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彼女はもう、死んだのだろうか。
アリオットは事を理解した時、とても虚しい気持ちになった。出会ってから短い時間だったが、それでも明るく見た歳相応の元気で感情豊かな子だと思った。
同じ能力者に共感し、あまつさえ自分が追われる身になっても人間を救った子だったのだ。それが創り上げられた人格だったとしても彼女は現在を懸命に生きていたはずなのだと。
(ああ、だから――)
『死ぬ為に、生まれてきたなんて』
彼女にとってみれば死ぬ事などできやしないはずなのに。
あの時、掠れた声で呟いたあの言葉はきっと無意識下で自身におかれた状況を嘆いていたのだろうか。
今の御陽はきっと自分が出会った時とは違う御陽なのだろう。記憶があったとしても、もう、ここにいるのは。
「……そんなに、悲しい顔をしないでください」
御陽が呟いた言葉に我に返る。
声の主の方を見ると眉を下げ、薄い微笑みを浮かべていた。
「あれは、アリオットさんが思うほど短い生ではありません。およそ三百年ほどあの人格は生きていました」
「どういう事だ……?」
「そのままの意味ですよ。三年ほど同じ日々の繰り返しを過ごし、記憶を初期化されてまた同じ日々の繰り返しを過ごすんです」
御陽は恐らく、普通の人間の寿命以上に生きた人格なのだから充分だろうと言いたいのだろう。
人格を求め続ければ元々の御陽を否定する事になる、それでは御陽に対して余りにも失礼だ。それはアリオットもどんなに悲しく思っていたとしても、どうしようもない事だと気持ちは追いつかなくても納得はしている。
だが、続いて出た言葉が予想だにしていなかった。
(そうだ、何故気付かなかったんだ)
彼女が創られた人間であるならば、成長過程など無かった筈だ。幼少期もない彼女に幼少の記憶があるのは創られた記憶があるからというのは分かる。
けれど彼女の周りの人間は、どうだ?
母親はああなってしまったので分かったことだが、母親以外の周りの人間は成長しない御陽に違和感はなかったのか。
ごくり、と唾を飲み込む音が鮮明に響く。
もしかすると御陽を知るという事は、何かとてつもなく大きな真相を知ってしまうような気がした。
自分では抱えきれない、何かを。そして御陽とリドヴィッグとアリスはその大きな真相と敵対、しているのだろうか。
「そうですね、この件は落ち着いたらお話しましょう……その前に」
御陽はそう言うとシャルロッテの方を見た。
事の流れを一通り見ていたシャルロッテは気まずそうに声をあげた。
「わたくしのせいで込み合った事になってしまって申し訳ございませんが、そろそろよろしいかしら?」
「ええ、此方こそ申し訳ありません」
シャルロッテは周りを見渡し、ふうと息を吐いて猫のような目を細めて口を開いた。
「わたくしが貴方方をここに来る事を許可したのは、単刀直入に申し上げますと……わたくしの復讐に付き合って頂くためです」
「復讐、というのは父親か?」
アリオットの言った言葉に、シャルロッテは機嫌を良くして笑った。
「まあ。そう思われるまでにお父様の世間の印象操作は上手くいっているのね、最高だわ」
「…という事は噂はやっぱり違うのか」
「そうですわね、わたくしの復讐相手は―――」
シャルロッテ・エナ・ランゲンブルクは侯爵家の一人娘であった。
爵位を持つ母、子爵家の息子の父が婿に来た事でシャルロッテは産まれた。
母はシャルロッテと同じく金色の瞳を持ち、領民にも優しく美しく気高かった。父とは政略結婚だったが仲は悪くはなく、寧ろ母に惚れ込んでいた。その事はシャルロッテは聞いた事なので実際はどうだったのかは知らない。
そんな母はシャルロッテが三歳の時に他界する。幼いシャルロッテにはもう母が家に帰ってこない事、優しい父が静かな怒りを心に宿し涙を流しながらシャルロッテを抱きしめた記憶しか残っていなかった。
その日から父はシャルロッテと目を合わさず、部屋に閉じ込めた。何もないことは無い、自身の部屋だ。定期的に侍女はくるし御飯も食べれる、風呂もしっかりと入っていた。
ただ幼児に与えられる玩具や人形などはなく、本棚はおおよそ三歳に与えるようなものではない歴史書や文字の多い本、礼儀作法の本などに新調された。父と会えず寂しく思っていたが、部屋にある本を読むしか無かったシャルロッテはひたすらに読んだ。
幼児向けの本などは無かったが、部屋にそれしか無いというだけで充分に本は娯楽だ。歴史書には道具の仕組みの設計図が書かれているもので、部分には名称や説明も載っていたりする。そうして少しずつ少しずつ文字を覚えてようやく問題なく読めるようになった。
そして、気付いた。
歴史書に書かれている物は国の情勢の流れ、そして人類がどうやって発展していたのかも分かる。
どんな仕事についてもどんな生き方をしようともある程度は生きられるような本を全てこの部屋に置いていったのだ。
(父は、わたくしをこの国から逃がそうとしている)
シャルロッテは八歳の時にそう確信した。
では何故この国から逃がそうとしているのか、事の始まりは三歳、母が帰って来なかった時だ。父は母がもうこの世にはいないという事を目を合わせてはっきりとシャルロッテに告げた。だからこそ父の静かな怒りが分かった。
物事が分かり始めた時、生と死の区別がつくようになって漸く母はこの世にはいないということを理解した。記憶も薄い母だったので残念な気持ちはあったが本当にそれだけで、母の死因を即座に考える。
父は三歳の記憶で覚えていないと思ったのだろうか。確かに三歳という記憶を八歳の歳では思い出すことは困難だろう。もっと歳をとれば更に難関だ。
だが、奇しくもそれは父が幼少の頃から半ば強制的に勉学を叩き込み八歳という歳で頭のまわる子供にしてしまった故の落ち度だ。
(あの時お父様から少し焦げた匂いがしたわ。あとは両手に包帯を巻いていた……怪我をしていたのかしら?万全でない状態ならお父様とお母様が出発した時の事を少しは覚えていそうなものだけれど)
(事故にでもあった?……ならお父様もあのくらいの怪我では済まないはずだわ。賊に襲われた?……それはさっきと同じ理由で除外だわ)
(お父様が怒っていたのは……貴族であるお父様が制裁を与えれないのは……)
つまりパズルのピースを繋ぎ合わせれば――
あの時母親はこの国に、この国を支配する者に殺されたのだと。
父はあの時から、三歳の自身を抱き締めた時からずっとこの国に復讐を誓い、シャルロッテを守る為の決意をしたのだ。
シャルロッテは涙がとまらなかった、母を殺されたショックではない。復讐というのは少なからず多くの血が流れる、その全ての罪を背負い、その全てからシャルロッテだけを救わんとする父の愛を知ったからだ。
だがシャルロッテはそれを受け入れようと思わない。父が地獄を歩むならばシャルロッテも一緒に地獄に堕ちる、そう決意した。
その日からシャルロッテは改めて本を漁り読み返した。
まず母が殺された意味が分からない。何故ならば家系の歴史はこの部屋の本棚には全くない。
プベルド王国建国の歴史にもランゲンブルクという単語は一欠片もない。その建国の歴史は神託の聖騎士が活躍した部分が多く見られる。教会がこの国を牛耳っている可能性はあるので誇張して書いているのかと思うが、実際に城に砦の建設や農耕の豊穣は神託の聖騎士や聖女が神の力で発展させたと言う部分が多い。
そしてシャルロッテは不思議に思った、昔からあるこの自身の能力は周りの人間は持たないものなのかと。本に出てくる聖騎士や聖女は防衛において、こんな便利なものを使わないだなんて馬鹿なんだろうかと思っていたが、実はそれは自分にだけある能力なのだろうかと。
考えてみればそうだ、自分との接触者は侍女。侍女は皆顔を隠されている。父は言わずもがな目を合わせることは無い。だからこそ分からなかったが自分が特別である事を知らなかった。
このような能力が普通でないならば神託受けた聖女なのだろうかと。この国は貴族や神託の受けた子供は生まれた時に教会で洗礼名を貰う。
―――何故?
いや、神託を受けた子供は分かるのだ。神の啓示があるのならば自ら赴く話であろうし、だが貴族は何故その必要がある?貴族であれば教会の信者である事が必須のようなその決まりが分からない。
まるで神に命を賭けることが生まれた時から決まっている感覚だ。当たり前のように、歴史上に登場する聖騎士と聖女とは違うと思っていたがその実、活躍した者達には土地と爵位を与えられていたのだから同じではないのか。
シャルロッテは本棚の中に二冊だけ、他国に関する本を見つけた。後から分かったことだが、他国に関する本はこの国では禁書だった。父もこの国から逃げた時に役立つと思い、選別した二冊だったのだろう。
神託云々は一切見られない。だが父はシャルロッテに復讐の理由を知られるリスクを犯してまで何故この二冊を置いたのかよく分かる。
プベルドの隣国はもし亡命するとすれば自分にとっては地獄の二択。フィパリスは徹底的に魔女を廃絶させる国、ルガルニアは悪魔の国。
そして自分は他国においては“魔女”なる者である事を理解した。




