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扉を開けるとカランカランと音が鳴った。
店の内装はそこまで古くはない、紙の匂いがしてひどく落ち着く所だ。
外と比べるとやけに静かで、見渡してみると人が一人もいなかった。
「いらっしゃいませ」
しんとした空間に低く穏やかな声が響き渡る。店主なのだろう、店の奥から壮年の男性が出てきた。
その男性は自分達を視界に入れると驚いたような顔になり、焦ったように続けて声をかけてきた。
「貴族様がこんな下町の本屋になんの御用でしょうか?」
今度は自分達が驚く番になった。リドヴィッグも御陽も顔をあわせて首を傾げている。
その様子を見た店主は取り繕うように続けた。
「いえ、違うのであれば、いいんです。どんな本をお探しですか?」
「いや待ってくれ、俺達は外から来た。どうして貴族と間違えたんだ?勝手が分からずにやらかして捕まるのなんかごめんだからな、教えてくれないか?」
アリオットがそう言うと店主は納得がいった顔をした。そそくさとアリオットのいる場所を通り過ぎ後ろの扉に鍵を掛け、店を閉める。
状況が飲み込めず困惑する二人とは対照的にアリオットは笑いが込み上げてきた。
(当たりだ)
「どうしてこんなに人通りの多いところで危険な事を?」
「水があるでしょう?本を持ち込みやすいのです。それに、私は危険よりも知識欲に駆られた人間です……恐怖よりも興味が勝つ」
アリオットは確信した。
この店主は自分達を一目見て、能力者だと見抜いたのだと。
「どうして能力者と分かったんだ?」
そうアリオットが問いかけると店主は御陽とリドヴィッグの方をじっと見る。
「これはあまり知られていませんが、昔は魔女で無い者と魔女の者と見分けることが出来たんです」
「昔は、というと?」
「ある時代から急激に黒髪黒目の種が増え、赤目や金目など魔女で無い者にも見られるようになったのです」
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店主はルイス・ラトヴィッジと言った。
ルイスはエグリシアという西の果てにある島国で生まれ、齢二十でプベルドに移り住んだ。
プベルドにきて暫くして彼は驚いたのだ。下町に来た貴族をたまたま見かけた時、その貴族の目の色が紫色だった事に。
ルイスは熱心な研究家だった。世界の歴史を知る事が彼の生きがいで、危険な事と知りながら禁書を読み漁った。
エグリシアは五百年前、魔女狩りが行われ多くの人が死んでいった。加えて魔女ではない一般市民も殺された事などは、昔の事なので開示されていたが全て悪魔に取り憑かれたもののせいにされていた。
頭が良かったルイスは、そもそも悪魔とは何者であるのかを追い求め能力者という存在に辿り着いのだ。
だが、それで世界が変わるわけでもない。幼い頃から悪魔と魔女、それから能力者全てにおいて悪い者と教育されている所に真相を大声で叫んだとしても、「頭のおかしい奴」又は「悪魔に取り憑かれた者」と言われて殺されてしまうだろう。
エグリシアは車も電車も電話もある便利な所だ、情報媒体だって豊富だった。しかし彼には窮屈に感じた。だからプベルドに移り住んだのだった。
プベルドはまるでエグリシアの五百年前に遡ったような錯覚に陥る。ルイスは五百年も生きていないのであるから、当然それは幻想でしかないのだが。
不便ではあるが本は前と違い楽に手に入る。エグリシアは情報媒体が豊富なのは良かったがその分拡散性も強い為細心に気をつけなければならなかったからだ。
そして研究者仲間も少々増え、その人達向けに本屋を営んだ。
そして、プベルドである本を読んだ時に思い出した。
エグリシアで研究を重ねていた時に知った事だ。魔女――現代では能力者は二千年前までは極めて珍しい目の色をしていたので忌避されていたのだと。それが珍しく無くなったのは千八百年前頃、もしくはそれより少し前頃だと。それが故意に誰かがそうしたのか自然的に増加傾向にあったのかは分からない、少なくともルイスは前者だと思っていた。
でなければ現代において極めて稀とされる目の色は稀では無くなっているはずだ。
「目の色が黒だけでは無く髪の色が黒は特別悪魔の色と称されていたのに、千八百年頃からここまで比率が増加するのも疑問が湧くしな。赤色、金色……それに近い色は私も見たことが無い」
そしてプベルドで手に入れたこの本、著者が物申しているのはプベルドの東にある辺境の貴族だ。この本の何気ない一文で頁を捲る手が止まった。
“毒のような瞳であるから民の目を飲み澄んだ瞳にしたいのであろうか。いくら骨の髄まで飲み込もうが、毒が強すぎて染み込み倒れるのは我々だというのに”
なんでもない貴族の贅沢を嘆いた、化物に風刺した皮肉の一文かと最初は思った。
だがこの“民の目を飲み澄んだ瞳”が引っかかった。民の目というのは恐らく大昔から多く見られる青色、水色系統の瞳の事だろう。そのなんでもない色をわざわざ言葉にしたのはもしかすると、これは風刺ではないのかもしれない。
そう考えるとこの毒の色というのは普通に連想するのであれば、紫――
「まさか」
エグリシアに居た時には考えられない事だったので信じられなかった。紫の瞳は見たことが無い、珍しい色だ。そんな事少し研究をしていればすぐに魔女だと分かるはずなのだ。
プベルドだって魔女を許容している訳でもない、確かに他と比べれば住みやすくはあるとは思うが。それが貴族で、それに殺されずに堂々と領地を治めているなんて。
民がそんな事を知らないのは分かるが国の重鎮、ここでは王族にあたるのか王族が知らない事は絶対にないだろう。
ルイスは今まで能力者に関しては読み漁っていた。禁書の内容を厳選しては貴族の内情など弾いていた。それがたまたま手に取ったこの本がこんな事に繋がるとは思わなかった。
それからルイスは手当り次第この国の内情を調べた。自身の危険などものともしなかった。それが彼の生きがいなのだから。
そしてそんなある時、最初に手にした本の登場人物「紫の瞳」に出会うことになる。
出会うと言っても遠くから見かけただけなのだが、王都のはずれにある店で本を探していた時、道の真ん中で人がざわついていた。ひとつの豪華な馬車が止まっていたのだ。止まっていたのは馬車の車輪に問題があったのだろう、貴族のご婦人が痺れを切らしたのか馬車から降りてきた。
ルイスは貴族の目の色が気になり少しだけ目を凝らし見た。
予想はしていたが実際に「紫の瞳」を見たら、彼の調べていたものは確信に変わった。
この国の貴族は能力者で固めている。
というのも高位の貴族と辺境の地を治めている貴族だけだ。
理由はこうだ。魔女は忌避されている、それはどこの国も変わらない。変わるのはただ一つ、他国で能力者の能力だけ兵器として使っているように他国との争いが最前線で起こりやすい辺境に能力者を置くことで国の脅威を少しでも低くしている。
高位の貴族が能力者なのは低貴族の謀反と民衆の革命を防ぐためだ。そして貴族以外の能力者を廃絶する為に民衆には魔女は恐ろしいものだと認識させ、平民として生まれた能力者は殺させるか貴族に引き取らせるかをしている。
何ともよく出来たシステムだ。王族は賢いと思うが血も涙もないとも思う。能力者に反乱を起こされれば一溜りもないのを分かっているから高位に能力者を置き、能力者同士を争わせる訳だ。
だがルイスにとってはここは住みやすい環境だと確立された。能力者でもないルイスにとっては恐れはない。革命児にもなるつもりも無い。
ここは研究家にとっては天国だった。




