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あんな言い方をなされたジビレ様でしたが、わたくしの事を本当に思ってくださったのだと感じております。
わたくしはジビレ様が渡して下さった書状と指輪を持って村を離れ、娘達を連れて王都へ向かいました。村から王都への道は遠いですが山を降りれば治安は悪くはありません、女と幼い娘二人でも何も無く辿り着きました。
王都で訪れたのは、田舎の女には見たことがないほど立派なお屋敷でした。警備兵に声をかけ、書状をお渡しすると中に呼ばれて屋敷の主に会わせて下さいました。
そう、主は現ランゲンブルクの代理当主様、クラウス・ライヘナウ様。姫様の御父上様にございます。
クラウス様の父君は既に逝去されており、母君も何も言わずお屋敷で過ごされていたそうで子爵家を動かしていたのもクラウス様だったそうです。
わたくしはクラウス様にジビレ様に即席で頂いた指輪をお渡しすると、クラウス様は苦い顔をなされました。
『まさか婚約指輪を証明に使われるなんて、それ程信頼して良いと渡した解釈でいいのか?』
クラウス様が独り言の様に呟いたお言葉が聞こえてしまい、わたくしはお渡しされた物がそんなに大切な物だと思わず血の気が引きました。ジビレ様は『あら、丁度いいわ。これを持っていきなさい』と乱雑にお渡しされていたので、これは言わないほうが良いと唾を飲み込んだものです。姫様、代理当主様にはご内密にお願い致します。
それからわたくしはクラウス様のお屋敷で働ける事となり、幼い娘達をも住込みで雇っていただける異例の待遇をして下さりわたくしはジビレ様にもクラウス様にも本当に感謝をしてもしきれないほどでした。
そしてジビレ様とクラウス様がご結婚なされ、子爵家のお屋敷にはクラウス様の母君しか残されていませんでした。
クラウス様がわたくしに『君の事は信頼しているので屋敷に居る母の面倒を頼まれてはくれないか』と勿体ないお言葉を頂戴し、娘達もわたくしも懸命に仕えさせて頂きました。
そんな日が続いていた頃、ジビレ様とクラウス様が子爵家のお屋敷に来られた日がございました。
わたくしはジビレ様にお久しぶりにお目にかかれ、少しばかり大きくなった娘達と再び感謝の言葉を伝えました。ジビレ様は娘達を見て幸福そうに微笑まれました。
『わたくしもね、子がもうすぐ産まれるの。貴女達みたいに可愛いかしら』
娘達は赤くなって嬉しそうに俯いたものです。とても、とてもお幸せそうで今でもわたくしは泣きそうになるのです。
『だから今日はお義母様にその御報告なのよ』
『そうだったのですね、恐れながらわたくしからも御祝いの言葉を』
『ありがとう』
ジビレ様はその時から二年前のあの日、少々お転婆な気質があったと思われましたがすっかりと落ち着いており何だかそれは良い事を捉えればそうなのですが、わたくしはどうもそれが気がかりでなりませんでした。
わたくしの気がかりが当たっていたのかもしれません。ジビレ様はどうしてかわたくしに小さくお話されました。
『……もし、わたくしが死んだらわたくしの子を護ってくれるかしら』
『なんてことを……!滅多な事を言わないで下さいませ!』
『そうでも無いのよね、ランゲンブルク領で育ったなら御伽噺を知ってるでしょう?』
『……ご病気なのでございますか?』
この時わたくしはジビレ様の運命など、知らなかったのです。わたくしは首を振ったジビレ様に安堵して言葉を続けました。
『ではもうそのようなことは。ジビレ様が、など考えたくもございません……ですが、もしそうなった時があればわたくしが命を懸けてお守り致します』
『わた、わたしも……!お守りいたします!わたしは怪我も、治りやすいです』
わたくしの後に続いて声をあげたのは上の娘です。ジビレ様もわたくしも驚きました。娘達はジビレ様に救われた時の記憶は無いにも等しい。それなのに自分から声をあげた事にわたくしもジビレ様も意外だったのです。
『お母さんも妹もいま生きてるのは、ジビレさまのおかげだから!ジビレさまも、みんなしあわせになってほしい』
娘の懸命な言葉に、ジビレ様は涙を流されました。
膝を崩し、娘達と目を合わせ二人を抱きしめられました。
『ありがとう。わたくし今、とても幸福よ』
『ジビレ様……』
『わたくしの利己的な善行で貴女達を救えてよかった、本当によかったわ……』
『……利己以外で善行を行う人間は滅多におりません。そんなものは神くらいでしょう。ジビレ様、わたくしは神に感謝はしても命は賭けれません。ジビレ様だからこそ懸けれるのです』
この国で育った者としては良くない発言ではありました。ですが、わたくしは夫が娘を殺すという愚行を犯さずに済んだのも、娘達の命が救われたのも全て自身の身の危険を侵して救って下さったジビレ様だけでございます。
あの村の地を踏みしめてジビレ様が言われた事はごもっともでございます。あの日からわたくしは、いもしない神に祈るよりもジビレ様の為に尽くすと決めていました。
『ルシエナ……わたくしは貴女の名前が少し好きではなかったの』
『理由をお聞きしても?』
『大した事ではないわ。あの御伽噺の聖女からとられたのでしょう?わたくしの家の話よ、何だか因縁を感じてしまうじゃない』
『……改名を致しましょう』
『やめてよ、今は違うわ。繋がりを感じるのよ、貴女とね……エナは嫌いだったわ。でもこれなら悪くない』
『わたくしは貴女達とあった出来事で確信したのだけどこの国はわたくしが思うより窮地に立たされているわ』
『窮地?』
『ええ。それを利用して潰してしまえばいいと、滅茶苦茶にしてしまえばいいと思っていたけれど……貴女の夫を見て他国に利用されれば、この国の民の命は芥のように扱われるのだと、この目で――』
ジビレ様はそう言って腰を上げられました。
わたくしの方を見ずに上を向いて、仰られました。
『だからやめるわ。ルシエナ……この国がもう駄目だという時にわたくしの子を連れて逃げてくれるかしら……嘘でもいいの、はいと言ってくれる?』
ジビレ様はわたくしの本心を見るのが怖かったのかもしれません。よもやジビレ様のご本心をわたくしに見透かされるのが怖かったのかもしれません。ジビレ様のようなお力のないわたくしでも、なんとなくご自身の生を諦めてしまっているのが分かってしまいました。
『勿論でございます、ジビレ様。ジビレ様もクラウス様もお子様も共に』
必死に抱き締めて逃げないように隠したものが腕からすり抜ける様な感覚でした。ジビレ様は今度はわたくしの目をちゃんと見て、微笑みになられました。
『本当にわたくし、幸せ者だわ』
それが、わたくしのジビレ様との最後の思い出でした。
数年後、ジビレ様の訃報が流れました。
教会の鐘の音が王都に響き渡り鎮魂歌が流れ、王都の人々は『魔女の血が流れている貴族が死んだのか』と同情もなにもあったものではありません。
わたくしは、悔しくてなりませんでした。ご病気では無かったのではないですか、わたくしは何か出来ることは無かったのか、と自身の無力さの怒りと悲しみでこの身が滅んでしまうかと思う程、後悔の念が消えません。何よりもわたくしと娘達や故郷の村の恩人が『魔女の血が流れている』と侮辱され、“貴族だから”と喜んでいる民に怒りが湧き上がりました。
自身の不幸を自身で変える努力もせず、貴族を悪と仕立て糾弾する薄ら寒い連中の為にジビレ様は何もなさずに亡くなったのかと、わたくしはジビレ様の名誉ですら守る事など出来ないのかと、こんな国滅んでしまえと思ってしまいました。
そんなわたくしが残された意志はジビレ様とのお約束、ただそれだけでした。
娘もそうだったのでしょう。上の娘は屋敷の衛兵に習い、騎士の真似事を始めたのです。
下の娘はクラウス様の母君に気に入られており、物心が付いてからはずっとクラウス様の母君に貴族の礼儀を習っておりました。それはジビレ様のお子様をどんな環境でも守り抜く為でした。
わたくしがそうしろと言ったわけではありません。娘達自らの行動でそうしていたのですから、娘達の誇りと希望を与えたのは紛れもなくジビレ様でした。
わたくしは一つだけ、賭けでございましたがこの国の全てを変える方法を思いついたのです。その時はジビレ様が本当に病死してしまったのだと思っていたのですが庶民に嫌気がさして、壮大ではありましたが国を変えるしかないと思っていたのです。
王の息子が結婚する歳になった時妻を選定する為、舞踏会を開く事は恒例行事としてありました、姫様はおそらく初めて聞かれると思いますが所謂お祭りのような行事ですね。それは貴族だけではなく庶民も参加する事は可能になっておるのです。
その行事は必ず貴族といっても男爵や子爵までの娘や、庶民の娘が嫁に選ばれる事が多いのです。今考えてみれば当たり前ですね。そうやって選ばなければ能力者の血が混ざり体制が崩れるのでしょうから。
能力者ではない娘が王の嫁になったところで大きな力を持つ能力者の前では火種にもならない、だからこそ慎重に選定される場なのでしょう。
何も知らなかったわたくしはそれならばと無謀にも選ばれるように中から変えてみせると思っていたのです。
歳は歳と言われればそうなのですが、わたくしは娘を生贄にする事はできず未亡人である事もありわたくししかいないと思っておりました。
そんな計画の矢先、奥様……姫様のお祖母様が逝去されたのです。病死でも、老衰でもございません。自害でした。
それを知っているのはわたくしと娘達、そしてクラウス様だけでございます。それ程までにわたくし達は信頼されていたのでしょう。
そうです、なんとなくは確信しておりました。全てをわたくしの下の娘に託した後、姫様を逃がす為には奥様の存在が邪魔になるとご自身で判断されたのでしょう。並大抵の覚悟ではございません、本当に素晴らしく聡明な方でした。
クラウス様は奥様のご意志を汲み取ったのでしょう。わたくし達以外の使用人は皆他の貴族の屋敷に雇って貰うよう手配されました。
そしてクラウス様はこう仰られました。
『君達の信念と忠誠に感服する。そしてここからは信頼を前提に懇願させてもらう』
『私の妻になってくれないか。娘を、救ってくれ』
わたくし達は惑うことはなく頷きました。
そうしてクラウス様からジビレ様の最期の真実を知り、わたくし達はより姫様を護り抜くという意志を強くしました。
何故クラウス様がわたくし達を頼ったのかは分かります。国境付近の地形を知り尽くしているのはわたくしであり、山を無事に降りて王都まで辿り着いたのもわたくしであります。
誇りであったジビレ様に似たわたくし達の髪色。庶民であるわたくし達の顔を姫様が覚え、国境警備兵に姫様の力を使えば問題なく亡命できるからです。
そしてわたくし達がランゲンブルクの屋敷に来たのは、数ヶ月前……顔を隠さずに姫様の前に来たのはそういう事でございます。




