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松虫姫物語  作者: 中沢七百
第1章 嵐の石室山と首輪の少女
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第13話 嵐のあと

「コウちゃん!」

「母さん!?」


 山道の暗がりから姿を現したのは、俺の母親、富岡菜々実(ななみ)だ。肩には俺の通学バッグを担いでいる。


「やっぱりコウちゃん? これはどういうこと? その格好は何? その子は……」


「そんなにいっぺんに聞くなよ! それより母さんはなんでここに来たんだ?」

「だってコウちゃん今日の夕飯係なのに七時過ぎても帰ってこないし連絡も無いって春香から電話があったのよ。だから早めに帰ってスクール端末のGPSマップを調べたの。そしたら石室山の山門あたりで位置情報が消えてるじゃない? 外はひどい嵐と雷だし、何かあったんじゃないかと思って探しに来たのよ」


「ああ、ごめん、メールしとこうと思ったんだけど、いろいろあってさ。山の中は電波入らないし」

「あたしもここは立ち入り禁止だからどうしようかと思ったんだけど、山門の鍵が壊れてたから南拝殿を覗いてみたの。そしたらコウちゃんの通学バッグがあったから慌ててここまで登ってきたのよ」


 母さんは肩で息をしている。よほど急いで坂道を登ってきたらしい。

 そのとき俺の後ろで話を聞いていた芳乃が前に出てきた。


「孝一郎の母上殿か?」

「ええと……あなたは……」母さんは芳乃を見つめる。

「母さん……この子は」

 俺は芳乃について、どう説明したらいいかと一瞬口ごもったとき母さんが続けた。


「あなたは……芳乃ちゃん……よね?」

「……!? 母さん、芳乃を知っているのか?」

「ええ、会ったことがあるわ。……と言ってももう5、6年くらい前だと思うけど」

 そう言うと母さんはこちらに近寄り芳乃に向かって言った。


「芳乃ちゃん。久しぶりです。わたしは富岡菜々実です。……といっても憶えてないかな。あなたがまだ小学校三年くらいのときのことだから……」

「いや、憶えている。孝一郎の母上は……やはり、富岡菜々実殿だったか」


 芳乃は母さんを見上げてそう言った。どういうことだ? 芳乃と母さんがそんなに昔に会ったことがあるなんて…………。


「まあ、憶えていてくれたのね。嬉しいわ。あの時わたしは――」


 母さんが芳乃に向かって話し始めたとき、今度は西の雑木林の暗がりから、別の人物があらわれた。顔は良く見えないが背格好は若い男のようだ。上下とも紺のレインウェアを着て防水カバーをつけたリュックを背負い、足には黒いゴムの長靴を履いて、手には懐中電灯を持っている。


「芳乃様! 無事でしたか」

「……おお! 権太夫(ごんだゆう)ではないか。来てくれたのか」


「はい。お山のほうは雨風も雷もそうとうひどい様子でしたので、もっと早く来たかったのですが、囃子水(はやしみず)のあたりの道が浸水してクルマが通れなかったので、裏の林を突っ切ってきました」

「そうだったか、ありがとう。わたしは無事だから安心してくれ。しかしいろいろあって家が壊れてしまった」


 権太夫……さん? 俺は驚いた。権太夫さんというのは、さっき芳乃がパソコンを使うときは借りに行く、と言っていた吉鷹村の権太夫さんなのか。名前からして、てっきりかなりのお年寄りだと思い込んでいたが、近づいてきた男は背が高く、レインウェアのフードから覗く表情は今どきのイケメン俳優にも引けをとらないほどの男前の青年だった。


「あなたが……権太夫さん、ですか?」俺は思わず尋ねてしまった。

「……きみは?」

「あっ、すみませんっ! 俺……ぼ、僕は、富岡孝一郎です。え……っと、芳乃……さんの同級生です」


「ああ、それじゃあ順聖堂学園のご学友なのですか?」

「ご学友?? いや…………っていうか、芳乃さんとは今日初めて会ったばかりなんですけど、その――」

 そのとき、突然母さんが俺たちの会話に割って入った。


圭吾(けいご)くん!?」

「……あなたは?」

 権太夫さんは問い返したが次の瞬間、母さんは権太夫さんに飛びついて……抱きしめた。


「きゃー! やっぱり圭吾くんだ」

 ……っていうか圭吾くん、って誰だよ。


「あたし菜々実です! 大沢町の一之瀬(いちのせ)菜々実。圭吾くん、すっかり男前になったわね! あたしのひとまわり下だから二十五歳くらいかしら?」

 一之瀬っていうのは母さんが結婚する前の旧姓だ。そのころの知り合いってことはずいぶん古い知人らしい。で……圭吾くん、って誰???


「ああ菜々実さんでしたか! 菜々実さんこそすっかり変わってしまって全然わかりませんでしたよ。なにしろあのころの菜々実さんは泣く子も黙る北総最強のヤンキ……っ、う! むぐ!」権太夫さんが何か喋ろうとしたとき、瞬時に母さんが右手で口を塞ぎ、左手で襟首を締め上げた……ように見えたけど……。ヤンキー、って言ったか? 気のせいだよな、きっと。


「け、圭吾くん、久しぶりね。村に帰っていたの?」

「ええ、東京での勉強がひと段落ついたところで村から呼び戻されたんです。今月から村の総代になりまして。なんかいろいろ忙しくて菜々実さんへのご挨拶が後回しになってしまいました。申し訳ありません」

 そう言って圭吾さんと呼ばれた男性は頭を下げた。


「あのさ……母さん」

「な、なにかしら?」

 なんでキョドってるの? 母さん。

「その人、知り合い?」

「ええ、彼は高瀬圭吾(たかせけいご)くん。母さんが昔、吉鷹村で農業を勉強していたときにお世話になった親友の弟さんなの」


「高瀬圭吾……さん? でもさっき芳乃は権太夫さん、って呼んでたけど……」

 そのとき高瀬圭吾さんと紹介された人が答えた。

「ああ、権太夫っていうのは、うちに古くから伝わる屋号みたいなものなんだ。うちは長男が家督(かとく)を継ぐと村の人からは権太夫って呼ばれるんだ」

 そういって高瀬さんはレインウェアのフードを下ろすと、穏やかな笑顔でこう言った。


「あらためまして、僕は高瀬圭吾です。権太夫でもいいですよ。どうぞよろしく」

「そうだったんですか」

 うわ、なんかこの人、超イケメンの上に超爽やかで超好印象なんですけど。なんか男でも惚れちゃいそうだ。


「えーと、きみは孝一郎くん、か。菜々実さんにこんなに立派な息子さんがいるとは驚きだよ。僕は子供のころきみのお母さんによく木刀で……」

「あーーーっ!」と、そのときまたしても母さんが大声で割り込んできた。


「な、なんか話も長くなりそうだし、コウちゃんにはあとで私が説明するわ。まずはここを移動しましょう」どうやら母さんは昔話をされたくないらしい。

「えーっと、芳乃ちゃんのお家は……」


「母さん、芳乃はこの小屋に一人暮らしらしいんだ。信じてもらえないかもしれないけど、さっきバカでかい二頭のオオカミにドアと窓を壊されちゃったんだよ」

「オオカミ?」

 母さんは聞き返した。そりゃ信じられないよな。常識で考えりゃ。母さんは少しだけ目を閉じて何かを考えていたが、すぐに顔を上げるとこう言った。


「……そう。わかったわ」

「って! わかったんかい!」と俺は思わず反射的にツッコミを入れたが、そのまま母さんは話を続けた。


「芳乃ちゃん、いまもずっとこの山を守っているのね。偉いわ。でも今日のところはおうちも壊れてしまったみたいだし、わたしの家に来てくれないかしら。できたらこのおうちが直るまで、わたしのところに泊まってくれると嬉しいのだけれど」

 芳乃は一瞬驚いた顔をして母さんを見上げたて答えた。


「いや、菜々実殿のお言葉はありがたいが、わたしは家の屋根さえあれば大丈夫だ。それにわたしはここを離れるわけにはいかない」

「大丈夫なわけないじゃない」と母さんは言うと、今度は高瀬さんのほうを見て話を続けた。

「さすがにこんな小さな女の子一人を壊れた小屋に置いていく訳にはいかないわ。とりあえず今夜はうちで預からせてもらってもいいでしょう? 圭吾くん」


「そうですね」話を振られた圭吾さんは目を閉じ、あごに拳を当てるようにしてしばらく考えていたが、やがて顔を上げると爽やかスマイルで答えた。

「芳乃様が外泊されるというのは前例の無いことですが、事情が事情ですし、菜々実さんのお申し出であれば問題はないでしょう。村のほうには僕から事情を説明しておきますよ」

 うーん、やっぱりイケメンだ。惚れちまうぜ。てゆうか、うちの母さんって何者?


「いや、しかし」芳乃が言う。「わたしはここを離れるわけには……」

「大丈夫ですよ」再び圭吾さんが続けた。「万が一問題があれば、私がクルマで迎えに行きます。この小屋の修理も手配しておきましょう。まあ2、3日あれば直るでしょう」

「だが……」

 まだ芳乃は納得しないようだ。しょうがねえ。俺が説得してみるか。


「なあ芳乃」

「なんだ」芳乃が俺を見上げる。

「おまえさっき、俺は運命に導かれてここに来た、って言ったよな」

「ああ、言った」

「それなら、これからおまえがうちに来るのは運命なのかもしれないぜ? なんだかうちの母さんとは古い知り合いみたいじゃないか」


 芳乃の前髪の奥に隠された切れ長の瞳が、何かに驚いたように大きく見開かれた。芳乃はじっと俺の目を見ているが何も言わない。そのとき圭吾さんが言った。


「そうですよ、芳乃様。こうして芳乃様と菜々実様と私が顔を合わせるのは何年かぶりのことです。これも姫神様のお導きでしょう。ぜひ菜々実様のお言葉に甘えて、お母様の昔話など聞かせていただいたらよろしいかと思いますが、いかがですか?」

 芳乃は目を閉じて圭吾さんの話を聞いていた。と、そのとき。


「ウォオオオオーン!」「オオオーウ!」


「あれは?」母さんが顔を上げて石室山を見上げる。

「オオカミの遠吠えだ」俺は答えた。間違いない。あれは山王丸と雷王丸だ。


「……わかった」芳乃が顔を上げる。

 え? 何がわかったって?


「菜々実殿。孝一郎。お言葉に甘えさせてもらおう。よろしく頼む」

 芳乃はそう言うと深々と頭を下げた。


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