第12話 盗聴器
「芳乃……」
俺は立ち上がろうとしたが足に力が入らず、その場によろめいて倒れた。芳乃が近づいてくる。
「孝一郎! 大丈夫か!?」
「痛てえ……。でもなんとか生きてるみたいだ」
「そうか……」
芳乃はわずかに安堵の表情を浮かべて言った。
「芳乃、おまえ、雷王丸を斬ったのか? あのときの青い光はいったい……」
「斬ったが殺してはいない。あれくらいで死ぬような大神でない」
「山王丸は? どうして俺にとどめを刺さずに山に帰っていったんだ?」
「…………孝一郎。大神たちが狙っていたのはおまえではない」
「え?」
言っていることの意味がわからない。
そういえばたったいま、山王丸は俺の喉に確かに食いついたはずだった。俺は自分の首をなでる。特に怪我はしていないようだ。これはいったい……どういうことだ?
「これを、山王丸が咥えていた」
そう言って芳乃が差し出したものは……銀のネックレス。
「あ……」
俺は慌ててもう一度自分の首をなでる。ネックレスが無い。オオカミたちが狙っていたのは、あの司馬ゆかという女子生徒から貰ったネックレス? しかしどうして?
呆然とする俺の前で、芳乃は大きな石を一つ拾い上げた。ネックレスの十字架を別の石の上に置き、そこへ手に持った石を思い切り叩きつけた。
ゴキ、という鈍い音がして十字架が割れる。
驚いたことにその十字架は中が空洞のケースのような構造になっていて、そこには非常に細かい何かの機械部品がぎっしりと詰め込まれていた。
「わたしは機械には詳しくないが、これはおそらく盗聴器か何かだろう」
「盗聴……って、そんな、まさか」
あの真面目そうな女子中学生が、俺に盗聴器を持たせたっていうのか? あり得ない。それにいったい何のために。
「孝一郎。この銀細工はどこで手に入れたのだ?」
俺は今日ここに来るまでに起きた出来事をかいつまんで芳乃に話した。こうして思い返しながら話しても、あれが演技だったとはとても思えない。
「なるほどそうか。それはモテモテなお話でたいへん結構なことだな。しかしおまえはその『可愛い』女子中学生に鼻の下を伸ばしていたら、まんまと盗聴器を身に付けさせられてここまで運んできた、というわけだ」
いや別に鼻の下を伸ばしてはいないけどな。それになんか『可愛い』をわざわざ強調するのはどうしてだ?
「それじゃあ、あの女の子が俺のストーカーで、俺のプライバシーを盗聴するためにわざわざこんなものを作って、あんな芝居までした、ってことなのか?」
「おまえは……バカなのか?」
「む……」またバカ呼ばわりか。何度目だよ。
「盗聴器というのは、たいてい電源タップ型や家電製品に組み込まれてるもので、そういったタイプなら常に電力が供給されるから、発見されないかぎり永続的に盗聴することが可能なのだ。しかしその銀細工は非常に小型で電源はもちろん内蔵電池だけだ。つまりこの盗聴器は使い捨てなのだ。その『可愛い』女子中学生が、涙で瞳をうるうるさせて、せめて今日一日だけでも身に付けていてください、と懇願したというのは、つまり今日一日だけ盗聴すれば用は足りる、ということなのだ」
「それって……つまり……どういうことだ???」
で、なんで『可愛い』に力を入れるんだ?
芳乃は「ふうー」っとため息をついて言った。
「おまえは、バカなのだな」
とうとう「バカなのか?」の疑問形が断言に変わった。なんかすげえ悲しい。
「その『可愛い』女子中学生は、今日孝一郎がわたしのところへ行くことを知っていたのだ。つまり、盗聴したかったのは孝一郎のプライバシーではなくてわたしとの会話の内容だ」
芳乃はいったい……何を言ってるんだ?
「いや、だってそんなわけないだろう? 今日俺がミソちゃん先生に芳乃のとこに行けって言われたのは午後のホームルームの時間だし、そんな話がどこから誰に漏れるんだよ? だいたい俺は芳乃に会えるなんて思ってなかったし、それになんでわざわざこんな金がかかってそうな機械や、涙の演技までして俺に盗聴器を持たせる必要があるんだ? そんな手の混んだことしなくたって、神社の中の木造の小屋くらいなら他にいくらでも盗聴のしようはありそうなもんだ」
「わたしはあの小屋に一人で住んでいる。外線電話も無い。つまり仮にあそこに盗聴器を仕掛けたとしても、大した情報は得られないのだ」
「でも、それにしたって俺と芳乃の会話なんて、盗聴したからってなんの意味があるんだ?」
「それはわたしにもわからない。しかし、わたしに関して、あるいはこの石室山に関して、ほんのわずかでも新しい情報を欲しがっている者がいる、ということだろう」
「万が一そうだとしても、他にいくらでも方法が――」
「孝一郎」芳乃が俺の言葉をさえぎった。
「そんな方法は無いのだ。この山は、警察であろうと、大物政治家であろうと、誰も勝手には入れない」
「それは知ってるよ。でも、言ってみれば『立ち入り禁止』って看板が立ってるだけじゃないか。その気になればいくらでも入れるだろう? 実際俺も中に入ったしさ」
「それは孝一郎が武器などを持たない生身の人間だったことと、山門をくぐるときわたしを抱えていたからだ。そしておそらく、あのとき神がおまえが入ることを許したのだ。そうでなければここにはたとえ軍隊でも入ることはできない。人間だけではない。なんらかの機械のリモートコントロールや、携帯電話などの通信の電波も遮断されている。だからこの盗聴器もおそらくまだなんの情報も外へは伝えていないはずだ。しかしおまえがこれを持って帰宅したら、そのときに何らかの方法で回収するつもりだったのかもしれない」
そんな……バカな……。軍隊も電波も入れないだって? いくらなんでもそんなわけはないだろう。しかしもしそれが本当だとしたら……。
「しかしそれでも大神たちは、この山に勝手に入ってくる侵入者を許さない。おそらく孝一郎が首から提げている銀細工が、なにか良くないものだということを嗅ぎ取ったのだろう」
「そんなことって…………。芳乃、この山はいったいなんなんだ? ただの神社と裏山じゃないのか? それにおまえはいったい……」
「孝一郎。南から何か気配が近づいてくる」
芳乃が俺の話をさえぎって顔を上げた。
「えっ?」俺は驚いて立ち上がった。「あ! 痛っ! いてててて!」
木に打ち付けられた右肩が激しく痛む。
芳乃は俺の肩を軽く持ち上げた。
「肩を脱臼しているようだな。ちょっと我慢しろ。歯を食いしばって声は出すな」
「え?」
芳乃は左手で俺の右肩を押さえ、右手で俺の左腕をつかむと捻りこむように肩の関節をはめた。
「がっ!!!! あっ!!! ぐっ!!!」
脱臼した痛さの十倍の痛みが走る。俺は声にならない叫び声をあげた。
「男なら我慢しろ」
「お、男だって我慢できない痛みはあるよ」俺は涙目で答える。
「ゆっくり肩を動かしてみろ」
「…………」
俺は恐る恐る右肩を回した。少し痛いが腕は動くようだ。
「どうだ?」
「ああ、な、なんとか大丈夫だ。ありがとう」
「それより気配がかなり近づいている」
「またオオカミか!?」
「いや、大神はあの二頭だけだ。それに気配が大神とはまったく違うようだが…………むっ、来るぞ!」
俺はやっと痛みの引いてきた体を起こして立ち上がり、傍らに落ちていた木刀を拾って芳乃の前に立って身構えた。しかし、山門の方角から山を登ってきたのは意外な人物だった。