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松虫姫物語  作者: 中沢七百
第1章 嵐の石室山と首輪の少女
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第4話 バス停の少女

 5分も走ると学外区を抜けて、一般の県道に出る。田んぼや畑の中に民家が点在する田舎道だ。ほとんどクルマも通らないローカルな県道を西に向かって10分ほど走ると道は丁字路にぶつかった。ここまではいつもの通学路だ。


 石室山東バス停丁字路。

 ここで道が左右に分かれる。


 右、つまり石室山の北側を回る道は自宅のある大沢町の近くを通って吉鷹村まで距離3キロってところだ。

 左の石室山の南側を回る道は吉鷹村まで2キロちょいで近道だけど、林を抜ける農道で、街灯が無いところもあり、暗いうえに途中道が細くなって人もクルマもほとんど通らない。


「さて……と」

 どちらから行こうかと足を止めると、バス停の小屋から地元中学の制服を着た女子生徒がこちらに向かって小走りに駆け寄ってきた。


「と、富岡先輩!」

「え?」


 女子生徒の制服は自分が通っていた大沢中学のものだ。長めの黒い髪をツインテールにまとめて赤いフチの眼鏡をかけている。地味で真面目そうな雰囲気だがよく見るとかなり可愛い。これくらい可愛ければ田舎の中学ではかなり目立ちそうだが、この女の子に見覚えはない。

 俺の名前を知っているなら、たぶん二年生か三年生だと思うけれど。


「あ、あの、突然すみません。富岡先輩がいつもここを通ると聞いたので……。あの、わた……わたし、し…しば…ゆ、ゆ…ぅ…かといいます。お、大沢中学の……に、二年です」

 女子生徒はかなり緊張しているらしく、しどろもどろにそう答えた。


「司馬……ゆか……ちゃん? 大沢中学なら俺の出た中学の後輩だね。それで……俺に何か用?」

「あ……あの、あ、あ、あたし……その、ずっと、と、富岡先輩のこと……」

 司馬ゆかと名乗った女子生徒は必死でそこまで言うと真っ赤になって下を向いてしまった。


 ああ、そういうことか。この手のイベントは慣れている、とまでは言わないが、中学時代に何度か経験している。中学のころの俺は、そこそこ女子に人気があった。


「あ、いえ、なに言ってるんだろ、あたし……。あの、富岡先輩は五月の総理大臣杯、出場されるんですよね?」


 総理大臣杯。いまの大原首相が文部科学大臣だたったころに始まった、国が主催するスポーツ大会だ。

 国体などと違うのは、例えば俺が参加していた剣道の場合、年齢も性別も関係なく、誰でもエントリーできることだ。もちろん社会人も学生も有段資格も関係が無い。唯一、日本国籍を有することが参加条件だが、外国からの就労者や留学生なども、会社や学校からの推薦と既定の審査を受ければ参加できる。


 中学時代の俺は剣道部のホープだった。

 中学三年の春の総理大臣杯に出場し、県大会予選を突破して全国大会に進んだ。

 全国で約二百人の本選出場者のうち、中学生はたった一人だった。


「ご、ご迷惑かもしれないんですけど、あの、試合の、お、お守り、作ってきたんです。も、もし、その……受け取っていただけたら、うれしいかな……なんて……」

 女子生徒は手のひらに乗るくらいの小さなピンクの紙袋を差し出した。


「ああ、そうなんだ。ありがとう。でも俺は総理大臣杯には出ないよ。まだ怪我が完全に治ってないんだ。それに……高校で剣道はやっていない」

 と、俺は女子生徒に言った。


 中学三年。秋の総理大臣杯本選。俺は初戦敗退だった。

 それでも全国でただ一人、中学生で本選に出場した俺は新聞やテレビのニュースでも取り上げられ、ちょっとした有名人になっていた。

 高校は、スポーツにも力を入れている県内の有名進学校に、学費免除の特別優待生として入学することが内定していた。


 しかし年の暮れ、俺は大きな交通事故に遭い、右手首、右足首、右鎖骨、肋骨2本を骨折。右肺にも損傷があり隣町の総合病院に運び込まれた。結局その病院の集中治療室、ICUに二週間、一般病棟に三週間入院し、その後も中学卒業までリハビリのために通院した。

 なんとか普通に歩いたり走ったり出来るようにはなったが、右足首には痛みが残り、以前のような瞬発力は無くなってしまった。

 特別優待入学の内定は取り消しになり、俺は剣道をやめた。


 女子生徒は驚いた顔で俺を見た。

「そう……だったんですか。事故で大怪我をされたことは知っていたんですけど、あの……毎朝利根川(とねがわ)の土手をジョギングしてますよね。あたし、たまに犬の散歩で利根川に行ってるんです。先輩はいつも走ってるからてっきり怪我が治ってトレーニングしているものと思っていて……その、ごめんなさい」


「いや、いいよ。別にあやまらなくて。ジョギングは小学生のころからの習慣だからね。いまはリハビリも兼ねてるんだ」

 朝のジョギングで会っているのか。犬の散歩をしている人はたくさんいるけれど、こんな可愛い子がいただろうか。


「あの……先輩」

「ん?」

「いま……お付き合いしてる人とか……って、その、いたりしますか?」

 女子生徒は耳まで真っ赤にして下を向いたまま声をしぼりだした。


「いや、特に付き合ってるような女の子はいないよ。っていうか、昔から女の子と付き合ったことは無いけどね」

「そっ、それじゃあ!」女子生徒は顔を上げた。「あ、あたしと、その、よ、よかったら、お、お、お付き合いを……」

 だんだん声が小さくなり最後のほうはごにょごにょ言っていてよく聞こえなかった。まあ、だいたい何を言ったのかはわかったけど。


「あの、ありがとう。うれしいけど……今は女の子と付き合うとか、そういう気持ちにはなれないんだ。ごめん」

 俺は小さく頭を下げた。

「そ、そうですか……」

 女子生徒は悲しげに下を向いた。


 いま言ったことは正直な気持ちだ。

 俺は中学の三年間を剣道に打ち込み、すべてを賭けてきた。そして高校三年間のうちに総理大臣杯で優勝することが夢であり目標だった。それが自分の一瞬の気の緩みから事故に遭い、目標への道は絶たれ夢も失くしてしまった。本当なら誰もが夢と希望でいっぱいのはずの、中学卒業から高校入学までを、俺は失意と絶望の中で過ごした。


 高校に入って頭では剣道の夢をあきらめることを納得したつもりだ。それでもすべてを忘れて、可愛い彼女を作って、楽しい高校生活を満喫しよう、などと割り切って考えることもできなかった。


「わかりました。それじゃあ、最後のお願いなんですけど……」

 女子生徒は胸の前で抱えていた小さなピンクの紙袋の口をあけて、中のものを取り出した。たしかお守りと言っていたが、それはシルバーのネックレスで、何かの模様が彫刻された十字架のようなペンダントヘッドが通されていた。

 十字架は首にかけるにはちょっとゴツい感じだが、きらきらとしたネックチェーンはおそらく安いステンレスなどのおもちゃではなく、本物のシルバーのように見える。


「どうか、このお守りだけでも受け取っていただけませんか?」

 女子生徒はネックレスを俺に差し出した。


「いや、気持ちは嬉しいんだけど、こんな高そうなものは受け取れないよ」

「あの、あたし趣味で彫金(ちょうきん)を習っていて、余りものの材料で作ったんです。ぜんぜん上手じゃないけど、せめて今日一日だけでもいいですから身につけていただくわけにはいかないでしょうか。そうしたら、あたし、自分の気持ちを……あきらめられると思うんです」

 女子生徒は目にうっすらと涙を浮かべてそう言った。そこまで言われて断れる男はそうはいないだろう。これは俺の負けだ。


「うん、それなら……受け取るよ。どうもありがとう」

「ほ、ほんとですか! 嬉しい!」

 女子生徒はぱっと目を輝かせてそう言った。


 俺はネックレスを受け取ると首にかけた。アクセサリーの(たぐい)は身につけたことが無いので、なんだか首の周りがくすぐったい気がする。手作りって言ってたな。十字架がちょっとゴツいのはそのせいか。


 その女子生徒、司馬ゆかはバス停の脇に停めてあった自転車に乗って大沢町方面に帰っていった。


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