第6話 首輪の少女
く……首輪?!
目を凝らして見ると、それは黒い革のような素材に点々と金属か石の鋲のようなものが打たれている。さらによく見ると、手首にも同じような革のリストバンドのようなものをはめているようだ。
いや、まさか、この歳でS系女王様キャラ、ってことはないだろう。これはきっと何かのコスプレか? あるいはパンクかヘビメタ系のファッションかもしれないな。チョーカーってやつ? いまの子は進んでるからなー。小学生のヘビメタコスプレ少女がいたってぜんぜん不思議じゃない。
…………と、自分に言い聞かせてみた。けど、あんまり説得力が無い。
こんな田舎だし。山の中だし。コスプレやらヘビメタファッションやらあり得ない気がする。
そして今気づいたのだが、少女が寄りかかる山門の扉の隅に立てかけられているのは……木刀??? なんで木刀?!
するとやっぱり……、なんかアブナイ系の女の子か? ひょっとして怖い状況にいるのはやっぱり俺のほうなのか???!
「あ、あのさ。きみって…………どこの子? ナニ小学校?」
その時またしても雨雲が盛大に光り、今度はほとんど間髪置かず雷鳴がすさまじい音量で炸裂した。
続けざま二発、三発と雷が鳴る。そして背後の山の中腹あたりでバシャーン!と何かが破裂するような大きな音を立てた。
どうやら近くの大木か何かに雷が落ちたらしい。
雨は急激に激しくなり、にわかに風も強まってきた。あっという間に足元は雨に濡れて靴はびしょびしょになってしまった。
まずい。このままこの軒下にいても、ずぶ濡れになるのは時間の問題だ。
俺一人なら、まあ大した問題じゃないが、風も冷たくなってきて気温も下がってきたし、なんだかただでさえ寒そうな格好の少女が、このままずぶ濡れになったら確実に風邪をひく。いや、風邪で済めばいいが、ヘタしたら命にかかわるかもしれない。
雷だってこの山門に落ちるかもしれない。
いくら正体不明のアブナイ系少女でも、見捨てて走って帰るわけにも行かないよなあ。
どーする俺。いろんな意味でピンチかもしれないぞ、俺。考えろ、考えるんだ。俺。うーーーん。
風雨はますます強まって、もう完全に暴風雨状態に落雷連発のオマケ付きだ。
………………よしっ! もう迷ってる場合じゃねえ。
俺は山門のカンヌキに手をかけると、力を込めて思い切り左右に揺さぶってみた。しかし錆びてはいても大人のこぶしより二周りほどデカイ南京錠がしっかりと金具を固定していてびくともしない。
「ねえきみ!ちょっとその木刀を借りるよ!」
俺は少女のそばへ駆け寄ると、返事も聞かずに木刀を取り上げた。
少女はさすがに驚いたのか、俺を見上げて目を見開き、何か言おうとしたのか口を開いた。しかし俺は少女の言葉を待たず、山門の中央に数歩近寄り木刀を正眼に構え、呼吸を整えて精神を集中した。
そして心が静まった瞬間、木刀をまっすぐに振りかぶると「やーっ!」という気合とともに振り下ろした。ピシッという鋭い音と共に木刀の切っ先はカンヌキを留めていた錆びた南京錠をはじき飛ばした。
「神様、すみません。鍵は後で必ず弁償するから!」
俺は山門の奥に向かってそう叫ぶと、門扉のカンヌキをはずし、そのまま金具をつかんで扉を引く。重たい木の扉はゆっくりと手前に開き、人ひとりが通れる隙間ができた。俺は少女の手をつかむ。
「こっちへ来て。このすぐ先に雨宿りできる社があるんだ。大丈夫。俺はぜったいに怪しいものじゃないし、雨が止んだらちゃんときみを家まで送り届けてあげるよ。俺は順聖堂学園高等学校1年1組、富岡孝一郎っていうんだ」
「富岡……? 富岡というのは大沢町の富岡か?」
おっ!この子の声、初めて聞いた。意外と大人っぽい落ち着いた声だな。手首に巻いたリストバンドはやはり革製で、ところどころに白っぽい鋲が打たれていた。少女は無表情のまま、顔を上げてじっと俺の目を見つめている。
「えと……うん、確かに大沢町だけど…………うちのこと知ってるのか?」
ぼさぼさに伸びて顔の半分以上を覆う髪から覗く目は、意外と切れ長で涼しげな瞳が子供らしくないように見える。そしてその瞳には怯えや不安の色はなかった。むしろ俺の言っていることを、いや、俺自身を見定めるような強い意志を持った眼差しのように見えた。
雷の光が少女の瞳を明るく照らし出した瞬間…………俺は、このみすぼらしい身なりの少女の瞳に吸い込まれるような錯覚を感じた。
なんだこの目。この瞳……。
それは理屈抜きで惹き寄せられるような不思議な美しさだった。
バシャーーッン!
再びすさまじい光と共に破裂音がして雷が近くに落ちた。
「ここにいたら濡れっぱなしだし、近くに雷が落ちて危ないと思う。このすぐ奥に南拝殿っていう小さな建物があるんだ。そこで雨宿りさせてもらおう」
「……いや、だめだ。そこは――」
「大丈夫!南京錠はちゃんと弁償するし、神様にも事情を話してお願いするよ」
「違う、そういう問題では――」
「早く!こっちだ!」
俺は自分のバッグと木刀を拾い上げ、有無を言わさず少女を抱きかかえると、そのままダッシュで十数メートル先の南拝殿の小さな社に駆け込んだ。
正面には手前に開く扉があり、普通の神社にあるような賽銭箱や縄のついた鈴のようなものは無い。正面に張り出した屋根の庇の下には太いしめ縄が飾られていた。
社の扉は簡単に開けることができた。中は畳にすると十畳ほどの板の間で、普段使われていない割には埃なども積もっておらず、掃除されたばかりのように清潔だ。
ただし何箇所か雨漏りがするらしく、板の間の上に大き目の寿司桶のような木桶が三つほど置いてあった。ここに駆け込むあいだにかなり濡れてしまったけれど、ここは雨も風も凌げるし、あのままあそこにいるよりはだいぶマシだろう。
部屋の奥には白木で出来た台座があり、その上には白い布で出来た小さな座布団が乗り、座布団の上には人の頭ほどの大きさの、丸くて白っぽい石が置いてある。その後ろの壁には、やや高い位置に小さな祭壇があり、真ん中には丸い鏡が置かれ、両脇にはなにかの植物の枝が供えられていた。
俺はとりあえず正面に正座すると、パンパンと2回手を打ってから手を合わせ頭を下げる。
「石室山の神様。すみません。急な嵐に会って困っています。ちょっとのあいだだけ、この部屋を貸してください」
そう言ってもう一度頭を下げてから、少女のほうへ向き直った。
「……仕方がないな」と少女が言った。
「だよな。この状況じゃ仕方ないよな。でも神様へのお願いの仕方はこれでいいんだっけか? 初詣くらいしか神社に行かないからよくわからないけどさ。ははっ」
「うむ。神に対してきちんと最初に礼をとるのは良い心がけだ。気持ちがこもっていれば作法はそれほど重要ではない」
「え? きみは……。あ、ひょっとしてこの神社の巫女さんかなにか?」
「わたしは巫女ではない」
な、なんか小学生の割りにすげえしゃべり方が上から目線な気がするんですけど……。でもなに? この威圧感。
この子、やっぱりどう考えても普通の子供じゃあなさそうだよな。かといって幽霊にも見えないし。
見ると少女は何か考えている様子だったが、静かに顔を上げると中央正面の祭壇の前に歩み寄った。
「おまえは正面を向いて正座をしろ。やや目線を下げて心を静かにせよ」
「へ? 心を……なんだって?」
「心を静かにせよ」
「あ…………はい」
少女は祭壇の脇に供えられていた葉のついた木の枝を一本手に取ると、鏡の前に置かれていた平たい皿を取り上げて、その中の水か何かを葉の部分に振りかけた。その枝を祭壇の前に振り上げ、左右に大きく振るとゆっくりと頭を下げる。
「姫神様、大神様、ならびに龍神様に申し上げる。このものは少々考えが浅いようだが、決して邪な思いで鍵を破ったわけではない。どうか寛大なお心を持って許されよ。そして嵐が過ぎるまでのあいだ願わくばこのものを社にとどめ姫神様、大神様、龍神様の庇護のもとに守りたまわらんことを」
少女はゆっくりと頭を上げると、そのまま部屋の隅に沿って歩きながら、水滴を払うように木の枝を振り、部屋の四隅ごとに二言三言何か口の中で唱えてから正面に戻り、もう一度深々と一礼してこちらを向いた。
「これでしばらくは大丈夫だろう」
何が大丈夫だって?
俺はなんだかわけがわからないまま少女のやることを見ていたが、やっぱりどう考えても、ただ雨宿りしていただけの女の子とは思えない。
「あの……やっぱりきみって巫女さんなんじゃ……」
「…………。もう足を崩していいぞ」
「あ……うん」
少女は俺が座っている位置から少し離れた壁際まで歩いていって、板の間に静かに座った。見ると少女は服もびしょ濡れで、あちこち跳ね上がった髪の毛の先からは、ぽたぽたと水滴が落ちている。
山門からここまでわずか十数メートルだったけれど、尋常でない勢いの暴風雨で俺も少女もずぶ濡れに近かった。
俺は自分の通学用バッグのファスナーを開けると、大きめのタオルを取り出した。
「あのさ、このタオル使ってくれ。髪の毛を拭いたほうがいい。風邪引いちゃうからさ」
少女は濡れた前髪のあいだからじっとこちらを見ている。
「あ、えーっと、このタオル、今日体育のはずだったから持ってきたんだけど、ロングホームルームに変更になったから使わなかったんだ。洗濯してあるし、綺麗だよ、いちおう。あと、もし良かったら体育用のトレパンとTシャツならあるから、その服脱いで、体を拭いて着替えたらどうかな? ……あー、もちろん知らない男の服を借りるのなんて嫌に決まってるだろうけど、そのままじゃ風邪引きそうだし、その、俺は……いや、僕は本当に怪しいもんじゃなくて、大沢町の――」
「大沢町の富岡孝一郎。順聖堂学園1年1組だろう。先ほど聞いたから憶えている。わたしはおまえを怪しい人間だとは思っていない」
…………。
あ、そうですか。いやあ、すげえなこの子。やたら偉そうな物言いだけど、威厳って言うか風格みたいなもんがあって、不思議と違和感を感じない。
窓の外で雷が光る。その光に続いて雷鳴が轟くが、ちょっと前よりは光と音の間隔が開いたような気がする。雷雲は少しずつ遠ざかっているのかもしれないが、まだ雨と風は強いようだ。
「タオルを借りよう」
「え?」
「せっかくの好意だ。タオルを借してもらえるだろうか」
「あ、ああ、もちろん。髪はよく拭いたほうがいいよ。あと、もし良かったらこれ、トレパンとTシャツ。今日は着てないから。綺麗だから」
俺は少女のそばへにじり寄ると、タオルと着替えを差し出した。
「これを借りたらおまえはどうするのだ?」
「俺……僕はシャツだけ脱いで絞れば大丈夫だよ。タオルももう一枚小さいやつがあるから髪の毛は拭けるよ」
「そうか。ならば有難く拝借する。それからいちいち『俺』だの『僕』だの言い直すな。『俺』のままでいい」
「あ、ああ。わかった」
少女はタオルと着替えを受け取ると、そのまま何も言わずこちらを見つめている。
「…………? あ!そうか、ごめん。俺、しばらく外に出てるから、髪を拭いて着替えるといいよ」
俺が立ち上がると少女が声をかけた。
「いや、その必要は無い。外はまだ嵐ではないか」
「大丈夫だ。いまならどうせ濡れてるからたいしたことはないさ」
さすがに小学生でも高学年になれば見知らぬ男の前で着替えをするわけにはいかないだろう。同じくらいの歳の妹もいるし、多少の肌の露出くらい免疫があるけど、ここは席を外すのが紳士ってもんだ。
「わたしなら何も問題は無い。おまえは外に出てはいけない。そこにいろ」
「いや、でも……」
「そこにいろ」
「……わかったよ」
ひょっとしてこの薄暗い社の中に一人で取り残されるのが怖いのかな。
いやそんな雰囲気には見えないよな。
まあ、そんなに言うならいいか。
「じゃあ後ろを向いてるからさ。絶対に見ないから安心してくれ」
俺はできるかぎり『安心のお兄ちゃんスマイル』を作ってみた、けど、もしかしたら口の端が引きつっていたかもしれない。
少女は安心したのかしないのか、相変わらず表情が変わらないので気持ちが読めないけれど、タオルを頭にかけると髪の毛を拭き始めた。俺も少女に背を向けて座り、自分のタオルで髪の毛を拭く。
「うーんと、ちょっとだけ服を脱いで水を絞りたいんだけどいいかな?」
俺は後ろを向いたまま少女にたずねた。
「かまわない。水を絞るならそこにある木桶を使ったらいい」
俺はシャツを脱いで気桶に水を絞り、タオルで体を拭く。
「ねえ、きみはやっぱりこの神社の巫女さんじゃないの? その歳で神主……のわけはないよね?」
「わたしは巫女でも神主でもないが、まあ似たようなものだ」
「似たような、って……。ねえ、きみ、名前はなんていうの?」
「わたしの名は千堂芳乃」
「へえ、よしのちゃんていうんだ、いい名前だね。よしの………………え? せんどうよしの?!!!」
俺は驚いて立ち上がり、思わず後ろを振り返った。
…………。
しまった。うかつに振り向いてしまった。
少女は衣服をすべて脱ぎ、タオル一枚を胸の前で抱えていた。