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何人斬っただろうか。
知っている、何人なんて数え方は間違っている。何個、だ。
これはもう人ではない。――心がないというのは死を意味すると私は思う。
目の前の屍は腕と胴を繋ぐ脆くなった骨の関節はいつ落ちてもおかしくはない。辛うじて修復しようと体は血を巡らせているが、それももう限界だ。
彼らは人であった。魔王の血が無ければこうならなかった、魔女の血が無ければこんな筈ではなかった、だが、二つの血が無ければ彼等の無念の反逆は起こせなかった。知らずに利用され続け挙句こうなる事を知りながら、知らずを通したこの国への反逆だったのだろう。
クラウスは何が何でも辺境の地の無念をここに連れてきた。見せつける為に、妻の意志を継ぎ地獄に堕ちようとも墓を掘り成すべき事の為に。
昔から血だけはどうしようもなかった。自身の力で元に戻しても、血だけは混ざり合い所有者の血に還らない。
だから意識を無くした彼等を苦しませずに逝かせる方法は、これしか無かった。
自分には脳と言う器官がない、胃も、腸も人に必要なものは揃っていない。ただ、心がそこに宿ると言われる臓器だけは体を開かなければ目に見えないのに、存在していた。
それは悲しいと感じれば、締めつけられるような感覚に似ていて、一定の音を毎日奏でながら感情に揺さぶられるとけたたましく音を立てる。それに呼応するように呼吸が乱され、苦しみを与える。
痛覚も嗅覚も感じない自分はこれだけは、これだけが人の感覚だった。
あの男が最初に与えたこの感覚を、今自分は感じていた。
「はぁ……、っ……は……」
広い会場に静寂が広がった。床には切り離された肉と黒ずんだ血が埋め尽くす。
ここに立ち尽くしているのは自分とそして――
ギィンと耳を震わせる大きな金属音が響いた。
御陽は頭の上で刀を挙げ、剣を受けた。剣を振るった相手は見ずとも分かる。
「片付けた所で殺そうとするなんて卑怯、というものでは?ガラード様」
「化物にひ弱な人間が対抗するには、卑怯と言われてもやらねばならんだろう」
「理解しかねます。ひ弱な人間?知っていますよそういうの、寝言は寝て言えと言うんですよ」
御陽がそう言うと、刀剣が合わさった間に茨が床から這い出てくる。ガラードは後ろに下がり茨を斬った。
「これは……やはり」
ガラードは恐らく茨を出したであろう人物を見る。この位置からは少々遠いが確実に此方に向かってきていた。その様子を見ながら先程剣を交えた人形が感情のない声を出した。
「余計な口を効かないほうがよろしいかと思いますよ」
「脅迫か?それこそ人形がプベルドに攻め込んできたと言っているようなものだが」
「言ったそばから……矛盾ですね。仮にそうだとして利益はありません」
「あるだろう、この国には――」
「へえ」
低く響く声のする方へ顔を向けた。
そこには余り目にする事もない色に身をまとった美しい顔をした男が立っている。
「聞かせてよ、あの男が欲しがる何が此処にあるのかを」
銀の髪に明るい赤味を帯びた瞳の色は、二千年以上も前に己が北西の島国で聖騎士を務めていた時に出会って以来の色であった。
そして口は弧を描き、侮蔑の混じった嘲笑を浮かべて此方に問いかけていた。
「ふん……何者かも分からん貴様に答える義理もない。ましてや由緒あるこの催しを利用して襲撃を行うとは到底許される行為ではない」
「やめてよね。そうやって罪を擦りつけるなんてさ。冤罪にも程があるでしょ」
「ならばどう説明をつける?その雌型の人形と雄型の人形が対峙した時に動く屍が雪崩れこんできた、関連性がないと言うには無理がある」
「それじゃあさ、東の人形の仕業って言うんだったらなんでその人形が仲間の首獲ってんの」
「そんなもの知るわけないだろう。身内の争いに巻き込まれた形となった訳だ。どう責任を取ってくれる」
「ふっ、笑わせないでよ。巻き込まれた?その割に随分と自分とこの貴族さん達暴れ回ってたんだけど」
ガラードは男の言葉に返す言葉を失った。この屍はこの状況で微動打にせず、粛々と処理をしたクラウスが仕組んだ事なのは明らかだ。だがそれを正気のある貴族達の前で糾弾すれば必ず処刑せねばならなくなる、それだけは避けたかった。
ガラード自身を討ち取らせる為にクラウスの企ては放っておき、ルガルニアの民や貴族の暴走も自身の防衛の迂闊さを理由にクラウスに革命させる事を望んでいた。
だが、東の連中が絡んでいる事は予想外だった。何のためにと考えればあの女の能力しかない、だが何故今になって。
様々な思いが一瞬で駆け巡る。それでも、しなければならない事は一つだけだった。
何としてでもこの東の連中に罪を被せねば。
あの方が望んだ、国の安寧を全うせねば。
思考を固め男を見た時、静寂の空間に遠く足音が聞こえた。
そこに向け、それが目に入った瞬間に思考が――真っ白に消える。
血が沸き立ち、息を飲み気付けば足を踏み込み身体が勝手に動いていた。
「は、不味い!御陽っ」
「……っ駄目です、届かない!」
突然に途轍もない速さで走り出したガラードに御陽も追い付けず、驚愕した。リドヴィッグは声と同時に茨を出しガラードを捕らえようとするも止まらず、このままではと御陽は覚悟した。
(まさかこんなに反応するのかっ!それよりも私が追い付けないなんて……こうなれば意識のある斬られた瞬時に治すしか!!)
ガラードは剣を振りかざし、今斬られようとされている者は何が起っているのか分からず大きく目を見開く。御陽が手を伸ばし力を込めたその時――
肉の裂く音では無く、金属音が劈いた。
「くっそ、あぶねぇ!!なんなんだ一体っ!おい大丈夫かシャルロッテ」
緊張感の無い声が会場を響かせる。
ガラードとシャルロッテの間にアリオットが割り込みレイピアで剣を受けていた。
「大変感謝しますアリオットさん……なにがか弱い人間ですか?ガラード様っ!」
少し呆然としているガラードに、御陽は容赦なく首に蹴りを入れた。避ける事なくまともに受けたガラードはその勢いのまま吹っ飛んだ。
「おいおいおい、お前……いやマジか」
「これくらいで死ぬ男ではありません、正当防衛です」
「正当防衛って確かやられた奴がやるような……」
アリオットの声は無視をして、飛んでいったガラードの元へと早足で向かって行った御陽を横目に腰が抜けてへたり込んだシャルロッテをユディルが支えた。アリオットは床にぽたりと絶え間なく落ちる水滴を見て、シャルロッテが泣いている事に気付いた。
「大丈夫か」
苦しそうに顔を歪めるユディルと静かに涙を零すシャルロッテに向け腰を落として優しく問いかけた。
「すまない、ミリアムの言うとおりだ。私は慢心していた。ガラードがあんなに、一瞬で……くっ」
ユディルの声にシャルロッテはゆっくりと首を振りながら震える声で一生懸命に言葉を繋げた。
「いいえ、違うのです。わたくしは……悔しい。何もできなかった、憎悪も畏怖も悲哀も何もかも感じなかった。あの男は、わたくしを必要としていない。利用する価値すらないと、思う程、小さな虫を殺すように」
「慢心していたのはわたくしの方……!」
生き残してきたからには、対面すれば殺されるなどと考えた事もなかった。ガラードにとって利用価値があるのだからと高を括っていたのだ。
それは違った。ガラードにとってでは無くてこの国にとっての利用価値。そしてこの震える足はあの銀色の瞳を除き込んだ時に流れてくる感情を覚悟したのに、なにも感じなかった恐怖だった。
心が見えない恐怖は底知れなかった。恨みであれば受け止めた、悲しみであれば疑問に思う、恐怖であれば感情を知られたくないのだと。一切の感情を見せず、真っ白な思考で自分に刃を振り上げるその光景が目に焼き付いて離れない。
震える身体を自身で擦ってなんとか落ち着かせようとするが涙が溢れだして止まらなかった。その様子を見たアリオットはシャルロッテの肩を両手で掴んだ。
「こっちを向けシャルロッテ」
優しい声の言う通り、ゆっくりと顔をあげた。シャルロッテは恐る恐るその翠眼を見つめる。
「お前は、アイツがお前に向ける感情を知りに来たのか?」
「……いいえ」
「そうだよな。俺はお前が立派で優しい人間だと思ってる。それは僅かだが共にいた時間でそう思った。けどシャルロッテ、お前は俺と居た時間より短い時間でアイツの感情を知ったつもりなのか」
「……っ」
「お前は父を助けに来た。そして、この国に蟠る過去を暴きに来た、違うか」
「違いません……その通りですわ。わたくしは、負の遺産の復讐に来た」
その為にガラードの過去を暴きに来た。恨みの連鎖と悲しみを生む悪しき風習の、負の遺産を断ち切る為に。
優しく叱咤したアリオットが服の袖でぐいっとシャルロッテの涙を拭った。
「ここは涙を拭かねぇといけないとこだろ?怒られたからな」
悪戯っぽく笑い、少し乱雑に拭われたその姿をみてシャルロッテは思わず笑みを溢す。
そして自身の頬を両手で叩いて気持ちを切り替える。
御陽がシャルロッテを交渉材料に使えると言っていた。屍食鬼を始末された状況を見るにこれから始まるのは恐らく王を傍観に据えた交渉の場。
御陽とリドヴィッグが焦った様子を見せた事を見るとその交渉は始まっていたのだろうが、あまりにも突拍子も無くありえない状況でガラードは自分を殺そうとしたのではないかとシャルロッテは考えた。
だとしたら真っ白な思考で、アリオットに妨げられ呆然とした態度を見るに条件反射と言うべきか、まさしく身体が勝手に動いたと見るべきではないか。
「……アリオット様ありがとうございます。そしてごめんなさい、わたくし情けない所をみせてばかりですわ」
「あのなぁ、お前は俺の歳より十分の一にも満たない子どもだぞ。情けないどころか圧倒されっ放しだっつの」
「ふふ、本当にお優しい方。わたくし、もう膝を着くのはごめんですわ」
シャルロッテは立ち上がり、ドレスに着いた汚れを振り払う。飛ばされたガラードの方向を睨みつけた。
「思い通りにはさせない。何もかも」




