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「白の騎士、ランゲンブルク侯の令嬢だ。分かるだろう、お前なら」
「ああ!分かるよ。とびきりの美女だ、私好みで実に素晴らしい」
「直接は繋ぐなよ、近くにしろ」
アリオットは白い騎士に言いながら二人を見た。
リドヴィッグは嫌そうに白い騎士を見ているが、御陽を使った事をとことん根に持っているようだ。一方の御陽はそんな事は気にもせずにじっと白い騎士を見続けていた。
「思うんだけどコイツ一人その令嬢見張らしてれば能力者かどうか分かったんじゃないの」
「それが最初から出来れば俺は現地に確かめに来る必要も無いんだがな」
リドヴィッグは怪訝そうにアリオットを見る。
言おうとしている事はよく分かる。アリオットもそれが出来れば間違いなくそうしている。
そもそも鏡の国の者達はこちらの世界でいう能力者が当たり前の世界であり、所謂一般的な人間は一人もいない。それは人だけでなく物に対しても能力がある始末。
それ故に能力者がいるなどと興味や関心が殊更にない。こちらの世界の能力者の事など知ったことではない、同情や理念などで行動せず全て気まぐれで動く。
寧ろこうして、言い方は悪いが女性という餌で協力している白い騎士が最もアリオットに対して好意的であり、善良と言えるだろう。
簡単に言えばメリットもなしに協力なんぞしないという事だ。頼めるとすればマーキングした鏡に移動する事のみになる、つまり見張らせるなんて事は無理なのだ。
「そういえば、黒の少女。いい事を聞いたお礼に一つ教えてあげよう」
「なんでしょう」
鼻歌混じりに周辺の鏡を探しているのであろう白い騎士が、思い出したかのように御陽に話しかけた。
「こちらの世界でも私の世界でもないのだけど君にそっくりな黒の美女が涙を零していたのを見たよ」
「……!」
「貴女がもう少し成長をすればあの様な黒の美女になるだろうという感じだね。でももう貴女は私好みの黒の美女にはなれないみたいだ、悲しい事だ……」
「……そう、ありがとうございます」
リドヴィッグと御陽は一瞬身を固まらせた。御陽は目を逸らして何かを思いつめるように下を向いた。
「泣いた所で何が変わると言うんですか」
その言葉は誰にも届かなかった。だが御陽の握り締めた拳に気付いたリドヴィッグがその手を包み込んだ。そして顔を近付け御陽の耳元で囁く。
「不味いかもね、アリオットが」
「……そうですね」
御陽はアリオットに視線を移す。
アリオットはよく分からない事を言い放った白い騎士に文句を垂れていた。それを軽口で躱す白い騎士もまた会話を楽しんでいるようだ。
アリオットは不思議な人だ、純粋に他人へ共感し他人を救おうとする。お人好しで優しい人間だと御陽は感じていた。
記憶も完全に戻りつつある今、リドヴィッグの言う不安もよく分かる。だからこそ、今度は確実に――
「大丈夫です……その前に必ず、殺します。望む通りにはさせません」
リドヴィッグは御陽の言葉を聞き、なんとも言えない感情になった。代わりに包んでいた御陽の手をぎゅっと強く握りこんだ。
「して、我がマスター。実はね金の美女は貴方方が来る事に気付いておるようだよ?それでも周辺の鏡への移動が必要かな?」
「なんだって?」
白い騎士の予想だにしなかった発言にアリオットは思わず聞き返した。
「交流を測ったのか?鏡の世界の人間と話せるのか?ランゲンブルクの令嬢は」
「まさか!一人は除いて、マスターなしでこちらの世界の子とは話せはしないよ」
大袈裟に驚いて見せる男に冷めた目を向けたが、どう侯爵邸の令嬢のいる所に入り込むか決めかねてはいたのでありがたいのかもしれない。
「まあいい。分かっているのなら話は早い、直接繋げてくれ」
「了解したよ」
白い騎士はご機嫌に頷く。これは本当にご令嬢が白い騎士の好みな女性のようだ。
「リド、御陽、行くぞ」
「本当に便利だよね」
リドヴィッグは傍に寄りながら関心したように言った。
先に鏡での移動を覚えてしまったら現在ある自動車や電車など遅く感じてしまうだろうな、とアリオットは少しだけ可笑しく思った。
そして、今の時間まで良くしてくれた人間の方に振り返った。
「じゃあな、ルイス助かった。また来るよ」
「ええ、お待ちしております」
ルイスに別れを告げたが、まだ聞きたい事は山ほどにある。ここに居続ける時間がないようなので移動するが、きっとすぐに来ることになるだろうと予感はする。
再び鏡に向き直り手をかざす。
三人は光に包まれあっという間にルイスのいる部屋から消えた。
ルイスは頬をつねった。「痛い」と言うと同時にふつふつと思いが込み上げてくる。
熱くなった頬は先程つねったからでは無い。少年の頃に憧れたヒーローを見た時のような高揚感からくる熱だった。
「この歳でこんな想いをする日がくるなんて」
静寂に満ちた部屋ではルイスの小さな声は良く響いた。
***
「まさか本当に鏡からいらっしゃるなんて、夢にも思わなかったわ」
高く落ち着いた可愛らしい声がした。
目の前には少し緩みのかかった薄く艶めいた金色の髪に、瞳孔が蛇のような金色の瞳をした女性が、アリオットの目の前でまじまじと自分を凝視している。
そうしてアリオットをくまなく見て満足したのか一歩下がり、ドレスの両端を摘み洗練された気品溢れるお辞儀を披露した。
「わたくしの事はご存知かと思いますが…わたくしはランゲンブルク侯爵家の三女、シャルロッテ・エナ・ランゲンブルクと申します」
こちらに来てすぐに出迎えの対応をされ、アリオットはしばらく放心してしまった。
後ろにいたリドヴィッグはアリオットの横に並んだ。
「俺の名はリドヴィッグ、姓はロズヴィルティア。君は分からないと思うけれど」
「……残念ながら知っておりますわ。フィパリス王朝時代、リドヴィッグ王子と言えば……いえ失礼、御本人を前にしてこんな事、申し訳ございません」
「ふふ、何?王朝を滅ぼした魔女?……王妃の腹を食い破り不死を得た化け物、とか?」
おどけたように笑ったリドヴィッグだが少し、声のトーンが落ちた。それはアリオットにも分かる僅かに悲しみを含んだ声だった。
御陽がリドヴィッグの服の袖を引き話を止めた。被せるようにして御陽が口を開いた。
「シャルロッテ様は大変な知識をお持ちだとお見受け致します。一番左の男はアリオット・デニエルと申します」
「アリオット様、宜しくお願い致しますわ。そして、貴女は?」
「御陽とお呼びくださいませ」
シャルロッテは御陽の目をじっと見つめている。猫のような少し吊り上がった目をぱちぱちと瞬きを繰り返し、首を傾げて呟いた。
「貴女は、何回死んだの?」
リドヴィッグは目を見開き大きく動揺した。アリオットはシャルロッテが言った言葉がなんの事か理解出来ず、黙り込んだままでいた。
当の御陽はシャルロッテの顔を見て、なにもハッタリで放った言葉では無い事を確信する。
これはきっと、そういう能力なのだろう。
「死んだ、というのは不可解です。私はこうして生きて、動いているのですから」
「そうね、死んだというのはおかしな話だわ。だって殺されかけただけで貴女は死んでいない、死んだのは……」
「元々、私は私だったのです。創られた人格がいなくなっただけの事」
人の死とはどういうものなのだろうか。
御陽は自身の最初の記憶から今までもずっと考えてきていた。身体の死が完全な死と言えるのだろうか。
――では例えば身体だけ生きていたとしよう。それが親しく関わっていた他人の記憶を無くし、全く別の人格となり身体の死までその生を全うすればそれはその人が生きていたと言う事になるのだろうか。
少なくとも御陽の中ではそれは、人の死と呼べた。
だからこそ勝手に植え付けられた人格が死んだところで悲しみは覚えない。憤りすら感じていた。
(私は私であり、誰にも何にもなり得ない。――器などと反吐が出る)
この御陽という名すらその人格に与えられた名であれば御陽は死んだと言えよう。
だが、創られた人格が完全に死を迎えたかと言うとそれは違う。自身が生きている上で強制的に多くの情報を創り上書きされただけであるのだから、人格の保有する記憶は自身に全て記憶されている。
だからこそアリスやアリオット、リドヴィッグの存在を忘れる事がない。
今やマガヒノラという箱庭で女を母と慕って過ごしていた日々も、アリオットによって助け出された出来事も、リドヴィッグと会った日も、二千年にも渡り人格に綻びが出来ては上書きをされ続けた記憶も、長年の膨大な記憶を全て。
思い出して分かる。
こんなことを繰り返しているのだから未だにあの男は見つけられていないのだろう。私が、全て隠しているのだから。
――ざまを見ろ
理解が追いついたアリオットの御陽を見つめる悲しい表情とは対称的に、御陽ははしたなくも舌を出して笑いたいくらいに愉快で愉悦な気分だった。




