幸田露伴「土偶木偶」現代語勝手訳 (8)
二十
「もしもし、もしもし」と揺り起こしに来たあの女の声に、おや、どれくらい寝過ごしてしまったのか、と驚いて飛び起きれば、日の光が燦々と目に刺すように明るく、明け方の風が冷たくサッと顔を撫でる。
「これは!」と再び驚いて辺りを見回すと、あったはずの寝床もなく家もなく、身体はとある農家の籬の外の、松が七、八本並んだ中の一つの木の下にあり、自分はそこで寝ていたようだった。例の怪しい掛け軸は、枕にしたと思われる松の根っこにある。卜川がただただ驚いている傍で、彼をじっと凝視しながら、知恵の足りない者のように立っているのは二十歳くらいの女であった。袖の細い紺の働衣を着たその姿は、まさしく農家の娘に見えながら、目鼻立ちから姿形まで、寸分も違わず、昨夜見た女そのままである。しかし、その女、ものを言うようで何も言わず、しきりに卜川を見つめるだけであった。
夢か、夢なのか、どう解釈すればいいのかさっぱり解らず、あまりの不思議さに卜川も呆れて、ひたすら女を疑わしそうに見れば、女もまた卜川をよくよく見るばかり。
卜川も語らず、女も語らず、あたかも土偶と木偶が相対するようである。そうこうしている間に、赤い鶏冠厳めしく、垂尾優しい地鶏の美しいのが一羽いつの間にかやってきて、一声高く朗らかに鳴いた。
卜川はこれにハッと気を戻され、女を見つめていた目をちょっとそらし、間をおいてから、ものを訊ねようと丁寧に会釈して女の方に一歩、二歩と近づけば、女は微かな笑みを含んだ婀娜っぽい目でチラリとひと目卜川を見たが、そのままくるりと背を向け、踵を返して、スタスタと藁草履の音も柔らかに、家の中に隠れるように入っていった。
卜川は後を追って色々と訊ねようと思ってはみたが、相手は若い女だったので、心が咎め、躊躇してしまった。ちょうどその時、野良仕事をしていたと思われる年老いた農夫が通りかかったので、呼び止めて、まずここは何と言うところかと訊けば、滋賀の里の北はずれだと言う。大津からすればどれくらいのところかと問えば、ここから村を過ぎて南へ行けば南滋賀、それから次々に、錦織、小浪、山上、別所村、別所、その次が大津であると言う。そうすると、大津からはそんなに離れている訳でもないと、ますます驚いて、
「今ここで見かけた二十歳くらいの美しい人はこの家の娘らしいが……」と思い切って訊ねてみると、老夫は怪しく笑いながら、じろじろと玄一を見てから、つかつかと耳元近く寄ってきて、
「お前さん、うっかりしたことを考えちゃいけないよ。よその人らしいから教えてあげるけれども、あれはここの娘だが、口もきけず、耳も聞こえないんだよ。物わかりのいい、賢いいい子だが、何しろそんななので、誰にももらい手のない余り者。余計なことを考えて、背負い込んだら損になりますよ」と言う。重ね重ねの意外さにまた驚いていると、さっきの女が家から出て、こっちに歩いてくる。それを見て、悪口を言っていた老夫は知らない顔をしてすたすたと行ってしまった。
見れば見るほど昨夜の女そのままなので、あまりの不思議さに堪えられず、恐ろしさも感じたが、それにしてもこんなに美しく生まれていながら、耳も聞こえず、言葉も話せないとはと、湧き起こる哀れみ、悲しみの思いのままにその女の顔を見れば、女はいきなり卜川の近くに来て、片手でこっちに来いと手招きしながら、アアアとの声を出し、もう一方の手の袖を引く。何事かと怪しみながら、ふと見れば、左手の薬指に、所も所、色も色、まるきり同じの黒子が一つ、ありありと昨夜の女の指に見たのと同じものがあった。卜川は愕然と驚き、おびえて、ほとんど倒れそうになったが、かろうじて自ら支え、引かれるままにその家に入れば、籬の外の地面に寝て一晩明かした卜川を憐れんだのだろうか、物を煮る煙が白く匂い立ち、一家族が団らんして暖かげに食事をしている中に、膳を備えて卜川にも食事を施そうとするのだった。
土偶木偶の後に書す
卜川玄一、旅行中に唖美人を得て、妻とし、再び東京に帰って住み、中国の漢代の易学者君平や南宋時代末期の中国の政治家・学者であった仿得を学んで、生計を立てていた。しかし、今を去る三年前、一日にして夫婦共々家を捨てて、忽然と行方が知れなくなった。
卜川夫妻を知る者曰く、玄一は時々自分の妻を指してこう言ったという。
「私の妻は前世において、私に想いを寄せたことが原因で亡くなってしまった。そして、その怨み辛みが鬱結したため、転生した時に聾唖となった。まだ私に出会わないでいる時には、その前身は死んでいても、まだ死んでいないような状態にあり、また、妻が現実にこの世に生まれた時も、私に出会うまでは、未だ生まれていないような状態であった。すなわち、聞こえず、言えずで、外から見ればいかにも暗愚のように思えるが、心は聡明、智恵も明るく、内は非常に賢明なのであった。私がたまたま妻の前身の遺書を得ることとなり、かつ災難に遭うという究極の状況に陥った時、私の心は自ずから、意識には上らないが、色んなことを感じ知ることとなった。すなわち、自分の心は、前世に戻ってその過去の状況を自分に感じ悟らせたのである。前世のことを詳しく知ってはいけないと言うけれども、確かに私の妻の前身は追い詰められて、もうどうしても堪えられなくなり、私の元に逃げて来ようとしたが、それを果たせず、捕まってしまい、終に恨みを含んで自ら死を選んだのだ。そしてまた、私は前世では、敵に罵られ辱められて、これまた恨みの果てに悲痛な思いで夭折した男だった。この因縁の糸が絡み合うように、夫婦は今の世で出会うことになった。私は事前にこういうことをすべて知っており、妻はそれを知らなかったのだが、二人して宿命を克服し、前世に負ったものすべてを償うに至ったことにより、妻の聾唖はようやく少しばかりよくなって、聡明さが外にも現れ、終には常人と変わりない状態に近づいた。過去世・現在世・未来世という三世は必ず存在する。これを知らないと筋道がわからなくなり、それをしっかり理解したものが真実を知るのである。人々は務めて仏の道に頼り、情を篤くし、世の中の忌まわしい冤死をなくならせるべきである」
玄一の性格は若干愚かで、偏屈だが、その妻は利発で頭がよく、農家の出身とは思えない。ただ、非常に寡黙であっただけである。他は何も変わることはない。
この玄一の話を作者は鹿谷三郎に聞いたが、三郎はこれを根井守正に聞き、守正はこれを河島民子から得、民子はこれを藤沼時雄から得た。時雄は家を玄一に貸していた者で、彼は直接玄一本人から聞いたという。三郎は今、漫遊してインドにおり、その三郎は怪談話が好きで、奇妙な怖い話しで人を驚かすというが、彼によれば、この玄一の話などは、そのもっとも平凡なものの一つであると言う。
(了)
幸田露伴「土偶木偶」現代語勝手訳はこれで終了しました。
拙い訳にお付き合いいただき、ありがとうございました。
文豪幸田露伴の華麗な文体とは似ても似つかぬ恥ずかしい現代語訳となりましたが、最後までお読みいただきましたこと、感謝いたします。
勝手訳のため、原文の逐語訳ではありませんが、私の知識不足により、言葉の意味や文章の内容を「大きく取り違えて」いる箇所もあろうかと思われます。(特に「土偶木偶の後に書す」の部分)
その節はご教示いただければ幸いです。