第30話 学校
俺が風呂からあがると春香と芳乃はリビングにいた。二人ともスウェットに着替えてアイスミルクを飲んでいる。芳乃のコップにはストローがささっていた。母さんはまだビールのグラスを抱えている。
俺がリビングに入ると春香が言った。
「お兄ちゃん! お兄ちゃん! 姫ちゃんのびっくり大スクープ!! 聞きたい?」
「なんだ、またスクープか? 聞いてやるから言ってみろ」
「えー? どーしよーかなー、そんな態度ならやめようかなー。ねえ姫ちゃん、話してもいい? さっきの話」
「ああ、別にかまわない」芳乃はアイスミルクを飲みながら答えた。
なんだよ、要するに話したくてしょうがないんじゃねえか。
「あのね、お兄ちゃん。姫ちゃんてさ、日本のすっごい古い貴族の家柄のお姫様で、すっごい美人だけどさ、なんか純和風美人っていうより、なんとなーく西洋人形っぽいっていうか、肌なんかあたしより真っ白だし、髪の毛も光の加減でけっこう明るめに見えるし、細くてちょっと天然ウェーブだし、瞳だってよく見ると鳶色っていうのかな? ちょっと赤系なんだよね」
「あー、そうだな。俺もなんとなくハーフっぽく見える時があるな、って思ってた」
「でしょ? そしたらね、ジャーン! なんと! 姫ちゃんにはスペインの血が混じってるんだって」
「へー、本当なのか? 芳乃」
俺はちょっと驚いてたずねた。まさか神話の時代から続く名家のお姫様に、外国の血が入っているとは意外な話だ。
「ああ、本当だ。とは言っても、わたしから数えて二十数代も前の先祖の父親がスペイン人だから、わたしのスペインの血など無いに等しいくらい薄いとは思うのだが」
「ねー! すごいでしょー!!」
だからなんで春香が自慢げなんだよ?
「でもなんだってその二十何代か前の松虫姫さんはスペイン人と結婚したんだ? そんな前だと江戸時代とかだよな?」
「うむ、それほど詳しいことは知らないが、その人は千葉県沖で難破した外国船の乗組員で、先祖がその人たちを助けた、という縁らしい」
「へー、そんな時代に国と人種を越えたロマンスか、すげえな」
「それでね、お兄ちゃん。あたし明日、姫ちゃんを連れて香川さんのとこへいってくる」
なんかいきなり話題が変わったな。
「ふうん。髪切るのか?」
香川さん、というのは大沢町の東のはずれのほうに住んでいる陶芸家で、母さんの二つ後輩らしい。元カリスマ美容師で、三十歳くらいの若さで東京で人気美容室を経営してたのに、数年ですっぱり辞めて大沢町に帰ってきて陶芸家になった、っていうちょっと変わった人だ。いまでも地元の知り合いが頼めば髪を切ってくれるので、母さんも春香も、いつも髪を切るときは香川さんのところへ行く。
「うん、姫ちゃんの髪ね。さすがにこれだけ伸ばし放題だと、あたしのブローだけじゃこれが限界だしねー。髪切ったらもっとお人形さんみたいに綺麗になると思うんだよね」
「そうか。たしかに初めて会った時は髪の毛ボサボサで顔が隠れてるし、湿気であちこち飛び跳ねてて、なんだか妖怪みたいだったもんな」
「よ……妖怪……?」
芳乃は切れ長の目を見開いて口をぱくぱくさせている。なんだ? 妖怪がショックだったのか?
「あ、いやでも、いまはちゃんとブローして、そうやってちょこっと横で留めただけでもすごく可愛いくなってると思うぞ」
「か……か……かわ……」
芳乃はさらに目を見開いて、やっぱり口をぱくぱくさせている。なんだ? せっかく人が褒めてやってんのに、よくわからないな。
「そーなんだよ。姫ちゃんてば、せっかく可愛い顔立ちなのに、髪の毛とか着るものとか、全然気にしないんだもの。もったいないよ。てゆーか許せないよ!」
なんでおまえが声を大にして怒ってるんだよ、春香。
「わ、わたしはこのままでいいと言ったのだが……」
芳乃がうつむいたまま小さな声で言った。
「まあ、せっかくだから行ってこいよ。いまの髪でもちゃんとまとめてれば可愛いけど、香川さんに切ってもらったらもっと良くなると思うぞ。香川さん、現役のころはすげえ人気の美容師だったんだぜ」
「しかし、そんなに有名な人なら料金も高いのではないか……?」
心配そうに尋ねる芳乃に春香が答える。
「大丈夫だよ姫ちゃん。香川さん、いまは美容師辞めて、たまにサービスで知り合いの髪の毛切ってくれてるんだ。お金はとらないよ。そのかわりウチは野菜とか持っていくけどね。ほんと、髪の毛切ったら絶対にもっと可愛くなると思うよ、姫ちゃん」
「…………」
芳乃は黙ってうつむいてしまった。
「ところで芳乃」俺は芳乃の顔をのぞきこんだ。「大事な話があるんだが」
「なあに? お兄ちゃん。愛のコクハクなら芳乃ちゃんの保護責任者であるあたしを通してもらわないと困るんですけど」
「ちげーよ! だいたいなんでおまえが保護責任者なんだよ! 芳乃より年下だろうが!」
「なんだ、ちがうの?」
「あたりめーだよ。そうじゃなくてだな。芳乃、おまえ火曜日から学校に来ないか?」
芳乃がびっくりしたような顔で俺を見た。
「……学校?」
「ああ、月曜は祝日で休みだから、次の登校は火曜日だろ? もともと俺はミソちゃん先生に、芳乃を学校に来させてくれと頼まれてたんだ。なんか学校に行きたくない理由でもあるのか? そりゃあ家柄も生活も、ちょっと特殊な事情があるっぽいけどさ。無理にとは言わないけど……」
「行こう」芳乃が言った。
「へ?」俺は驚いた。「いま何て?」
「学校へ行こう、と言ったのだ」
「本当にか!?」
「なんだ? 孝一郎が学校に来いと言ったのではないか」
「ま、まあそうだけど……。いや、てっきり学校には行きたくないとか言うもんだと思ってたから……」
「できればあまり石室山から離れたくない、ということはあるが、それ以外特に行きたくない理由があるわけではない。しかし行きたい理由があるわけでもない。それだけのことだ」
「まあ良かった!」俺たちの話を聞いていた母さんが言った。「芳乃ちゃんをアリサちゃんに推薦した甲斐があったわ」
「…………? なんだよ、推薦って」俺は母さんに尋ねる。
「あたしがあの学校に芳乃ちゃんを推薦したのよ」
「マジでか?!! てゆーかアリサちゃんって誰だよ?」
「アリサちゃんって言ったら、アリサちゃんよ。一条亜理紗ちゃんに決まってるじゃない。あたしたち友達だもん」
「だからそのナントカ亜理紗ちゃんって誰だよ?!!」
そのとき春香が俺の袖を引っ張った。
「お兄ちゃん」
「なんだ?」
「お兄ちゃんの学校の理事長さんじゃない? 有名だよね、一条亜理紗さんって」
「……………………マジか?」俺は母さんの顔を見た。
「うん、マジ」母さんはビールを飲みながら言った。




