第70話 敵の狙い
「ベルメキスタン共和国……」
俺は自分の記憶からその単語を引っ張り出した。
もちろん世界情勢なんかに詳しくはないが、テロや暴動といった事件がらみでよく名前を聞く国だ。
俺がつぶやく声を聞いた優花が、顔を上げて皆の顔を見ると説明を続けた。
「はい。それこそが今回の相手、いや、敵と言ってしまっていいでしょうね。そう、今回の敵の正体です。ベルメキスタン共和国は旧ソ連共産圏国家のひとつで、豊富な天然ガス資源などによる強力な財政力を背景に、強い独立性を保っている国です。いわゆる東側諸国の中では唯一、ロシアの政治的影響をほとんど受けない軍事国家でもあるのです。またこの国の独裁政権は過激な思想を持っていることでも知られていて、十年ほど前まではテロ支援国家としてリストされていました」
「テロ支援国家………。ずいぶんきな臭い話になってきたな」
俺はそうつぶやいた。
「ええ、そういった国ですから、日本政府の捜索を承諾するとは思えません。もちろん龍の卵の強奪が目的なら、捜索などさせるわけがありませんが。それに我が社が入手した情報によれば、もし日本政府が強制的に工場を捜索などするようなら戦争も辞さない、という非公式な通達まで出しているようです」
「それは『自分たちの邪魔をするなら戦争してやるぞ』って脅しなのか? ほとんど自分たちの悪だくみを認めているようなものじゃないか」
「そうなのです。しかし相手は過激な軍事国家です。戦争も単なる脅しではないかもしれません。もちろん日本政府は抗議と交渉を進めているとは思いますが、慎重にならざるを得ない、というのが実情でしょう。しかし、そんなことをしているうちにもトンネルは近づいてきます。向こうにしてみれば、日本との外交関係がどうなろうとも、龍の卵さえ手に入れてしまえば勝ちだと思っているでしょう。わたしたちは日本政府の対応を待つだけでなく、何か打てる手を考えなければなりません」
「うーん、しかしあと二日か。短かすぎるよな」
俺が腕を組んでそう言うと、優花が口を開いた。
「もしトンネルがシールドマシンのような機械で掘られているなら、わたしたちの人工衛星は、もっと早くトンネルを発見できたと思うわ。しかし今回のこのトンネルは、不思議なことにほとんど金属の反応が出ないのです。まさか人間が手掘りで一日300メートルもトンネルを掘り進められるとは思えないのだけれど……」
「たとえば、だが」俺はみんなに向かって発言した。「こちらからもトンネルを掘って相手を迎え撃つ、ってのはどうだろうか」
「それは……かなり難しいと思います」と優花が答える。「相手の地下トンネルは利根川の真下、地下300メートルほどの深さにある粘土質岩層を掘り進み、そこからやや上向きに進んで、現在地下200から250メートルほどの場所にいると予測していますが、最先端の土木技術でも明後日までに、その深さまでトンネルを掘ることは不可能だわ」
「そうなのか……何か打つ手はないのか」
俺が拳でテーブルをたたくと優花が芳乃に向かって言った。
「芳乃さんにお聞きしたいのですが」
「なんだ?」
いままで資料写真を見ながら黙って話を聞いていた芳乃が顔を上げた。
「龍の卵を石室山から搬出することはできないでしょうか?」
「搬出?」
「はい。北総エナジーは本社に隣接する敷地にシェルター型の地下倉庫を持っています。他にも全国に北総シシバグループの燃料倉庫や流通倉庫があります。これらの倉庫に龍の卵を一時的に避難させることができれば、少なくとも今回の危機は回避できます」
この提案はなかなか良い考えのように思える。侵入した先に盗み出すものが無ければ泥棒だってあきらめるだろう。
しかし芳乃の答えは冷ややかだった。
「それはできないな」
「何故ですか?」優花も食い下がる。「あくまでも一時的に預かるだけです。誓って勝手なことはいたしません。芳乃さんは、まだわたしたちのことを信用していただけていないのかもしれませんが、事態は急を要します」
「いや、そういうことではない」芳乃は険しい表情で答えた。
「ではいったい……」
「龍の卵を石室山から運び出す方法がないのだ。龍の卵が収められているのは、巨大な岩を積み重ねて作られた円柱状の格納庫のようなものだ。これが石室山の地下に埋められた形になっているが、この格納庫には出入り口も窓も無い。煙突のような通気口はあるが、細くて龍の卵は通らない。それ以外は完全に密閉されているのだ」
「龍の卵を運び出す方法は、本当に何も無いのか?」俺は芳乃に確認した。
「もしやるとすれば、山を掘り返し、岩壁に穴を開ける必要がある。設計図などは無いのでわたしにも詳しいことはわからないが、この岩壁は相当な厚さがあると思う。普通に工事したら一日や二日で穴を開けることはできないだろう。しかも乱暴にやれば物質的に不安定な龍の卵は、すべて爆発してしまうかもしれない」
「でもそれだけ頑丈に守られているなら、やつらも簡単には盗み出せないよな?」
俺がそう言うと、芳乃が答える。
「ああ、もちろん簡単には盗めない。だから今朝の連中はおそらく敵の一味で、石室山から龍の卵を外へ出す方法を、無理にでも聞き出すためにわたしをクルマで連れ去ろうとしたのだろう。
まあ、わたしにもその方法はわからないし、どちらにせよ無駄なことだがね。しかし相手の本当の狙いが何かはまだわからないし、それがなんであったとしても、石室山への侵入を許すわけにはいかない」
それを聞いて橘常務が発言する。
「相手は河川の下を一日300メートル掘り進む技術を持っています。岩壁についても何らかの対策を用意しているかもしれませんし油断はできません。敵が無理にでも地下の岩壁を破壊しようとすれば、龍の卵が爆発してしまう危険もありますし……」
「爆発……と言えば」優花が口を開いた。「大昔、石室山が盗賊団に狙われたとき、龍の卵を投げつけて撃退した、という伝承がありますよね?」
「ああ、それなら俺も城築先生から聞いたな。龍の卵を投げつけると中から『火焔の龍』が飛び出した、って話だ」
「そうです。しかしそれが実話であれば、やはり石室山から龍の卵を持ち出す方法はあるのではないですか?」
なるほど。それは気づかなかったな。過去に持ち出された事実があるなら、何か方法があるのかもしれない。それに芳乃は龍の卵のかけらを持っていて、加工してバンドに組み込んでいる。それはつまり、龍の卵が地上に出たことがある証拠、ってことじゃないか。
その疑問に芳乃が答える。
「盗賊の話は史実だ。千堂家の記録にも書かれているし、山の東側には盗賊塚も残っている。しかし、そのときの龍の卵は地下の格納庫から持ち出されたものではないのだ」
「と、言うと?」優花が問い返す。
「石室山の地下の岩でできた格納庫の上には玄室がある。そこには初代松虫姫、不破内親王の魂を宿した御神体が納められている。その玄室にも龍の卵が敷き詰められているのだ。玄室に入ることは可能だから、そこにある龍の卵なら持ち出すことは可能だ。しかしその数は地下の格納庫にある数の千分の一にも満たない。ただ、敵の狙いが玄室だという可能性もあるが……」
玄室。前にも聞いたが、やはり石室山には初代松虫姫の魂が何らかの形で、いまも眠っているんだな。しかしそれより、持ち出せる龍の卵の数が、そんなに微々たるものだなんて。
「搬出作戦もダメか……。他になんか打つ手はないのか……」
俺がそうつぶやくと芳乃が答えた。
「ひとつだけ。……最後の手段が残されている」
「なにっ!? なにかあるのか、芳乃!」
「石室山の頂上には龍神社という小さな社がある。その社の中には、普段は厳重に蓋がされているが龍神口と呼ばれる穴がある。その穴が唯一、地下の格納庫まで直接通じている通気口で、いわば煙突のようなものだ。そこへ松明の火を投げ入れるのだ」
「松明の火?」
「そうだ。格納庫の中は特殊な油で満たされていると言われている。そこへ火をつければ……龍の卵はすべて跡形もなく爆発して燃え上がる」
「だめです!」優花が立ちあがって叫んだ。「そんなことは……そんなことは絶対にしてはいけません! 龍の卵は、日本と世界の未来を救うエネルギー源なのです! 爆破するなんて、あってはならないことです!」
「しかし敵の手に渡るよりはいいだろう。明後日までに、もし何も打つ手がないなら……わたしはそれを実行する。龍の卵を守ることは千堂家の使命だ。しかし、どうしても守り切れない事態になれば、爆破して殉ずるのも千堂家の者の使命なのだ」
「殉ずる……ってなんだ?」
と俺が聞くと、芳乃は表情も変えずに答えた。
「石室山と共に死ぬ、という意味だよ。孝一郎」
「そんなことは俺が許さない! だいたい爆破する、って簡単に言うが、もし龍の卵がヘキサイトだとしたら、ものすごいエネルギー源なんだろ? そんなもんが4000トンだか5000トンだか爆発したら、核爆発みたいな被害になるんじゃねえのか?」
「龍の卵は投げつけたり火を付けたりすれば簡単に爆発する。しかし、そのように単純に爆発させた場合の威力はそれほど大きなものではない。すべて爆破しても、石室山と、せいぜい隣接する吉鷹村が吹き飛ぶくらいだろう」
「くらいだろう……って、それだって絶対にダメだ。石室山と一緒に死ぬとか、村ごと吹き飛ばすとか、正気じゃあないぜ!」
「だから最後の手段だと言っているだろう」
「最後だろうが何だろうがダメなものはダメだ!!!」
「わたしも断固反対します。龍の卵は全人類の希望の光なのです。絶対に爆破などしてはいけません」
優花も抗議の声を上げた。
「くそっ! なんとかならねえのか、優花。おまえんとこは地球の地殻を全部スキャンできる人工衛星やら、何十キロ先のネズミが見える軍事用の赤外線テレスコープやらを持ってるんだろ? 地下何百メートルのトンネルくらいぶっ潰せるようなレーザービームみてえな武器とかは持ってねえのかよ?!」
俺はいら立ちを隠さずに優花に詰め寄った。
「孝一郎さん。わたしの会社は軍事企業ではありません。さすがにそんなSFの破壊兵器みたいなものは所有していません」
「ふうーっ……」
俺は大きく息を吐いてソファの背もたれに体をあずけた。
「ちくしょう、万事休す、なのか。…………いや、諦めるわけにはいかねえ。俺は絶対に芳乃を石室山と心中なんかさせないからな! 絶対に何か、何かあるはずだ」
俺は理事長室の天井を見上げてつぶやいた。
すると、いままで黙って俺たちの話を聞いていた一条亜理紗理事長が口を開いた。
「あるかもしれないわ…………地下数百メートルのトンネルを破壊する方法が」




