけは、見当違いも良いところ。苛立ちながらも僕は一応笑顔を作ってやった。


「ようこそ、どのような救助をご希望ですか? それともパートナーを連れずに躾教室ですか?レストランならあっち! 川の上にありますよ。 看板の文字も読めない方が、ここまで旅行に来て楽しいのでしょうか?」


 言葉は通じていない風。それでも此方の不機嫌は無事伝わり、彼らは慌てて逃げて行く。


「おーおー! まーた、姫が客追い返してるぞー!」

「お若い騎士様は威勢が良いねぇ! 流石は犬騎士様、立派な番犬。これで街も安泰だ」


 馴染みの店主達からの冷やかしに、僕は怒りを堪えて微笑む。


「生憎、人間の躾依頼は受け付けていないので」


 それ以上言ったら仕事中でも怒るぞと、嫌味と睨みを利かせてやる。住民に慕われていると言えば聞こえは良いが、舐められているとしか思えない。犬を躾ける時のように凄んでみせれば彼らも退いて行く。程なくして戻って来た静寂に、僕はほっと息を吐く。

 初夏の午後。流れる空気はまだ熱い。僕が身に纏うのは、水兵服を基調とした涼しげな制服。それでも暑いものは暑い。日が暮れるまでもう数時間。僕はこの受付で干涸らびている運命なのか。緩やかな日常に悲しむ心を慰めるよう、遠い海風が開いた窓から吹き抜ける。けれども生温い風に撫でられる度、僕は焦りを感じてしまう。見習い騎士となって三ヶ月が過ぎた。近頃行った仕事は川へと落ちた酔っぱらいと子供、不注意客を助けたくらい。まともな海難救助の仕事をしていない。このままでは僕のパートナーも川難救助犬と肩書きを変えることになる。


(もっと大きな仕事がしたい。僕の名を広めるために)


 僕の不安を感じ取ったのか、白い毛並みの僕の相棒……オリヴィエが僕の足下へと寄り添った。超大型犬である彼の寿命は長くない。彼が元気な内に、僕は全てを成し遂げたいのだ。


「オリーヴ」


 優しく彼を撫でれば、手を舐め返される。触れた鼻先は乾いていた。こう暑くては彼も辛いか。交代時間が来たら水浴びでもさせてやろう。


「クレール。クレール・オート君!」


 受付で思案していた所、突然声を掛けられた。気配もなく現れるのはやめて欲しい。傍らのオリヴィエも、彼女の神出鬼没さには驚いていた。彼は僕より先に気付いてはいたようだが、犬の聴覚嗅覚を持ってしても彼女の到来を知るは容易ではない。隊長の留守を預かる副隊長が、こんなにも怪しげな人物で良いのだろうか? 正直疑問は尽きないが、一応は上司であるからそれなりの対応で出迎える。


「お帰りなさいマリアジさん」

「ほっほっほ、嫌そうな顔じゃなクレール君」


 妙齢の女性だと言うのに、口調のせいで彼女の印象は枯れた老爺。おまけにこの炎天下でもローブを羽織り、騎士と言うよりやはり不審者だ。初めて彼女に会う犬は、番犬スキルでまず吠える。濡れ衣が服を着て歩いているのがこのマリアジさん。隊長の親戚で、恐らくコネで副隊長に収まった不審者だろう。彼女が動物相手にまともな仕事をしているところを僕は見たことが無い。故に尊敬は全くしていない。


「……暑くないんですか、それ」

「この格好は観光客にはウケが良いんじゃよ。そうそう、街でまた依頼を受けての。早速だが次回の動物学校(フンデシューレ)。また生徒を増やしても良いかの?」

「リナルナ隊長が不在だからって仕事引き受け過ぎですよ副隊長! 僕はまだ見習いなんですから本来指導が出来る立場ではありません」

「ほほほ、お前さんの評判がよくてのぅ! 寄付金も上乗せされて助かっておるわい。どうかこの通り! 老い耄れの顔を立ててこの子らの食費を稼ぐと思って!!」


 まだ若いのに自分を老人扱いするのは何なのか。彼女は不思議な人で、百年前から生きて居ると言われても、思わず信じてしまいそうになる。ロランの馬鹿は恐らく信じてしまっている。


「僕はトレーナーになるためにここに来たのではないのですが」


 一応は言い返す。しかし痛い所を突かれた。僕が所属する【動物騎士団】は、寄付金と報酬で運営されているのだ。不本意な評判であれ、目的のための我慢は必要――……なのだとしても限度はある。


「資金稼ぎのため、隊長のためだからって……また変な宣伝してませんよねマリアジさん? また僕の写真を載せた広告、バラまいたりとか? 困るんですよね。発情期の犬より質の悪い生徒が来るのは」


 水兵服はセーラー服。しかし他国では女子学生の制服という認識も根強く……少女騎士と楽しくレッスン! なんて誤報が広まって以前大きな騒ぎになった。あれから僕は騎士としての評判より、其方の悪評が広まり……自分の名前をネット検索出来ずにいる。


「い……幾らルナのためでも、儂はそこまでやらぬぞ」


 信用出来ない微笑みで副隊長は目を逸らす。演技がかった仕草だ、これは確信犯だろう。口笛まで吹き出した不審者のマントから、広告紙が勢い良く床へと落ちる。“少年ドッグトレーナーと学ぶ、フンデシューレ”……この人また僕の写真を勝手に使って広告を!? これは観光客向けか? 他言語のチラシまで作って来ている。


「……副隊長?」

「クレール君、超大型犬もビビるドスの利いた声はやめるんじゃ」


 犬の躾に声の使い分けは大事だ。時々人にも効果的である。オリヴィエまで少し脅えてしまったのは申し訳ない。お前に言ったのではないと、優しく彼の背を撫でる。


「いいですか副隊長。僕は“犬騎士”です。騎士になるためにここに来ました。それが教師の真似事ばかり、いい加減うんざりしますよ」

「長い目でみればそれも君の目標達成となるのではないかね?」

「爺臭い副隊長みたいに気長に待てません、僕らは時間がないんです」

「しかしのぅ、大きな仕事には大きな支援者が必要。コネ作りには良い方法じゃ。現に大きな依頼が入ってのぅ……新しい君の広告を出した後に」


 新しい広告と手渡された紙には、笑顔の僕とオリヴィエが大きく映されていた。“子供にも出来る! 超大型犬躾講座! ”という宣伝文句。オリヴィエが可愛く映されていたので、今回の盗撮は不問にしよう。受け取った広告を丸めて懐にしまった僕に、マリアジさんは渋い漁師の顔つきで頷く。話に釣り針がないか気を付けなければ。


「エッセ家という名を聞いたことはあるかの?」

「エッセ家? あの“兄弟団(フェアアイン)”のエッセ家ですか?」

「ああ、“兄弟団(ブラザーズ)”のエッセ家じゃ」


【動物兄弟団(Tier Verein)】は特殊な動物愛護協会。世界長者番付に掲載された一族しか加わることが出来ないそれは、有り余る富を動物のために使おうという金持ち気まぐれ道楽クラブだ。これまで為した功績、罪業共に多大な彼らは……この業界で最も機嫌を損ねてはならない相手。エッセ家は兄弟団の一員。その中でも大きな発言権を持つ、動物愛護界最大のパトロン。


「加入者中……去年の番付で、最高順位がエッセ家でしたね。団長交代の噂も聞きました」

「そうじゃ。上が替われば方針も変わる。エッセ家が【師団】のパトロンになってからでは遅い。幸いエッセ家はお前さんに興味があるようじゃ。是非とも君の生徒になりたいとな」

「……それが大きな仕事、ですか?」


 どうしてこの人は、隊長の不在にこんな話を拾って来るのか。話が大き過ぎて僕の一存では決められない。個人の対応一つが騎士団全体に関わる問題へと発展してしまう恐れがある。


「大富豪をその他大勢と同じ教室でとはいかぬよ。特別な計らいが必要となるじゃろう。詳細については今日中に話があるとのことでの。もう少しシャキッとした顔で迎えるのだぞ」

「で、ではあの件は!」


 やっとあいつのお守りから僕は解放されるのか! 喜びと苦しみを感じつつ、僕は笑顔になっていた。輝く視線を向けた先、副隊長は視線を逸らす。そして言うのだ、奴の名を。


「クレール君、彼はどうしていたかの? 今日はロラン君の顔を見ていないが」

「狼に番犬は勤まりません、あいつは……騎士の馬になってます」


 副隊長に話を濁された。肩を落とし、顔も上げずに伸ばした指先。僕が示した方向に……その少年は寝転がっている。見物客にあんな物を目撃されては救助隊の名折れ。追い返した僕は褒められるべきだ。


「いい加減起きろロラン」


 扉越し、隣室の奴へ声を掛けても気配はない。仕方ないと僕は椅子から立ち上がり、簡易特別室の戸を開く。開ければ後は予想通りの図が広がっている。あれは馬だ。いや、狼だ。実のところは人間だ。それの上にどっしり座って眠りこけているのが騎士……この街で誰もが知っている騎士の名を付けられた仔犬・ローランド。外見はもこもこして愛らしいリトルニューファンドランド。黒い毛皮の彼は、夏の暑さが辛いよう。特別室の冷房の下……幸せそうに寝転がる姿は愛らしい。問題のロランは馬鹿はその下だ。騎士を名付けたロランはパートナーに完全に舐められていて、今では枕だか布団代わりにされている情けない奴だ。


「起ーきーろ。お前がそんなんだから僕までこんな所で留守番なんだ。聞こえてるかロラン!聞こえてるんだろ!? 全く……」


 呆れた僕は、傍らに控えた白いパートナー・オリヴィエへ指示を出す。


「……オリーヴ」


 名を呼ばれた僕の相棒は、すぐにロランの元まで走り、首根っこの襟を咥えで引き摺って来る。引き回しでようやくロランも目覚めた。騎士の方は既に目覚めて奴の腹から降りている。


「……リナルナ? ふぁあ、……違う。マリアジー? 良い匂い……」


 アンバーアイを薄く開け、ロランが瞳を光らせる。腹が減っているのだろう。彼女のマントを探り涎を付けた後、彼女が隠し持っていたチョコレートを断りもなしに貪り食った。


「お前さんは相変わらずじゃな。良い鼻をしとるよ」

「お菓子だけかぁ……夕飯はクニップが良い」

「…………儂に作れと?」


 副隊長は笑っているがあれは怒っているぞ。何やってるんだ馬鹿ロラン。僕はもう知らないからな。丁度交代の時間だ。受付はロランとマリアジさんに押し付けよう。僕が静かにその場を離れようとした刹那、襟をマリアジさんに掴まれる。


「なるほど、ロラン相手に手を焼いていたようじゃなクレール。満足に留守番もパートナーの教育も出来ないようじゃ、まだまだ修行が必要じゃ」


 言い返したいが言い返したら話が拗れる。副隊長が部下の呼び名を変えた時は要注意。これ以上上司の機嫌を損ねたくない僕は、渋々ロランと同じ立場まで落ちてやる。


「何処まで行かせるつもりですか? またラウジッツに?」


 ロランとの出会いから……ブレーメンまでの移動距離を思うと目眩を感じる。ロランが街に慣れるまで……僕が待機任務を希望したのも致し方ない。しかし否! そう考えた僕が愚かだった。馬鹿ロランは待機任務ではろくに働かないのだ。食べて寝て散歩に出かけて食べて寝て。老犬かお前は。もう一秒だってこの男の傍にはいたくない。国内でも国外でもロランから離れられる仕事があるなら大歓迎。でも命じられた言葉には、“二人一緒に”が付いた。


「今度はもっと遠出をしてもらうぞ。ベルリン本部からの要請じゃ。先程の件の追加任務としておこうかの」


 副隊長が両手の指で描く長方形。そこに空間ディスプレイが浮かび、豪華な客船を映し出す。


「追加任務は、クルーズ船じゃ」

「副隊長、話が見えないのですが……?」

「クレール君。団長からの試練はまだ乗り越えていないのじゃろう? 今の境遇がそんなに嫌ならば……早く出世するが良い。今回の任務で大きな功績を残して……のぅ?」


 功績と言われても。ディスプレイに表示された内容は、客船クルーズの治安維持と緊急時の救助活動。今の時代、船は簡単に沈みはしない。こんなもの任務とは到底呼べない。子供の使いも良いところ。僕とロランのパートナーは海難救助犬。今後はそういった仕事が増えて行く。実戦経験が必要だとは僕も思うが……僕らの出る幕は、万が一にもないだろう。


「ふて腐れるでない! 行き帰りの仕事内容には不満があるようじゃが、その下をよく読むが良い。上陸後の仕事もあるじゃろう、のぅロラン?」


 随分静かだと思ったが、ロランの馬鹿は菓子を貪り腹が膨れて寝ていたな。呆れる僕の傍らで、ロランは椅子から転げ落る程驚いていた。人の話くらいちゃんと聞け。怒りの形相で奴を睨むも、上手く視線がぶつからない。何を考えて居るのか、ロランは犬より分かり難い時がある。けれどもそれは同様に、僕の心をこいつは何も理解出来ない。人の形をしていても、こいつは人の心を持たない。こいつはたぶん三枚目宇宙人科ロラン属とかそういう種族なのだと思う。こんな奴と組めだなんてリナルナ隊長は鬼だ。恨みの念を抱いたところ、その場の空気が変わる。隊長を溺愛している副隊長に、僕の不信が伝わったのか? 軽い不安を感じる僕に、オリヴィエは撤退を求めて短く吠える。


(いや、違う……これは出動要請!?)


 オリヴィエが見ているのは、支部の入り口……その向こう。此方へ向かって慌ただしくやって来る依頼人……その訪れを、彼の視線が教えてくれた。


「大変です! マルクト広場で観光客が……っ、大型犬が暴れています!!」

「早くあいつを始末してくれ! この俺に噛み付きやがった!」

「すぐに向かわせよう。じゃがお前さんの望み通りには行かん。ここは師団ではないからのぅ」

「あぁ!? こっちは怪我してるんだぞ怪我! ……っち、師団じゃねぇだと? 何てこった。ツイてねぇ!」

 住民に肩を借り、運び込まれた若い男。彼は物騒な物言いで僕らにまくし立てた

が、ここが騎士団と知るや舌打ちをして飛び出して行く。師団に向かうつもりか? 何も知らないんだな彼は。フリーの猟師は居ても、ブレーメンに彼が目指す場所はない。だけれどそれは……時に良くないことにも繋がる。


「クレール、ロラン! 緊急任務じゃ! アマチュアハンターに場を荒らされてはならん!」


 マリアジさんも理解していた。真剣な目付きで彼女は僕らに告げる。


「はい! ほら行くぞ馬鹿ロランっ!」


 僕はすぐさま、欠伸を浮かべるロランの腕を掴み、ブレーメン支部を飛び出した。


「“狩り”を始める。オリーヴ、ローラン! 先に行け!」


 僕は愛称と名前を呼び分けて、犬達に指示を出す。今呼んだのはロランではなくローランド。仮に呼んだところでロランはまともに働かない。人間よりも犬の方が早い。僕の指示を受けた二匹(ふたり)は観光客の間をすり抜けて、グングン速度を上げていく。飛び出した犬に驚いて、人々は道を空けていた。否、空けてくれているのだ。


(愛称でもこれだけ動くか。よしよし。ローランドも僕に馴れてくれたな)


 愛称と名前とで、命令レベルを変えて訓練している。愛称は信頼からのお願い、名前は絶対に果たせという命令。彼らは僕の言葉をよく聞き分けて、力を貸してくれている。オリヴィエは僕のパートナーだが、ローランドはロランのパートナー。しかし、ロランは躾も訓練も出来ない男。緊急時以外は僕がローランドのリーダーにもなる。犬より扱い難い人型パートナーは、まだ僕の後ろで欠伸声。軽く叱ってやろうか。僕が言葉を発する前に、道を空けた人々からの歓声が飛ぶ。


「救助隊のお出ましだ! 騎士の姉ちゃんに、そっちのガキは新入りか? 頑張れよー!」

「クレール君頑張ってー!」


 律儀に礼や反論を返す暇は無い。説教は後回しだ。小さく微笑み僕はロランを引き摺り走る。広場に近付く程、人々の混乱具合も増している。騒ぎは路地裏まで伝わる程……何をやらかしたというのか。支部にやって来たのはクレーマー気質の男。彼の発言を鵜呑みには出来ないが……怪我はしているようだった。傷害事件で殺処分のような、最悪の事態でないことを祈る。


「すみません、退いて下さい!」


 地元の人々とは違い、僕らが何か分からない観光客。彼らを避けて行くのは犬達の方が優秀だ。僕らは路地へ雪崩れ込む観光客を押しのけて、何とか開けた場所に出る。その頃にはオリヴィエとローランドの姿は何処にも見えていなかった。


「駄目よアンジェー! 戻って来なさいアンジェリカー!!」

「グルル……ガルルルっ!」


 マルクト広場で騒ぐ小さな女の子。彼女の周りをグルグル回る、巨大な生き物。あの大きさは大型犬などではない。超大型犬だ。


「リードも付けないで何を考えているんだ飼い主は」


 ノーリード可能な場所は決められている。街から離れた瞬間に、猟兵に撃ち殺される危険もあるのに。


(妙だ……猟兵(Jager)どころかアマチュア猟師の姿も見えない)


 ブレーメン州に奴らの根城はなくとも、隣接する州には設置されている。通報を受ければすぐに人を手配するだろう。そう、師団に属さないアマチュア共であろうとも。そういった者は後ろ盾がなく自由に動けるため、暗黙の了解を破ることもある。市庁舎、聖ペトリ大聖堂。僕は辺りを見回して、高所を警戒してみるが……怪しげな気配はない。広場の観光客達が此方に近寄らないように、警官は通行規制を始めるばかり。


「リードはあったみたい。でも切れたんだ」


 ロランが小さな声で僕へ教える。彼が指差す方には蒼白の面持ちのご婦人。彼女の手には、千切れたリードが握られていた。そんな怪力の猛犬をノンケージで連れ出す阿呆が何処に居る? 目の前にいた。


「アンジェ、良い子だから……ほら! こっちよ!」


 少女の声に従ったわけではないが、影は興奮したままその場に止まる。少女が好物のお菓子を取り出したのだ。 ようやく捕獲対象の姿が明らかになったが……あれは逆効果! 興奮状態にある犬は、少女の手を目がけて突進!


(あれは……チワワ? 大き過ぎる! キングか!?)


 キングチワワ――……一世紀前に大ブームとなった超小型犬を、超大型犬化した新犬種。臆病で勇敢な性格はそのままに、身体が大型化したことから問題行動が増えた。小さな小犬の頃に、チワワのように可愛がられ甘やかされた結果……自分がリーダーだと思ってしまう子も多い。フォーン(薄茶)&ホワイトのアンジェリカという子もその例に違わず。普段は室内飼いされていて、見知らぬ場所へやって来て脅えている? 警戒心から威嚇行動を取っているのか。


「オリヴィエ!」


 僕の命令に従い、頼れるパートナーが少女の前へと飛び出した。突然現れた壁に驚き、アンジェリカは逃げ惑う。


「ローランド!」


 そんな彼女の前に走らせるのはローランド。飼い主すらリーダーと認めていない子なら、見知らぬ犬に前を走られ黙っていられるはずがない。何とか彼を追い越そうと意地になる。あのままローランドに煽らせケージに誘導する。それで捕獲完了だ。

 僕は彼らを風下に配置したのだ。広場は大勢の人や屋台の匂いに包まれ、アンジェリカの鼻も鈍くなる。少女の風貌からの判断だが、見たところ彼女の家は裕福。アンジェリカは散歩であっても敷地外に出たことがないはずだ。これだけの嗅覚情報群を彼女は知らない。


「あああ! 何すんのよ! アンジェっ、こっちだってば! どうして言うこと聞いてくれないの!?」

「アルチナお嬢様、早く此方へ!」


 アンジェリカの脅威が去ったところで、少女の名を呼ぶ女性。この炎天下に黒い執事服。顔に浮かんだ汗は暑さより、心配からなる冷や汗か? 彼女が呼びかけるのは、市庁舎入り口で騒いでいる少女。


「ルビーうるさいっ! ほらアンジェ!」


 会話の流れから察する二人の関係性。お目付役とお嬢様? あれは若い女性に御せる犬種でなかろうに。元凶は恐らく少女の方だ。犬も飼い主の少女も見た目だけなら愛らしい。しかしそれ故手に負えない。どちらも互いがリーダーだと思っていて対立している。だから彼女の命令を、あの子は全く聞き入れない。


「ロラン、ケージへ誘導する。設置はまだか?」

「うーん、破られたから予備はマリアジに頼まないと。今連絡する」

「破られただと!?」


 ロランが指差す方向には、破壊されたケージの残骸。ローランドが通り抜けたところで、端末の遠隔操作でロランが入り口出口を塞ぐ手筈だったのだが……こいつの操作が遅れ、閉め切る前に体当たりをされたのか。


「追加で届けて貰う?」

「時間が無い。これ以上は危険だ。他の方法で行く」


 そう、危険。囮役のローランドが力尽きて噛まれでもしたら一大事。小型犬と超大型犬……純粋な力勝負では大人と赤子のようなもの。金で動物人権が買える今の時代に、騎士団の動物は例外的な生き物。彼らは英雄であり道具でしかない。殉職しても起訴が出来ない。だからパートナーである騎士が。人間である僕らが、彼らを命懸けで守らなければならないのだ。


「そうだね、あんまりもたもたすると猟兵来るかも」


 ロランが示唆するもう一つの危険性。それは動物騎士団の天敵の名。僕も気にはしていたが……まだ奴らの気配がしない。襟付きのうちの犬は比較的問題ないが、野放しのアンジェリカは彼らにとって銃殺対象候補。

 元々の動物騎士団は非政府組織。後に活動が認められたことで、広範囲的な活動支援が必要と、世界各国に同様の機関が設けられ……今では国家機関の末端に。設立当初は資金不足で安全対策も為されずに……、仕事のために野放しにした所属動物が猟兵に殺される事件も相次いだ。オリヴィエやローランドが身につけた襟スカーフは僕らの制服のそれに似て、彼らが騎士であることの分かり易い証明だ。首輪にはGPS機能の他、誤射防止のシステムを搭載。資金力様々だ。猟銃には設置が義務づけられている電子錠に鍵を掛け、誤射を防いでくれる。しかし万が一、標的が猟区へ入り込んだら……猟兵と僕らは対立することになる。どうにか街の中で捕獲をしたい。生態系を守りたいという彼らの目的・意識は立派だが……僕らは人の世で生まれた動物の騎士なのだ。


「行けオリーヴ、下がれローラン!」


 広場を一周させて、ローランドとオリヴィエを合流。オリヴィエを目にしたアンジェリカはまた驚いて逃げる! 今度は追う側になった。その役目は狩猟犬のオリヴィエに任せ、ローランドは休ませる。オリヴィエとローランドを二手に分けて回り込ませる。お嬢様と呼ばれた少女……アルチナ。富豪の犬なら当然人権持ちだろう。怪我をさせては傷害事件となりオリヴィエが殺処分される案件。無傷で超大型犬を捕えろと言われたら……出せるカードも限られる。

とは言えこの広場には世界遺産があり、万が一でも傷付けさせたら大変だ。冷静に焦る僕とは対照的に、ロランは今も大欠伸。睨み付けると、半分夢見心地のままに彼は僕へと聞いて来る。この男……いつの間にやら市庁舎のアーケードに腰を下ろして気怠げに、テイクアウトのブルストまで持っていた。


「どうしようクレール?」

「……平均的な性格とは異なるが、彼女は淑女だ。お前の力が良い方に働く可能性はある。やれるか、ロラン?」

「やって下さい、じゃなくて?」

「わんっ!」

「ローランドが言うんなら仕方ないか」


 ローランドは暑さが苦手。「走るの疲れる! さっさとやれ」と、パートナーにさえ急かされて……ロランはようやく椅子から腰を上げる。


「“その騎士の剣は決して折れず、傷付かない。”ローランドの剣としてロラン・ダール任務遂行します」


 言葉だけなら立派だが、全くやる気のない声で……ロランは帽子を被る。軍帽に犬の耳が付いた奇っ怪な代物だが、これぞ科学の集大成。あれは装着者の健康状態から感情を読み込み、犬さながらの感情を視覚的に示してくれる。僕にも似たような装備はあるがここまで情けなくはない。あれはロランにお似合いだ。


「クーン……クーン…………」


 完全装備の後に、ロランが出した情けない声。心細いと鳴く、母親からはぐれた迷い小犬のよう。声が聞こえたのか、それまで広場を走り回っていたアンジェリカが立ち止まる。ロランが演じるのは圧倒的弱者。敵愾心さえ持たないその様に、彼女の警戒心が解けていく。広場を見守るローランド像の下……待ち構えたロランまで、キングチワワ・アンジェリカが近付いた。


「嘘っ……あのアンジェが!?」


 飼い主が驚くほど、アンジェリカは大人しくなった。情けない声のロランに彼女は戸惑うように慰めるよう、その顔をべろりと舐める。


「ちょっとアンジェ! 私にだってそんなに甘えたりしないのに!」


 少女がアンジェリカを叱りつけると、彼女は大きな身体を震わせて再び威嚇へ移行した。少女の行動に脅えたアンジェリカ。彼女は危険を察知し、ロランの首根っこを咥えて走り出す!


「行け! オリヴィエ!」


 僕は咄嗟に彼に彼女の後を追わせた。彼の首輪で追跡は可能となる。僕がやめろと言うまで彼は彼女を追いかける。


以前書いた物を完全新作として、リアル小説賞用に執筆していました。

文字数が制限内に収まらなくなったので、ネットの小説賞に投げる予定です。

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