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松虫姫物語  作者: 中沢七百
第1章 嵐の石室山と首輪の少女
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第5話 石室山

 なんだか今日はいろんなイベントに巻き込まれる日だな。

 俺は付け慣れないネックレスを外そうとしてチェーンに手をかけた。しかし、まあいいか今日一日くらい、と思い直した。

 約束だしな。今日一日といっても、もう夕方だからそんなに長い時間ではない。


 そういえば西の空の雲の色が暗くて、なんだか怪しい感じだ。今朝の天気予報じゃ雨が降るなんて言ってなかったと思うけど、最近は異常気象とかで、こんな春先でも突然の雷雨やら、(ひょう)が降ったり、竜巻が起きたりということも全国で頻発しているらしい。


 さて、吉鷹村へ急がなきゃな。右なら街中を通って約3キロ。左は細い農道を約2キロ。農道はこんな天気の日にはうっそうと暗くて、子供のころは怖くて通れなかったっけ。まあでも今日は雨も降りそうだし、近道一択だよな。俺は左の農道を行くことにした。


 ……しかし、こりゃあやべえ。

 農道は思ったより暗くて、少し歩くと街灯も無くなった。しかもポツポツ雨が降ってきた。木立が道にかぶさっているから歩いていてもそんなに濡れないけど、これ以上降ってきたらこのあたりには雨宿りできそうな建物が無い。

 うーん……しょーがねえ、ダッシュするか。


 その時薄暗い頭上にストロボのような閃光が走った。

「うわ、やばいな、雷だ」

 見上げると進行方向の西の空は、いつのまにか真っ黒な雨雲に覆われている。南回りの農道は石室山(いしむろやま)のふもとに差しかかるとますます細く未舗装になる。このあたりは石室山神社の夏祭りの時には提灯(ちょうちん)行列といっしょに町の人たちが練り歩くが、普段はクルマはもちろん、地元の人間もほとんど通らない道だ。


「こりゃあ今からでも引き返したほうがいいかな。傘も持ってないし……」と考え始めた矢先にポツポツと雨粒が落ちてきた。雨は見る間に大粒になり、頭上の木の葉をたたいてバラバラと大きな音を立て始めた。

「まずい、間に合わなかったか」


 俺は農道のゆるい上り坂を駆け上がる。すぐに道の右手に古びた山門が見えた。石室山の中腹にある神社の社殿へ登る道の入り口だ。ただしこの山門から先に入れるのは夏の龍神祭と年末年始のかがり火(もう)でのときだけで、それ以外の期間、山門の分厚い木の扉は閉ざされている。


 いまは左右の扉の金具に太い角材のカンヌキが通されていて、真ん中の金具には錆だらけだが大きな南京錠がかけられている。その前に立てかけられた木の札には、ほとんど消えかかった文字で「関係者以外、許可なく立ち入ることを禁ずる」と書かれていた。


 ただし山門は古びて傷んでいるとはいえ立派な造りで、幅は十(けん)、奥行きは四間。お寺の山門のように両脇に仁王像が立っていたりはしないが、門の上には瓦の屋根が乗っていて、見上げると優に普通の二階建ての民家くらいの高さだ。屋根の下には立派な龍の彫刻がある。俺は山門の屋根の軒先に飛び込むと、大きく息をついた。


「間一髪だな。あやうくずぶ濡れになるとこだった。すぐにやめばいいけど……」

 最近の天気予報はすっかり当てにならなくなった。ここ数年、全国的な異常気象らしく、特に春先から夏にかけてはゲリラ雷雨と呼ばれる集中豪雨に突然みまわれることが多い。


 数年前までゲリラ雷雨の発生は、ほとんど山間部だったような気がするが、最近は都市部や平野部でも多発するようになった。

 なんでもいま地球は温暖化していて、日本は亜熱帯の気候に近づいていて、天気予想が当たりにくくなっているらしい。今日も予報では雨なんて一言も言っていなかったので油断していた。


 空を見上げると雨は止むどころか雲はますますどす黒い色になり、雨粒はさらに大きくなったような気がするし、まずいことに風も吹いてきた。これ以上雨風が強くなったら、ここの軒先じゃあ凌げないかもしれない。


 いざとなったら山門の脇の板塀を乗り越えて中に入れば、すぐ向こう側にはお祭りのとき人々がお参りをする南拝殿という(やしろ)があるし、そのちょっと先には確か社務所みたいな建物があったはずだ。もしかしたらそこに誰かいるかもしれないからそこで雨宿りをさせてもらおう。


 石室山は周囲をぐるっと板塀で囲まれていて立ち入り禁止になっているけれど、あちこち塀が腐ってたり、子供が通れるくらいの穴はいくらでも開いているので、小学生のころはよく仲間と一緒に塀の内側に潜り込んだものだ。


 この山の雑木林はクヌギやナラの大木が多くて、カブトムシやクワガタムシがたくさん獲れた。ただしあんまり調子に乗って奥まで入ると、クマみたいにデカい犬に追いかけられるという噂があったから、けっこう度胸試しみたいなところもあったな。


 そういえば雨の降る日には山門の前に女の人の幽霊が出るなんて話しもあった……っけ…………。ん?


 ………………。

 いや、気のせいだよな。いま目の端に小さな女の人の姿が見えたような気がするんだけど……。俺は一度目を閉じて、静かに長く息を吸って呼吸を整える。そして再び静かに目を開けると、ゆっくり右を向いて…………。


「うわっ!…………!!!」

 俺は思わず変な声を出すくらい驚いて、その場で確実に数センチは飛び上がった、と思う。


 俺が駆け込んだ軒先の反対側の端の暗がりには小さな人影が立っていた。


 落ち着け、俺。あれは人間だ。幽霊じゃない。足があるし透けてもいない。しかもよく見たところ……小柄な女の子のみたいだ。


「あ、あの、ごめん。……えと、ぜんぜん気がつかなくて、俺一人だと思ってたんで、その、いまはじめて気がついて、びっくりしちゃって……」


 少女は腕を組んで、やや下を向いて立っている。俺が話しかけると目線だけちょっとだけこっちを見た……ような気がしたが、またすぐ下を向いて立ったまま何もしゃべらない。

 む? 子供とはいえ態度悪いな。謝ったのにガン無視?


 ……いや、まあでも冷静に考えたら怖かったのは向こうのほうだよな。急に雨に降られて雨宿りしてたら、いきなり知らない男の人が同じ軒下に飛び込んで来たんだからさ。


「え……と、俺、いや僕は怪しいものじゃないよ。ほら、この先の順聖堂学園の一年生なんだ。お、驚かせちゃったよね? ほんとゴメン」


 少女はまた目線だけでちらりとこちらを見たけど、やっぱり何も言わずに黙っている。

 しかし、よく考えたらこのシチュエーション、超ヤバくねえか? こんな民家も無い山の中で、しかも人もクルマも滅多に通らない神社の前で、幼い少女が知らない男子高校生と二人きり。

 この子、怯えて声も出せない、って状況だったりするのかな。どうしよう。


「えーっとぉー、き、急に雨が降ってきちゃって困っちゃったね。きみも傘持ってないの? 天気予報で雨降るなんて言ってなかったもんね。最近の異常気象にはホント困っちゃうよなー。あは、あは、あははははは」

 天気の話題など出しつつ、愛想笑いなどしてみる。


 …………効果なし、か。女の子は相変わらず下を向いて黙ってままだ。


 この子、うちの妹と同じ歳くらいかな? だとしたら中二くらいだろうか。でも背はもうちょっと低いかな? そしたら中一か小学校高学年くらいかも。


 反対側の暗がりにいて、下を向いてるから表情がよく見えないんだけど、でも……よく見るとちょっと変わってるな。表情が見えないのは(うつむ)いてるせいばかりじゃなく、風雨のせいかボサボサであちこちピンピンはねた髪の毛が顔のほとんどを隠しているからだ。それにランドセルとかを持ってないようだから、どうやら学校帰りじゃなさそうだ。


 着ている物は着物? 剣道着? いや、どちらかというと柔道着のような作務衣のような真っ黒な何かの衣装のようだ。そして足にはやはり真っ黒な地下足袋のような物を履いている。

 ちょっと時代劇の忍者のように見えないことも無いけど……まあ、はっきり言ってかなり変わってるし、ちょっとみすぼらしく見える格好だ。この季節にしてはなんだか寒そうにも見えるし……あれ?まさか、家出少女、とかじゃないよね?


「ねえきみ、きみはどこから来たの? これからどこへ……」と少女にたずねようとしたとき、突然雨雲がストロボのように光り、すぐに大きな雷鳴が(とどろ)いた。雷光が少女を照らし出したその瞬間、俺は見た。

 というか、なんだか見てはいけないものを見てしまったような気がした。


 少女は…………黒い首輪をつけていた。


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