表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/16

15:兄弟

 仕事を終えて立ち去る時に。僕が覚えた感傷は、誰に向けての物だったのか。鼻に届く鉄の匂い。感じることは、僅かな安堵と高揚だ。嗚呼、やはり僕は……何も変わりはしない。


「〝依頼”は完了ました」

《流石は噂に名高い【無音の魔女】……君に頼んで正解だった》


 僕の返答に、よくやったと返るのは――……聞き慣れた男のそれとは違う。嗚呼、耳障りだな。どうして貴族という奴は、電話口でさえ嫌な臭いがするのだろう? 人間を煮詰めた臭いだ。これ以上関わり合いたくもない。

 狼は人と相容れない。例えどんなに近付かれようとも理解し合えぬ溝がある。狼を真に理解できるのは、同族の獣だけ。

 けれども僕は……スティラの傍で錯覚しそうになった。僕は人間ではないのかと。君もスキュラも狼ではない。けれども君が悲しむように、同じ悲しみを共有できた瞬間に。もしかしたら、僕は人間になれたのではないか? でも、それは……誤りだと直ぐに解った。

 僕より上手く擬態できていた。野生児ロランが傍居ることで、誰も彼を。クレールを狼だなどと疑う者はいなかった。人間の害になんてなれそうにない、唯犬が好きなだけの少年を。人間を守ることを誓った騎士を。彼の血だけで人間は排除を決めたのだ。ならば僕はどうだ? 師団はいつまで僕を庇う? 既に持て余している僕を。狼を狩るための道具は、狼が居なくなれば不要。始末されるに足る理由が僕の内側にも流れている。天秤に掛けるまでもない。


「クレール・オートは死んだ。アルミダ・エッセは生きている。報告は、以上です。……約束通り、ちゃんと仕事は果たしましたよ」

《――……では此方も約束は守ろう。君の勇気ある決断は、必ずや世界を変えるぞ、英雄殿?》

「……不要ですよ、そんなもの。約束さえ……守って頂ければそれ以上は望みません」


 僕が通話を切る間際、通信機の向こうでもう一人の依頼人は満足気に笑っていた。家族を売って得る力が、そんなに嬉しいのだろうか? ……縄張りと、群れへの愛。どちらか一つしか選べないのなら、人は何を選ぶ? 狼は何を選んだ? あの男は。そして僕は。


(ロジェス・ガルテン。僕は、狼だ――……)


 何が、英雄だ。誰に褒められ讃えられても、それは僕自身ではない。英雄の正体を知った時、僕には何も残らないのだ。これより僕は、真の英雄になる。誰にも褒められず、認められず……それでもたった一つを守れる者に。そのために、まだ一つ……やり残した仕事があった。


(すみませんね、スティラ君。俺はこういう奴なんですよ)


 まだ、殺さねばならない奴がいる。君という……人間を助けたこの手で、人間を殺さねばならない。こんな僕を、君はもう恩人とも先輩とも呼ばなくなる。自身の家族を奪った恐ろしい狼と同じものだと蔑めば良い。小さな命を哀れむ心。それもすぐに捨て去れる。守ることは命の引き算。何を守り何を殺すのか。犠牲にするのか。僕はずっとそうやって生き延びて来た。


(建国のために、兄弟二人は生きてはいけない。僕とあいつは殺し合う運命なんだ)


 証明しなければならない。僕があいつが何者か、知ってしまった以上。ロラン……君が、お前が人間であっても僕は、お前を殺さなければならない。嗚呼、しかし……奴も鼻が利く。探す手間が省けた。扉の向こうから感じる獣じみた気配。その持ち主こそが、僕が探していた相手。操舵室へと戻れば、濡れ鼠のような少年が歯をガチガチ鳴らし僕を睨んだ。


「通り雨にでも遭いましたかロラン君?」

「クレールは、何処だ」


 この馬鹿は予想通りの大馬鹿で、此方の思惑通り海に飛び込んだ。今の季節、海水の水温は約一〇℃。もっと長く探し回ってくれたなら、低体温症で勝手に死んでくれたものを。まぁいい、そんな幕切れではあまりにつまらない。


「さぁ、先程海へ……彼と似た背格好の者が落ちたとは聞いていますが。残念ながら、もうかなりの時間が経っていますね。沈んでいたならまず助かりません」


 わざとらしい仕草で窓の外、海面を見下ろしてやる。


「ご愁傷様ですロラン君。君のパートナーは優秀な人間でした。紛い物のお前と違って」

「……もう一回だけ言う。クレールは何処だ」

「ご自慢の鼻で探したら如何ですか?」

「お前の臭いが酷すぎて鼻が利かない。風呂でも入れ」

「失礼な方ですね。犬の鼻ならば、異なる匂いを階層化して別個に感じ取れるのでは?」

「なんで解らないか考えた。こいつにも聞いた。それで解った。血と火薬の匂いがしないと……お前とクレールの匂いは似てるんだ。俺達はクレールを追ってここに来た」


 一人ではない。少年は犬を一頭連れていた。ロランはオリヴィエを海から引き上げるため海へ降りたのか。傍に彼がいないのは、超大型犬を引っ張り上げることに失敗して? そこの小型犬程度なら梯子かロープで船へ一緒に戻れるが、彼はボートに残して来たのだろう。乗客を盾にボートを舟に寄せたのか。


「俺達が飛び込む前に、オリヴィエがクレールを追って飛び込んだ。彼が回収してくれたのがコレだ」


 彼が此方に突き付けるは、水を吸った血の滲む海洋騎士団の制服……を纏った人形だ。タオルで作った人形に、ウィッグを被せるだけでも遠目には人に見える。この船は変わったドレスコードがあるために、ウィッグや衣装の仕入れを怪しまれることもない。


「……お前、どういうつもりだ。クレールを庇うつもりか……?」

「時間稼ぎですよ。君が面倒なので、別の場所で彼を殺しただけだと思いませんか?」

「嘘吐くな! 同じ匂いがする。お前の傷からこれと同じ匂いがしてるじゃないか! クレールを助けるつもりなんだろ!? どうして!母さんを、俺のパックを殺したお前なんかが! 母さん達と、クレール! 何が違うんだ! クレールを助けるならなんで、皆を殺したんだ!」


 感情に優先順位を付けたら良いのに。パートナーの安否を知りたい気持ちと復讐心でロランは混乱していた。頭に血が上っているなら丁度良い。もう少し言葉を重ねれば、楽に仕留められる。ならば教えてやろうと僕は小さく微笑んだ。


「お前達は欠陥品だが、彼は違う。始祖狼として相応しい死に方、生き方がある」


 かつて師団と騎士団の長が賭けをした。ロルムス・レムス……僕かお前か。師団か騎士団か。親の下へと帰れたか? それとも僕らは逆の家へと帰ったか? 解らない。だが僕は家を捨て、お前は属すことを選んだ。


「お前の父は。お前の群れのリーダーは、僕の家族を殺したが……クレール・オートは僕を助けた。狼と人の違いは、それで十分だ!」


 自分が被害者だと思い込んでいた? 騎士団はお前に真実を教えなかったんだと嗤ってやれば、奴は呆然と立ち尽くす。その眉間撃ち込むことは容易い。引き金に手をかけ……狙いが外れたのではない。僕を迷わせたのはあの人の声。一撃で仕留めるはずが、僕が撃ち込んだ部位は奴の利き腕だった。これでこいつは満足に戦えない。例えここで……見逃しても、僕の邪魔は出来なくなった。

 結局あの日、僕はこの男の体を傷付けることは出来なかった。僕が爪痕を残せたのは、ロランの心だけ。だが、あの日とは違う。苦痛に呻いてこそいるが、今日は泣かないんだな。恨み言はどうした? 命乞いもしないのか。そうか、悔しいか。悔しいだろう? 僕はお前を裏切った。彼に守られた〝人間”が、獣に堕ちるなど! そうだ、お前の群れが僕に殺された理由すらなくなるのだから!


「逃げないのか? 負け犬らしく逃げ出したらどうだ? 十秒くらい待ってやるよ。お前を殺す銃を何にするか決めるまでの間は」

「クレールをっ……何処に、隠したか言えっ!」


 無事な方の手に、銃を取ることもしないのか。それがお前が学んだ〝人間”? ならばお前の目は節穴だ。騎士団は害獣駆除も出来ないのか? 人の命が脅かされていても獣を撃たない偽善者が。殺さず無力化するのが動物騎士だろう? 傍の犬を使って僕を止めてこその騎士だろう? 全く情けない。彼がいなければ犬を扱うことも出来ないなんて。


「下らない。騎士なら、人間なら。お前の仕事をしろ。彼の願いも汲み取れないのか? だからパートナーに逃げられるんだ」

「……俺一人じゃ出来ない。だから、あいつが必要なんだ。俺はまだ半人前だから……あいつと二人で、犬達がいてやっと一人の騎士。クレールを返してくれるまで俺は此処を離れない」

「一人では何も出来ないと?」


 出会った頃とは違う眼差し。金の瞳は引き下がらない。自分の弱さを自覚して。狼という自我を捨て……人間という他者を求めた。お前が、人間になるために。


「俺だって、お前だって。人間だって、狼だって……誰も一人じゃ生きていけない。どんなに嫌って遠ざけたって、自然も人間社会も一人じゃ絶対成立しない。お前は何処へ行くつもりだ? クレールを何処へ連れて行こうとしている!? 一匹だけの群れなんて、死ぬために生きているようなものだ! お前はクレールを殺したいのか!?」


 俺だって、あいつを守りたい。死なせたくない。……ロランの悲痛な叫びは遠吠え同然。この男に彼を渡しても、こいつは彼を守れない。僕なら守れる。そんな自信を打ち砕くよう、ロランは悲しげに鳴いた。お前はあいつの心を殺すつもりなのかと。


「馬鹿を、言うなっ……! 何より安全な場所を用意した! 僕らが死のうと、彼だけは……彼だけは生き残るっ!」

「クレールは、リーダーだ。下の奴がいないと駄目なんだ! 生きていける訳がないだろっ!」


 お前が守れるのは体だけだと奴が言う。嘘を吐いて人間の振り。違う人間として息を潜めて生きていく。クレールは生き延びようと一人きり。群れの生き物、狼である彼には何より辛いこと。ロランは僕の企みを、見透かすように言い放つ。


「一緒に行かないんだろ。お前は……死ぬつもりだ。俺に勝っても負けても生きる気が無い」


 狼を助ける者は狼だ。師団を裏切ろうと、真実を知る口は不要。師団以外で僕が生きる場所はない。最後の仕事の後……雇用主に始末されるは目に見える。クレールを殺さない選択とは、僕が生を手放すことだった。


「…………お前も、狼なのか? ……あの時の俺と同じだ。クレールが、お前のパックなのか」


 言葉は返さない。それでもロランは鼻が利く。汗や呼吸から動揺を、此方の心を読み取った。問いかけへの明確な答えの代わり。僕が返したものは溜め息と、床に投げ出すカラーコンタクトレンズ。薄い硝子が隠した色。ヘーゼルよりも明るい黄金の目を向けてやれば、彼の動揺が伝わって来る。


「生きているのに諦めて、死を選ぶのは人間だ。家族を守るため……戦おうとするなら狼だ。僕が狼なら、ロラン。……お前も狼だっ!」


 互いに生まれ持った狼の目。何も知らずに死ぬのは哀れ。時間稼ぎにもなると、僕は昔話をしてやった。


「兄弟団をパトロンに持つ動物学者、フォンセ・オートの実験。騎士団にも師団にも賛同した馬鹿がいた。発見された古代狼の遺伝子を、人間の子供に組み込む研究だ。僕らもクレールも、その成功例……。僕とお前には兄弟の、クレールには母狼の遺伝子が入っている」


 始祖狼の直系。正体が露見すれば、実験動物になるのは僕らも同じ。人間としてのロジェスは、今日死ななければならない。


「…………それなら、どうして!?」


 話の半分も理解できていないだろうロラン。信じられないと口にするのは、遺伝的には家族であるはずの僕がお前の邪魔をすること。何故解らないのか。群れを放れた狼は、自分で新しい家族(パック)を見つける。お前は騎士団、僕は放浪。僕もお前ももう、家族じゃない。それだけのことだろう。


「簡単な話だ。僕はお前より強い。格下の話を誰が聞く? 僕に意見するのは僕を負かしてからにしろ」


 悔しげに唸った後、奴がしたことは……自身の上着を僕へ投げつけること。視界を遮る気か? 一発上着の方へ撃ち込みながら、回り込む! そこにすかさずもう一発! しかしそこには誰も居ない。いや、下方。走って来るのは黒い犬! ではロランは? 上着の方から接近していた? 撃たれることを承知の上で? なるほど、僕はお前ほど鼻が利かない。お前のように狼の嗅覚を持って生まれなかった。しかし、狩りの才能を。本能を継いだのはこの僕だ! 

 視界が遮られているのは向こうも同じ。上着を掴んで盾とする。撃ち込まれた矢を盾で流した。例え〝兄弟〟でも、人間として生まれた年が違う。年齢差、体格差。まともにやり合って、お前に勝ち目はない。距離を詰めるは遠距離武器を相手取るなら賢明な判断だが、撃つだけの武器だと考えるのは誤りだ。切り札で仕留められなかった事に驚く暇があるのか? 呆けた奴を銃身で殴り、怯んだところを蹴り飛ばす。ぶつかった壁からは、キャンと情けない声がした。


(麻酔銃か……騎士団らしい)


 上着に刺さった麻酔筒。左手で撃ったのか? コントロールは悪くない。両利きの可能性もある。その点だけは褒めてもいい。だが、これが奴の切り札か。眠らせてどうする。僕から情報を聞き出すのでは無かったのか? 考えないしの愚か者め。

 僕は床へと落ちた負け犬の、腹を強く踏み付けて……それの首筋に麻酔針を打つ。それで……終いだ。ロランは気を失って、虚勢で吠える黒犬も、僕の眼差しを受け恐れ戦く。……こんなものか。これで勝敗が付いた。不思議と高揚感はない。僕と同じ血を継いだ……こいつの力はこんなものか。つまらない幕切れに、殺意も戦意も失せていく。まもなく船は沈むのだ。クレールとの約束に免じて、ここまでにしておいてやろう。そうして僕が部屋を去ろうとした時だ。


「……っ!」

「お前、それでも猟兵か? 駄目だろロジェス……獲物の擬死に気付かないなんて」


 感じる首後ろへの痛み。触れれば吹き矢が刺さっている。そんな物を隠し持ち、擬死で背後から撃つか。とことん卑怯な男め。振り返り睨んだ先で、一矢報いたと奴は誇らしげな顔。誰かに褒めて欲しがっている。そんな相手は今は傍に居ないのに。いつまで子供のつもりなのだ。本当に腹立たしい。そんな幼さと……自分が重なり見えたのも、不愉快の原因だ。


「……それは、麻酔じゃない。さっきお前に使われたから、違うのを使う羽目になった。注射筒に麻酔じゃない、違う液体が入ってる。地下で噛まれた後に、クレールが作った。……あいつの、〝血〟が入ってる。クレールの何処が狼か解るか? 噛み付いた狼が従ったのは――……あいつは血だけが狼なんだ!」


 負けることは想定内。怪我をするのも想定内。僕が隙を見せる瞬間を、ロランはずっと待っていた。情けないこの男にも、狩りの血は流れていたのだ。待ち続け、耐え続け……僕を仕留めた。勝利を確信しているのだろうな。この僕に、脅しの言葉を突きつけるなど巫山戯たことを。この、妙に説得力のあるはったり……事実の可能性もある。考えたのはクレールか。僕らが争うことを見越して、最悪の武器をロランに託した。


「クレールは、風邪を引き易い。今の時代の環境、空気に適応しきれていないんだ」


 それならば、逆も成り立つ。彼に流れる古代の血。現代人が体内に取り入れれば、どんな症状が出るか。針から体内に流れ込む古の血に、僕の体はざわめき立った。


「ここに……騎士団が作った解毒薬がある。選べロジェス。死んでお前の匂いが変われば、俺はクレールを捜しやすくなる」

「……やれよ。毒が回りきる前に、お前を殺してやる」

「え……」

「言わなかったか? 勝負は付いた。僕は今日、この船で死ぬ。お前もここで……僕と死ぬんだ」


  降参すると思ったか。麻酔が効いてふらふらのお前など、簡単に仕留められる。命乞いなど不要。解毒の必要も無い。お前の首に手を伸ばす、僕の言葉に奴が驚く。殺す覚悟もなかったのか? 飼い慣らされた犬め! お前は人間でも、狼でもない! 

 小柄な体、片手で持ち上げることも容易い。そのまま宙に浮かせて、首をぎりりと締め上げる。奴の口から苦しげな呼吸が出ると、僕へと向かって来る者がいた。


「ああ、もう一匹いたか」

「ろー……らん、ど」


 先程まで怯えて震えていた黒い犬。部下の危機に奮い立ち、僕の足へと噛み付いた。ロランはその弱さ故、群れを自分の盾として使う。クレールさえも、こんな男のために命を投げ出そうとした。


(どうして、こいつばかり……)


 何故お前ばかり守られ続ける? 恐れられず、愛される? 不満を抱くのは僕に宿った狼の血か。僕に従う者はいても、命がけで僕を守ろうとしてくれた人は……みんな居なくなろうとする。


「ガルルルルっ!」 


 足に噛みつく小犬の姿から……〝スキュラ〟を思い出し僅かな抵抗を感じたが、余所の群れにかける情けはない。僕は標的を其方へ移し、片手の銃を其方へ向けた。


「や……め、ろっ!」

「彼は、お前のために命を捨てるつもりだった。お前は彼のために死ねるか? お前がここで自害するならこの犬を助けてやる」


 宙吊りからロランを解放。ナイフを一本床へと落とす。足から引き剥がした犬を掴み上げ、僕は笑った。


「げほっ……、な、……何、を」

「人を守る犬を守る。それが犬騎士だったなロラン? そんな犬をお前が死なせたら、お前は騎士失格だ。嗚呼、それでも人を守るためなら犬を犠牲にするのが正しい騎士か? ……〝兄弟”への、冥土の土産だ。どちらか選べば、……あの人の隠し場所を教えてやる」


 迷うロランが涙ぐむ。そんな顔の勝者があるものか。やはりお前が負けたのだ。情けないロランは最後の抵抗と、悲しげな遠吠えを上げた。お前も時間稼ぎか? だが僕とお前とでは意味が違う。時間を稼いでも、お前は何の意味も無い。


「はっ。そんな遠吠え……駆けつける仲間がいるとでも」


 長い遠吠えを嗤った瞬間、船が大きく揺れる。爆発したのか? もうそんな頃合いか。


「残念だったなロラン、時間切れだ。ここがお前の(レモリア)だ」


                   *


 魔女はどのようにして生まれるか。魔女とは生まれつき人ではない? それとも。何者かの悪意によって彼らは魔女になるのだろうか? 


「そこを退いてくれロジェス。水死より、良い死に方が見つかった」


 救命艇内、微かに届く船内放送。その血は人の血でなくとも、彼の魂は高潔な騎士だった。


「動物騎士は人間相手に戦えない。僕が狼なら、このシージャック……僕だけは暴れても構わない。最後にお前が僕を始末すればいい」


 僕を見つめる彼の目は暗闇で光りはしないが、それが人間の証とはならない。


「…………開けられない。大人しくしていて下さい」


 外から鍵は掛けられない。彼を逃がさぬよう、救命艇部屋に内側から南京錠を掛けている。


「こんなことをして、何になる。僕を殺すつもりじゃなかったのか?」


 沈み易い服と称し、依頼人のドレスを彼に着用させた。そこまでは訝しみながらも従ったクレールも、扉の異変に気付いてからはこの通り。開けろ開けろと騒がしい。


「ええ。死ぬんですよ貴方は。このエステ・ソレッラ号と共に。僕を疑うのなら、先程お渡しした荷物を確認して見ては?」

「ロジェス! これは一体……これではまるで。この姿では、僕が」


 変装は溺死のためではない。鞄から現れた身分証に、クレールは動揺している。彼の写真の横に刻まれた名が別物だったからだろう。


「狼である貴方は此処で死ぬ。名を捨て、生きるのです。貴方は人間だ。狼じゃない」

「……アルミダさんに扮して逃げ出せと?」

「エッセ家とは話が付いています。この船で死ぬのは、本物の彼女ではない。これからは貴方が本物のアルミダとして……貴族の屋敷で息を潜めて生きるのです」

「…………其方の依頼人は、イドラス・エッセか?」

「正解です。アルミダ嬢の依頼はついででしたが……」


 〝エステ・ソレッラ号で狼を運ぶという計画が出ている。上陸前に阻止して欲しい。”それがイドラスの依頼。第0デッキで彼の依頼は果たしたつもりでいたが、真実を知った僕にイドラスは接触を図る。もう一人の依頼人、アルミダからの番号を装い奴は僕に端末を取らせた。


「彼は、貴方の父親と繋がりがあり、貴方の正体を知っていた。それで二人の娘を送り込んだのです。貴方を籠絡するために……彼女達は知らないでしょうがね」


 始祖狼の力を有効利用できるなら、兄弟団の権力争いにも役立つ。団内には犬馬鹿も大勢いるのだから。全ての犬を人質に出来るに等しいスイッチは、手元に置きたいものだろう。そして意のままに……狼さえも操れるなら。自然を操り人為的に人を害することが出来る。


「仮にイドラス様の心変わりがあろうとも、次期当主……アルチナ嬢は貴方の味方であるでしょう。同じ救命艇に乗せられなかったのが残念ですが……あの人がいる以上無事です」

「師団に逆らえばお前の立場がなくなるぞ。馬鹿なことは止せ。そこを開けてくれ」


 車に閉じ込めた母と狼。懇願を聞き忌まわしき記憶が甦る。此処を開けたら僕が死ぬ? いや僕が母さんと同じように死ぬ? 違う。クレールは人間なんだ。狼じゃない。ここから出せば貴方は死んでしまう。開けてやりたいと思う心を押し殺す。


「無駄ですよ……僕は人間ですから。貴方の命令には従わない」


 例え船が爆破されて沈んでも、救命艇はシェルターとして機能を果たす。


「……大勢の人より、一匹の狼なんかを救うのかお前は。お前が人間なら。狼なんて、俺なんか見捨てろ! 違うかロジェス!? 僕を。僕だけを救うなら、お前も俺と同じ狼だ!」

「何を言われても変わりません。貴方も俺も人間だ。僕は騎士なんかじゃないんです。ですから、綺麗事で危険な橋は渡らない」

「…………お前の部屋は何処だ。お前のパートナーは今何処にいる!? 答えろ!」


 胸ぐらを掴まれても動揺しなかった。そんな僕がスティラの安否を指摘され、言葉に詰まる。彼女が僕の弱点と、一瞬で見抜いたクレールは一気にまくし立て不安を煽る。僕が南京錠を開け、彼女の元へと向かうようにと。


「お前達と、上のデッキで出会ったことは殆ど無いな。何処の部屋に寝泊まりしていた! 僕が犯人なら上から壊したりしない。下に穴を開けてやる!」

「…………構いませんよ。スティラが死ぬならそれはそれで。楽しそうじゃないですか。その時僕が何を思うのか。今から想像して楽しみます」

「お前っ……あの子は、お前のパートナーだろう!? 何故そんなことが言えるんだ!」


 適当に目を逸らし答えない。やがて彼は舌打ちし、手を放す。僕から離れた場所へと座った彼を、もう一仕事と煽る。


「おや、もう話もしたくないと? 僕の顔も見たくない? それなら結構。僕は他の部屋で時間を潰しています。忙しくてゆっくり湯船に浸かれても居ないんですよ。お察しの通り、僕らの部屋は狭くて。最近の救命艇は凄いですねぇ全く。生活に支障が無い設備が備わっている」


 一緒に入りますか? と言えばふざけるなと彼は更に怒る。本当にもう僕と口も利きたくない様子。……口論は有り難い。立ち去る理由も出来た。密室内に密室を作る口実も。


(出口が一つだとは一言も言っていないんですけどね)


 脱衣部屋に鍵を掛け、浴槽に自動で水を張る。しばらくはこの音で彼を欺せることだろう。クレールの鼻が狼でなくて本当に助かった。緊急時、鍵付きの浴室に閉じ込められた場合のため、ここにも出口があると依頼主は言っていた。その言葉通り僕は救命艇の外へ脱出できた。念には念を。脱衣所・浴室の施錠、それからこの第二出口の外にも南京錠。これで彼を閉じ込めることは成功。鉄壁のシェルターに隠したのだ。アルミダが命を落とすまで、彼が此処にいることを知られなければ良い。そうすれば、彼を助けられる。唯、そう簡単にはいかない。鼻はあいつの方が利くのだ。ロランを始末に行かなければならない。必要であれば彼らの犬も。


やっと少し先まで書けました。数ヶ月間この話何度も書いたり消したり……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ