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松虫姫物語  作者: 中沢七百
第1章 嵐の石室山と首輪の少女
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第7話 千堂芳乃

 外はまだ雷鳴が(とどろ)き風はうなりを上げている。雨は弱まる気配を見せず(やしろ)の屋根を激しくたたいていた。ときおりまたたく雷光に少女のシルエットが逆光で浮かび上がる。


 表情を変えず、胸の前でタオルを握りしめてこちらを見つめる少女。

 ……………………。


 思考が停止し、凍りついたように少女を見つめて立ち尽くす俺。

 ………………………………。


 もちろん俺が驚いたのは、少女が何も衣服を身に着けていなかったからだ。

 ……しかし正確に言うならば、少女は全裸ではなかった。


 少女はその裸身のあらゆる部位に、銀色の(びょう)や白い石のようなものが光る、黒い革のバンドを巻いていた。

 首、手首以外にも、肘、肩、胸回りから腰にかけて、足の付け根から膝にかけて。あるところは真っ直ぐにきつく締めるように。あるところは斜めに交差しながら。なにかの規則性があるのか、それとも思いつくままか。黒いバンドは少女の体のいたるところに巻きついていた。

 これは本当にファッションなのか? こんな服の下の普段見えないところまで? 何かの拘束具のようにも見える。


 このビジュアルは…………ヤバイ。

 何がヤバイかよくわからないが、たぶん相当にヤバイ。革バンドはあちこちに巻きついているとは言っても、いわゆる女の子的に隠さなければならない部分は完全には隠しきれていないように見える…………。


 そんなことよりこの状況だ。立ち入り禁止の神社の薄暗い(やしろ)の建物の中で上半身裸の男子高校生と、体中に拘束具のような革バンドを巻いた、ほぼ裸の少女が二人きり。もし誰かに見られて通報でもされたらとても釈明の余地があるとは思えない。

 …………どうすんだよ、この状況。


「絶対に見ない、と言っていなかったか?」


 …………!

 その声で俺は我に帰り、あわてて背中を向けて目をつぶる。


「あ、あーっ! ご、ご、ご、ごめんっ! ホントごめんなさいっ! 名前を聞いたら驚いちゃって、ついうっかり後ろを向いちまったんだ。わざとじゃないんだよ」

「そうか」

「えーと、あの、俺には中二の妹がいるから、風呂上りにバスタオル一枚とか見慣れてるし、その、君みたいに小さな女の子には特別な興味は……あ、いや、そういう意味じゃなくて、あー、何を言ってんだ俺は!」

「そんなに慌てて謝ることはない。わたしも不用意だったのだ。もう服を着たから目を開けていいぞ」


 恐る恐る目を開けると、俺の体育用のTシャツと膝丈のトレパンをはいた少女がこちらを向いて正座をしていた。Tシャツはただでさえサイズが大きい上に肩から先がほとんどずり落ちていてダボダボしている。トレパンもずいぶん大きそうだ。


「ごめん。ホントに、その……見るつもりはなかったんだ。あ、それに……その、実際にはほとんど見えてない、っていうか、なんていうか、まあ、ファッションも人それぞれだし。いいと思うな。うん。パンクっぽくて。いやヘビメタかな?」

「パンク……? 何を言っているのだ。少し落ち着け」

 いや、裸を半分見られた女の子にしちゃあ、落ち着きすぎじゃあありませんか? それよりも…………。


「あのさ、名前、()()()()()()()って言った?」

「そうだ」

「もしかして吉鷹村の千堂芳乃……さん?」

「そうだ」

「もしかして順聖堂学園1年1組の千堂芳乃さん?」

「わたしは学校へは行っていないので自分が何組かは知らない。だが順聖堂学園からは何度か学校に来るようにという連絡をもらっている」

「じゃあきみが………………千堂芳乃……さん?」

「だからそうだと言っているだろう。おまえは……バカなのか?」


 うわ、とうとうバカ呼ばわりされちまった。これだけ気を使ってやってるのに、なんか悲しい。それにしても目の前のダボダボのTシャツを着た小さな女の子が不登校の同級生だって? なんだかちょっと信じがたい話だ。てっきり小学生か、せいぜい中学一年くらいかと思っていたのに。この子が本当に俺がこれから訪ねようとしていた千堂芳乃なのか。


「あ、あのさ、俺、ミソちゃん……じゃなくて、担任の三代川先生に頼まれて、千堂芳乃さんに学校の連絡プリント、っていうか授業説明の資料と手紙を持ってきたんだけど……」

「そうか。それはご苦労だった」

「ねえきみ。本当に千堂芳乃さん? 順聖堂学園の? 俺と同級生? 高校一年生? 今年で十六歳?」

「すべて本当だ。ただし、わたしは三月生まれだから先月十五になったばかりだ。来年十六だ」


 雨音は少し弱くなったように思えるが、風はまだ強く、時おり境内の木々を揺らして激しい音を立てる。雷は今は落ち着いたらしく雷鳴は聞こえない。


「そっ……か、でも…………」

「でも、なんだ?」

「えと、……ずいぶん小さいから小……いや中学生くらいかなと思ってたんだ」

「…………」

「あー、いやあ、お、女の子は小柄なほうがかわいくていいと思うよ。うん」


 でも実際、高校一年にしては相当小さいんじゃないだろうか。うちの妹がいまたぶん148か、149センチくらいだから、この子は140センチかそれより小さく見える。体格も細くて華奢(きゃしゃ)だし、革バンドで巻かれていたせいかもしれないけれど、なんというか……体の凹凸(おうとつ)もかなり控えめのようだった。


 というか、なんか空気が気まずいな。Tシャツを着ている、というよりTシャツにくるまわれて座っている少女の顔は、まだ濡れているボサボサ髪におおわれていてほとんど表情がわからない。

 少しは安心してくれただろうか。このままここで雨が止むのを待っていていいのだろうか。いつものゲリラ雷雨なら、そんなに長い時間は続かないと思うけれど、もう降り始めてから一時間くらいは経った気がする。


「え……と、千堂……さん?」

「なんだ」

「どうして学校に出てこないんだ? 体調が悪いとか?」


 いろいろ疑問は多いけど、ひとまず目の前の少女が同級生の千堂芳乃だという前提で話をしたほうがいいだろうな。このままこの薄暗い部屋で黙って向き合ってるわけにもいかないし。

「いや、体調は悪くない」

「そうか……」


「……」

「…………」

 くぅーっ。話が続かねえじゃねえか。


「あ、いや余計なおせっかいかもしんねえけど、ミソちゃんが……あ、担任の三代川先生なんだけど、俺たちミソちゃん先生って呼んでるんだ。もちろん親しみを込めてだぜ。んで、そのミソちゃん先生が心配しててさ、連絡もつかないし、何で休んでるのかもわからないし、千堂さんに事情を聞いて、できたら学校に来るように説得してくれ、って言うもんだからさ」


「そうか。それは心配をかけてすまないことをした」

「いや、まあ、正直言って俺はそんなに心配してなかったんだよ。来てないから知らないだろうとは思うけど、うちの学校変わっててさ、入学してクラスが決まったけど、いまだに自己紹介も無けりゃ席決めも無いんだぜ? 誰が休んでるとか学校に来てないとかわかんねえじゃん。実際今日ミソちゃん先生にに名前を聞くまで千堂……さん、のこと知らなかったしな」


「芳乃でいい」

「え?」

「わたしのことは呼び捨てでいい」

「あ、そか。じゃあ、芳乃……さん」

「同級生だろう?『さん』はいらない。呼び捨てでいい」

 なんかいきなりフランクだな。いいのか?ホントに。


「あ……じゃ、じゃあ、芳乃。俺のことは孝一郎と呼んでくれ」

「うむ。では孝一郎。今日は名前も知らない同級生のためにずぶ濡れになってしまったというわけだな。申し訳ないことをした」

「あー、いや、そういう意味じゃないよ。いまはこうして会って話もしてるしさ。ちょっとは心配してる気持ちもあるよ。なあ、体調が悪いわけじゃないんだったらなんで学校に来ないんだ?」

「それは……わたしは別に自分の意思であの学校の生徒になったわけではないのだ。いつのまにか入学手続きがされていて、一方的に入学案内やら何やら送られてきても困る」


「自分の意思じゃない、って言ったって、自分で入試を受けて合格したんだろ? うちの学校、世間じゃ超難関校で有名なんだぜ。まあ俺が入れたのはまぐれだけどさ」

「わたしは入試など受けていない」

「ええっ?! それじゃ試験免除の特別推薦か? それってすげえ頭いいんじゃねえの? それとも芸術とかスポーツとかの……」

 そのときまた窓の外が光り、雷鳴が轟いた。


「うわっ! また雷か! さっき遠ざかったと思ったけどな」

 気がつくと部屋の中はますます暗くなっている。もう日没の時刻だろう。雨雲のせいもあるが外も相当暗くなってきた。そろそろ母親も仕事が終わるころだ。仕方が無い。ヘルプを呼ぶことにしよう。

「なんか雨止みそうにないし、暗くなってきちゃったから母さんに電話して迎えに来てもらうよ。ここって軽自動車で入って来れるかな?」


 俺は自分のバッグからスクール端末を取り出すと母親の携帯電話番号をコールした。

「…………あれ? アンテナ立ってねえじゃん。ここって電波入らないのか?」


 このあたりで携帯の電波が入らない場所なんて聞いたことが無い。いくら石室山の山裾って言っても低い山だし、南側は開けているし、去年の年末の篝火詣(かがりびもう)でとか夏祭りのときにもスマホでメールや通話をした記憶がある。


 俺が端末を見つめて困っていると芳乃が言った。

「もう少し待っていろ。じきに雨もやむだろう」

「うーん。やむかなあ。また雷も鳴り始めたみたいだし…………。そうだ、少しでも建物から出れば携帯の電波が入るんじゃねえかな」


 俺は社の入り口の扉を開ける。

「やめろ! 扉を開けるな!」芳乃が立ち上がった。

「いや、ちょっと電話をかけてみるだけだよ。どこにも行かないから……」

 俺が一歩外に出ようとした、その時。


「グワウルゥゥゥ!!!」

 扉の正面に立ち上がる巨大な毛むくじゃらで真っ黒い物体が、赤い口を開け、牙をむいてうなり声を上げている。


「……………………!」

 俺はあまりに唐突な出来事に何が起きているのか理解できずその場に立ち(すく)む。


「扉を閉めろ!」芳乃が叫ぶ。

 黒い獣がこちらに飛びかかってくるのと俺が扉を閉めたのはほぼ同時だった。

 扉の外側でドスッ、と鈍い音がした。俺はその場に尻餅をついてついて倒れる。そんなに丈夫そうな扉には見えないが、巨大な獣の体当たりで扉が壊れることはなかった。


「く……熊???!」


「この建物には先ほど結界を張っておいた。へたに動かなければしばらくは大丈夫だろう。だが簡易的なものだからいつまで持つかはわからない。決してこの建物から外に出るな。扉も開けるな」


 結界??? なんだそのファンタジー用語は。いったい何がおこってるんだ。あの熊はなんだ。千堂芳乃。この子はいったい……。


 俺はゆっくり立ち上がると正面の扉の格子戸越しに外の様子をうかがった。黒い獣はまだそこにいた。ちらちらと見える巨大な姿。鋭い眼光がこちらをまっすぐににらんでいる。

「熊……なわけないよな、関東平野に熊なんて聞いたことが無い。……でっかい犬か?」


 芳乃は言った。

「いや、あれは……オオカミだよ」


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