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自分は死にたい訳ではなかった。
確かに最愛の妻を殺され、娘は死の運命に辿ろうという絶望的な生を歩んでいるがそれでもいつだって復讐の念は消えてはいない。
だからこそ自身の死が自身に執着するガラードにとって最も効果的であり、何よりガラード本人が自分を手にかける事によって与えられる傷こそよりガラードを苦しめられるのなら喜んで死のうと。
王を助ける為に教育されて来たが、本当の傀儡と化した王を助けた所でなんの価値になる。だから母は死んだ、生まれた時から縛り付けられていたが最期は自由を得る為に。
愚かに見えるだろう。魔女でもない癖に血という概念に縛られ続け、幸福を得ようとも思わない生を。
だが自分達はその生き方しか知らない、分からない。本当の幸福を知り歩めるかと思った矢先に最愛は死んでしまったのだ。あの時から、いやきっととうの昔から私達の血筋はとっくに心は壊れていたのだ。
血と思想という愚かな縛りのお陰で。
「――そんなに、分かりやすかったでしょうか」
少しだけ掠れた声で小さく呟いた。リドヴィッグは困ったように眉を下げて笑う。
「いいや?まさかそんな手の込んだ自殺、するわけ無いと思うでしょ」
「なら何故お分かりになられた」
「俺が、魔女がされたら一番嫌だろうという事を考えたから。流石だね」
クラウスの思惑に気が付いた時にはリドヴィッグは寒気がした。特段驚きの感情ではなく、もし、自分が愛した相手に殺されるのではなく自身の手で殺さなくてはならない状況になれば。
「おまけにガラードは自分じゃ死ねない。俺なら狂ってる」
「やはり、自分では死なないのですね」
「二千年も生き続ける理由は魔女なら愛する者の為か愛される事への枯渇の二択だよ。ガラードは……どちらもって所が妥当かな」
ちらりとリドヴィッグはクラウスを見たが目を細めて黙り込んだ。静かに佇む様子からリドヴィッグは感心した。
これは、ガラードの本質を理解せずに計画したのか。だとするとクラウスの徹底的な苦しみを与える復讐はある意味才能だと王の側に立つ銀眼の男を嘲笑した。
――俺は分かるよ、他人事とは思えない位だ。お前は愛した者に永遠とも言える使命を課された、そして。
かつて愛した人に似たこのクラウスに殺されれば永遠の使命から解放される。そうして満たされながら死んでいくのに至高な愉悦を感じるのだろう。
けれどそんな日は来ない。
負の遺産を系譜し続けたのはお前自身だ、そんな都合のいい話は無い。断ち切りもせず覚悟を決めもせず、歪な継ぎ接ぎでこの現代までに至った中途半端なお前は中途半端に生かされ絶望し続けるのに相応しい。
ガラード、俺は感情を分かりはしても理解はしない。愛した者に似ているからと言って間違えるようなそんな恥知らずは生きている価値すらないと自分は思っているが、目的が巡り巡ってお前を生かすことになるとはなんともやる気のでないものだ。
(それも、何もかもどうでもいいんだけどね)
そう、自分は酷いのだ。あの子の為なら他の何もかもどうだっていい。あの子の願いの為なら何を犠牲にでもできる、例え自分に学を教え込んだヴァルテルでさえ踏み躙れる。
「まぁ、彼奴は世間から見ても死んで然るべきだけど」
「……?」
「ああ、ごめん。そうだな、お前はお前で好きにすればいいよ。俺も俺で好きにするから」
クラウスは屍食鬼と魔女が乱戦する姿を見ていた視線をリドヴィッグに戻した。目を合わせても娘でさえ読み取れなさそうな感情を浮かべているような気がして何故だか不安になった。それでも、好きにすればいいと言うならば好きにさせてもらおう。
「一つだけ聞いてもよろしいか」
「何?」
「頼んだのは、ルシエナか?」
「違うよ」
その答えに眉をひそめた。だとしたら、誰が自身を助けるなどという考えに至ったのか。「驚いた?」と面白おかしく問いかけるリドヴィッグを見た。
「人間は三歳の記憶は意外と覚えているものなんだよ、特に賢王の血ってのは案外侮れないのかもね」
「……まさか、あり得ない」
「まぁ、あれは魔女の特質と言うよりかは生まれ持った性格だと思うけど。執念深い感じ、母親似?」
娘は、シャルロッテは思った以上に賢く優しく育ったようだ。軟禁し、挙句人と関わらせず自分を憎むのが当たり前のような環境でどうして見捨てずにいられるのか。クラウスは思わず涙が出そうになった。
「死ぬ前にもう一度だけ、会いたかったな」
クラウスの小さく出た言葉にリドヴィッグはぴくりと反応した。そして不満気に答える。
「ちょっと、もう自分の目的を達成できるつもりでいるの?なんかやる気出てきたな」
「この状況で私の死は確定しているので」
「どうかな。見てよあれ、分かるでしょ」
そう言ってリドヴィッグが指を指す方向に目を向けると東の人形が異様な速さで剣を打ち合っている。
「知識のあるお前は昔々あの子が何をしていたか、知ってる?」
「……アンインストメルヘンか。私ごときでは知る訳が無い」
「あの時の言葉で削除された物語なんて。今ではそうなってるんだ、笑っちゃうね」
「それで」
「あぁそうそう。あの子さ、生きた屍を作るのが得意なんだよ」
そう言うと茨が地面から這い出て屍食鬼の腕や足を貫く。貫かれた屍食鬼はどろっとした赤黒い血をぼたぼたと溢しながら手足を動かし続ける。
「でもこんなに生きてるか死んでるか分からない、肉も剥げて腐り落ちてないんだけどね」
「言っている意味が分からない」
「全部は知らなくても“アンインストメルヘン”っていうの?その一部はガラードは知ってる筈なんだよね。つまりさぁ」
形は違えど生きた屍を利用し続けた東の人形とお前とでは信憑性が桁違いだし、ガラードは確実に東の人形にこの事件を擦り付けたいでしょ。
クラウスはその言葉を聞かずとも理解した。
「お前の狙う場所は分かりやすいですね」
「首裏と腹以外は気を失わないからでしょう!」
長い間同じ事を繰り返し打ち合っているが、昔と変わらず単調な動きで自分の急所を狙う様は滑稽であると御陽は感じていた。それが逆に助かってはいて、寧ろ自分の動きが鈍っているのか片割れの動きが更新されたのかまだ此方から四肢を落とせずにいる。
(鈍っているだなんて、人間でもあるまいし)
自嘲気味に思った事はまた人間らしさを感じた。
そう思えば思うほど何とも言い表せない気持ちになり、あの男に創られた箱庭に幸福を感じていたなどと認めたくないと頭を振りそうになる。自分は全てあの男に創られ、この感覚や思い描く幸福ですらあの男の創造だなんて絶対に認める訳にはいかない。
そもそも昔は数分で片割れの四肢を落とし首を刎ねていた筈だ。それもこれも訛っているなどと言う話ではなく、単に余計な事を考えているからではないか。
何よりこの状況に安心感を覚えているのだ。リドヴィッグが動き意思を持っている状況に、自分の側で生きているという実感に。
(昔は……そう、片割れ如きあしらえ無ければ愚弟に辛酸を舐めさせ続けられる状態だった)
こんな所で時間をかけている場合ではない。早くこの手で、“私”という存在の、あの男が創り上げた物のこの手で――
「殺す」
先程の空気とは一瞬で変わり殺気立つのが御月には分かった。責め立てていた刀を瞬時に引っ込めようとしたその時、御月の腕が飛んだ。御月は焦りはしたものの体勢を立て直そうと飛んだ右腕から刀を左腕に持つ。
御陽はそれを見て改めて自身の持つ剣を確認する。御月の腕は硬いものではないので刃こぼれは殆どしていないが、刀よりかは力を余計に加えなければ腕すら落とせなかった。刃こぼれなど治せば問題は無いので御陽の出せる力で首に刃を入れこんだとしても半分しか通らないだろう。だが丁度いい。
「私が態々最初に首を落とさなかったのは分かっているんでしょう」
「さぁ?動きを封じるのが普通ですから分かりませんね」
「私は毎回毎回お前の煩わしい声を聞きたくなかったので最初は必ず首を落としていたのは覚えていないようですね」
「ええ、覚えていませんとも」
「皮肉の応酬をしたいのではありませんので単刀直入に言います、あの男は何処にいる」
「言うと思うのですか?」
「思いませんね、ですからこれは忠告です。……ヴァルテルを殺すと宣言しておきます」
間髪を入れられる隙もない会話が続いたがここで漸く御月が黙り込んだ。無表情の裏で御陽は御月の考えている事は容易に推測できる。この鏡写しの片割れはあの男の為に動いているようで動いていないのだ。
「誘き寄せるつもりですか?お父様は来ない。佐乃が来ますよ、どのみち繰り返す」
「お前は何故リドくんが意思を持って生きていたと報告しないのですか。ヴァルテルを殺したってお前達には関係が無いでしょう」
「姉様は分かっているから質が悪い。……流石、マガヒノラとあの箱庭が名付けられるだけありますね」
「は……?」
その様子を見て、御月は御陽を動揺させた事が非常に嬉しかったのだろう。何よりその事を理解していなかった事が間抜けで、ひたすらに可笑しかったのだろう。憎たらしく、声を段々と大きくさせて笑っていた。
(マガヒノラ、今の世界の共通言語で使われていない言葉であれば、あの男の暮らしていた時代の言葉?マガ……禍、わざわい……?)
――あぁ、そういう事か。
御陽は握った剣をそのまま眼前にある首に切り込んだ。柔らかく肉の割く感触があったがそれは首の中心にあたる部分で刃は止まる。
御月は特に動じなければ、変わらずに可笑しそうな声で言い放つ。
「だから言ったのに!姉様、そんな剣で僕の首が落とせるのかと!」
「えぇ、えぇ。ありがたいお言葉ですね。ですがやはり脳という器官がなければ考える事も昔と変わらなく単調という事が分かりますよ」
「はぁ……?」
その時御月の後ろから何かが飛んでくる。振り向く間もなく飛んできたものは鋭い刃の様に御月の半分切り込まれた首を完全に落とした。
ごとりと床に落ちた鈍い音を響かせた後、御陽は乱雑に御月の髪を掴みその首と正面に向き合い口を開いた。
「最初に拳銃を放ったでしょう。放った水とお前の赤い液体が混ざり水量が増えたんですよ?私を嗤えて嬉しかったですか?今度は自分の間抜けさを嗤いましょうね」
切り落とした首は声を出せずに顔をこれでもかという位に顰めていた。痛みや苦しみから来る表情ではないのはよく分かる。だがそれ以上に自身は、本で学んだ人間のように血が巡っていたら沸き立つくらいに怒りが収まらないのを感じていた。
「あの男に伝えろ、この世の災いはお前の方だと」
そう告げると首を掴んだ腕を降ろし、呆然に立っている御月の体の四肢を完全に切り離した。
――何が禍陽之羅だ……御陽という名を付けて、その為の箱庭は捕らえる為の網だと言うのだから馬鹿馬鹿しい
崩れ落ちる御月の肢体を只見つめて、怒りと同じ位心に虚しさを感じていた。




