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「ジ、ジビ…先祖なのは分かるけど誰?」
―――シャル、貴女の母親ですよ
本は落ち着いた声でシャルロッテを諭した。
「そんな名前だったのね…という事は」
やはりこの本は古くからある本だったのだ。
母が所持していたという事はシャルロッテの部屋に置かれる前は、この屋敷のどこかに書物庫があるはずだ。
その場所を突き止めれば、ランゲンブルクの史書に辿り着ける。
「貴方は書庫にいたのよね、この屋敷のどこにそこはある?」
―――残念ながら私はジビレの部屋にあった本なのです
「お母様の?」
―――だから書物庫に案内は出来ませんが代わりに貴女の知りたい事は伝えられます
「どういう事?」
―――知りたいのでしょう?私はジビレの父の蔵書でもありました。つまり、ランゲンブルクの三世代に受け継がれる蔵書です
本は、シャルロッテが生まれる約五十年程前、ジギスムント・エナ・ランゲンブルクの蔵書であったそうだ。
エナはランゲンブルクが代々受け継がれる特別な洗礼名だった。ジギスムントの場合は父が死んだらしく、非常に恨みの強い苛烈な性格だった。
ジビレが三歳になるまで洗脳ように国に復讐することを繰り返し伝えた。ジギスムントは復讐を心半ばに己の生を終えた時、ジビレは三歳ながら呪詛の如くある名前をぶつぶつと繰り返していた。
『名はガラード・クィリズヌス・ヴァルシェンベルク』
『ランゲンブルクの、忌々しき風習の根源。殺せば、おとうさま……わたくしを愛してくれる?』
ジビレの母親はランゲンブルク家を忌避し、恐れていた為にジビレを抱き上げた事は無かったそうだ。ジギスムントが死ぬと役目を果たしたと言わんばかりに、魔女を産んだなどと神がお許しになっていても穢れ腹になったに違いない、などと態々その言葉の意味もまだ分からないジビレに対して嫌味を言い、それから屋敷には帰ってこなかった。
使用人は顔を覆われていて教師も淡々とジビレに対して仕事を行うだけ。碌な会話も、普通であれば大人が幼児に抱くような情も実の母の様な恐怖も見せたことが無い。相手は屋敷の主だというのにいっそ監視に近いものだった。
それは当たり前だ。ジビレは幼いながらこう呟いていた。
『わたくしの実の父はガラードが諸悪の根源だと言ったわ、けれど何も出来ないわたくしに父のように接して、侯爵としての仕事を代わりに務めてくださるのもガラード様だわ』
『とでも思って欲しいのかしらね。将来、わたくしをお父様と同じく火炙りにするというのに』
ジビレはジギスムントの苛烈な性格を受け継いでいた。よく独りごちに言葉を投げては、一人で満足していた。
そのお陰で本はランゲンブルクの事を知る事が出来たのだが。
ランゲンブルクの始祖はメディエナという女だった。女は大層美人であり、見た者を瞬く間に虜にした。
そんなある日修行の一環として清貧をしていた聖人クィルズはたまたま通りがかったメディエナに、力によって従えられ、子を作らされた。そしてクィルズは神の使いである自身が肉欲に負けてしまったと自害した。
クィルズと友であった初代プベルド聖王はこれに怒り、魔女メディエナの首を討ち取った。
だが生まれた子に罪はないと慈悲をかけ、聖王は大切に育てていた。そんな子は大きくなり結婚をし、子を産むと若くして病で亡くなってしまった。
―――神の怒りに触れてしまった魔女メディエナと神の慈悲を得た聖人クィルズの血を継ぐランゲンブルクの家は代々子を産んで暫くすると病に伏して死んでしまうのだ。数千年、経った今でも。
これが、ランゲンブルクやプベルドの貴族全体に伝わる御伽噺だそうだ。
ランゲンブルクは魔女と聖人の子、聖ルシエナの洗礼名を代々引き継いでいる。ヴァルシェンベルクは聖王の腹心の部下であった為、親友のクィルズの名を洗礼名として承った。
ヴァルシェンベルクはその名の元でランゲンブルク家を支える義務があると数千年役目を果たしてきた。
ジビレはこう言った。
『なんてガラードにとって都合のいいお話。本当の物語は何処なのかしら。あれと、一緒ね』
『世界の真実と』
『――病死なんてしてないわ、全部全部燃やしたのよ。メディエナもお父様も真相の本もプベルドの貴族も、確実に殺す為に!』
プベルドの民は死んだ後は埋葬であるが、プベルドの貴族は必ず火葬する。
聖火に焼かれる事が神の元に帰る方法と謳っているが実は違う。ルガルニアの王のように首を切られてなお数百年後に復活を果たしたとジビレは聞いた時確信したそうだ。
そうした魔女を確実に殺す方法が跡形もなく焼くことだと。
屋敷の中に誰も気の許せる人間がいない事が鬱憤を溜めていき、一人で吐き出す事がジビレにとって精神を保つ方法だったのかもしれない。そうしてジビレが自身を奮い立たせジギスムントの復讐の呪いを着実に進めた。
ジビレが十六の時、興奮を抑えきれずに吐き出した言葉があった。
『やりました、お父様……これでわたくしを愛してくれるかしら、お父様…』
『やはりあの女は王の遠い血筋だったんだわ。おかしいと思ったのよ、侯爵であるわたくしより子爵家の夫人が先にお茶を出されるだなんて』
『あの子爵家夫人の息子を落とせば、ランゲンブルクへのガラードの監視は弱まる。そうなればわたくしの子が確実にガラードを殺してくれるわ』
この時ジビレ自身は復讐の呪詛を自分の子に継ぐことを決意していた。自身はもう、ガラードを討ち取るには間に合わないと半ば諦めていたのかもしれない。
だが本はジビレから復讐の呪詛を聞いたのはこれが最後であった。それ以降、独りごちに何かを吐き出す事がめっぽう減ったからである。
ある時今までの様な怒りを吐き出す様な声ではなく、悲哀に満ちた声でジビレは小さくぼやいた。
『どうして、わたくしを……。わたくしはクラウス、貴方を利用する為に近付いたというのに』
恐らくジビレは復讐の呪詛こそ、父の願いを叶える事こそ父に愛される方法だと思って生きてきた為に本当に愛される事を知らなかったのだろう。月日が経つにつれてジビレは苦痛な表情をするようになった。
願った相手と結婚をし、念願であった復讐の一歩を踏み出せたというのに彼女は一人、涙を流した。だが腹に命が宿った時これまでに見せた事もないような幸福に満ちた表情をした。
『お父様の様にわたくしの子に人を殺める呪いをかけたくない。知らなかった幸せを沢山あげたい』
『でもわたくしはこの子が大きくなるのを見れずに死んでしまうのね。どうか……この子だけは生きて欲しい』
『クラウスとわたくしの最愛の子』
ジビレは慈しむように自分の腹を撫でた。
あの時の取り憑かれたような暗い表情はもう見せなかった。自身があと数年で死ぬような運命すら感じさせなかった程だ。
シャルロッテが産まれた時、ジビレとクラウスは交互にシャルロッテを抱いて喜び合っていた。その空間は幸福に包まれた絵画のようだった。
シャルロッテの目が開いた時、目の色を見たジビレとクラウスは少し残念そうにした。この子が能力を引き継いでしまったと確信したからだ。
そしてシャルロッテが三歳になる頃、ジビレは最後に一人で呟いた。
『いいの。この国の、ランゲンブルクの運命を許したわけじゃないわ。でもここじゃ無ければ、お父様があの人で無ければ、わたくしはクラウスに出会えていなかったし愛されてもいなかったの』
『十六年間わたくしは不幸だったわ。でもクラウスに出会えて、シャルロッテに出会えたこの短い年月はとても幸福だった』
『――生きて欲しい、クラウス、シャル。幸せになって』
それが本が知る、ジビレの最後だった。
再びジビレの部屋の扉を開けたのはジビレの最愛の夫、クラウスだ。そしてクラウスは自身の包帯が巻かれた両手を見つめ、膝から崩れ落ちた。獣が呻くような声を部屋に響かせていたのは声を殺して泣いていたからだった。
漸くクラウスは顔を上げ、空の様な深い蒼色の瞳を揺らし意を決して誓った。
『知っていたよ、君が復讐の為に私に近付いた事は……それでも私は君を愛していたんだ、君も私を愛してくれていたんだろう』
『……ジビレ、約束するよ。私と君の最愛のシャルだけは必ずこの運命から解放する』
そうして、ジビレの生涯を見守った本はシャルロッテの部屋に移されることになる。
「お母様……お父様……」
話を聞き終えたシャルロッテは幻想めいた母親の生涯を知り、自身が両親から愛された存在であると実感した。
シャルロッテは幼子のように声を張り上げて泣いた。
「どうしてなの!わたくし達は皆、幸せになってはいけないの!?」
「わたくしもお母様と幸せに暮らしたかった!お父様と目を合わせてお話がしたい!」
「愛して、愛されている家族が幸せに暮らす事がこんなにも難しい事なの!?」
理不尽な運命を嘆いた言葉はどこにもぶつけられない。
泣いた所でどうにもならない事など、シャルロッテ自身分かっていた。
それでも今だけは残された短い時間を使ってでも、母の死を悲しみたかった。




