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「どうぞ。」
治った手鏡をアリオットさんの手に渡す。心底驚いたような目で手鏡を見つめていた。
「治ってる……」
「これで貸しはナシですから!」
「?なんの話だ」
座りながらであるがふんすと鼻を鳴らしドヤ顔をしてふんぞり返ってみせるとまったく話が分からないと不思議な顔をされる。あれ、本当に貸しとかじゃなかったんだな、ちょっと罪悪感覚えるのは悔しい。
治った手鏡を見つめながらアリオットさんが口を開いた。
「しかしこんな能力よく今まで隠してこれたな。しかも今頃になって追われるって」
「まぁ、必死に隠していましたから。うちは母子家庭で、母も一生懸命隠してくれて……人に披露しなければ気づかれる能力でもないですし。
ただ自分の怪我は無意識のうちに瞬時に回復するので隠すのは大変でしたよ。……突然の暴力はびっくりして気絶しただけなので大したダメージではないです」
「……根に持ってんな?」
当たり前である。初対面チョップを許すものか。しかもJKに。
能力者であることは墓まで持っていこうと思っていたのだ。けれどついに今朝我慢ができなかったのだ。
「今朝、いつも通りに学校に行こうと思ったのです。いつも通りの道で。……横断歩道を、信号が青になるまで待っていたんです」
ぽつりぽつりと話をする私をアリオットさんは静かに見つめて聞いてくれている。
「そうしたら隣から子供が、道路に走ってきて……その瞬間車がその子供を………」
大きな車だったと思う。
全てが衝撃的で平和な私たちの国では滅多に目にしない人の死ぬ場面だった。あまりにも鮮明で全てがゆっくりと見えた。小さな物体が勢いよく宙を舞い、地に落ちる。頭が真っ白になり、ただ呆然と一連の流れを眺めることしかできなかったのだ。
「私の能力は私はなにをしても死にません。昔、能力が嫌だと包丁で心臓を突き刺したことがあるのですが一瞬にして治ったのです。その時は思わず笑ってしまいましたね……驚いて気絶する、とは言いましたが私、痛みすら感じたことがないのです。ですが」
だから怪我をすればいち早く隠そうとする。痛みがないのでいつ怪我をしたのか分からない。治りが早ければ能力者とバレてしまう。
親しい友達が怪我をして泣いているのにも関わらずバレてしまうという恐怖からなにも出来ずにいた。私がすぐに治せるのに、怪我をした部分に雑菌が入らないように、わずかに痛みを感じる液体を塗りながら「早く治るといいね」とにこりと悲しそうに微笑む。そんな自分に吐き気がした。
「それは自分に限った話で。自分以外の人が死んでしまうと治せないんです。生き返らせるなんてことできないんです。不便でしょう?……私はその子を見てかろうじて息をしているのが分かったんです。けれどこのまま放置していたら死んでしまうのは明白でした。私はどうしても目の前で人が死んでしまうのは見てられなくて……動いてしまったんです。」
十七という歳の成長が安定させたのだろう。友達が怪我をしても泣かないで「またやっちゃった」って笑えるようになってから私の中の罪悪感が消え去った。昔のこんな能力いらないという気持ちもすっかりと無くなってきて、このまま平凡な日常を愛して過ごそうと思っていたのだ。
その矢先、待っていたのは明確な生と死の境界線。
私には目の前の死をやり過ごしてまで自分の平和をとることが出来なかった。
「どうしたらよかったのでしょうか。私はやっと生きていきたいなと思っていたんです。……絵本って何なんでしょうか…閉じ込めるってそれって死ぬのと同じじゃないですか……?」
気がつけば涙が零れていた。ぼろぼろと止まらずに。やってしまったことは今更何も出来ない。分かっているのだ。
静かに聞いてくれていたアリオットさんが私の頭に手をのせた。
「目の前の死に対して何か出来たお前はすげぇよ。しかもお前はそいつを助けたんだろ?なおさらすげぇ。」
そう言ってにかっと歯を見せ笑った。
アリオットさんの笑顔にどことなく心がほっとしたような気がした。
私は朝から不安だったのだ。今日で人の死際を目にし、警察に追い回された。どんなに強気で明るくしていたって心がついていかなかった。そう思うと頭の隅に追いやっていた不安がどっと溢れ出てきて、涙が止まらなかった。
けれど今は少し安心した涙が流れている。そんな私が分かったのだろう、アリオットさんは静かに言葉を続けた。
「けどまぁ絵本に関しては死ぬのと一緒ってのは間違っちゃいないからな。とりあえずは――」
とアリオットさんが何かを言いかけて遠くから聞こえていた声が近くなったのに反応したのだろう。息を潜めたのが分かった。そしてその近付いてきた声に私も耳をすませる。
幸いにも二人くらいなのだろう、ゆっくりと歩いているのかなかなか遠ざからない。こいつらわりと仕事をする気がないな?私を探す気ないだろう。
「しかし十七歳のいたいけな女の子を追い回すのが俺らの仕事か…やってられねぇな」
「まぁ能力者だし仕方ないんだろうけどなぁ……何人かで追うのは俺もどうかなと警察として」
ほう。分かってるじゃないか、分かっているならば追うのを諦めておうちに帰ってくださいお願いします。と心の中でうんうん頷く。
「しかしその女の子の母親能力者収容所で取り調べ受けてんだろ」
「うわ、所長の?あれ取り調べっつーより拷問だろ。そんなの現在進行形で逃げてる娘の場所なんか母親も分かんねぇだろ」
「馬鹿かお前。場所がわからないなんてこと誰だってわかるわ。どうせおびき寄せだろ?まぁ子供の命助けたくらいの子なら来るだろうなぁ。なんか可哀想だな」
「でも能力者だしな」
「はは、間違いないな」
談笑しながら遠ざかっていった声に私は震えた。
取り調べ?拷問?私が逃げたばかりに?お母さんが。私を能力者だと分かっていて一緒になって隠して育ててくれたたった一人の母なのである。涙は一気に引っ込んだが冷や汗が止まらない。
「ア、アリオットさん……」
どうすることも出来ないのに、これ以上何も望めはしないのについ声をかけてしまう。
私が母を助けにのこのこと赴けば捕まりに行ったようなものだろう。ヒーローさながら母を助けれるなら私だってすぐに向かいたい。だが丸腰の女子高生なのだ。無茶を言わないでくれ。
するとじっと私を見つめていたアリオットさんが反応を見せる。
「……はぁ、仕方ないか。鏡も治してもらったしな。出来ないこともない。」
「は?」
「立てるな。行くぞ」
「えぇっ!?」
私の腕を引っ張りあげ無理やり立たされると腕を掴んだまま表通りまで走らされる。わけもわからないまま振り回された。
表通りまで来たならば当然警察に見つかるわけで。
「天原御陽だな!おとなしくしていろ!」
「ひっ!アリオットさんなんで立ち止まって追いかけてきてきますよ!!」
当然の展開であるがアリオットさんの意図が分からずに文句を垂れる。ここで捕まってどうしろというのだ。
「当たり前だろ、何でここに来たと思ってんだ」
「なんでですか!?まさか……裏切りですか!?ひどい!!」
「そんなこと考えてんのか!ひどいのはお前だ!!」
ありえないとは思っていたんだが警察を前に立ち止まれば疑うだろう!怒りたい。
「おい、収容所はどっちだ」
と駆けつけた警察に声を上げ問いただした。私は驚きアリオットさんを見る。そう、それと
「反対方向の左ですよ!!おばか!!」
怒りの一声だ。なぜ私の地元を私が知らないと思っているのか。おびき寄せだと言っていたではないか。
この人は案外抜けているのかもしれない。




