10:海の狼
この作品はフィクションです。
実在のありとあらゆるものにはこれっぽっちも関係ありません。
どちらを支持する訳ではありません。あしからず。
フェロー諸島はブレーメンとは異なる意味で、自由を守り続けている。フェロー諸島の動物騎士団、猟騎師団は他とは違う。そんな話に覚えはあった。しかしながら思う。知っていると知ることは別のことだと。色とりどりの外壁、見事な芝生屋根が続く町並み。港に降り立って、まず僕が思ったことは「綺麗な街なのに」。
「トースハウン港……綺麗な所よね。私には見えないけれど聞いているわ」
アルミダさんが困ったように呟いた。盲導犬代わりのアルチナに、彼女は手を掴まれている。
「海洋騎士団【エーギルの牙】、漁騎師団【ノーアトゥーン】……」
不思議なことに、騎士団と師団の役割がここでは反転している。騎士団は自然保護色が強く捕鯨反対、漁師が集う師団は捕鯨賛成と言った対立構造。街中にも反対派の過激なポスターが貼られていた。
《捕鯨殺人を許すな》《鯨にも人権を!》……そんな広告を掲げるのがエーギルの牙。海洋騎士団は、鯨を人として扱う。動物人権を哺乳類限定で野生動物にも及ばせられないかと考えているらしい。その他にも海洋騎士団の張り紙には《鯨を守るために鮫を狩ろう!》という宣伝も。自然を人が管理しようという主張は、騎士団というより師団寄りの考え方。ラダが見ろと言ったのはこのことか? これが騎士団? やり方が……騎士として品がない。動揺する僕の傍ら、ロランは知らない単語に首を傾げる。暢気な奴の様子に、僕も少し落ち着いた。
「クレール、鯨って何? 美味い?」
「美味いんじゃないか? 食べたことないけど」
歴史の上で好まれてきたのだから、それなりの味なのだろう。適当な僕の返答に、アルチナが呆れた様子で振り返る。
「高級食材よ。普通の店では買えないわ。この島の高級店なら手に入るかもしれないけど」
「食べちゃ駄目って事は凄く美味いんだろ? ボスしか食えない肉みたいに」
「今は仕事中だ、諦めろロラン。騎士団の僕らが現地の騎士団を敵に回せば、国際問題に発展する。隊長に怒られる所の騒ぎじゃないぞ」
「人間って窮屈だな。目の前に肉が落ちてても食わないんだろ? 変なの」
不満そうなロラン。もし道端に鯨が落ちていたら、こいつはそのまま食べかねない。なるべく目を離さないようにしよう。店の物を勝手に食べないよう言って聞かせなくては。
(しかし、鯨か……)
陸の狼、海の鯨。人と動物について考える上で、避けては通れない問題。一世紀前……捕鯨は多くの国で禁止され、その圧力に屈した国も多かった。そんな中、ここは伝統文化を守り続けた数少ない地域の一つ。そうして百年……今度は世界が揺らぎ始めた。
昔はドイツも捕鯨反対の立場。しかし今日、国内の意見は割れている。各国で手厚く保護された結果数が増え……鯨を食べる鮫が増えた? 詳細は未だ調査中だが、海に何かが起きていることは確かである。もし異常な程彼らが増えているなら、水産物の保護のため……人と自然の調和のため、猟騎師団は鯨狩りを推し進めなければならない。
しかし捕鯨同様、今となっては鯨の保護にも歴史や伝統がある。昨日まで守り続けたものを、今日から狩れと言われても――……心情的に受け容れ難い者も多いことだろう。
何故鯨が増えたと噂されるか。その理由は、鮫の増加だ。温暖化で鮫の生息域が増した。鮫はビーチへの出没のみならず、今では海難救助で鮫と戦うことも多い。そのため捕鯨を解禁した国もあり、こうした争いが耐えない。人間に間接的な被害が増えているため、騎士団内でも意見が割れている。〝狼の二の舞にするつもりか?”とは、騎士団でも師団でも交わされる言葉である。
「なぁクレール、こっちのこれ。サメって何?」
「大型の魚類だ。肉食で中には人を襲うものもいる。気になるなら端末で調べろ」
「近年は温暖化で生息域も変化して、北上や南下している種がいるようだけど。一般的にはそうね……姥鮫やヨーロッパ虎鮫ならロラン君達の所でも見られるんじゃないかしら? 道中出会わなかった?」
「何故僕を見る? 運河に鮫は出ないからな」
アルミダさんの言葉ににやける馬鹿。その馬鹿に聞いてしまった僕も馬鹿だ。口にした瞬間、視線の意味に気付いてしまう。もう数秒早く解れば良かった。
「鮫の出る出ないに関わらず、水は危険だ。着水したら助けるのは当たり前だろう」
「じゃあ何事も無くて良かったってことだな。今の旅は運河じゃないし」
「そういうことだ。気を引き締めなければな……」
昨日は悪かった。心配掛けた。そんな言葉が喉の奥へとつっかえて、再び胸の奥へと帰る。ロランには聞こえていたのだろうな。余計に嬉しそうだから。僕は犬じゃないぞと吐き出す溜息、此方も届けば良いのだけれども。
「ロラン、ちゃんと銃の手入れをしているか? 部屋に戻ったら確認しよう」
「またクレールうるさくなった」
僕の小言に、耳を塞いで嫌がるロラン。感謝で世話を焼こうとしたのに、迷惑がる奴があるか! 人や犬は、本来水中で戦えるように出来てはいない。鮫はある意味、熊や狼より危険な相手。オリヴィエやローランドでは相手にならない。だから彼らには僕らが、騎士が付く。僕らの銃は、海洋生物と戦うための武装でもある。それを怠るなんて騎士失格だ!
「鯨が増えてるなら、この鮫ってのも増えてるんだろ? そっちは美味い?」
「お前はそうやって話題を逸らして……いや、確かにそんな時間か」
「え? さ、鮫食べるの!? あれも高級食材だけど、何か見た目怖くない?」
昼食は船に戻っても良いが、現地の食事も一興。しかしアルチナの食わず嫌いを見るに駄目だろう。僕は他の名物料理を口にする。
「……羊肉はどうだ? 干し肉を料理に使っているらしい」
「羊肉いいね! 好き! 大好き!! 良い匂いする店は……あっちだ!」
「もぅ、ちょっと待ちなさい貴方達勝手過ぎるわよ! か弱い乙女を異国に置き去りにするつもりなの? それでも騎士なわけ!? 海沿いでじゃれて海に落ちても知らないわよ!」
走り出すロランを追ってアルチナ達を追い抜くと、彼女の怒声が付いて来る。
「はぁ……そう言えば二人とも、動物騎士なのに普通に肉食よね。菜食主義者じゃなくて」
「騎士は体が資本だよ。その辺は割り切らないと仕事になりません」
「そうそう。強くなるのも生きるのも、まずは食べなきゃ駄目だアルチナ」
アルチナの疑問はもっともだ。僕ら自身は屠殺に関わりはせず、店で買った物を飲み食いする。本来向き合うべき責任を、行為を誰かに押し付けている。その上で生き物の命を貰っていることは忘れてはならない。そう、その意味ならば……僕はエーギルの牙には賛同出来ない。
「食べるために殺すなら……法に則った狩りには反対しないさ」
「でも飢えを凌ぐための狩りと、人に売ったりするための狩りは違うものじゃない?」
「アルチナは、反対なの?」
「私も色々食べるから何も言えないけど……実際こういうの見せられると、なんだか可哀想」
ロランの問いに、アルチナは口籠もる。残酷な現実と言わんばかりのポスターに、食欲を削がれてしまった風。確かに……幼い少女にはトラウマ物だろう。しかし危機感を煽るためでも、街に貼り出されたポスターは数字を盛り過ぎだ。文字通り、年間何万頭の鯨が犠牲になっているなら海の生態系はどうなる? バランス崩壊も良いところ。これは誇大広告の類。
「……妙だな。増えていると言っても、こんなにいるものか?」
鮫も鯨も寿命が長い。その分、成長まで時間が必要。数の増えやすい卵生の種は人に害がないものばかり。卵胎生や胎生の肉食鮫は、幾ら餌が豊富にあったとしても……そう簡単に数は増えない。温暖化で北上する魚が増えた? 環境の変化、交雑で生態に変化があったか? 狩られたことで生態系が変化した? 一度の出産数が増加したとか、新種が現われたという噂もある。水生生物は専門外、詳しい事情は分からない。ブレーメン支部に海洋専門の騎士はいなかった。 それでも隊長、副隊長クラスは水陸空の知識は必要な上……二種類以上の免許が必要。団長を目指すのなら水陸空の三種動物免許は必須。リナルナさんは水陸、マリアジさんは空陸の資格保持者……僕とロランは陸上動物の一種免許しか持っていない。僕は出世に興味がないし犬のことで手一杯。今の所他の分野にまで手を伸ばす気はないが……
(海難救助を担うなら、犬と陸以外の知識も仕入れろと……隊長はそう言いたかったのかも)
僕らを送り出してくれたリナルナさん。隊長の思いを汲み認識を改める。またとない機会だ。思想が相容れないと拒むのではなく、海洋騎士から話を聞いてみるのも良いかもしれない。僕は端末を手に取り、騎士団近くのレストランを検索しようとした。その時……
「それだけ我々人類は罪深いと言うことよ、クレール君」
「アルミダさん……?」
僕の呟きにアルミダさんが反応。何か知っている風なのに、聞き返しても教えてくれない。
「ふふふ、騎士様達はどう感じるかしら? エーギルの牙とノーアトゥーンの対立は。素敵な回答を頂けたら、私が良いお店に招待するわ。料理もだけど、ケーキも美味しいのよ」
彼女は答えの代わりに質問を此方へ寄越した。ケーキと聞いて、アルチナの目が輝き出す。理由は不明だが、僕はアルミダさんに試されているのだろうか?
「はい、はい! 俺は……クレールと同じ!」
考える内ロランに先を越されたが、奴の答えに中身は無かった。ロランなりの答えはあっただろうに、僕を立て回答を控えたのか? それなら適当なことは言えないと、僕は顔を上げる。
「誰が悪いか、何が悪いかは僕には解りません。どちらもある程度正しくて、ある程度間違っている。人の対立は大体がそういうものだと思います」
何処から何処まで自然に手を加えて良いか、人が決める境界線。それは人のエゴでしかない。自然への慈しみは尊いが、彼らを愛するあまり人を傷付けるならもはや正義と呼べないだろう。
「唯、僕は犬騎士ですから……人と動物を守り、次にパートナーを守ります」
「立派ね、クレール君。昔のあの人を見ているようだわ」
僕の答えに、アルミダさんが目を開ける。眩しそうに悲しげに。此方を見つめた彼女には、一体何が見えていたのだろう。
「生きるために食べる。生きるために狩る。食べたいから食べる。自分の群れが……種族が続けばそれで良いのに、他の種族のことで戦うのか? どうして?」
ロランが僕へと聞いてくる。狼が狩りをする時、彼らは獲物が滅ぶことなど考えない。彼から見れば、人の世はおかしな物に映るだろう。返答に困った僕の代わりに、アルミダさんがロランに優しく語りかける。
「貴方もローランド君が可愛いでしょう? 彼が危険に襲われたら守りたいと思うわよね? あの子は犬、でも貴方は犬ではないわ。それは貴方という種族には何の関係も無いことなのに」
「……アルミダ、凄い! 本当だ!」
「ふふふ、人は人以外の存在も大切に思える生き物なのよ。誰かを……何かを大切に、思う気持ちは止められない。だから……人は争うしかないの」
争いを肯定したアルミダさん。その言葉には、強い決意が宿っている。彼女は何を、考えている? 一人では何処にも行けない盲目の女性。そんな彼女のことを……僕は今、恐ろしいと感じていた。異変を感じたのは僕だけではなく、アルチナも。怪訝そうに姉を見つめる。
「姉様?」
「どうかしたかしら、アルチナ?」
「えっと……あの人。オロンド、さんって……どうなった?」
話題に困ったアルチナが宿敵の名を口にする。昨晩僕が倒れた後、アルミダさんは婚約者に話を付けに向かったらしい。その後の話し合いがどうなったか、僕らはまだ何も知らない。アルチナもそうなのだろう。話題を逸らすことが目的でも、気がかりなのは本当だ。
「ここでも挨拶回りがあるようなの。手広く商売をしている人だから……先に降りたようだけど? 貴女があの人の心配をするなんて、ふふふ」
珍しいこともあるものだと、アルミダさんが微笑んだ。先程の恐怖や違和感は、あっという間に消え失せる。それだけ上手く、彼女は隠せる人なのだ。唯の優しい美人だと、思っていたら食われるぞ。今更気付いてぞっとする。今の口調から察するに、破談に話は進んでいない。アルチナも含みを宿す姉の態度に苛立っていた。
「もう! 茶化さないでよ姉様!」
「そうね……いつか。色んな騎士団、師団からエッセの家に声が掛かることがあるわ。アルチナ……家を継ぐのは貴女。だから貴女は世界をよく見て、貴女の正しいと思うことを選んでね」
地位も身分も金もある。権力への圧力が兄弟団にはある。エッセ家の次期当主がアルチナならば、世界の舵取りも思いのまま。幼い少女がどのように育つか。その結果により、明日は今日とは異なる世界。それも恐ろしい話。
「姉様は……その、正しいと思ったことのために、あの人を選んだの? 姉様が好きなのはラダなんでしょ!? それなのに何で! 姉様がそんなこと言うの変よ! それじゃあ自分は間違った道を選んだって、言ってるようなものじゃない!」
癇癪を起こしたアルチナが、勢い余ってアルミダさんの手を離す。彼女に伸ばされた腕を、アルチナは拒絶し振り払う。その瞬間、アルミダさんの体が傾いだ。
「アルミダさん!」
腕を伸ばしたが間に合わない! 石作りの階段から横へと倒れ、彼女は海へと落下した。高さは二メートルほど。これなら飛び込んで、すぐに救助に向かえる!
「オリヴィエ!」
「駄目だクレール! 何か、来てる!」
彼女を追わせようとした僕を、ロランが必死に止める。彼の言葉に、遠くを見れば……何かが僕にも見えた。
「馬鹿な……」
海面で藻掻くアルミダさんに、ゆっくり近付く巨大な魚影。間違いない、あれは鮫だ!
(で、でか過ぎる。七メートルはあるぞ!? 西隠田鮫か!?)
近くに停泊した漁船の影かに思われた、浮かび上がる影は……他にもある。この鮫は動きは非常に遅いが、食性は貪欲。何でも口にしてしまう。
「行けオリヴィエ!」
僕の命令を受けたオリヴィエは、海へと飛び込みアルミダさんの傍まで向かう。号令後、僕もすぐさま手を銃に。今手にするのは森で使った物とは違う。撃ち出す弾は鋭く尖った針であり、強化ワイヤーに繋がれている。獲物を刺して電気を流し込み、気絶させるのが目的だ。だがこれは……近づき過ぎた場合は使えない上、銃の腕が悪ければ救助犬やレスキュー相手まで感電させてしまう。
「クレール下がって」
ロランも銃を手に取った。彼が詰め込む弾は、水中戦用の電池弾。弱い物からAA弾、C弾、D弾。AA弾が二十秒……最も強力なD弾でも稼げる時間は一分程度。
ロランはまだ射撃が下手だが、あれなら外しても問題は無い。人が感電する程の力は出ない上、攪乱目的は果たせる。微弱な電気を感じ取るロレンチーニ器官……奴の鼻に弾をぶつけてやれば良い。鮫が混乱している隙に、オリヴィエを陸まで向かわせる!
「これで駄目なら、射程に入ったら撃って」
「……ああ!」
*
トースハウンには降りず、甲板の上で海を眺める二人。釣り竿なしで釣りをする。狙う獲物は大物オロンドだ。
「うん、上手く録れていますね」
「見せてくださいよ先輩!」
思い出の動画を確認する様に、片耳ずつ端末から聞くイヤホン。周りからは仲の良い男女に見えるだろうか? そうだとありがたい。盗聴中と気付かれたら厄介だから。
《ああ、この血を海に撒いてやれ。鮫を誘き寄せるんだ。この船を追ってくるように……排水に混ぜ垂れ流せ》
綺麗に録れている。無音の魔女は、優男でもやはり魔女。条件を付けて引き下がる振りで、しっかり相手のことを探っている。録音証拠を聞き合って、私達は顔を見合わせ笑うのだ。
師団が与えた私達への依頼は、狩りの権利を守ること。足のついでに船での依頼を受けたに過ぎず、本来の依頼は……アイスランドでの鯨猟漁船の護衛。【無音の魔女】の恐ろしさを見せつければ敵も戦意を無くすと、上はそう考えていた。
「まさかあれがだなんて世も末ですね。金持ちの考えることは解らないなぁ」
盗聴器を仕掛けたのは依頼人。オロンドの左手薬指に、それは堂々と輝いていた。先輩曰く権力者は自分を守るため……優れた者で傍を固めはするけれど、本人は隙だらけなのだとか。セキュリティは厳しいが、本人が迂闊であったり電子情報分野に疎いなら、こうして全てが筒抜けとなる。プライドの高そうな人だから、自分の体を触らせたりしないのだろうな。絶対に体から外さない物、誰にも触らせない物などは特に。
「そんなものですよスティラ君。さて、我々の仕事をしましょう」
第0デッキで流れた血。狼の骸。鮫の餌。動物嫌いの社長さんが随分と怪しい真似をする。
「それで先輩は、依頼人の目的ってなんだと思います?」
「解ってはいても、もう止まらない所まで来ているのだと思いますよ。理想と現実の違いに」
この魔女野郎、勿体ぶった言い方をする。此方も盗み聞きされることを恐れてか? そうだとしても、もう少し噛み砕いて話して欲しい。
「しかしまぁ、旅はするものですねスティラ君。良い悪いは兎も角、出会いがある」
「先輩が言うと変な意味に聞こえるんですけど」
狼絡みでもないのに、真面目に仕事をするなんて。先輩らしくない仕事ぶりがとても怪しい。
「昨日会った人、知り合いなんですか?」
聞いてみても答えてくれない。余計な軽口は止まらないのに。彼は街中の抗議看板が目に留まったらしい。船の上は意外と暇で、私はその戯れ言に付き合うことにした。
「鯨ねぇ……デリケートな問題ですよスティラ君。どちらに肩入れしてもやって来るのは面倒事だ。彼のやり方は賢いと思いますよ」
商売は世界を動かす。反対派の過激な活動により、鯨を食べる人が減る。捕れる鯨が減れば、鯨肉・鯨油の価値は高騰する。そうなれば兄弟団なら考える。捕鯨は減らしたいが、無くなってはいけないと。
「エルガー社は造船会社も手がけている。エステ号を作ったのもオロンド氏でしょうね」
「ほんと凄ーい。どんな船でも作っちゃうんですね。漁船も、高速艇も」
彼は矛盾の体現者。オロンドは敵同士に船を売る。反対派に沈められないよう、強固な船を【ノーアトゥーン】に与え、その船を沈めるための装備を【エーギルの牙】に与える。争いが続く限りエルガー社は儲かる一方、捕れた鯨を買い占め上流階級に振る舞う。彼自身は争いに一切関与せずに煽るだけ。それで兄弟団に組する程の大富豪までのし上がった悪魔の商人。
「彼は良い商品を作り売り……ロビー活動で売れなくなった鯨を安く買い上げ転売。富裕層が好む高級食材として位置づけることに成功。商売人として間違ったことはしていませんね」
「感じは悪いですけど、彼一人の問題ではないのか……ほんと、面倒」
私は師団の人間として、自然は人間が管理するものだと思う。しかし同時にこうも思う。自然は人の手に負えない物であるとも。一度は滅びかけ保護された結果……狼が引き起こした惨事のように。優先順位を見誤ってはならない。私達は人間なんだ。人間以外を優先したら、私達は人間ではなくなる。滅びも繁栄も、その種が人の良き友となり得るか。友とであっても家畜であれば、感謝し命を食らうもの。人は狩人、どんな生き物からも獲物となってはならない。
「そう言えば先輩、確か船には騎士団の人も居るんですよね?」
依頼人にそう聞いた。ブレーメンではすっかり騙されたから、今度は私が一泡吹かせたい。あの件に関しては、先輩に散々馬鹿にされたからもう忘れない! セーラー服を見たら騎士団だと思え! だけど森でズボンを拾って来て「これは騎士団の支給品ですね」なんて特定した先輩は気持ちが悪いと思った。あの後今回の任務を引き受けたのは、何か理由があるのかな。
「騎士団……それに私達。オロンドさん、この島と同じ事考えてたりして」
思い付きで口にした言葉が嫌な響きを発する。私の不安を先輩は馬鹿にして笑い飛ばした。
「さぁどうでしょう。分かり易く繋がりが露見してはなりません。鯨の転売を行っているのは、彼の息が掛かった会社ではないようですよ。故に彼は、アルミダ嬢を娶りたがっているのです」
鯨の買い付けを行っているのは、エッセ家だと先輩は暗に認める。反対派は思う「それを止めさせるため」、賛成派は思う「儲けを掠め取るため」と。エルガー社の思惑は未だ知れないが、この地で憎まれているのは彼よりエッセの家。
「でもそれって矛盾してません? アルミダ・エッセと言えば……この業界では有名ですよね? 動物人権法を作った人。そんな彼女の家が、鯨狩りに繋がっているんですか?」
「野生動物を愛玩動物に、愛玩動物を人間にするにはいくつものハードルがある。この海の全ての彼らに……海に面する全ての国に、毎年莫大な人権税を支払う大金持ちがいたなら、君の妄想も夢物語ではなくなりますね」
それは矛盾では無く線引きなのだと彼が言う。殺して良い命と、殺してはならない命を決めるボーダーライン。鯨も狼もその線の上にいる生き物だから、論争が終わらないのか。
「まぁ、人間は不思議な生き物ですね。権力のため、好いてもいない相手を番に選ぼうというのですから。縄張り争いと何が違うのでしょう? 所詮は人間も動物と言うことでしょうか」
「それはよく分かりませんけど。力で漁の邪魔するのは酷いけど、反対する気持ちも少しは解るかも。だって鯨って狼と違って人を襲わないし、同じ哺乳類って言われるとなぁ……」
「そんなスティラ君はもう一度、再生ボタンを押してみると良いですね。同じ哺乳類でも人間同士争うでしょう? 数分前のことも忘れるようでは、師として恥ずかしいですね」
君は馬鹿だと先輩が言う。腹立つなこの男。
「さぁ、来ましたよスティラ君」
「な、なんでこっちに来るんですか!? ロジェス先輩ぶつかりますよ!?」
師の声に顔を上げれば、エステ号に狙いを定め突っ込んで来る高速艇!
「豪華客船ですからねぇ。パーティに鯨肉、灯りに鯨油でも使っていると噂が出回ったのでは?何しろ名前がエッセ家に似ていますし……というのは冗談で、スティラ! 援護を!」
「は、はい! お願いしますホルス様!」
先輩はキルケ様を空へ投げ、私もパートナーのホルス様を空へ! 彼らに運ばせるのは、先輩の猟犬……ミニチュアブレンバイザー。猪狩りをしていたボクサーの先祖、その狩猟本能を甦らせ小型化させた新種の犬だ。犬鷲や隼にも運べる軽さと、獲物に噛み付いて離さない力強さを両立させたとんでもない犬種である。二羽で三往復、六匹の犬を高速艇へ送り込む……それだけで船は操縦不能となった。勢いが止まったとは言え、このままでは船がぶつかる!
先輩は隣接する漁船に飛び降りて、紐を括り付けた捕鯨砲を、高速艇へ発射。私も反対側に停泊した漁船で同じ事をした。これで高速艇は動きを止める。
「海洋騎士団の皆様こんにちは、私は国際猟騎師のロジェスと申します」
銃口を向けられた騎士団員は、悔しそうに此方を睨む。
「この犬共を早く離せ!」
「私が命令するまで彼らは離れませんよ。漁の妨害報告はよく聞きますが、停泊中の船まで襲うとは……其方の大義を失うのでは? それでは賊と変わらない。騎士団の名が泣きますよ」
「うるせぇ! さっさと命令しろ! でないと……」
男は脚に噛み付いた、犬をデッキへ叩き付ける! 犬はそれでも離れない。先輩が撃たないことに気がついて、他の団員達もそれに倣った。状況は不利……犬が人質になってしまった。
「やめなさい!」
私も銃を向けるが、彼らはヘラヘラ笑っている。私達には人は撃てないと確信しているのだ。その油断に感謝し引き金を引く。撃ち込むのは電撃弾。ぶつかる瞬間電気が走り相手を気絶させられる。大男がデッキに顔から倒れ……気絶した。これで戦意は削がれただろう。
「やめろって言ったわよね?」
私は冷静に声を出すよう努めた。動揺を表に出してはならない。でも、どうして? 男と一緒に犬まで動かないの?
(感電した? そんな馬鹿な!)
犬達への感電対策は施している。発砲音で離すよう訓練したのだ。それなのに、どの子も牙を離さない。理由に気付いた瞬間、肌が震えた。何年も何ヶ月も訓練して育てた子が……こんなに簡単に奪われてしまうなんて。犬達の様子を悟った先輩の、顔から笑みが消えていた。彼はリーダー格の男に近付いて……思いきり拳を振るう! 殺気立った彼の形相に騎士団は恐れ戦いた。彼の凄まじい怒りを受けて、「殺される」……そう思った者がいた。
男は震えた手で銃を取り、彼へを狙いを定める。しかしそんな手で、魔女に当てることは出来ない。男は何を考えたか。恐怖で頭がいかれたのだ。銃口は、脚に噛み付いたままの犬の方へと向けられて……先輩も、それに気がついた。彼を助けようと男に銃口を向け……無音の魔女が、固まった。男はもう一丁、隠し持った銃を彼へと向けて……
「やめてっ!」
私が叫んだ直後、甲板に虚しい銃声が響いた。
非常にデリケートな話題のため、これはリアルで小説賞に投げるしかないなと思った原因の回。
陸の狼、海の鯨。舞台を100年後の未来にしたのも、現実の動物に迷惑を掛けないようにと考えたためです。
良く動物の話で炎上をしているのを目にします。
動物が苦しめられるのは確かに辛い。でも結局は、自然から恵みを受けて生きているから綺麗事。
動物を愛するあまり人が人に見えなくなる者は私の身近にも居て。
どちらも正しいしどちらも間違っているのかも。
その愛は誰のためのものなのか。人間とは何かを考えて欲しいなと。そういう小説が必要だと思い作った作品でした。




