18
窓から光が刺していた空はいつの間にか暗くなっており、シャルロッテはひとしきり泣いた後に眠ってしまったのだと分かった。
(お母様は火に焼かれて死んだ、次に目覚める事など無かったんだわ)
母の人物像がはっきりとしたシャルロッテは途端に悲しくなってしまった。それに母は十六年間も愛される為に努力して本当の愛を知って幸福だったと言ってのけたのだ。
シャルロッテは愛を与えた父は勿論、母の存在がとても偉大だと感じている。
(わたくしに生きて欲しいと言ったわ、わたくしが怒りを覚えて人を殺める事はお母様もお父様も不本意なのだわ。それでも)
シャルロッテは自分が生き抜くよりも、ランゲンブルク家を救いたかった。母のような存在を二度と作らない為にも、父のような悲しい決意をさせないようにも。
シャルロッテはきっと他人から哀れられる存在なのだろう。けれども両親が命を懸け、愛されている確信がある自分はこの世で一番幸福な存在だと今は思っていた。
だからこそ、シャルロッテはこの国を変えるために。
夢物語では終わらせない、悲劇の物語を悲劇で終わらせてなるものか。
(お父様もお母様も絶対に望んではいないけれど、わたくしは……)
シャルロッテは母の生涯の中から改めて整理する。
父は遠い王家の血筋だと言った。ならばガラードの監視の中、どうして母は父と結婚出来たのだろうか。
思えば全てランゲンブルク家は他家の不思議な能力のある者と結婚して、ランゲンブルクの能力だけを引継いできたのだろうか。
いや、恐らくランゲンブルクの能力を確実に残したいのであれば能力の持たない人間と子を作らせるだろう。だとすると父は何も力を持たない者だったに違いない。
では何故歴史書の中で数々の力を振るってきた王家の血筋の子が、何も力を持たないのであろうか。遠いと言ってしまえばそれまでかもしれない。だが隔世としてランゲンブルク家の能力では無い力が発生してしまった時どうするのか。
ただでさえランゲンブルク家を一子のみ残す用心深いこの国がそんな事を許すのだろうか。
もしかすると、いや、確実にこれは王家は“何も能力を持たない人間”なのだ。
そうであれば全て辻褄が合う。そもそもガラードがここまで権力を持っているのもおかしな話なのだ。腹心の部下だと言っても他家の者の実権をガラードが持つ事を普通許すだろうか。
『ランゲンブルク家の忌々しい風習の、諸悪の根源』
母の発言は何故王ではなかったのか。復讐相手は何故ガラードに最初から向いていたのか。それは王は昔から民衆の不満を直接受ける偶像に過ぎないからだ。
王はプベルドを実質支配するガラードのただの傀儡だ。
だがきっと王家もそう易々としてやられている訳でもなかったのだ。だからこそ、ランゲンブルクの力を欲した故の母と父との結婚だ。
王家が直接母を娶るとなれば流石にガラードも大きく反発するだろう。力を持たない王家はこれを避けたいと思っている。けれど遠い血筋の者ならば反発し難い。
そしてガラードも傀儡とは言えど王家を立てている手前、今までのようなランゲンブルクの監視を弱めざるを得ない。
母の功績は思った以上に大きかったのだ。シャルロッテが今こうしてガラードの目にも留まらず、自由に出来ているのはひとえに言って両親のお陰である。
母と父の結婚は王家とランゲンブルク家が手を取り合う布石だったのだ。
だがきっとこんな地道な作業を続けていき、ガラードの立場を揺るがすことになるのは何百年後になるだろう。
父はきっとそんな事分かりきっている。母の願いは私に“復讐を成し遂げる事”ではなく“生きる事”なのだ。だから父は私だけをこの国で死ぬ運命から逃がそうとしている。
(駄目だわ、振り出しに戻ってしまう。何か無いのかしら)
その時、コンコンと扉が音を立てた。
「シャルロッテ様、少し宜しいでしょうか」と声がかかる。
そういえば食事もしていなかったかと思い「どうぞ」と使用人に声をかけた。
扉が開いて入ってきた人物にシャルロッテは衝撃を受ける。
女が三人入ってきた。そこまではいい、身体を洗う時にも女の使用人は入ってくる。
シャルロッテは初めて母と父以外の人間の顔を見た。
使用人だと思い返事をしたが、そこには顔を薄い布で覆い隠されていない、一目で貴族と分かるドレスを身につけていた。
一人は父と同じ位の歳の女で後ろに控える女二人、と言うよりは少女と言って差し支えない程の年齢だった。
三人は同様にシャルロッテに似た金色の髪をしており、女は琥珀色の瞳をシャルロッテに向けた。
そして前に立つ女はしっかりと跪き頭を垂れ、口を開いた。
「ランゲンブルク家代理当主様のご許可を受け、御前に立たせて戴きました。当代姫様に危害を加える事は無いと云うことをご理解戴きたく存じます」
遅れた様に慌てて後ろの少女達も懸命に跪いた。
凛とした声はシャルロッテの耳に紛れもなく聞こえた。だが、意味を理解するのには時間がかかった。
「か……鍵を」
シャルロッテが即座に考えれる事はそれくらいだった。
少女達はシャルロッテの声を聞き届け、部屋の鍵を閉める。
「軟禁されていたとは思えない程にご聡明で御座います。恐れながら姫様、誤解のないよう弁明させて戴きますとわたくし達は貴女様の不利な事は致しません。……ですから部屋の周りの人払いは既に済んでおります、四時間程前に」
(それってつまり……)
シャルロッテは顔が赤くなった。シャルロッテは声を張り上げて泣いていたのは空が明るかった頃だ。
その頃から人払いを済ませて、部屋の様子を伺っていたということか。
だがその事でハッとする。思えばとても不味い事をした、護衛は部屋の前で見張っているのは把握している。あんなに大きな声を出してしまって部屋に入って来なかった時点で気付くべきだった。
そしてこの女達は父の許可を得て来たと言うことはシャルロッテの目的が父にバラされてしまうと、途端に血の気が引いた。
それを見越したかのように女は再び口を開いた。
「許可なく何度も声をあげてしまい申し訳ございません……先程申し上げた通り、わたくし達は姫様の不利な事は致しません。例え代理当主様の御命令だとしても」
「……顔を上げて下さいまし」
女は真っ直ぐにシャルロッテに目を向けた。
嘘偽りのないしっかりとした表情は、心も同様だった。
「いいわ、楽にして。どうしてわたくしの為にそこまで?」
「先代ジビレ様に娘達の命を救われました。わたくし達はその御恩も返す事もないまま……悔しくてなりません」
「お母様が?」
母の人格は本が語ったものを聞いた限り、父と結婚するまで差程出来た人だとは言い難いと思っていた為に不思議に思った。ましてやそこ迄に愛された人とは想像がつかなかった。
首を傾げたので察したのか、女は少しだけ表情を和らげた。
「ジビレ様はお優しくとてもお美しかった。辺境の地の民は魔女の血を引いている等と考えもしておりませんでした。それはジビレ様のお力でそう思わされていたのかは分かりませんが……」
「え、ええ。力のせいだとは思うわ」
シャルロッテは困惑し、冷や汗をかいた。
時系列的にはシャルロッテより少し上程の少女達の年齢を考え、その出来事は父とは結婚する前の事だというのは確定していたからだ。
「ですが、わたくしは本当にそう思っておりました。……姫様はルガルニアの民をご存知ですか?」
ルガルニアの民、ルガルニアの本で読んだ事があった。
魔王ヴァルテルの血を分けた民。人の血を求め食い荒らし、聖水、陽の光等を苦手とする悪魔に取り憑かれた様な人間。
シャルロッテはこくりと頷いた。
「近年、ルガルニアの民がプベルドの地を各地で踏み荒らすという話は聞いておりました――」
プベルドは神が鎮座する神に愛された聖王が治める国。聖域と定められたこの国に悪魔が入れるはずも無い、とフィパリスの国境付近である事も重なりわたくし達含め村の民はどこか物語のような気持ちで嘲笑していたのです。
ですが他人事のように笑っていたのも少しの間、同じくフィパリス国境付近の隣村からルガルニアの民が幼子を食い散らしたと報せが入りました。我が村もそれを聞き、その時初めて焦り出したのです。
時を同じくして、ランゲンブルク家にもその報せは届いたのでしょう。ジビレ様が直接我が村に赴いて下さったのです。
滅多にご貴族様来られたことの無い我が村は緊張に包まれておりました。出迎えた村人達を前にして、ジビレ様はこの村の地を踏みしめて開口一番こう言ったのです。
『お前たちが信じている神などお前たちの村でさえ護れないのよ』
『わたくしを信じるのか、神を信じるのか選ばせてあげるわ』
『わたくしを信じるのであればお前たちを護って差し上げるわ、神を信じるのであればお前たちは死ぬだけよ』
この国で、この国の貴族が、洗礼名を受けている高位の者が来て早々にとてつもない冒涜を行った事に村人達は口をあんぐりと開けて呆けるしかありませんでした。




