第2話 ミッション
「富岡くんっ!!! 富岡くん! 聞いてるの?」
頬杖をついて窓の外をぼーっと眺めていた俺は、ゆっくり教壇のほうに顔を向けた。教壇の机の横では、ちっちゃいミソちゃん先生がぴょんぴょん飛び跳ねながら、俺のほうに向かって何かをがなり立てていた。
今日はなぜだか午後の体育がロングホームルームに変更になっている。この学校ではこういうことはよくあるらしい。
ミソちゃん先生は、たぶん二十代後半くらいの女の先生で、このクラスの担任だ。この学校がある下総市の出身だそうだ。年齢の割にはかなりの童顔で、背格好も小さいので生徒と同じ制服を着たら何の問題もなく普通の女子高校生に見えることだろう。
ミソちゃん、というのはもちろんあだ名で、本名は三代川……なんだったけかな? たしかシズカだかシズコだったような気がする。別に単に三十路が近いからミソちゃんと呼ばれているわけではなく、新任教師としてこの学校に赴任したときからミソちゃんと呼ばれていると聞いた。でもなんでミソちゃんなのかは俺は知らない。
「もー! いっつもぼーっとして先生の話を真面目に聞かないんだからっ!」
「ちゃんと聞いてますよ。ミソちゃん先生」
俺はわざとダルそうな声で返事をした。
「そう? じゃあ富岡くん、きみに超ラッキーで超重要なミッションを与えるよっ!」
「なんだよミッションって、ってか、その妙に軽いノリやめてくれねーかな、俺、そーゆーノリに乗っかれないタイプなんだよ」
この先生、入学初日の挨拶で「あたしのことはミソちゃん、って呼んでね。気軽に何でも話してねっ! 敬語はいらないよっ!」とか言っていたので、俺は遠慮なくフランクに接している。
「もー富岡くんってばまじめっこぶりっこなんだからっ!」
「だからやめろって……」いや、もう言うだけ無駄か。「で、なんだよ、そのミッションってのは」
「ジャーン! それはねっ、新学期まだ一度も登校してきてない、千堂芳乃ちゃんにこのプリントを届けることでーっす!」
「…………」
あーアタマいてえ……。
「ん? あれ? どしたの? リアクション薄いなー。もっと喜んでよ。嬉しくないの?」
……いや、あんたそれ真面目に言ってんのか? 突っ込みどころはいくらでもあるんだが。
「いったいその話のどこに喜べる要素があるんだよ」
「ええっ? だって学校お休みしてるお友達にプリント届けるっていったら学生生活屈指のウキウキイベントじゃない? しかもすんごい美少女だよっ?」
「美少女なのか?」
「えー!? そんなの知らないよ、だってまだ顔見てないし。ぶー!」
いや、なんだよぶ-って、ナニほっぺた膨らまして怒ってんだよ、別にかわいくねーよ。つーか自分で言ったんじゃねえか美少女って。あーマジアタマいてえ。
「つーかさ、ミソちゃん先生」
「んー、なにかな?」
……。だから人差し指をあごに置いて小首を30度かたむけるポーズはやめろ。
「いや、お友達にプリント、って小学生じゃあるまいし、連絡なら電話とかメールでいいんじゃね? それか重要な書類なら郵送とか。そもそも今どき個人情報保護法がどーたらでクラス名簿だって作れねえんだろ? 勝手に俺に住所教えていいのかよ?」
「うーん、それがさあ、芳乃ちゃん家って吉鷹村なのよ。富岡くん、ジモピーだから知ってるでしょ、吉鷹村。国定文化保護地域第五番、石室山特別区内吉鷹村。家に電話は無いみたいだし、メアドもわかんないし、村役場には電話したら用件は伝えるけど個人に取次ぎはできないって言うし。お手紙は送ったのよ。でも本人からもおうちの人からも、ぜんぜん連絡来ないのよ、しくしく」
嘘泣きのしくしくは余計だよ。
「それってほとんど行方不明の少女Aさんを探しています、とかいうレベルじゃねえか。捜索願いでも出して警察に任せたほうがいいんじゃねえか?」
「いっやあ~、さすがに学校としてはそこまでは、ねえ。まずはやっぱりお友達がプリントを届けに来たよ、学校に出て来なよ芳乃ちゃん大作戦、がいいんじゃないかな、ってね。てへ」
……。自分の頭を軽く小突きながら舌を出して小首をかたむけるポーズはやめろ。ちょっとだけかわい……い、いや、全然かわいくねえから。
「そんなわけでピンポイントで住所は教えられないんだけど、とりあえず吉鷹村で交渉してほしいのよ。だって富岡くん大沢町じゃん。ご近所じゃん。特区内じゃないけど市内だし、ぜんぜんよそ者、ってわけでもないわよね? よそ者が行くと話しも聞いてもらえないのよ、あそこって。だからさー、プリントぐらい届けてくれたっていいじゃん。ぷー」
「ぷー、はやめろ! よそ者、って言っても、ミソちゃんだって下総市内なんだろ?」
「うちは下総っていっても東のはずれだもん。万崎だもん。田舎だもん」
「田舎は関係ねえだろ。それに俺だって吉鷹村には勝手には入れねえよ」
「でも富岡くんのお母さんは通行手形持ってるよね?」
「よく知ってるなそんなこと……」
通行手形、ってのは俗称で、要するに村に入るための公式許可証だ。俺の母さんはミライファームっていう小さい会社をやっていて、肉や魚、野菜なんかの安全性を調査したり、安全な食材の生産や流通を促進する仕事をしている。なんでも生活ミライプロジェクトの企画にも携わったらしいけど詳しいことはよく知らない。でもそんな仕事の関係で、母さんは吉鷹村の人たちからは信頼を得ているらしく、村に比較的自由に出入りできる許可証を持っているというわけだ。
「でも母さんの許可証じゃ俺は入れねえよ。それに近所ったって石室山をはさんで三、四キロくらいは離れてるぞ。俺、徒歩通学だし、吉鷹はバスも行ってねえし、それに…………え?」
なんかミソちゃん先生の様子が変だ。歯を食いしばってぷるぷる震えているし、目にはみるみる涙が……。
「ぐすっ……ぐすっ……ぶ、ぶええええ~~~~っ!!!!」
「う、うわーーーっ! なんだあ!?」
アラサー独身女教師が衆人環視の中、ものすげえ勢いでマジ泣き始めやがった。
教室が一気にざわつき始める。
「泣かした?」「泣かしたの?」「泣かせたぞ」「富岡が泣かせた」………ざわざわざわ。
「ちょ、ちょっと待て! それナニ? 俺が悪いの? なんで泣いてんだ、意味わかんねえ。誰も行かねえなんて一言も言ってないだろ」
「ぐすっ……行ってくれるの?」
ミソちゃん先生は涙をぬぐいながら、上目使いで俺を見る。
「あー行くよ、行く行く。プリント届けりゃいいんだろ」
「うへへへへぇ。ありがとー」
……。ぴたっと泣き止みやがった。なんだこいつ。
「じゃあこれ、よろしくね」
「…………。なんだこれ? プリントじゃねえじゃん」
それは入学式の日に受け取った、授業の内容説明、教師の紹介、学園生活のルールやら注意点なんかをまとめたオリエンテーリング用の冊子だった。あとは「芳乃ちゃんへ」と、かわいい丸文字で題名が書かれた淡いピンク色の封筒がひとつ。
「うーん。でも『お休みしてるお友達にプリントを届ける』っていうのはお約束のイベント名じゃない? その冊子だって印刷物だからプリントには違いないでしょ?」
「こんなもん郵送しろよ」
「それが届いたかどうかわからないからお願いしてるんだってば。まあ実際のところプリントはそんなに重要じゃなくて、できれば芳乃ちゃんに直接会って、学校に来るように伝えてもらいたいのよねー」
「そんなこと自分でやれよ。担任なんだから。せめてクラス委員とか。なんで俺なんだよ」
するとミソちゃん先生は俺にビシッと人差し指を突きつけてこう言った。
「オリエンテーリング聞いてないの? この学校にはクラス委員も委員長も無いよ! あとちなみに絶大な権限を持った生徒会組織、とかも無いよ」
「そうだっけ?」そんなこと憶えてねえな。
「富岡くんっ! これは運命だよっ! この大役を任せられるのは富岡くんを置いて他にいない。先生はビビッとそう感じたんだよっ!」
「なにが運命だ。あんたが勝手に決めただけじゃねえか。だいたい義務教育じゃねえんだから不登校の生徒なんかほっとくなり退学なりにしたらいいじゃねえか」
「富岡くん……そんな……冷たいよ、あんまりだよ…………ぶ……ぶえぇ……」
「うわっ、わかった、わかったから泣くな。持って行きゃあいいんだろ、持って行きゃあ」
「えへ……えへへへぇ。うん。お願いね」
…………ダメだ。まともにこいつの相手はできねえ。
行くしかねえか、吉鷹村へ。