30
あの忌々しい魔女の顔に良く似た顔を見て、ガラードはこびり付いて離れない幾ら頭を掻き毟っても消えない、悍ましい記憶を湧き出た泉のように思い出していた。
魔女とはなんと醜いものなのか。
そう思うのは、ガラードは自分の出自を知っていたから。誰も語ることは無かったが、己の置かれた状況を冷静に判断し調べ尽くし出た答えだからだ。
かの北西の島の一端の国、のちにそこを含めエグリシアと呼ばれる国で、ある王の慈悲を得て泣き喚くことしか出来なかった赤子の頃から育てられた。その時には両親はおらず王の手配で修道院に入り、学も衣食住も保証され何の不満もなく健やかに育った。国の支援を受けるその修道院は男は騎士や聖職者、女は修道女と約束された道があったので抵抗することも無く聖騎士として修行に励む毎日であった。
けれども自我を持ち始め、同じ環境で育つ仲間に目を向けるようになるとどうして此処にいるのだろうと気になり始める。
ある者は一定の間隔で訪れる男に玩具を貰ったり、ある者はこれもまた身奇麗な高価な物を身に着けた女と顔を合わせたりと。ガラードは幼いながらも分かってはいた。あいつはあの男の隠し子だったのか、あいつの親戚関係はあの女なのか、だとか。別にこの修道院では特別な事ではない。国が支援をする修道院だ、あらゆる貴族の汚い部分を集めた――それでもまぁ子供を捨てず養うだけ綺麗な場所なのだろう。
じゃあ、自分は。どんな父と母を持ち、どのような経緯で捨てられたのか。
興味や知識欲は人を殺すのに最適だ。この世を一番賢く生きる方法は何も知らずに、他人から聞く自分の都合の良い情報で一喜一憂する事だろう。
出自を知ったのはガラードが青年になった時、聖騎士として武勲を挙げていた時だった。
英雄の再来、王の後継とまで云わしめたガラードの持つ特殊な力は多くの者を魅了した。大盾を掲げ行軍する姿は大きな防壁と思うほど人々に安心感を与え、太陽の光を受け輝く薄金の髪は暖かみを感じるのとは対称的に冷静さを思わせる銀色の瞳は知的さが現れているようで、特に若い女はその優れた容姿も含め熱狂的に称えていた。
そうして好調に世を渡っている中、育ての親である修道士がふと溢した言葉があった。
――英雄の再来と言われるとは、やはり良く似ているからかな。
“英雄”など、悪い意味ではない純粋な褒め言葉であろう。
ガラードは何も知らずに大きくなったが、やはり気になるのは当たり前だった。
自分の父が立派なら母はきっと素敵な人だったのだろうか、いやいや、素敵な人ならば自分を捨てたりしないだろう。けれど、もし事故で二人とも亡くなってしまったのならば。
もう小さな子供ではないのに、大きな期待なんてないと思っていたのに。
あの言葉を聞いてから自分の親を想像して、心臓が大きな音を立てて腹の辺りがじわじわと熱くなるようなそんな感覚を持っては、どうせそんな訳はないと湧き上がる熱を冷ました。
気になってしまえば、やはり調べてしまうもので。
調べた結果ガラードの感想としては、まぁそうだろうな、という陳腐な言葉と感情で終わる。
ガラードの父はこの国の王と共に国を護り、周辺国と鬩ぎ合う戦場を駆け抜けた。疾風のように駆け迫り来る敵を薙ぎ倒し、王の行く道を拓ける姿はまさに“英雄”だったそうだ。
名を馳せる頃には王は立派に戴冠し、父もまたその下で忠誠を誓い歩み進もうとしていた。だが時は同じくして、我が国よりも北にある同じ島に位置する小国があった。その小国は何処ぞに存在するかも分からない世界樹を信仰し、妖精に愛された魔法使い――もとい北の一族に執着し血縁関係を残していた。
そして北の一族の血を継ぎ色濃く能力を受け継いだ小国の姫、これが王の婚約者になる。その姫は白銀の髪に真っ赤な瞳を宿してその当時ですら稀な色を纏った女だった。綺麗な女であったが王は特段惚れ込む事はなく、かと言って無碍に扱う事もなく極めて堅実で適切な対応をしていた。
誰が見ても政略的な意味を察する距離に不満を示したのか、それともどうも思っていなかったのかは分からない。そして姫は王ではなく英雄に恋をした。
北の一族は自然を信仰する一族で自然現象を神の力と考えた。世界樹は様々な世界を繋ぐ樹であり、自然現象の根源は世界樹から巻き起こるとされ、慈雨の神、豊穣の神、雷雲の神など其々の神が司りこの世界を護っている。その自然の中で生まれた生物は新たな創生物を生み出すので、神の力を分けたる妖精――則ち風水土の自然がこの世界で最も知能の高い生物、人間を加護し力を与えたとされる。
一方でガラードの生まれた国はプヴェルダントの元になる一神教を信仰している。神がこの世界の全てを創り、悪魔が人に知識を与えた為際限なく欲を求めるようになった。だが慈悲こそ神で、神は人にあらゆる能力を与えた。だから神に与えられた力で人々を導く者は神の使いであるし、自分の力を欲深く振るう者は魔女であった。
この二つの思想の違いは戦争にも発展し、その結果この北西の島では大半が一神教を信仰されている。
だが小国は北の一族に執着はしていたが自然信仰にはそこ迄は執着していなかった。だからこそ自国を護るため自然信仰の神が一神教によって悪魔にされようとも、反抗せず属国に成り下がった。
そんな政治的背景を知ってか知らずか、恋は盲目であったのか小国の姫は王の婚約者であるにも関わらず自身の流れる血の能力を使い、英雄と無理やり身体の関係を用いた。
姫の能力は精神を自分の思い通りにする、簡単に言えば魅了だ。何度も何度も英雄と逢瀬を続け、そうして生まれたのがガラードだった。
裏切られたと言っても良い王は、罪に問おうとはしなかった。だが立場上何もしないにも問題がある。そしてそれに拍車をかけたのは王の下の者だった。仕える貴族は婚約者の裏切りと小国の処遇、英雄の不義理を訴えた。
その事が知れ渡ると小国は姫の愚行に怒り姫を魔女だと糾弾した。一神教では魔女は火炙りの刑に処される。魔女は遺体があると復活されるとするからだ。そうして姫は裁判にかけられ、火炙りにされた。
王と共に戦った英雄は王の酌量を得て、裁判の前に心を病んでその地を去った。英雄のその後の事は分かってはいない、心も分かる事はなかった。姫を本当に愛していたのか、王に罪悪感があったのかは分からない。
だが残されたガラードは王によって慈悲を与えられたのだった。
その出自を知ったガラードはそうだろうな、と妙に納得したような落胆を覚えたような、言い表せない気持ちであった。
どうせそんな事だった、それどころか意地汚い欲に塗れた魔女の血が流れているではないか。だから捨てられたのだ、でなければこんな所にいない。なにを期待していたのだろうか、胸を高鳴らせ親が立派な人間だったら如何だったというのか。英雄の再来と言われ誇らしく思ったのだろうか。この修道院の奴らを見て、自分はお前達とは違うと特別なんだと思っていたのだろうか。
――違う、違うけれど
大湖に薄氷が張ったようなそんな、気持ちだ。
危うい薄氷に溢れそうな水を全て閉じ込めて、何でもない振りをした。
ガラードは聖騎士として“英雄の再来”として栄光を浴び続けていた。
だがある日から自分の衰えを感じなくなった。同年に生まれた者達も皺を増やす者もいれば、自分のように時が止まったような者もいた。神の使いとして聖騎士を勤める者達は不思議ではない、現に王もずっと若かりし頃のままだ。
だが、ふとガラードは思った。
自分は永遠にこの地で命果てるまで、戦い続けるのかと。英雄と呼ばれた父は戦い、光を浴びて幸福をこの地で得て、この地で不幸に陥った。
汚らしい魔女の欲に囚われ、逃げるようにこの地を去った父と同じ未来を辿りたくはない。
なら自分は違う道を行きたい。
そう思うがままに、ガラードはこれ迄慈悲を与えてくれた王に別れを告げようと王との謁見を希望した。
特に拒まれる事もなく、王はガラードに会うことを許可した。
数年前に会った王は自分が会った今でも変わることなく穏やかな目でガラードを見ていた。
――行ってしまうのかい?ガラード
優しく呼びかけられた自分の名は、紛れもなく王が名付けた。かつて王と共に戦った英雄の、名前だった。
私を恨んではいないのですか、そう聞いた。
私は誰も恨みはしないよ、恨まれる事を沢山したからね。だから私は誰に殺されようと恨みはしない。
人に生まれたからには必ず何処かで死ぬんだよ。他の者より永く生きようといつか必ず人は死ぬんだ。
けれどね、それを恐れることは悪いことではないんだ。泥臭く生きて這い蹲って太陽に向かって手を伸ばしても何も悪い事では無いんだよ。
汚くなんかないし、高潔な精神は揺るぎはしない。
自分の道を生きなさい。ガラード。
君は君でしかないのだから。
王はガラードをどこまでも慈悲の目で見ていた。
深層を覗かれたようなそんな気がするのに、けれど求めていた言葉はそれではなかった。
この国の王以外は英雄を、父を自分と重ねていて、同じ道を辿る事を恐れていた。
王はそれを分かっていた。ガラードの気持ちすら、全て分かっているのに優しく遠ざけた。
『君の話を聞かせて』
この言葉だけでいいのに。
厚くもない薄氷を誰かが軽く叩いて水を汲んでくれるだけで、この湖は溢れずに穏やかな水位に戻るのに。
知ってる。分かっている、期待なんてするだけ馬鹿だ。そう勝手に拗ねては自分から歩み寄らず、誰かがこの薄氷を割ることを待っている。
愚かな、愚かで醜い魔女だ。




