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視界が砂嵐のようなぼやけた状態から少しの間意識を失っていた事に気が付いた。
そうして取り戻した意識は最悪の気分で、悪魔のような真っ黒な女が今度ははっきりと見えた。
「随分と迂闊な事をされましたね。何が来ても冷静に対処すると思っていたのですけど」
同じ顔の人形の首を持ちながら、こちらに近付いてくる化物を睨みつけた。なおも気にせず抑揚のない声に不気味さを感じ、暴言を吐かずにはいられなかった。
「ぐっ……かはっ……この、人形めが」
「分からなくも無いんですけれどね、現に私もこの首を抱えていますから」
自身が血を吐いているにも関わらず、その様子を上から眺め下ろし話し続ける化物は人形と呼ばれる所以に感じる。ヴァルテルが忌み嫌うのも納得できる、感情の見えない強大な畏怖。
「何が分からなくもないだ、感情などありはしない化物の人形が。お前に人の感情など分かる筈もない、悍ましく脳にこびり付いた忌々しい記憶と長い時を経ても癒える事のない心を!化物如きが……!」
「知る訳が無いでしょう。なんと罵ろうがお前が私を軽蔑するのでは無く、私がお前を軽蔑するんですよ。お前もあの男と同じ、唯一あの男に優っているのは辛うじて馬鹿な計画に世界を巻き込まない事でしょうか」
「何……?」
「ねぇ分かるでしょう、ガラード様。交渉の席に着きなさい、王の前でこの国の行く末を見届けれるのならば光栄でしょう?」
「お前達の思い通りになると、そう言っているのか?貴様」
人形は何も言わず、じっとこちらを見下している。
分かっている、そんな事は。雄型の人形ではなく、この雌型の人形をこの国に入れた時点でこの国の貴族など簡単に殺される程に圧倒的な力を持っている事は。
長年に渡りあの女の能力を隠し続けていたから、この国は目をつけられる事は無いと思っていた上、雌型の人形は数百年鳴りを潜め続けていた。何故今になって、動き出しているのかさっぱり見当がつかない。だが、先程の言葉からこの人形はあの創造神に反抗的な心を持っている。ありえるのか、そんな事が。
自分の口の中に残った血を床に吐き出し、立ち上がって疑問を問いた。
「……人形。お前は対立しているのか、今になって」
「今に始まった事ではありません。貴方が好きに引き篭もっている間も、抗ってきた――だから軽蔑していると言うんです」
「黙れ」
幾度となく挑発的な物言いをしてくる人形に端的に言い放つ。
腹は立つが東の連中と対立しているとなれば上手くいけばクラウス様も、王も無事に済むかもしれない。そして自分が死ぬ未来は遠くなったとしても、騒々しい隣国の者共を纏めて始末出来る。
不愉快だが利を考えるならば、乗る他ないだろう。
「私が求めるのは王の安寧だけだ、ただ貴様らに殺されるのだけは御免被る。交渉について後から刺されたら敵わんからな、人質を寄越せ」
「なんという傲慢。まぁよろしいですよ、ほら」
人形は左手に持っていた人形の首を自分に向かって放り投げた。受け止め、黒い毛の部分に持ち直し顔を見ると、眉間に皺を寄せ不機嫌そうな表情でこちらを見ていた。
「何だこれは。どういう理屈で人質になる?頭がおかしいのか」
「人質というのは本来求めるのでは無く、捕らえる事が正しいのですけれど。その理屈が通らないお方に言われる事があります?」
「皮肉はいい、さっさと答えろ」
「人質として扱いたいならば床に落とさないで下さいね。そいつは自分の影は無い代わりに他のものにある影に潜み、逃亡しますから」
「抱えている私の影には反応するのか?」
「いいえ、地に接していない影ならば問題ありません。地に浮かぶ影は別世界だという想像力逞しくできたのがこの人形なので」
そういう事か。幾ら地続きとはいえ国境に自分の盾が其々置かれている砦を創造神の血肉が入っている人形が何故安易にこんな所にいると思えば。全く鬱陶しいことこの上ない。
「それで?これを逃せば如何なる」
「人質としての利用価値はありますが?」
「用途を聞いている。でなければ交渉に応じるわけが無い」
「そうですね、過去を振り返っても所謂……私が勝てない相手を呼ばれるでしょうね」
「……偽りと暴く“モノ”はこちらには有るが、撤回は?」
「致しません。その“モノ”は、どうせランゲンブルクの血関連でしょう。悪趣味ですがその辺はまぁ何でしょう、今で言う“プロ”ですから。真実を述べるまでです」
人形はこちらを見つめはっきりと言った。なんにせよ、ここで虚偽を申告する理由はないかと納得する。
「いいだろう。ただ、疫病の蔓延を防ぐ為にある程度は騎士を此処から出すが問題はないな?」
「構いませんよ。魔王の民が入り込んでいるとはいえ騎士団の管理位は怠っていないのでしょう」
「当たり前だ」
よくもまぁ刺々しい言い方を一々としてくるものだと思う。あの銀髪の男の入れ知恵か創造神の副産物か。
何方にしても貴族の暴走を巻き起こした魔王の民を逃すわけにはいかない。人形共がどう出ようがきっちりと後始末を付けさせる。
「王都聖騎士団に告ぐ、第三部隊と第四部隊を中心にこの屍を運び出せ!火刑は隊長に一任する、第一部隊と第二部隊は御令嬢の保護に回れ!だが此処からは一切出すな」
自身が指示を出すと人形は満足したのか、無表情のまま翻し銀髪の男の元へと歩き出した。
聖騎士団はこの声に我に返ったのか其々の役目へと動き始めた。なんとも情けない事だと溜め息を吐きそうになる息を飲み込み、剣を腰に掛けた鞘へ収め王の元へと向かった。
アデリナは困惑していた。
ヴァルシェンベルク卿が聖騎士団に指示を出した事は、陛下のお隣で支え続けた宰相たる役目であるから構いはしない。
だがその前だ。ユディルはこの国の重鎮たるランゲンブルク候の義理とは言えど娘だ。その隣にいる全く同じ顔はミリアムではないのか、いや佇まいからいつもよりほんの少しだけ粗雑さが見えた彼女はもしかすると本当の娘、シャルロッテ嬢ではないのかと。
その重要な、この中で護るべきお方に優先順位をつけるとすれば三番目に護らなければならない方に何故ヴァルシェンベルク卿は刃を向けたのだと疑問だらけであった。
アデリナは自分が頭の弱い方だと自覚している。頭の悪い母に嫌悪感を抱きながらその自分がはっきりと血が繋がっている事は嫌という程分かる。グラウプナーの能力自体あることは分かっているがそれが本当に活用できているのかさえ分かっていない。
けれどと言うべきか、だからこそと言うべきか、自分の中で善悪ははっきりと決めていた。
(何の武の心得もない無抵抗な少女をいきなり斬りつけるだなんて幾ら疑われる者だとしてもあんまりじゃないの?)
この国の公爵として恥ずべき行為ではないかとアデリナの潔癖な精神はそう感じた。
正直良くはないが御陽の蹴飛ばしにはすかっとしてしまった。
感情を治める為にふう、と吐き出し倒れていた騎士から借りていた剣をもういらないだろうと地面に突き刺した。
「アディちゃん」
「のわあああっ!?」
横からぬっと現れた御陽に驚き、令嬢らしからぬとんでもない悲鳴をあげてしまった。
「ななな、なんなのよー!驚かさないでよ!しかもその呼び方何!?」
「親しみを込めて呼んでみました、駄目ですか?」
「アンタ、自己紹介から爆速で砕けすぎよ、おかしいわよ!?」
「ところで、ガラード様が交渉の席を設けてくださるそうなので。約束、守ってくださいますか」
「人の話聞いてんの?……て、え?もしかして話すって、証言!?しかも陛下の御前って事?今から!?」
「はい」
(何が「はい」よーー!!即答してんじゃないわよ!確かに約束したけどっ命の恩人だけどっ)
いきなりどうこうなるとは思っていなかったわけで。確かにこの場を逃せば、催事に紛れ込んだ反乱者を取り逃がすことになる。
けれどもアデリナはあくまでこの国の貴族である。しかも教会及び神殿を預かりし由緒正しいグラウプナー家の一人娘である。
アデリナ自身は助けてもらった恩があるが、若しも御陽やその仲間たちが反乱の主犯者だとすれば、ありのままの証言をしたとしても汚名は免れない。
やれ反乱者に味方したグラウプナー家の恥だの、やれ蛙の子は蛙だの、聞き覚えのない幻聴が聞こえてきた始末。
(胃が痛くなってきたわ……)
アデリナは耐えられなくなり、顔を覆った。
そんな様子を見ながらも先程までと変わらない声の調子で御陽は話続けてきた。
「安心して下さい。言った通り、悪いようにはしません」
「うう……やめてよ、慰めはいらないわよ。心配しなくとも義理は通すわ」
「すごいな、その歳でそんなに心決まってるのは感心するね」
御陽の声よりかいくらか低い新たな声が聞こえたのに気付き、覆っていた手を避け顔を向けると、今まで見た事のない位の美形がそこにいた。
「だ、誰よ。次から次へと!それにしても、美形ね……」
しばらく口を開けることしか出来ず、やっと出た言葉は感嘆であった。
そんな言葉を放ったアデリナを美形の男はまじまじと見つめ、薄笑いを浮かべた薄赤の瞳をさらに細めて、口角は深い笑みを作った。
「さぁ、お前の席はちょうど中間。この国の王とガラード、俺達の間、クラウスの隣……審判はお前ね。ははっ心配しないでよ、ただの揶揄だよ。エスコートしてあげる……お手をどうぞ?」
「いえ、大丈夫です!ご配慮感謝致します!!ねぇ御陽、ほんとなの!?見た所地獄への誘いだと思うのよ!」
「そんな物騒な。死にはしないですよ」
「一か百か理論やめなさいよーっ!」
どうにもならない状況を涙する間もなく、美形の男に腕を掴まれ引き摺られていく。御陽は引き摺られていくアデリナの後ろを付いていった。




