第四章
桃香:優しいのね。でも、こっち向いて。
歌麿:言っておくが、僕は紳士で優しいがそれにも限度がある。
桃香:我慢出来ないって事?
歌麿:もう、訊かないでくれ。
桃香:いいわよ別に。私のわがままを聞いてもらっているのだから、あなたがこんな綺麗な満月の夜
に狼さんになってしまったとしても驚かないわ。
歌麿:いやいやいや。僕は孤高な狼ではなく臆病なタヌキだがね。
彼はそう言ってこちらを向き、優しく微笑んで頭を撫で語りだした。
歌麿:疲れただろ?もう、頑張らなくて良いからゆっくり休みたまえ。ここは自給自足で少し不便な
ところもあるけれど時間はとてものびりしているし、わずらわしい人間関係に悩む事もない。
夜の星なんてとても絶景だ。今日は雪が降っていてあまり見えないが、明日にでも見てみると
いい。
桃香:なぜみず知らずの私にそんなにしてくれるの?あなたは何者なの?
歌麿:しがない絵本作家さ。正直、君の為にしている訳じゃないんだ。これはただの僕のエゴだ。
桃香:どうゆう意味?
歌麿:まぁ、いいじゃないか。そのうち‘解る時’が来るよ。そして君は僕の事を恨むかもしれな
い。
桃香:??
歌麿:まぁ、君に直接危害を加える事はないから安心してくれ。かもしれないし、そうじゃないかも
してないって程度の事さ。そろそろ今日はもう寝よう。僕もいつまでも臆病者のタヌキでいら
れるか自身が無くなってきた。
桃香:フフッ。知ってるわ。身体は正直ね。
歌麿:・・・ッ
桃香:ありがとう。おやすみなさい。おかげで初めてぐっすり眠れそうだわ。
歌麿:お役に立てて何よりだ。おやすみ。
桃香:・・・
歌麿:ところでその・・・手は離してくれないか?
桃香:・・・
彼は本当に何もして来なかった。
歌麿:おはよう。起きたかい?
桃香:おはよう。
朝起きると彼が朝食を作ってくれていた。
桃香:ありがとう。私も何か手伝いましょうか?
歌麿:料理が出来るのかい?
桃香:出来ないわ。
歌麿:ははっ。だろうね。いいよ。ゆっくり休んでるといい。
何がだろうね。なのかはちょっとひっかかったが、気にせず囲炉裏で身体を暖めながら彼を待った。
桃香:ふぅー。こんなにのんびりしちゃって本当にいいのかしら。
歌麿:いいんじゃないか?
彼が台所から大きな声で言ってきた。
桃香:でも、なんだかちょっと罪悪感があるわ。
歌麿:なぜだい?
桃香:だって。
歌麿:だって?
桃香:いっか。
歌麿:いいさ。
彼と朝食を済ませ、雪かきをしたり、散歩したり、特に何をする訳でもなくのんびりしたりして一日を過ごした。彼といて分かった事が二つだけある。
一つは彼は良くしゃべるのだけれど、『私の事は何も聞いてこない』という事。好きな食べ物とか他愛もない事はいっぱい聞いてくるのだけれども、仕事の事や過去、生い立ちなどはあえて避けている様に感じた。なぜだろう?彼なりに私に気を使ってくれているのかしら。それとも単純に興味がないのか?なぜだかわからないが、彼が『桃源太夫』についての話題は出なかった。
もう一つは彼自身、‘自分の過去の事’は語ろうとしなかった。なぜだろう?
夜になり、天気が崩れ、吹雪がやってきた。星はみれそうになかった。
つづく..