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空が薄暗くなった頃、ひとつの部屋には三人の人影があった。アリオットとアリス、そしてリドヴィッグがそこにいた。
その部屋は御陽と一緒に今までいたであろう、母親の部屋である、ベッドには白い砂のようなものが散らばっていた。
「アリオットなしでこの国を出入り出来ないし、外に行ったとしても私の国であるからすぐにわかるわ。だから死んだとしか考えられないのよ……」
アリスの言葉を聞きながらリドヴィッグはその砂に手を伸ばした。アリオットは今起こっている状況の中で一つ不安な事があった。
「なあ、御陽はこのまま俺たちのことを忘れていくってことなのか?」
リドヴィッグはその言葉にふっと笑う。砂を握りしめ立ち上がった。
「随分可愛らしい心配をするんだね、弟。アリスの可愛げを全部持っていったの?」
「煩いわね、その心配は私もしているわよ」
「どうだか……心配しなくともお前らの事は忘れないよ。忘れるのはこいつが関わってた事、全て」
そういうとリドヴィッグは握りしめていた砂をゆっくりと手放した。ざらざらと床下に散らばる砂を見つめアリスは口を開いた。
「つまり母親が関わった事は忘れているけど、ミヨちゃんが今関わっている事柄に関しては覚えているっていうこと?複雑ね。どうしてそんなことに」
「いいや、簡単な事だよ。この砂を見て分からないかな?お前なら分かるはずだけど、アリス」
リドヴィッグの言葉にアリスは顔色を変えた。こくりと唾を飲む音がアリオットには聞こえた。姉がこんなに分かりやすく様子を変えることがアリオットには珍しく、不安になる。
「まさか……創る能力ってそこまで出来るの?そんなのって……」
「神様みたいだよね、まあそんな神吐き気がするけど。だから御陽の記憶もこんな砂みたいに消えていったって事」
アリオットには状況も何を言っているのかさっぱり分かっていなかった。ただただ、アリスとリドヴィッグの会話を聞くしかなかった。
そんな中、リドヴィッグは構わず独り言のように言葉を続けた。
「あぁ、そうか。だからあいつが来たのか」
「あいつ?」
呟いたような言葉にアリスは反応する。
「炎の男、名前は……なんだっけ。ああ、そうそう」
「陽乃」
アリオットはハッとした。その男を知っていた。だからあの時混乱していたのだ。
大昔、故郷をさ迷っていた時だ。
姉と別れどこを探しても全く手がかりもなく、途方に暮れて精神的にもまいっており、とうとう泣き崩れていた。あの状況からどう考えても死んでしまったとしか思えない。何分、何時間、いや何日だろうかそうした日々に暮れていたある時、自分の背後から足音が聞こえた。振り返ると、橙色の男が佇んでいた。
『お前はあの時どうやって消えた?』
この男を見たことがなくあの時というのは、姉を置いて逃げた時だろうかと少し迷う。人にはその時しか見られていなかったというのに。
『話したら姉さんは帰ってくるのかよ。なあ!』
完全に八つ当たりではあったもののこの感情を抑えきれず、涙が止まらなかった。自分だけを逃がした姉を自分は何故無理にでも手を引っ張って他に連れていかなかったのか後悔だらけだった。姉が死んだのは確実に自分のせいだったと今でも思う。
『帰ってくるから生きていろ、お前は何年生きていられるんだ?』
淡々と言葉をかえす男に絶句した。何故そんな事を言えるのか、そんなにも確信を持って言えるのか分からなかった。そもそもこの男はどちら側の人間なのか、仮にあの状況下において能力者だとして何故生きているのか。何故自分に対して生きろといわれているのか。疑問と感情が一気に押し寄せてきたが、気押され、唖然としてその言葉に答えるしかなかった。
『なんで……何年なんて人間の寿命だよ』
『稀に、それを越えて生きている魔女がいる。お前は消えていた時どこにいた?』
『か、鏡……』
橙色の男があまりにも力強く言うので思わずたじろいでしまった。男はそんな様子にも構うことなく言葉を続けた。
『そこにいろ。誰にも見つかるな』
『なんでそんなこと』
『いいか、お前が死ねば姉が死んだ意味がなくなる。この意味を無くしたいと思うのなら好きにしろ。少しでも俺の言った事を信じるのであれば言う通りにしろ』
そう男がまくし立て言い終わると、後ろを向き歩き出した。その背後をじっと見つめていると突然消えた。
アリオットは困惑しつつもアリスが死んだ時、意気消沈しており少しでも希望のある言葉を信じていたかった。男の言う通りに鏡の中で何年も過ごしていた訳だが、鏡の中では自分の老いを感じないのはその時に知った。
あの男がいう稀に人間の寿命を越えて生きる者とはこういう事だったのだ納得した。
今になってアリスと再び出会い、罪滅ぼしとして生きていけるのもあの男がいてこそだった。男の目的は分からないがアリオットとしては味方であってほしいと願うが、今の状況から鑑みるとそうとは言えない。
「なぁ、リドヴィッグ、その陽乃って男はどういうヤツなんだ?」
アリオットの言葉にリドヴィッグは顔を顰めた。それはアリオットに対して向けられた表情でないことはなんとなく察する。
おそらく、その陽乃という男を思い出したのであろう。
「アリオットだっけ、リドでいいよ。……まぁ、なんだろうねあの男は。昔から読めない奴でさ、俺がどうこう言えるまで詳しくないんだよね。」
そうして白い砂を見つめながら、リドヴィッグは呟いた。
「陽乃に関しては御陽のほうが詳しいかな。ただまぁ、全部忘れちゃってるんだけど」
その言葉にアリオットとアリスは目的を思い出した。
そもそもリドヴィッグと御陽はどういった関係で、はたまた御陽はどういう存在なのか。アリスは一歩踏み出し口を開く。
「陽乃に関することは貴方も詳しくないのならいいわ。問題はミヨちゃんよ、そして貴方。どういう関わりがあったの?何もかもちっとも分からないわ」
リドヴィッグはアリスに視線をやりふっと笑った。おどけたような笑みでアリスはイラついているようだった。
「ほんとにちっとも分かんない?御陽の存在は、アリオットはともかく、アリスは御陽の顔を見て分かると思ったんだけどな」
「……まさか」
アリスはさっと顔を青くした。
「どういう事なんだ?姉さん、リド」
「そうだね、俺も御陽の記憶引っ掻き回したくないからさ。あんまり言いたくないんだけど、アリオットは不安だよね」
するとリドヴィッグは先程まで薄ら笑みをうかべていた表情を一変させ、泣きそうな、強い意志を持ったような顔をした。
「ごめんね、アリス。想像してたものとはちょっと違うかな?……御陽は言うなれば、この母親だったものと同じだよ」
アリオットは息を飲み、アリスは瞳を揺らした。
そんな反応も気にせずリドヴィッグは続ける。
「ねぇアリス、母親は御陽に似てた?だから気付かなかったのかな?今でもあの男は――」
「うるさいわよ!」
アリスの張り上げた声に、アリオットは驚いた。何よりあの姉がここまで取り乱すことがあるのかと。
アリスは睨みつけるようにリドヴィッグを見ているが、当のリドヴィッグは気にした様子もなく、目を細めアリスを見た。
「俺は殺すよ、あの男を。お前ももうやめろよ」
アリスは目を閉じ、ふーっと息を長く吐き出すと再びリドヴィッグに目をやった。
「やめられたらとっくにやめてるわよ。貴方もそうでしょ?」
「俺はやめるつもりは無いからね。御陽を愛してるからこそ殺すんだよ」
「まぁそうよね。ごめんなさい、ちょっと頭を冷やすわ」
そう言うとアリスは早足でドアに向かい、この部屋を出た。
アリオットはやりとりを見るしか無かったが、なによりも初めて得る情報量が多く戸惑いを隠せなかった。
(姉には想い人がいて、その想い人をリドが殺そうとしている。ましてや御陽は姉の想い人と母親の娘?いや母親だったものと同じ存在と言っていたから創られた人、なのか…?)
「ごめんね、アリオット」
リドヴィッグにそう声をかけられ顔をあげる。
そうするとおどけたように笑って「身内の恋愛沙汰の話なんかむず痒くてきいてられないでしょ」と言った。
アリオットはきょとんとした。まさかそんな事を言われると思っていなかったので、さっきまで難しく考えていた自分が馬鹿らしくなり思わずふっと笑ってしまった。
「アリスには読めない人間って言われるんだけど、俺は自分の事結構分かりやすいと思ってるんだよね。ほら御陽の事しか考えてないし」
「単純明快だからこそ、疑心暗鬼になってしまうんだよ」
リドヴィッグの言葉にそう返すと「へぇ」とにやにやと笑っていた。
「それに」
「まだ隠していることがある……と思うんだが」
そう続けるとリドヴィッグはにやにやしていた顔をやめ、真剣にこちらを見つめてきた。
「隠しているつもりはないけど。そうだな、言った通り俺は御陽の事しか考えてないからさ、あの子の事を混乱させたくないんだよ」
リドヴィッグはまあ、座りなと椅子を寄越してきたが今日来た奴に椅子に座る事を許容されるのは些か不思議な光景であったがアリオットは大人しく座ることにした。
「俺や御陽の事なんかこれから嫌という程分かるし、知ると思うけど俺はお前のことが知りたいから聞くよ」
「アリオット、お前はどうしてアリスに加担してる?」
加担という言葉に違和感を覚えながら、アリオットは静かに口を開くことにした。




