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松虫姫物語  作者: 中沢七百
第2章 松虫姫の素顔
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第15話 叫び声

 外のシャワー、というのはプレハブ倉庫の脇にある、主に野菜や農機具なんかを洗うための水道だ。洗車用だがいちおうシャワーヘッドもある。だが、お湯は出ない。今は四月とはいえ夜は寒いし水も冷たい。妹よ、ちょっと兄に対する扱いがひどくないか?

 そこへ片づけを終えた母さんが倉庫から出てきた。


「あら考ちゃん、どうしたの?」

「春香のやつが、俺にここでシャワーを使えって言うんだ。こんな寒いのに」

「あらそう。じゃ、いま着替えとタオル持ってきてあげるわね。ふふふんふぅーん」

 母さんも楽しげに鼻歌を歌いながら家の中へ入っていった。


 ……なんだろう、この疎外感は。

 俺は今日、命からがらでここまで帰ってきたような気がするんだけど、なんか悲しい。

 さすがにこの寒空に裸になってシャワーを浴びたら風邪を引いちまう。俺は外の水道でタオルを絞り、手足を洗って家に入った。


 玄関を上がると急激に疲れが押し寄せて座りこんだ。

 放課後から今までにあったことは本当なのだろうか。どうにも現実味が感じられない。

 芳乃はまだまだ謎だらけだし、母さんも何かを隠しているような気がする。いろいろ分からないことだらけで頭の中は混乱していた。


 浴室のほうからはなにやらキャッキャッと声がする。

 春香と芳乃は本当に一緒に風呂に入っているらしい。まったく春香の友達力はハンパ無いな。それにしたって女の子同士ってのは初対面でろくに話もしてないのに一緒に楽しく風呂に入れるものなのだろうか。


 俺は自分が男友達と一緒に風呂に入る場面を想像してみた。…………。

 うわ、想像しなきゃよかった。ぜってー無理だ。銭湯や温泉ならともかく、自宅の風呂で男二人ってのはキモすぎる。


 俺は頭をぶんぶんと振って気色悪い妄想を吹き払い、あちこち痛む体にムチを打って立ち上がるとリビングのドアを入った。

 疲れた……けど、夕飯を作らない、ってわけにはいかないだろうな。


 うちはリビングとダイニングが一緒で、奥に対面式のキッチンカウンターがある。

 母さんが仕事柄いろんな食材を持ってくるので、三人家族だけど冷蔵庫はかなり大きく、隣には野菜専用の保冷ストッカーまで置いてある。母さんは昔から帰りが遅いことが多いので、自然と夕食は俺と春香が交代で作るようになった。野菜はたいてい母さんが持って帰ってくるもののストックがあるから、夕食当番の日は、その日によって肉とか魚とか、メインを一品買って帰ることが多い。しかし今日は想定外の騒ぎに巻き込まれて買い物が出来なかった。さて、家にあるもので何か適当に作るしかないな……。と、思いながら冷蔵庫を開けようとしたそのときだった。


「ぐぎゃあーーーーーっ!!!」


 いきなり絞め殺されるような叫び声が聞こえた。春香の声のようだが、あきらかに尋常じゃない。浴室のほうだ。


「春香っ!!」

 俺はリビングを飛び出すと浴室へ猛ダッシュした。

 脱衣所ではドタンドタンと、なにか争い合うような音が聞こえる。


「春香っ! どうした! 大丈夫か?!! 開けるぞ!」

 俺はそう言って小さなスリガラスが(はま)った脱衣所のドアを開けた。


 すると…………。

 そこには驚きの光景があった。


 脱衣所の床には裸の芳乃が仰向(あおむ)けに転がり、その上にこちらも裸の春香が覆いかぶさっていた。そして二人の体をバスタオルと、例の黒い革のバンドがぐるぐると巻きついている。


 床の上でバタバタと身をよじっていた二人の動きがピタリと止まった。そして二人は首だけ持ち上げて俺を見た。

「……お兄ちゃん」

「……孝一郎」

 春香が口を大きく開けて、すうーっと息を吸った。これは……まずい予感がする。


「ぎゃーーーっ! お兄ちゃんのスケベ! 変態! 痴漢! 覗き魔! デバネズミーーーッ!」

 俺は脱衣所のドアをそっと閉めた。そして一回深呼吸して気持ちを落ち着けるとドア越しに言った。


「おい春香」

「なあに? 変態お兄ちゃん」

「俺は叫び声が聞こえたから心配して駆けつけたんだぞ?」

「へー、そうなんだ、覗き魔お兄ちゃん」

「てか、感謝されこそすれ、変態呼ばわりはどうかと思うんだが」

淫猥(いんわい)な妄想で凝り固まった高校生男子にお風呂を覗かれて感謝する女子はいないよ。デバネズミお兄ちゃん」

「俺は淫猥な妄想なんかしてねえ! てゆうかデバネズミって何だ!? それを言うならデバカメだろう!」まあどっちも嬉しくないけど。

「デバネズミはアフリカに生息するげっ歯類だよ。地下に穴を掘って暮らし、主に――」

「あー、もういいわかった」どうやら人間あつかいもされてないらしい。


「……た、助けてくれ、孝一郎」


「おい、芳乃が助けを求める声が聞こえたぞ?」

「大丈夫だよ。あたしたち二人は共に協力して、この絶体絶命な窮地(きゅうち)から脱出してみせるよ」

 脱衣所からガタガタと二人が暴れる音がする。

「ぐぎゃ!」「い、痛い!」

 どうやら窮地からの脱出を試みているらしい。


「いったい何がおきたんだ?」

「む……ぐ……ぬぐぐっ! ひ、姫ちゃんがね、体中に革バンドをぐるぐる巻いてたんだけど、お風呂から出たらまたそれを体に巻く、って言うんだよ。……あ痛っ……。だからもうご飯食べて寝るんだし、夜は外しておきなよ、って言って取り上げようとしたら、どうしても巻く、って聞かないから取り合いになって…………あ、ほどけた、ほどけたよ」


「そうか……。まあ何でもないならいいんだ。早く服を着てリビングに来いよ」

「お兄ちゃん」

「なんだ?」

「なんか大人ぶった対応でごまかしてるみたいだけど、あたしたち二人の裸を見た罪は重いからね?」


「…………」

 お子ちゃま体型二人の裸に興味は無いよ、とはさすがに言えなかった。


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