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アンインストメルヘン  作者: なせり
第一章
16/39

11

 


 私の最初の記憶は黒い男に大切に抱かれた、真っ黒焦げな物体だった。

 男はその物体を前に突き出し「治せ」と言った。

 あの当時は言葉の意味を理解をしていたが自分がどういう存在でどういう力があるのか全く知らず、恐る恐る手をかざすとみるみるうちに黒く焦げた部分は青白い皮膚になっていき、黒焦げな物体は生物学上女である事が分かった。


 男はそれを抱き締め泣きながら何かの呼称を叫んでいた。何度も、何度も。


 だが女は息をしていて、目を開けているのに何も反応を示さなくただただ虚空を見つめていた。



 ――心がないというのは死を意味する、と私は思う。



 最近、何処だったかで得た知識だが昔も今も脳と心は一緒だと言う者もいれば、脳と心は違うと言う者もいる。

 脳科学と心理学、どちらも関連することがあるが異なっている。未だに解明されてはおらず、議論が続いていると誰かが言った。


 脳が治ったところで、その人の意識は戻るはずがない。

 全く新しいものに生まれ変わり生きていくうちに自我が芽生えるのであろう。

 でなければ、モノとして生まれた私の命に心が生まれるはずがない。




「人形。お前の血は作り物の血だ。生とも死とも区別がつかぬお前は死ぬ事がないし痛みすら感じる事も無い。なんと面白みのないつまらない人形だろうか」


 黒い毛の獣のような歯を持った人間は私の顎を掴み首を絞めるような力で言っていたのだろう。

 首の所には爪が食いこんで赤い液が流れている。


 愚かな人間だ。

 自分を他とは違う特別な人間だと思っているのだろう。どんな力を持っていた所で、どんな境遇を持っていた所で等しく脆弱だ。

 あの男は知っている。心がある限り人は弱いのだと。

 だから追い求めるのだ、恐怖に繕うその姿を見ようと思って必死だ。私に虚勢を張って私の心の部分を探そうとしている。

 そうしないと自分が怯えているのが分かってしまうから。


「苦しみ叫ぶ姿が見たいですか」

「勿論、人形の泣き叫ぶ姿はさぞ心地が良いだろう」

「なら見せてあげます」


 自身の手に握りこんでいた刃を再生して、刀に治す。

 赤い眼が大きくハッキリと見え、この男が何かを話し出す前に首を、刎ねた。


 劈く悲鳴と顎にくい込むまでに力んだ腕が緩み、倒れ崩れ落ちる。

 足元に転がった首は「おのれ、おのれ」と喚き、目で殺さんとばかりに私を睨みつけていた。



 私は転がった首を掻き抱き、疲労の知らない身体に息をきらせ必死に走った事があった、気がする。

 それはいつだったか。

 ぽかんと空いた記憶は心も無くなった感覚だった。

 じっと首だけの赤い瞳を見つめ続けて、思い出せなくて―――やめた。








「あれ?」


 流れ込んできた記憶の断片に読んでいた本から視線を彷徨わせる。

 リドヴィッグが御陽の様子に気づいたのか御陽の頭に手を乗せ眉を下げた。アリオットとルイスは突然声を上げたのが驚いたのか御陽に視線を向けていた。


「どうしたんだ」


 アリオットに問いかけられ御陽はたじろいだ。


(どうしてしまったのか、本当に……)


 御陽は自分が今までどういう存在で、どういう風に生きてきたのか分からなくなっていた。

 自分の名前すら忘れかけていて、呼ばれる度に思い出す羽目だ。どうやってアリオットに出会ったのかすら、覚えていない。


 アリオット、リドヴィッグ、アリスという存在は覚えているというのに。

 だが流れてきた記憶ではその誰でもない容姿をしていて、そして自身がこの手で殺していた。

 首を斬られて尚、元気に喋っていたのだから生きてはいるのであろうが、そんな事をしていた自分が恐ろしいと感じた。


 御陽は動揺をしながらも息を飲み込み、ごまかした。


「いえ、頁を読み飛ばしてしまったみたいです。突然声をあげてしまってごめんなさい」

「…謝らなくていいよ、そんなに夢中になれるんだ。後で俺も読みたいな」


 優しく微笑むリドヴィッグの目を御陽はじっと見た。


(――そうだ、あの赤い瞳じゃない。私はこの瞳が閉じた首を持って走って、隠した)



 誰かに知られては、見つかってしまう。私は死なない、殺さないだろうし殺してはくれない。

 あの男の思い通りにはさせない、絶対に。

 だから私は治さない。

 陽乃、この世にいつまでも未練を残し、しがみついて彷徨う亡霊。私を妹だと思うのならばどうか聞いてください。


 此処を守って―――




 ハッと我に返った御陽はへらりと笑って「ルイスさんに聞いてくださいね」と返事をした。

 そうして御陽は違和感から逃れるように本に視線を戻した。




 リドヴィッグはもとよりアリオットすら御陽の様子がおかしい事に気付いた。

 このまま話を続けていいのかとリドヴィッグをちらりと見たが、続けろと言わんばかりの目をこちらに向ける。

 これは遅かれ早かれこんな状態になったのかもしれないと切り替える。

 今は此処での情報が必要だ。アリオットは視線をルイスに戻し、会話を続けた。


「ルガルニアに関しては俺たちは関係がない。何を考えているのかさっぱりだ、まぁおいおい分かったら貴方に伝えようか?」

「それは嬉しいですが、太っ腹ですね。そんなに私から必要な情報なのでしょうか」

「勿論。正直貴方と出会わなければ夜まで無駄足を踏んで、途方に暮れるところだった。俺たちは運命じゃないか?」


 アリオットが女性を口説くような歯の浮く台詞を吐いて、ルイスは「おじさんにそんな事を言われてもねぇ」と笑う。

 ひとしきり笑ったあとルイスは真剣な表情で「それで?」と本題を催促した。


「この国でとある侯爵令嬢が監禁されてると聞いた。どこの令嬢かわかるか」

「随分とまた、ざっくりしていますね。でも分かりますよ」

「流石だ。どこの令嬢だ?」

「そうですね――」




 フィパリスとの国境がある辺境の地。

 ランゲンブルク侯の領である。侯爵夫人は令嬢が三歳の時に亡くなった。

 能力者はリドヴィッグのように長く生きる者もいれば、アリオットのように普通に過ごせば歳をとる者もいる。

 それと同じように能力者の血を継ぐものが能力者になる者も

 いれば、ならない者もいる。

 ここの令嬢は前者だった。現ランゲンブルク侯は夫人の家の爵位だ。

 何故ならば夫人が能力者だったからだ。プベルドでは能力者に高い爵位を与えられる。

 侯爵は元々能力のない子爵からの婿だった。それ故に夫人を恐れていた。なので夫人が病で亡くなるとこれ幸いに娘を地下牢に放り込んだ。

 娘がいるルイスは親のやる所業ではないと怒りがあったのでしっかりとその本は覚えていた。


 そして、挙句には子を二人持つ平民の美しい女性をひっ捕らえて侯爵邸に住まわせた。

 新たに後妻という形に収まった女性とその娘達は令嬢の事を哀れに思ったのか地下牢から解放した。



 金眼の魔女、シャルロッテ・エナ・ランゲンブルクを。












「姉様が近いのでしょうか」


 小さく小さく呟かれた言葉はざわざわとした王都では誰も拾うことがなく消えていく。

 黒く長い髪は頭の上でひとつに纏められ、歩く度に揺れる。まだ昼の明るさの空と対称的な、夜の様に真っ黒な男は辺りを見渡した。


 ――今日は良く見える。という事はやはり、この街にいるのだろう。



 男は人だかりに入ると、忽然と姿を消した。




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