33
殺して、生き返して、服従させる。
シャルロッテは頭の中でその言葉を反復させ、疑問が埋め尽くした。
(おかしくないかしら?想像したモノを創り出せるのなら、態々殺す必要なんてない筈よ。だって同等の力を造れるのだもの)
フリードが懸念している事が尚も分からなかった。だが、剣の記憶として残っている事が杞憂で終わらなかった事を示唆している。
これを見せられている意味はきっと、未来で起こったからなのだろう。今の段階では熟考しても分からない。
(だけれどもしかしてこれって、お母様が仰っていた……)
―――世界の真実?
「フリード、お前それを陛下に言ったのか」
ガラードの声に弾かれたようにシャルロッテは顔を上げる。
聞かれた当のフリードは肯定するように苦笑いした。それを見てガラードは溜息を吐き出した。
「前線に送られるわけだ」
「俺はこの国の未来を思って進言しただけだ」
「だとしても侵攻戦の真っ只中に、真反対の隣国には領地を広げてもどうせ敵わないからやめろと言ってるようなものだろ」
「事実なんだけどな」
何でも無いことのように告げるフリードに対して底知れない何かを感じシャルロッテは身震いした。事実だとしても血の繋がった親に対して前線に送られ死ぬ事を要求されたわけで、それを進言しただけなのにと悲しむ感情よりも国の未来に対して憂いている。
それはいつか王座に着くかもしれない人間としては正しい事だ。
(けれど、それは……。この違和感は一体なんなのかしら)
シャルロッテはフリードを見つめながら浅く息を吐き出した。父に似た容姿だが、父とは明らかに違う何かが胸に引っかかる。
「がっかりしたよ」
「それは、前線に送られた事に対してか?」
「そんな健気で神妙な心がけは持ち合わせていない」
「だろうな」
「母も兄達も保身に走って何もしようとしない。父はこうしてちっぽけな自尊心を通してる。愚かだよ、愚かに見えるんだ。俺がおかしいのかもしれない」
「見ているものが違いすぎるんだろうな」
ガラードは心当たりがあるような物言いをした。シャルロッテはガラードの表情を見つめ、頭痛が襲った時のような顔をしているとぼんやりと思う。
「陛下が十年後の未来を見ているならお前は二十年後の未来を見てる。お前が正解だと思うが――」
「いいよ、お前は傭兵だ。不敬でもなんでもない」
「……お前に及ばないんだろうな。で、陛下の尊厳を傷付けたお前」
「うるさいな、大体国の頂点ならば警告は有難く受け取るべきだろう」
「いいって言っといてお前なぁ。ま、それでしょぼくれてたのか」
「俺に対してはいいと言ってない。それに愚王だと宣言されるような事をされれば、誰でもがっかりだろ」
ガラードに揶揄われたフリードはそう言ってぶすっと膨れた顔をした。子供のような仕草で微笑ましく思うと同時にその違和感の正体に気が付いた。
(モノとして、見ているのだわ)
正しくは違うが、この表現が一番すわりが良い。
盤面に駒を配置し、駒を人に当てはめると言えばよいのだろうか。ガラードとのやり取りを見ていると人としての感情や倫理観は一般的でおかしくはない。最適解の国の未来へ誘う為、駒を推し進める。それは自分を含めた駒だ。
そこまでは統括者や王の素質としてあるものだと思う。
けれどシャルロッテがおぞましいと感じるのは、心から他者に共感し、心から慈悲を与え、その最適解の為ならば陥れる事が出来る。
自分で心臓を刺しておきながら嘘偽りなく心配し、大丈夫かと声を掛けるような、そんな。
(本気ですの?ガラード、貴方は本当にこのフリードに心を許しているの?)
苦虫を噛み潰したような顔をしたはずで。思い出したくない過去が過ぎったのではないのか。心当たりがあるような様子をしておきながら、ガラードはフリードに絆されている。
シャルロッテはこの先の出来事は予想出来ないが、この先のガラードとフリードの行く心の在り方はなんとなく予想できた。そんなシャルロッテとは相反し、憂う未来を二人で共有しどこか表情は浮かないながら、ガラードのフリードをみつめる銀色の瞳は、焚き火に照らされ宝石のように煌めいていた。
その様子から認識を改める。違う。絆される、信用する、信頼する、どれも当てはまらない。
強いて言うのならば“愛”なのだと。
「心配しなくても、俺はお前に付くよフリード」
フリードは微笑み告げたガラードをじっと見つめた。
「今のような傭兵なんかじゃなく。だから、戯けた遠回しな言い方はよせ。俺は……お前に俺の事を聞かれたあの時からずっと、ずっと」
徐々に声を掠れさせ、その瞳と同じ銀色の氷のように水の膜を張らせた。
「それだけで、その言葉だけで良かったんだ」
ぽつりと溢した言葉に、涙は落ちなかった。
ぐるりと世界が反転したような感覚に襲われた。
星空に満ちた世界はシャンデリアの金属が反射する輝きに変わる。ほのかに瞬く淡い光は消え、蝋燭の上を飾る炎がゆらゆらと踊り強く光を放っていた。
シャルロッテは朝が来たような眩しいその光に目を細める。
「貴方、おかしいわよ」
はっきりと耳に届いたその声にひどく心臓が音を立てた。その声はまさにシャルロッテ自身が話したと思う程よく似ていた。
明るい場所に目が慣れると、声の方向に顔を向ける。
「あの男は異常者よ。一体どういうつもりなの」
緩やかに波打つ銀糸の髪は丁寧に纏め上げられ、大きな黄金の瞳は蛇の様な瞳孔を目立たせた。釣り上がった目をすっと細め、険しい顔をしていた為に悪魔のようで恐ろしく見える。
体の形は華奢ながら凹凸ははっきりとしており、女性だと分かった。そしてその女性と相見えるのはガラードであり、僅かに眉を寄せていた。
「メディエナ、君とは云え不敬だ」
「結構よ。私は貴方と同じ北の蛮族の血が流れる末裔、今更不敬だなんだと気にする気にもならないわ。蛮族は蛮族らしく人の決まりなんて捨てて野蛮に振る舞うまでよ」
「……」
「私相手に黙ってやり過ごそうなんて、馬鹿ね。貴方は相当私の事が嫌いだなんて心を見る以前によく分かるわよ」
メディエナと言われた女性は蛮族と自分を称しながら、蛮族とは思えない所作を振る舞い、現在では使用されていない銀製の茶器に口を付けた。
目線は正面に捉えることはせず、罰が悪そうに目を逸らしたガラードは小さな声で吐き出す。
「君を嫌いなわけではない、苦手なだけだ」
その言葉をしっかりと聞いたのか、メディエナはすぐさま顔を顰めた。
「同じ事じゃないの、腹が立つわね」
「違うよ、君は悪くない。俺の問題だ」
「……貴方って、面倒な性格してるのね」
呆れた顔でじとりとガラードを見た彼女は「とにかく」と言葉を続けた。それに反応するかのようにガラードはメディエナに視線を戻す。
「あの男と婚約なんてしないわ。力が必要なら協力する」
「正直に言うと、それでは不十分だ」
「裏切ると思う?もう身内はいないのよ。ここの王が私の一族の力を欲し、弱く若い女であるからこそ私を生かしたのを知っているでしょう?」
「……ああ」
「あの男は気に食わないけれど私だって馬鹿じゃない、どうせなら寿命で平和に死にたいわ」
「付く方は間違えないと言うならば、尚更何故フリードと婚約しないんだ」
ガラードの真剣な問いに未だに情報処理が追い付かないシャルロッテはこの状況を冷静に整理した。
このメディエナと言う女性は恐らく先程の発言から、ガラードとフリードが野営をしていた戦争の相手国出身なのだと推測する。だとすると大国に勝ったプベルドは貴族を取り潰しに追い込んだのか取り込んだのか、メディエナの発言から察するのは前者だろう。
そして、これは確信に近いがメディエナはシャルロッテの先祖だ。御伽噺でもそうであるし、この瞳はシャルロッテと近しい能力を持っている。その能力を欲したプベルドの王はメディエナ以外の身内を殺害した。
そして今、この会話はフリードの反乱――内戦の前兆だ。
(けれど、どうして協力の持ち掛け先がメディエナなのかしら……元は敵国の女、裏切られたって不思議じゃないわ)
シャルロッテはメディエナと同じ色の瞳を揺らしながら強く言い放ったガラードと少しの間沈黙をしたメディエナを交互に見る。
問われたメディエナは目を伏せ茶器の中に映る自身を見ながら声を震わせながら呟いた。
「私は、この血を残したくないわ」
「血を……?」
「貴方は私の事を嫌っているけど、私は貴方の事は嫌いじゃないの」
「何を、言っているんだ」
「この血を、残したくないでしょう」
メディエナは息を吐き出すように苦笑し、呆然としているガラードに目を向ける。しんと静まり返った空間はほんの少しの秒数であったのに永遠にも似た気まずいような沈黙で、冷えるような感覚に襲われた。
「この血が呪いだと言うのならば、きっとそうなのよ。同じ運命を辿るわ。貴方もそうでしょう」
ガラードは視線が縫い付けられたように、何も言わずメディエナを凝視していた。音を立てずにすっと立ち上がる姿にようやくガラードの声が出た。
「まだ、話は終わっていないだろう」
「終わりよ、終わり。お互いにこの調子だもの、出直してきてよ。私も出直すわ」
「待ってくれ」
「――最後に」
扉の方向に向かい取手に手をかけた時、メディエナはガラードの方を向かずに問いかけた。
「貴方は、本当にあの男でいいのかしら」
そう言って、答えは聞いていなかったのだろう。ぱたりと扉は閉じられる。
此処には、ガラードとシャルロッテの二人。それでもシャルロッテの姿はガラードには見えていない、実際には剣の記憶の中のガラードただ一人だ。ガラードは眉を寄せて下を向く。苦悶の表情を浮かべながら、手を震わせていた。
(同じ運命を、辿る。知らなければ同じ事を繰り返す。)
(矛盾だわ。知っていて繰り返そうとしているの?)
シャルロッテが心の中でガラードに問いかけた言葉は絶対に返事は来ない。きっとメディエナも同じ事を思っていたのだろう。
息の音が酷く響き渡るような静寂に、ぽつりぽつりと音が聞こえ始めやがてざあざあと激しく音を立てる。雨が降り、窓の外は見えない。
何故か、誰かの心を見ているような居心地の悪い雨だった。




