13:ローマ・レモリア、レモリア・ローマ
ブリーダーを名乗り、犬を売りに来た男がいる。狼狩りの全盛期……奴は師団にやって来た。良い猟犬がいる、そう薄ら笑いを浮かべながら。
『お前の犬はよく働くが、やけに早死にじゃないか?』
『それは其方の仕事のストレスが原因です。極度の緊張状態が続くのですから。でもねマイヤーさん。ご希望とあれば次は番で用意しますよ。生まれた子らはそうですね……このページのこの辺りの犬種と掛け合わせれば問題なく働きますよ』
『あれは何の雑種だ? 見たことが無い。お前が方々に売りつける“雑種”は客の希望通りの働きをするようだな、うち以外でも』
『時を動かすことと巻き戻すこと、それはどちらも難しい事。私がしていることは後者なのですが、不思議なことに周りからは新しいことだと勘違いされているのです。忘れてしまうことが、人類が学んだ進化の形なのかもしれませんね』
男は話を無駄に膨らませ、煙に巻こうとした。
『犬屋風情が偉そうな口を。貴様、本当に唯のブリーダーか?』
『私に興味が? いやはや光栄ですね。団の長からお目に掛けて頂けるとは。ですが……私はしがない研究者ですよ。その過程で犬作りをしてはいますが』
家業は隠れ蓑。研究データを取るため、顧客の望み通りの犬を奴は作り上げていた。
『お前の犬は現代環境に対する抵抗力が低い。血を薄めることを勧めるんだ、戻し交雑ではないな。あれは……絶滅種のクローンとの間に作った子だろう』
『そこまでご理解頂いている貴方が、私に聞きたいことなどないのでは? 新しい犬のご注文ですかドン様?』
『お前のことは調べさせた。兄弟団、師団にも出入りしているようだな』
『客が私を選んでも、私は客を選びませんから。私が欲しいのはあくまで実験結果です。ああそうだ、最近新しい実験を始めましてね。一口、如何ですか? 確率は半々の簡単な博打ですよ。勝てば犬などよりもっと、強力な下僕を貴方は手に入れる。それは簡単に死にません』
今度の実験は犬よりも面白い。五分の賭け、勝者となればもっと良い道具が手に入る。奴は言葉巧みに私を誘う。
『ローマ・レモリア、レモリア・ローマ、チャーチグリムはさぁどちら?』
かと思えば今度はふざけた口調に変わり、奴が見せる写真が一枚。眠っているような小犬……いや、小さすぎる。まだ親の腹から出ない生まれる前の双子だろう。
『どちらもハズレという線は?』
『狼ならば上下が分かりますよ。序列に勝ち負け、優劣は必ず付きます。兄弟団の皆様は酔狂で、賭けに大勢乗りましたよ。騎士団は……お一人ですね。お名前は出せませんが』
『そいつはどちらに賭けた? 私は逆に賭ける』
買った犬の強さは身に染みて理解していた。それらを上回る驚異を売ると、あの男が言ったのだ。無視は出来ない。とうとう私は賭けに乗り、支払い額に身構えた。しかし男は笑い……
『貴方はお得意様ですから。お金は結構です。実験に使う材料さえご提供頂ければ構いません』
次に男と会ったのは一年後。今度は私が呼び出される側となった。奴が作った、対狼兵器――……抱き上げた赤子は黄金の瞳。彼は狼とよく似た瞳で私を見上げていた。育てられるわけがない。私は狼を狩る人間だ。あの男に里子に出すよう伝え、引き取ることもなく帰路に就く。
あれからだ。私は現場の指揮をすることもなくなった。本部に座り、猟兵共を顎で使う日々。狼の目……奴らの目を、私は見つめることが出来なくなっていたのだ。そうして何年月日が流れたか。私の目の前に……一匹の狼が現れた。黄金色の輝きを狂気に染めながら。
狼に育てられた兄弟。一人は偉大な国を作り、一人は永き眠りに就いた。二匹の生きた遺伝子には、それぞれ兄弟の名が付けられた。賭けに興じた連中は、どちらがどちらの名であるか……知らぬままに神に祈った。神の領域……禁忌に手を染めながら。
*
「ロジェス……新しい仕事だ」
今日の午後……漁騎師団より興味深いデータが届いた。彼らの設備を借りて、ロジェスがベルリンまで送って来たのだ。あそこは羊と鳥の専門家は居ても、島外の陸上生物の解析が出来る人間はいない。彼の判断は正しい。
《驚いた。ドン、もう解析出来たのですか?》
数コールの後、奴の声が返ってくる。スキャンされたデータを読み取ると、面白いことが分かった。牙に仕掛けがあるのでは。そんなロジェスの推測は外れる。牙は確かに狼の物ではあるが、問題は付着物にあった。
「何を食わせていたんだろうな。敗血症かと思ったが、卒倒するのは早過ぎる。余程病弱なのか? 騎士団の切り札は。くくく……結論から言うとロジェス。君は何も間違っていなかった。君が撃ったのは、どちらも狼だ」
牙に付着した血液は、人の血液では無かった。噛まれた相手は、少なくともその血液は狼。
《ふっ、つまらない冗談ですね。彼は……》
電話先から乾いた笑い。いつも以上にわざとらしく、そこには余裕が見られない。
「狼を従える人間がいるとでも? いるならそいつは……狼だ』
《しかしドン! 狼は人を助けない! 彼は、僕を……救いました》
「自分を犬と思っている内は、人に従うだろう。だが、自身を正しく認識すればどうなる? 奴はあの少年以上の脅威だ。一刻も早く始末しろ。始末するまで帰還は許さん』
一方的に通信を切断。ロジェスの縋る声が耳に残った。ほれ見たことか……あれはあのロジェスを躊躇わせる程の脅威。
「ロジェス……お前が私のロムルスだ。私はそう、信じているよ」
決してお前は負けてはならない。敗者の墓へ辿り着くのは騎士団だ。お前の他の全てを滅ぼせ。その上に、私が新たな支配を築こう。決意を新たに前を見据えるは、州境から眺めた自由都市ブレーメン。隣席で運転する部下が車内モニターを確認し、発進の号令を待つ。
「マイヤー様、目的地より全て出発致しました」
入り込む前に内から逃れる。危険運転車を追い警官も騎士も外へと向かう。躾た鳥を使い自然火災を偽装した。州内から奴らを外へと誘い州内へと侵入し、森林部で奴らを解き放つ。丁度数日前に“狼の声がした”猟区もある。
(ブレーメンに狼が侵入すれば、世論は師団に傾く。人選を見誤ったな……貴様の孫娘は騎士団長の器になかったぞ、カルル!)
*
狼と犬の祖先は何か。ミアキスより進化を続け……彼らは彼らになったと言うが、イヌ属の起源は二十二世紀に入った今も真実は解明されていない。そう、表向きには。
『彼らに何と名付けましょう? この発見を認めれば、貴方は歴史に名を残す』
狼の再導入が進み、人と狼の関係は再び歴史をなぞり始める。兄弟団は考えた。中立の立場から狼を巡る問題を解決しようと。彼らは思った。狼を従えられる人間を作りたいと。
『アラスカの永久凍土から狼が発見されました。死体の保存状態も良い』
『復元させたところで、狼狩りが加速するだけだろう』
『現存する狼よりも強く巨大な彼らの始祖。そこに人の知性を合わせたら……ハイイロオオカミのリーダーになれると思いませんか、カルル様?』
『人類のために動物を不幸にしてはならない。そして動物のために人を不幸にしてはならない。……私は何も聞かなかった。お引き取り願おう』
初代団長だった祖父カルル。退団した彼は、共働きの両親に代わり私の面倒を引き受けた。隠居後も、祖父を訪ねる者が後を絶たない。あの日、怪しげな話を持ちかけたのは兄弟団。言葉は聞こえていたが、意味を理解しないまま私はその場に居合わせた。祖父は下らないと怒鳴り散らして客を追い返していたが……父は、カルマは違った。偉大な親を持つ苦悩。後継者としての重圧。彼は何より手柄を求めた。兄弟団は秘密裏に金を積み、配偶子の提供者を募る。兄弟団が絡んだ結果、バンクよりも高額な報酬が実験を後押し。生活に困る者の他に、面白がった兄弟団員、計画を知る各団上層部が無償で提供した例もある。
始祖狼の遺伝子を組み込まれた子供達。異形の姿で生まれた多くは、死産として秘密裏に処理された。我が子が悪魔の研究に手を貸した事実を知って祖父は怒り狂ったが、父の悪事が表に出ることは無かった。兄弟団は世界を裏から操る金の流れを生み出す貴族。彼らを敵に回すことを国々は恐れていた。
『父さんみたいに、なりたかったんだ』
遺書めいた書き置きを残し、父は失踪。全てを知るのは兄弟団の上層部、それから私の先代の団長と、あの時代の幹部のみである。あれから月日が流れ……実験は、必ずしも失敗だったと断言出来ない事例が起こる。当初兄弟団は、全ての実験は失敗したと語ったが、異形ではない人の姿で生まれた狼がいたことが証明された。無論、表社会には発表出来ない情報のため、兄弟団は彼らについて、病気や突然変異、環境汚染の影響等……多くのデマを広めている。
生存する彼らの外見はほぼ人間。体の一部に狼の情報を残すのみ。それでも里親は子供を手放すケースも多く……兄弟団の企みに気付いた騎士団・師団は、優秀な人材になり得る彼らを捜し求めることになる。師団と処遇を争った……金の瞳を持つロランも実験の被害者。彼は人間だが、嗅覚と瞳は狼の物。騎士団は彼らを保護し、仕事を与えて人間社会に定着させる。しかし師団に至っては、彼らを狼狩りに利用して……不要となれば相打ちを装い始末した。若い猟兵が複数生まれたあの時代……当時の失踪者の大半が狼人間と推測されているが、師団内の事件は証拠が掴めず手出しが出来ない。此方も彼方も、大衆に広められては困る事実を互いに握っているのだ。それでも今回は明らかに、越えてはならない一線を越えている。
「耄碌爺め。騎士の不在に、ブレーメンを落とすつもりだったか? 生憎、うちのご近所関係は安泰だ。動物の自由都市に師団の肩身は狭いだろう?」
ブレーメン南東、ニーダーザクセン州……フェルデン郡。何の変哲も無いトラックを、私は引き留めた。空より川より怪しまれずに入り込むにはそう来るだろう。ブレーメンに隣接する全ての群に協力を要請し、騎士団は検問を敷いた。境界近くでは州都ハノーファー支部から向かうより、ブレーメン支部の方が近い事件も多くあり、持ちつ持たれつという関係。
「残念だったなドン・ド・マイヤー。車両を動かしているのは、他の支部から集めた手駒だ」
運転席へ銃を突き付け投降を促した。猟騎士師長たる老爺は、憎しみを込めて私を呼ぶ。
「……キャロル・デア・グローセ、鼻の利く小娘が。貴様はただの人間だろうに」
「車内を確認させて貰うぞ。お前達、改めろ」
団員に確認させたところ、トラックには十匹の狼。ケージに入れられ麻酔で眠らせられている。隊長・犬騎士達の隙を突き、街を混乱に陥れる計画か。未然に防げたことに安堵しながら、ここまでは予定通り。私がブレーメンに隙を作らせたのは意味がある。もっと深くに隠れた者を、引きずり出すため。
「車は預かる。今回のことは表に出さない。代わりに教えろ、あいつの場所を」
「直接聞いたらどうだ? 奴の息子は貴様が首輪を付けただろう」
我が子の成長は、傍で見たくなるものだとドンが言う。
「私は、この場で貴方を撃つ覚悟がある」
「騎士団の娘。獣のために、人が撃つのか?」
「……次は、実弾で行く」
構えた二丁。ゴム弾を容赦無く撃ち、もう一丁を見せつけ脅す。ドンの端末を奪い、奴の瞳で承認解除。タイミング良く鳴る着信に、私は迷わず受けた。
「久しいな、脱獄者。多忙な私の時間を割いてやる。デートの場所は何処だ?」
《大したもてなしも出来ないが、君と初めて出会った場所で再会といこう》
クレールの生家を電話の相手が指定する。彼の生家は本部同様ベルリンにある。クレールが手放した後、兄弟団の傘下企業が買い上げたそう。
「ドンを本部まで輸送する。荷物も一緒だ。こいつらは支部で丁重にもてなせ、いいな?」
部下にドンを拘束させた後、団の航空機に押し込み人質とした。他のルートでの侵入計画も有り得るため、師団の者に仲間との連絡を取らせる。トップを死なせる覚悟で行動するのは、責任を取る気のない野心家気狂いそれか馬鹿。今の師団にそんな逸材は……遠い遠い海の上。
「団長、積荷と賓客の搭乗が済みました」
「よし。それでは飛ばせ、ベルリンに。法が許す限りの速度でな」
*
第九デッキ・操舵室。現れた彼は表向き、いつもの冷静さを持ち合わせている。
「待ち合わせ場所、よくここだと分かりましたね。第四楽章になるまで来ないものだと思っていました」
「第九を流すのだから答えを言っているような物だろう? 第三楽章の内に来たのが不服か?」
僕が流した曲に彼は呆れて答えを返す。これから起きることが嬉しいのかと視線に問われ、僕は何も返せず目を逸らす。
「パートナーは連れて来なかったんですか?」
「あいつらは、人殺しの道具じゃない」
「それなら君は? クレール」
「僕は……何にでもなる。ロジェス、お前の出方次第で」
犬なら忠実に。しかし、付いて来るなと言われて従う“彼”は想像出来ない。是が非でも彼を追おうとしただろう。“命令”が人型にまで及ぶようになったのか。ならばドンの言うよう、クレール・オートは危険因子。第0デッキと同じよう、僕に猟銃を向けられて……それでも彼はまだ涼しげな顔。
「僕の血液を調べたんだろう、ロジェス。何が分かった」
「…………“始祖、遺伝子”」
僕に懺悔という感情が、残っていたことを知る。真実を知らないまま始末される彼が哀れに思え、僕は事実を口にした。それは、かつて一人の天才が唱えた仮説。彼は他の分野で開花し名を轟かせたが、仮説のための行動が、いくつもの発見に繋がったとも考えられる。あくまで彼の目的は、“始祖遺伝子”にあった。
全ての始まりが持つ【始祖遺伝子】。進化の過程でそれは変化し、影響できる範囲を狭めて行く。ミアキスの始祖遺伝子が手に入るなら、犬も猫も従えられる。しかし人類が発見したのは、狼の生きた始祖遺伝子。その遺伝子を活性化させられるのは、絶滅の危機に瀕した時。
「自分達は滅ぶ。しかしその血を未来に残したい。そんな生存本能なのでしょうか? 近縁種との交配を可能とさせる遺伝子。一種のフェロモンかもしれません。本来交配相手とならない相手に、番になるよう絶対的な命令をする。別種に魅力的に思わせる興奮物質なのかも」
環境に適応し、進化し生き延びた者だけが命を繋ぐのではない。姿を変え形を変え、自らの血を引き継がせる。差し迫った滅亡、完全なる滅びを回避するために急速な進化は待てない。生き延びる力を持った近しい種族を取り込んで、自らを変えていく。
「“変わることを受け入れられる者が、歴史を作る”……君のお父上の言葉でしたね。ニュースで何度も聞いた言葉です。あれは、血統書持ちの遺伝病を解決した日の演説でしたか?」
自分の子供。倫理観がなければこれ程身近な実験材料もない。自身の全てに賛同する都合の良い女との子供。オート博士は僕以上の怪物だ。人を愛する心を知らない。肉親にさえ……情を抱けぬ人間だ。そんな男に作られた彼が愛情深いのは、滑稽極まりない話。彼にそうさせているのが件の遺伝子ならば、恐ろしい物だと思う。
「結論から言いましょう。君はリーダーとして甘すぎる。そんな君に犬が、狼が君に従うのは……君の中に、狼の始祖遺伝子があるからです。師団はそれを恐れている。外見が狼である者達よりも……君が一番、恐ろしい。0番デッキで、僕は君を撃った。狼が庇ったのは君が命令したからだ」
それは言葉でなく感情……汗や体温、感情で変化する、イヌ属しか感じ取れない匂い。それが正しいとするならば、極端な話、彼が人類を憎むような悪夢を見たとする。近くに狼がいたならば、彼らは人を襲う可能性すらあるのだ。
「僕はそんな命令していない」
「だから厄介なんですよ。薬漬けで廃人にでもするか、それでも君の心が死なない限り、彼らは従う可能性もある。君が生きている限り、狼に脅え続ける人間がいる。君が何を考えどう思おうと、君は人類の敵なのです」
彼の命令一つで狼が人を襲う。命令一つで凶暴にも従順にも。核爆弾の発射スイッチよりは安全。それでも危険を安全として支配出来ない限り、人類は不安と恐怖に苛まれる。彼の心の内まで操作することは、現代技術でも完全には難しいため、容易な解決を師団は選んだ。
「幸か不幸か、君は人の形で生まれた。人と番える形で生まれた。世界にたった一人の始祖狼。始祖遺伝子は活性化している。不用意に人を惑わした例はありますね? 始祖遺伝子は、人との間に狼を残そうとする。君がそれを望まなくても」
もし仮に、彼が女性であったなら危険度は下がる。説得の判断材料となっただろう。万が一人との間に子を為しても、出産まで時間も掛かり、始末する機会と口実はすぐ出来る。ここでの問題は彼が男性だと言うことだ。将来的にいつ何処で、不特定多数の相手と狼の血を広めるかが分からない。ドンはそれを恐れている。
「兄弟団が君の正体を知れば、彼らは興味を持つでしょう。そうなれば君の余生は、バッククロスを続けるだけの実験動物。そんな惨めな生を、君が肯定できるとは思えない」
「僕は……騎士だ。動物騎士団の、犬騎士だ。そんな風に、なるはずがない」
「騎士団に君を守る力は無い。君が盾に使えるのは犬と狼だけですよ。如何に彼らが凶暴であろうと、人は彼らを滅ぼせる。厄介ですよ……兄弟団は」
世界を表と裏から牛耳る富豪達……兄弟団。師団と騎士団が手を組み、正義も捨てて手段を選ばず挑まなければ、兄弟団は潰せない。そんなこと、まず有り得ない話だが。彼らは欲しい物は必ず手に入れる強欲共。玩具が奴らの目を逃れて生き延びることなど不可能だ。
「交渉材料を用意しました。クレール・オート。君が今ここで快く死んでくれたなら、師団は僕は……あの狼を、ロランという少年を人と認めます」
「…………分かった。どうやって死ねば良い?」
数拍の時置き彼が尋ねる。まず、自身の境遇がどれ程絶望的であるかを伝え、その後僅かな希望を提示する。簡単な話術に掛かった獲物は神妙に、自身の殺害計画を練り始めた。
「なるべく其方に迷惑が掛からないよう、事故死がいいと思うが近海に鮫はいるか? 展望デッキから飛び降りても良い。仕留め損なう心配があるなら睡眠薬でも寄越せ。眠気を誘う風邪薬の類でも良い。僕が死の隙を作り、偶発的に事故死したと思わせられれば一番だ」
言葉数は多いが、命乞いや時間稼ぎではない。出会って数ヶ月の相棒のために、ものの数秒で命を捨てる覚悟を決めた。始祖遺伝子は……自分と違う存在を、思い愛する力なのだろうか?
少なくとも、彼が継いだ物は……そういう優しい物のよう。あの兄弟から受け継がれた物とは別物だ。彼を母のようだと言った僕の言葉は当たっていた。
「案内します、此方へどうぞ」
望まぬ銃を突き付けながら、彼をデッキへ誘った。
*
飛ばした機体で三十分。ドンは本部に招待し、事態の収束を終えるまで監視するよう命令。私はデート場所へと急いでいた。呼び鈴を鳴らす必要もないだろう。裏庭の窓から侵入をする。昔壊したままのその穴が今は少し小さくて……破壊を広げて通過。真っ直ぐにあの日の道を再び進む。私はクレールを救助した地下へと向かった。待ち構えていた男は……あの少年には何も重ならない、極限まで人間の悪しき欲を詰め込んだ瞳で、銃を構えた私を値踏みする。
「昔より綺麗になったじゃないかキャロル。暴力的な所は変わらないがお祖父様に似て来たね」
「オート博士。貴方は何を企んでいる!? 脱獄を手引きしたのは兄弟団か!?」
「保護観察中……いや服役中とも言える。私の牢は特殊で、服役中の仕事も特殊と言うだけだ」
「鯨や鮫が異様に増えているのも貴方の仕業か」
「鯨ががんの治療に役立つという話があってね。研究のために数を増やしたい。一度に一頭では効率が悪いだろう? 犬猫くらいの生まれ方をして欲しいと頼まれたんだ」
「兄弟団が、鯨を高級品としたのは……」
「実際に研究が進んでも、恩恵を受けるのはまず富裕層だ。協力的なわけだな」
体の大きな生き物は、寿命が長くがんに強いという話がある。人の医学研究のための鯨狩り? 兄弟団は全ての動物を愛する者ではない。それぞれに愛する動物が居て、それ以外はどうでもいい。金稼ぎの道具にしか見えない生物もいるのだろう。常日頃人外への愛を語らえど、人のための医学の進歩……自分達の生を優先する訳だ。全く反吐が出る。そんな金の亡者共に協力をするこの男、知識欲の化け物も!
「外道がっ!! 貴方と連中は、どれだけの生を冒涜すれば気が済む!!」
「あっはっは! そんなに睨まないでくれ。君に睨まれたところで、私への依頼が消えることは無い。君たちがどんな正義を語ろうと、人の在り方を変えなければ世界はどうにもならない」
「ええいっ、その不愉快な口を閉ざせ! 死にたくなければ私の質問にだけ答えろ!」
「黙れだの話せだの団長殿の口は、随分とお忙しいご様子で」
「聞きたいことは他にもあるぞフォンセ! 貴方はクレールが! 自分の子供が可愛くないのか!?」
「可愛いさ。だから私はあの子を英雄として作った。他とは違う、特別製に」
見るかいと……奴が空間モニターに映し出すは豪華客船の防犯カメラの映像だ。クレールが映し出される度、フォンセ・オートは恍惚の表情。我が子へ向ける異様な愛情? 違う。これは実験動物を愛でる狂科学者の目。
「最初に見つかったのは母親でね。女の腹には二匹の子供。傍には生まれたばかりの子が二匹。生きた細胞を取り出せたのは腹の中の子供と母親だけ。被検体に使ったのは子供の遺伝子だ」
生まれた二匹の体は小さく、細胞は劣化していた。体の大きな母親と、彼女の中に残った兄弟のみが生きた遺伝子を抽出出来たと博士は話す。
「貴方は騎士団に……虚偽の報告を?」
騎士団長権限でのみアクセス出来る閲覧禁止データベース。引き出した情報には……“二十年前、アラスカで発見された子狼が二匹。二匹の亡骸にはローマの伝説の双子から、それぞれロムルス・レムスと名付けられた。二匹を手土産にフォンセは兄弟団に近付いた。”とある。
「ああ、そうさ。あの子には母親の、シルウィアの遺伝子を入れた。もしあれが現存するイヌ属の始祖ならば、あの子は全ての狼の母だ。母に呼ばれたら、反応するのが子だろうよ」
パックでの最高序列者は父。その次が母。とは言え、始祖だから全てが従うなどあり得ない。人が猿から進化したとて、猿の命令に我々が従うか?
「まぁ、にわかには信じがたいが。あの子の才能は貴女も知っているだろう? あれはどんな犬でも従える。犬より時間は掛かるがその気になれば狼も」
始祖狼の遺伝子は、イヌ属に対する支配能力だとフォンセは言った。子の遺伝子を持つ者にその才能が発現していない以上、番となった相手は別種と見るべきか?
「つまり貴方の目的は、かつて兄弟団が目指したそれその物なのか……?」
「いいや。だが面白いじゃないか。唯一人の望みで、全ての狼は人の友にも敵にもなる。あの子が何を思い、狼に何を命じるか。数世紀遅れの審判だ。あの子を取り巻く環境が、世界の人類の行く末を決めるのさ!」
「それでお前は神様気取りという訳か。虫唾が走る! 誰にも理解されない世界を、孤独を抱えた彼が道を踏み外さないと何故言える!?」
銃を突き付けられても男は余裕を崩さない。終いには煽る言葉を持ち出した。
「それは才能ある父と娘に挟まれた哀れな男の話か? クレールを哀れみ救ったところで君の過去は変わらない。彼が消えたのは彼自身の弱さの問題で、私も兄弟団も関係ないことだ」
「黙れ! それ以上言うなら……っ」
「始祖の番の亡骸はまだ見つかっていない。今現在、彼女を止められる者はいない。絶体絶命だな。だがこうも思わないか? そんな状況を覆せる者がいたならばそれこそが英雄。君が育てた騎士達は、誰一人英雄になれないと思うのか? 情けない団長殿だな。君は信頼されていないんだ。或いは名誉を重んじて? 君の|着信(角笛)は鳴らないじゃないか」
「やめろ、……もう、やめて、くれ!」
耳を塞いで蹲る。手から転がり落ちた銃。フォンセが拾い上げようとした。その刹那、私の端末が……地下に鳴り響く。
《所属、ブレーメン支部……犬騎士、ロラン! 応援要請を求めます!》
「ほぅ……君の英雄は、プライドがないようだなキャロル」
「貴様……何のつもりだ」
応答に答えるよう、フォンセは銃を突き付ける。そして私から距離を取った。この男の確保に人員を割けないことを、フォンセは見破っていたのだ。
「早く出ないと手遅れになるかもしれない。懸命な王様はどうするべきかな?」
「……次に会ったら終わりと思え! 騎士団が貴様を捕えてやる!」
去りゆく男に捨て台詞を吐き、私も屋敷を飛び出した。直後、屋敷に火の手が上がる。証拠隠滅を図ったな。奴を助けたのは兄弟団の支援者だろうか? 上空を小型機が飛んで行く。
「ロラン、私だ。詳しい話を教えろ。其方に隊長達は来ているな? 奴らでも対処出来ない状況なのか?」
《クレールが、船から落ちた! 最悪、船も沈みそうなんだ! 俺達だけじゃ助けられない》
端末越しのロランの声は、悲痛な叫びだ。大凡騎士とは呼べない酷い泣き顔だろう。
《俺は、犬騎士だから……乗客を助けるのが仕事だ。だからキャロル……俺は騎士を辞める!許可を寄越せ! 今ならまだ助けられる!》
「客よりも、パートナーを助けたいと? だから騎士を辞めると言うのか?」
《ああ!》
「……ロラン」
一拍置いて、名を呼んだ。命令のためではない。言葉の通じる相手……対等な友になり得る者として。お前は人間なんだと呼びかける。
「いいかロラン、一人で戦うな。人は獣と違って弱い。牙も爪もない。だから他人が必要なんだ……退団は許さん。今すぐクレールを助け、二人で乗客を助けろ! 応援が向かうまで、持ちこたえるんだ。いいな!」
《……キャロル、ありがとう!》
人に捨てられた狼少年。野生で育った彼が、人を頼ることを覚えた。ならば応えなければ……例えどれだけ離れていても。
「よく、私を頼ってくれた。待っていろ、必ず……助ける!」
建国の地か敗者の墓場か。チャーチグリムはさぁどちら?
え? これSFだったの?? と執筆中に驚きました。プロットは宇宙救助犬と人権犬の宇宙船タイタニックだったのでもはや別物です(SFやんけ)。
それはそれこれはこれ。
サブタイトルの元ネタのグリム童話と、チャーチグリムを掛けられて私は満足です。
狼と来たらやっぱり建国の兄弟の話は欠かせませんよね。




