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運命の輪

作者: 古河 聖

※本作の主人公は特殊な訓練を受けています。絶対に彼女の動きを真似しようとしないでください。死にます。


「――はっ! お弁当忘れた!」

 ある日のお昼休み。さあお昼にしようといつものように鞄に右手を突っ込んだあたし、千堂樹は、そこにあるはずのものがないことに気付いてそう叫んだ。

「どうしようてっちゃん、あたしのお昼がない!」

「……あーはいはい、いつものアレね。どんまい」

「てっちゃんセリフに心がこもってないよ⁉」

 この子はあたしの幼馴染、東武鉄子、通称てっちゃん。名前の通り、鉄のように冷たい心の持ち主である。別に東武鉄道オタクというわけではない……はず。

「だって、週に二回も聞いてたらそりゃ聞き飽きるわよ。またいつものか、ってなるわよ」

「そんなに頻繁に忘れてないよ!」

「本当に?」

「…………ぐぬぬ」

 ちょっと否定はできない。

「で、でもしょうがないじゃん! 朝練があるから朝は時間がないんだよ!」

「……あー。剣道部のエース様は大変ね。でもそれって、樹が早起きすれば解決することじゃない?」

「それができれば苦労はしないんだよ!」

 朝の布団の魔力を知らないのか、この子は。

「いや、それぐらい頑張りなさいよ高校二年生……。で、結局お昼はどうするの? 言っとくけど、私のぶんを分けてあげたりはしないわよ?」

「てっちゃんの鬼っ!」

 目の前でひもじい思いをする幼馴染になんてむごい宣言! ぶっちゃけそれくらいしか当てがなかったのに!

「……仕方ない、面倒だけど購買に……ダメだ、この時間じゃもうマイナーでマニアックなサラダ、略してマニラくらいしか売れ残ってない……!」

 うちの高校の購買の競争率は高い。昼休み開始から十分も経ってる今じゃ、不人気のマニラぐらいしか売ってないと思われる。いつもなら昼休み前にはお弁当を忘れたことに気付くから購買戦争にも勝てるんだけど、今日はしくじった。

「……樹のネーミングセンスに関して小一時間くらい議論したいところなんだけど……まあ、後でいいわ。さっさとその……まにら? でも買ってきなさいよ」

「あんなので健全な女子高生の胃袋が満足するわけないでしょ!」

 今時の女子を完全になめてる量しかないし。しかも奈落の底みたいな味するし。

「いや、私は食べたことも見たこともないから知らないのだけど……。じゃあどうするのよ」

「……しょうがない、コンビニまで行ってくる」

「……無駄だと思うけど、一応忠告しておくわ。昼休みに校外に出るのは校則違反よ」

「パッと行ってパッと帰ってくれば問題ない!」

「……ここから一番近いコンビニまで一キロくらいあるけど」

「五分で帰ってくる!」

「……待ちなさい。今軽く計算したけど、仮に買い物が一分で済むとしても、五分で帰ってくるには百メートル十二秒の速さで移動し続けないといけないのだけど――」

「行ってきます!」

 なにかを言いかけたてっちゃんのことは昼休みの残り時間の関係上スルーして、あたしは教室を全力で飛び出した。


 昇降口で素早く靴に履き替えると、鍵の閉まっている校門に向けて全力で駆け出す。校門ギリギリ手前、右足で地面を強く踏み込み、跳躍。門に右手をつき、それを支点にひょいと跳び越える。あたしにかかればこんな門、ちょろいモンですよ。

※ツッコミ者不在のため、このままスルーします

 校門を難なく突破したあたしは、ワールドレコード樹立クラスの速さ(※個人の感想です)でコンビニまでの最短ルートを疾走する。一応安全には気をつけつつ、交差点を曲がり、運よく青だった信号を突っ切り、登校時にいつも「でけぇ……」と思いながら眺めている大豪邸の脇を駆け抜け――

 ガサッ

 ――ようとしたその時。その大豪邸を囲むように植えられた生垣の中からなにかが飛び出してきた。

「わっ、ちょ、危ない!」

「え?」

 咄嗟に出たあたしの声に反応したそのなにかの正体は、身体のあちこちに木の枝や葉っぱを貼りつけた、小学校高学年くらいの可愛らしい少年だった。

(やばっ、このままじゃ確実に交通事故!)

 急には止まれないワールドクラスな速度(※個人の以下略)で走るあたし。突然の出来事に固まって動けない少年。このままいけば確実にぶつかる。そしてどう考えても車とどっこいの速度(※以下略)で走るあたしの勢いが勝るから、小学生っぽいあの少年がウルトラ吹っ飛んで大惨事。やばい、完全にあたしが加害者の図だ。しかも相手は恐らくこの大豪邸の住人。……ごめんてっちゃん、来世でも仲良くしてね……。

 ……とか言ってる場合じゃない! 目の前のピンチをどうにかすることを考えないと! と言ってる間にもう距離がない!

 あたしは少年にぶつかる直前で先程同様地面を強く踏み込むと、勢いそのままに全力で跳んだ。呆然とする少年の頭上をギリギリでなんとか跳び越えると、勢い余って空中で二回転くらいしてからスタッと着地。……ふう。なんとか交通事故を起こさずに済んだ。

「……えっと、大丈夫だった?」

 多分ぶつかってはいないハズだけど、一応後ろを振り返って少年に確認。その少年はポカンと口を開けてあたしのほうを見ていた。

「……い、いやいやいやいや! ボクの安否よりも先になんですか今の⁉ 確かにボク小さいほうですけど、それでも百五十近くはありますよ⁉」

 どうやら少年はあたしの神回避に驚いていたらしい。まあ、これだけ叫べるなら怪我はなさそうだね。あたしは心の中でホッと一息つくと、少年の疑問に答えてあげることにする。

「まあ、剣道部だからね」

「いや、理由になってませんから! 体操部とかならともかく、剣道部じゃ今の回避の説明できてませんから!」

「あー……じゃあ、本当は体操部ってことで」

「適当すぎません⁉ ……で、でもまあ、お姉さんの妙技のおかげでぶつからずに済んだので……その、ありがとうございます」

「うん。あたしも処分されずに済んでよかったよ」

「処分⁉ なんの話です⁉」

 だって、こんな大豪邸のお坊ちゃんに怪我なんてさせた日には……考えるだけで寒気がするよね。

「要するに、キミが無事でよかったってことだよ」

「どうやったらそんな超翻訳になるのかわからないんですけど……」

「まあ、その辺はどうでもいいじゃん。それより、キミはどうしてこんなところから出てきたの?」

 尋ねながら、少年が飛び出してきた生垣のほうを眺める。マンガやアニメなら、お屋敷の中での生活に嫌気がさして逃げ出してきたとか、そんなシチュエーションがぴったりなんだけど、まさか現実でそんなことがあるわけないし……。

「あ。そ、そうでした! ボク、ここでの生活に嫌気がさして逃げ出してきたところでした!」

 そんなことあった! さすがあたし、驚異のフラグ回収能力!

「えと、勝手に逃げ出してきて大丈夫なの……?」

「大丈夫じゃないですよ! 多分、今にもSPたちがボクを探しに……」

「坊ちゃん発見! 確保!」

『おおおおおおおお!』

「って言ってるそばからそれっぽいの来た!」

 声のしたほうを振り返れば、この少年のSPと思われる黒服の集団が、ドドドドという足音を響かせてこちらに向かって来ていた。なにあれこわっ。

「に、逃げなきゃ!」

 少年が黒服集団に背を向けて走り出す。しかし運動能力がへっぽこなのか、走り方が完全に女の子で速度も十段階評価で言うと一・七くらいだ。

※ツッコミ者不在のため以下略

 このままではあっという間に黒服集団に追いつかれてしまうだろう。うーん……まあ、ここは少年の味方かな。なんか、守ってあげたくなる感じだよね、あの子。

「というわけだから少年、しっかり掴まっててね!」

「ふぇっ? な、なにが、というわけ――ってうひゃあ!」

 たった数十メートル走っただけで息があがりかけている少年を後ろからひょいっとお姫様抱っこで抱えると、エンジン全開で駆け出す。っというか少年軽っ!

「ちょっ、お、お姉さん⁉」

「今喋ると舌噛むよ! 話は後、今はあの人たち撒くのが先だよ!」

「は、はいっ!」

 強い口調で少年を黙らせるとあたしはさらに加速。某世界の電圧さんもかくやという速度(※略)で市内を駆け回り、比較的あっさりと黒服たちを撒くことに成功した。

「ふう。とりあえずは一安心かな。にしても、女子高生にあっさり撒かれるなんて、キミんちのSPも大したことないね?」

「……いや、人ひとり抱えてあの速度で走って、その上まったく息切れしないお姉さんはどう考えても普通の女子高生じゃないです……。というか、そろそろおろしてください! 恥ずかしいです!」

「おっと。ごめんごめん」

 恥ずかしさで顔が真っ赤になった少年を地面に降ろす。恥ずかしがる様子が非常に可愛い。……ってそれは置いといて。地面に足をつけた少年はホッとしたように一息つくと、あたしのほうに向き直った。

「えっと、ありがとうございます。なんか、助けてもらっちゃって」

 そう言って少年はあたしに頭を下げる。なんて礼儀正しい子なの……!

「いやいや、気にしなくていいよ。というか、流れと勢いでキミを連れて逃走しちゃったけど、これでよかったの?」

「あ、はい! むしろ大助かりです! 今後お姉さんが誘拐犯としてうちの家の人たちから付け狙われることになるかもしれませんが、そのへんはボクのほうから上手く説明しておくので!」

「……う、うん。くれぐれもよろしくね……?」

 黒服たちから毎日付け狙われる日々とか……ドキドキワクワクでちょっと面白そうかも。いやでも、誘拐犯扱いとか勘弁だから少年に頑張ってもらおう。

「それで、キミはこの後どうするの? なにかアテがあったりするの?」

 ここで少年を一人にしても、街中に散らばっているだろう黒服にすぐ捕まりそうな気がして心配になり、尋ねてみる。

「あ、いえ……実は割と衝動的に飛び出してきたので、この先のことはあんまり……とにかく逃げ回ってれば、少しはボクの意見も聞いてもらえるんじゃないかと思って」

 なるほど、完全に無計画だね。……仕方ない、ここは最後まで付き合いますか。乗りかかった……なんだっけ。鮒だっけ。……鮒に乗るってなに?

 ※ツッコミ者以下略

「じゃあ、あたしもそれに協力するよ。とりあえず、そこの喫茶店にでも入ってもっと詳しい事情を聞きたいんだけど、それでいいかな?」

「……い、いいんですか……?」

「いいのいいの。キミってば、なんだか放っておけないしね」

 ここでお別れしたら、後が気になって六時間しか寝れないかもしれないし。

※充分寝てるじゃねえか(※『天の声』さんがツッコミに就任しました)

「で、でも、学校とか……お姉さん制服ですし……」

「え? ……あ」

 そういえば、元々コンビニでお昼ご飯を買うために校外に出たんだった! 色々あってすっかり忘れてた!

 慌てて腕時計を確認する。昼休みどころか、五限の授業が終了していた。

「……大丈夫。学校はたった今どうでもよくなった」

「どうでもよく⁉ ほ、本当に大丈夫なんですかそれ⁉」

「平気平気」

 サボった授業のノートとか、今も学校に置きっぱなしの鞄とかはてっちゃんに頼めばいいし。

「ほら、黒服に見つかる前に入るよ」

「あっ、は、はい」

 まだ遠慮している風の少年を促すと、あたしたちは二人で喫茶店に入った。


 なるべく窓から離れたテーブルに座り、時間が時間なのでお昼ご飯を注文した後。まずは自己紹介タイム。

「じゃあ改めまして。あたしは千堂樹。剣道部所属の高校二年生だよ」

「あ、結局剣道部なんですね……。えっと、ボクは湊奏です。あの家……湊家の一人息子で、通っていれば高一です」

「……んん? かなで君? こういち君? どっち?」

「奏です! 家の都合で行ってないですけど、通っていれば高校一年生、ってことです! これでも十六歳ですよ!」

「なっ、なんだってー⁉」

 本日一番の衝撃。え、だって……え? こんなにちっちゃくて可愛いのに? あたしのこと、お姉さんって呼んでたのに? 実は一つ年下なだけ? そ、そんなの有り得ない。きっとなにかの間違いだよ。

「……確かに、身長と童顔のせいでよく間違われますけど……でも、嘘じゃないです。保険証見ます?」

「やめて! あたしに現実を突き付けないで!」

 かなで君の実年齢がどうであろうと、あたしの脳内では小学生! そう思ってないとあたしの中のなにかが崩壊する!

「こ、こほんっ。そ、それじゃあ、自己紹介も済んだところで、さっそく詳しい事情を話してくれるかな? いつかなで君ちのSPたちにこの場所がバレるかわからないし」

「すごく強引に話を変えましたね……でも、確かに千堂さんの言う通りですね。わかりました、お話します」

「うん。あ、それと、あたしのことは樹でいいよ。もしくはさっきみたいにお姉さんでも可」

「さ、さっきは名前がわからなかったからそう呼んだだけですっ! え、えっとじゃあ、いつきさんって呼びますね」

 恥ずかしがって頬を赤くするかなで君が可愛い。お姉さんって呼んでもらえないのは残念だけど、いいもの見れたからよしとしよう。

「うーんと、なにから話せばいいのかな……。えっと、さっきも言いましたけど、ボク、湊家の一人息子なんです。だから将来、今はお父さんたちが動かしている湊グループを継ぐことになっていて……そのために、小さい頃から色々と叩き込まれてきたんです。マナーとか礼儀作法とか、帝王学とか経営学とか、本当に色々。まあ、そんな義務教育とはかけ離れたことばかり勉強させられていたので、当然学校には行ってなくて、全部家庭教師でした。さっき『通っていれば高一』と言ったのはそういうことです。加えて一人息子ということもあって、周りの人たちからすごく過保護に育てられました。特にメイド長が過保護で、ボクの外出にも厳しく制限をかけてきて…………そんな、勉強だらけで屋敷から一歩も外に出られない生活に、もう嫌気がさしたんです。だから今日、生垣の隙間から屋敷の外に抜け出して……そこでいつきさんに会った、という感じです」

「なるほど……長いね!」

 四百字詰め原稿一枚分くらいあったよ、きっと。しかもかなで君には悪いけど、マンガやアニメで何回か聞いたことある感じの話だったし。

「な、長いですか? これでも結構簡潔に説明したつもりだったんですけど……」

「うん、確かに内容はよくまとまってたよ。かなで君の事情はすんなり理解できたし。でも、こういう場合はもっと簡単に説明できる、『かくかくしかじか』っていう魔法の言葉があってね」

「現実ではなにも伝わらないやつですよ、それ!」

 そうかな? てっちゃん相手にはそれで通じたりするんだけど。

「まあとにかく、かなで君の事情は把握したよ。それで、これから具体的にどうするの? いつまでも逃げ続けるわけにはいかないでしょ?」

 かなで君の長台詞の途中で届いたお昼の焼き鯖の身をほじくり返しつつ、同じタイミングで届いたアツアツの炒飯を一生懸命ふーふーと冷ますかなで君に尋ねる。こんなに可愛い子が小学生じゃないわけがない。

「……それは、わかってます。家の人たちも心配してると思うので、遅くても今日中には戻るつもりです。……でも、ただ戻るだけだと……」

「そうだねー。意見を聞いてもらうどころか、むしろ外出規制が厳しくなりそうな未来が見えるよ」

「ですよね……」

 そう考えると、逃げ出してきちゃったのはちょっと失敗だったかもしれない。こうなるとかなで君の要求を通すには、相手が譲歩してくるまで逃げ続けるしかないわけだけど、それはあまり得策じゃないし……。いやまあ、あたしにかかればあんな黒服くらい、どうにかできなくはないんだけどさ。でも、それがもし誘拐事件として大事になっちゃったら、完全にアウトだからね。主に私の人生が。

「……かなで君的には、どのくらいの譲歩が引きだせれば満足なの?」

 なんとか人生終了ルートは避けたいので、もう少しかなで君から情報を聞き出してみる。

「うーん……勉強漬けが嫌なだけで、別に勉強自体が嫌な訳じゃないので……とりあえず、週一くらいで息抜きの時間がもらえれば、それで充分なんですけど……」

 かなで君、なんて要求の控えめな子なの……! というか、その口ぶりから察するに、現状休む間もなく毎日勉強、ってこと? なにそれ、あたしだったら死んじゃうんだけど。

「……それくらいなら、こんな逃げ出したりしなくても聞いてもらえそうな気がするけど……ダメなんだよね?」

「はい……。むしろ、ダメと言われたので飛び出してきた感じです」

「そっかぁ……ちなみに外出規制って、具体的にはどういう感じなの?」

「……基本的には敷地の外に出るのは禁止で、SP付きの外出なら多少融通が利く、って感じです。でも、SPと一緒だとあんまり息抜きにならなくて……」

「あー……」

 あの黒服集団がぞろぞろとついて来たんじゃ、注目もかなり集めるだろうし、息抜きにはならなそうだね。……でも、そっか。それなら……。

「……なら、あたしがSP代わりになる、っていうのはどうかな?」

「……いつきさんが?」

「うん。かなで君の外出にSPが必要なのって、万が一かなで君になにかあったときに守れるように、ってことでしょ? なら別にその役目、あたしでもいいんじゃないかな、と思って」

 戦闘力には結構自信あるよ。てっちゃんにもよく『あなたの前世はサ○ヤ人かなにか?』って言われるし。

「た、確かにいつきさんの運動能力は化け物級ですけど……」

「おいこら」

 言葉は選ぼうよ、かなで君。お姉さん地味に傷つくよ?

「……一応、ちゃんとした実績もあるよ。かなで君、携帯持ってる?」

「あ、はい。持ってますけど」

「じゃあそれで、『千堂樹 剣道』って検索してみて」

「は、はあ…………って、え⁉ 全日本チャンピオン⁉」

「ドヤ~」

 驚いて画面とあたしの顔を交互に見るかなで君にドヤ顔で応じる。そう、なにげにあたし、剣道界では有名人なのです!

「た、確かにいつきさんの運動能力を考えれば、不思議な話じゃないですけど……。……でも、本当にいいんですか? そんな、今日会ったばかりのボクのために……」

「いいのいいの。ここまでがっつり事情も聞いちゃったし、むしろなにもしない方が申し訳ないよ」

 こっちから色々事情を聞いといて『じゃ、後は頑張ってねー』とか言ったら、あたし最低じゃん。それに、こんな可愛い子が困ってるのに、お姉さんとして放っておけないし。

「というわけだから、遠慮しなくていいよ。あたしにドンと任せなさい!」

「あっ、ありがとうございます!」

「うむ」

 とりあえず、これで方針は決まったかな。あとはお昼を食べて、屋敷に乗り込むだけだね。

 といわけで、残った焼き鯖を骨ごと綺麗に完食し(※身をほじくり返してた意味は?)、かなで君が炒飯を食べ切るのを待って、いざお会計。

「……あの、ボク、勢いで飛び出してきたのでお金持ってないんですけど……」

「いやいや、それくらいあたしが払うよ」

 二人分合わせても千円いかないくらいだし、と思いながら財布を取り出す。ほぼ手ぶらなあたしだけど、元々コンビニに行く予定だったから財布と携帯だけは持ってるし。

「…………おや?」

 取り出した財布の中身を確認したあたしは、思わずそう漏らした。なにかの間違いだと思い、目を軽くこすってからもう一度確認する。……ダメだ、さっきとなにも変わってない。

「Oh…………」

「い、いつきさん? どうしたんですか?」

「…………しかないよ」

「え?」

「財布の中に、フィリピンペソしかないよ!」

「ふぃ、ふぃりぴん……ぺそ……?」

 何度中身を確認しても、そこには昔てっちゃんからもらった旅行のお土産、フィリピンペソしか入っていなかった。おい数時間前のあたしよ、この財布を持ってコンビニでなにを買うつもりだったんだ……。

「や、やばいぞー……このままじゃあたしたち、無銭飲食だぞー……」

「えっ、ええ⁉ どうするんですか⁉」

 本当にどうしよう。最悪かなで君の家を頼れば、とか一瞬思ってしまったけど、さすがにお姉さんとしてそれはない。そもそも喫茶店に入ろうって言ったのあたしだし。……仕方ない、ここはあの人を頼ろう。絶対後で説教くらうけど、それくらいは甘んじて受けよう。

「ライフライン! テレフォン!」

 言いながら、あたしのもう一つの所持品、携帯を取り出す。

「ら、らいふらいん? なんですか、それ」

 Oh……最近の子はミ○オネアも知らないのか。それともかなで君がテレビを見ないだけなのかな。後者の方が可能性高そう。

「要するに、電話で助けを求めるってことだよ」

 説明しつつ、電話帳からある人物の名前を選択して、コール。三回くらい呼び出し音が鳴った後、電話は繋がった。

『……もしもし』

「あ、もしもしてっちゃん? あたしだよあたし」

 頼ったのは、もちろんてっちゃん。授業ももう終わってるし、きっと助けてくれる! ……はず!

『……あたしあたし詐欺は間に合ってますので』

「詐欺じゃないよ⁉ っていうか、画面に名前出てたでしょ⁉ あなたの幼馴染、千堂樹だよ!」

『……お掛けになった電話は、現在あなたの電話番号を着信拒否しています』

「そんな心を抉るメッセージがあってたまるかっ! っていうか、そろそろマジレスして!」

 喫茶店の中で叫びまくって注目されちゃってるんだから。

『……これはこれは、午後の授業をエスケープしたくせに今の今までなんの連絡も寄越さなかった樹さん。私に一体なんの用?』

「わ、わーお……もしかしなくてもてっちゃん、怒ってる?」

『別にそんなことないわよ? ただ、急に消えたあなたについて『お前が一番仲いいだろ? 何か知らないか?』と教師たちから質問攻めにあって、ちょっとうざかっただけよ』

「やっぱり怒ってるよねごめんなさい! こっちにも色々事情があって!」

『……はあ。まあ、いいわ。それで? その事情とやらは、当然私にも説明してくれるのよね?』

「も、もちろんだよ! えっと、実はかくかくしかじかでね、今喫茶店にいるんだけど……」

『……樹。現実で『かくかくしかじか』と言っても、相手にはなにも伝わらないのよ?』

「え、嘘⁉ 伝わらないの⁉」

「さっきボクもそう言いましたよね⁉」

「だ、だって、たまにてっちゃんに使うと『あー、はいはい』ってなるよ? ちゃんと伝わってるよ?」

「……いやそれ、多分適当に流されてるだけだと思いますよ……」

「⁉」

 かなで君から知らされる衝撃の事実! ひどい、ひどいよてっちゃん!

『……樹以外に誰かいるの?』

 かなで君との会話が電話越しに漏れ聞こえたのか、てっちゃんが尋ねてくる。

「あ、うん。かくかくしかじかの過程で知り合った子なんだけど……詳しく説明してるとおよそ六千文字くらいになるから、説明は後でいい?」

 今は早急に解決しなければいけない問題が控えてるし。

『……わかったわ。それで、私に連絡してきたのはどういう要件なわけ?』

「うん。お金貸して?」

『……切るわ』

「わー待って待って! てっちゃんに見捨てられるとあたしたちマジで捕まるから!」

『……というかあなた、コンビニに向かったんじゃないの? なんでお金持ってないのよ』

「財布を開いたらフィリピンペソしか入ってなかったの」

『……なにその、どこぞの漫画みたいな話……あなたホント、なにしに校外に出たのよ』

「財布の中がこんな惨状だとは思わなかったんだよ!」

『自分の財布の中身くらい把握しときなさいよ……。で? 私はどこの喫茶店まで支払いに行けばいいの?』

「てっちゃん……! ホントにありがとう! 愛してるよ!」

 なんだかんだ言いつつあたしを助けてくれるてっちゃんが大好きです。

『……ごめんなさい、私に百合趣味はないのだけど』

「あたしにもないよ!」

 そういうつもりで言ったんじゃないよ! わかれよ!

「とっ、とにかく! あたしたちは『なっちゃん』にいるので、お願いします!」

『……わかったわ。そんなにかからないと思うから、少し待ってなさい』

「はーい」

 そこで通話を切ってから待つこと十分くらい。てっちゃんがあたしたちのいる喫茶店『なっちゃん』に来店した。

「あ、てっちゃん! こっちこっち!」

 あたしの呼びかけに気づいたてっちゃんがあたしたちのテーブルまでやってくる。

「まったく……次からはお店に入る前に……いや、教室を飛び出す前に所持金の確認くらいしなさい」

「はい、すいません。反省してます」

 現れるなりいきなり説教のてっちゃんに、あたしは頭をさげるしかない。

「……まあいいわ。それで、この子が電話で言ってた子?」

「うん」

「は、初めまして。湊奏です」

「こちらこそ初めまして、東武鉄子よ。……で、樹。あなたなんで小学生に手を出してるの?」

「ちょっ、酷い言いがかり! 手を出したとかじゃないよ!」

「いや、そこは小学生も否定してくださいよ! ボクは十六歳です!」

「え……⁉︎ あ、そ、そう……それはごめんなさい」

 今のてっちゃんの心境は少し前のあたしと同じだと思う。絶対信じられない……っていうか信じたくないよね?

「いえ、誤解されるのには慣れてるので……」

 そう返すかなで君は苦笑い。まあ、むしろ誤解されない方が珍しそうだよね。

「さ、自己紹介も済んだところでてっちゃん。お会計お願いします!」

「……いや、その前にさっきの『かくかくしかじか』の中身を説明しなさいよ」

「……それもそうだね」

 かなで君もいる今のほうが説明しやすいだろうし。というわけで、てっちゃんにも同じテーブルに座ってもらって、今日のお昼以降の出来事を説明する。全ての説明を聞き終えたてっちゃんは、なぜかげんなりした表情だった。

「…………ねえ、樹。あなたやっぱりショタ――」

「違うよっ‼」

 別にかなで君がちっちゃくて可愛いから助けたわけじゃないよ‼ まったく、酷い誤解をしてくれるな、てっちゃんは。……ご、誤解だよ? ホントのホントに誤解だよ?

「まあ、その真偽は別にどうでもいいとして」

 あたし的には全然どうでもよくないんだけど。

「あの湊家のSPをあっさり撒くとか……あなたやっぱり人間じゃないわよね」

「てっちゃんさっきからあたしに対して口撃激しくない⁉」

「そうかしら。一時的とはいえ、誰かさんのせいで必要のない出費をしなくちゃいけないせいかしらね」

「あ、はい。ごめんなさい」

 自業自得でした。

「冗談よ。別にそこまで怒ってはいないわ。でもあとでなにか奢りなさいよね」

「それはもちろん!」

 というわけで、お会計をてっちゃんに払ってもらった。ありがとうてっちゃん!

「ゴチになります!」

「奢りじゃないわよ立て替えよ。このお会計分は後でちゃんと返しなさい」

「わ、わかってるって。軽い冗談だよー」

 どさくさで奢ってもらう作戦、失敗。

「……はあ。ならいいけど。それで? この後二人は、湊家に行くの?」

「うん。交渉しに行かなきゃいけないからね」

「そう。じゃあ、頑張ってらっしゃい」

「うん。……ってあれ⁉ てっちゃんは来てくれないの⁉」

 この流れっててっちゃんも一緒に行く感じじゃないの⁉

「私がついていってもなんの力にもなれないでしょう? 樹みたいにSPの代わりなんてできるわけないし」

「まあ、そうだね。てっちゃん運動音痴だもんね」

「それは関係ないわ」

 否定はやっ。意外と気にしてるのかな。

「……まあとにかく、私は行かないから、二人で行ってきなさい。私も湊君の境遇はおかしいと思うし、あなたたちの味方だから。自宅から応援してるわ」

 自宅じゃなくてすぐそばで応援してくれると心強かったんだけど……まあ、無理言ってもしょうがないか。

「あっ、ありがとうございます、東武さん!」

「いえいえ。それじゃあ湊君、機会があればまた。樹はまた明日ね」

「うん。いい知らせを持って帰るよ!」

「そういうフラグになりそうなことを言うのはやめなさい」

 そう言っててっちゃんは帰っていった。……さて、それじゃあいよいよ。

「行きますか」

「は、はいっ。よろしくお願いします、いつきさん!」

「おう! あたしに任せなさい!」

 二人して若干テンションが高いまま、あたしたちは湊家に向かった。


「……門でかっ!」

 湊家の入り口にたどり着いたあたしの一言目はそれだった。いつも通学路では側面しか見てなかったからわからなかったけど、これは想像以上の大豪邸だ。さすがにこの門は跳び越えられないかもしれない。

「無駄に大きいだけですよ……っと、開きました」

 驚くあたしの横で指紋認証らしきことをしていたかなで君がこちらを振り返る。それと同時に、やたら大きな門がゴゴゴゴ、という音と共に左右にスライドしていき、やがて完全に開いた。

「さ、入ってください」

「お邪魔します!」

 その光景にちょっと興奮しつつ、大豪邸の敷地内に足を踏み入れる。そこにちょっとした自然公園並の庭が広がっていた。あの奥に見えてるのが多分屋敷だろう。結構距離がありそうだ。

「じゃあ、屋敷のほうに行きますか」

「あ、うんっ」

 歩き出したかなで君の後ろを、庭をキョロキョロと見回しながらついていく。うわあ……庭の中に噴水があるよ、噴水。こんなのマンガの中にしかないと思ってたのに、まさかこんな近場にあるとは。

「……いつきさん、なんか楽しそうですね」

「うん。大豪邸にかなりテンション上がってるかな。……そういうかなで君は、ちょっとテンション低め?」

「そりゃ、まあ。この後上手くいくかどうか心配ですし……もしダメだったとき、いつきさんにどんな迷惑がかかってしまうか……」

 あー……そりゃ、不安だよね。ここはお姉さんとして元気づけてあげなきゃ。

「もー、やる前からダメだったときのことなんて考えないの! 絶対大丈夫だから、あたしを信じて。ね?」

「いつきさん……。はっ、はい! 頑張ってみます!」

 握りこぶしを作って気合いを入れるかなで君。相変わらず可愛い……とか思っていると、屋敷のほうから誰かが駆け寄ってきた。

「お坊ちゃま! 今までどこに行かれてたのですかっ!」

 やってくるなり大声で叫んだのは、メイド服を着た眼鏡の女の人。噂のメイド長さんだろうか。

「ご、ごめんメイド長。勝手に飛び出して」

 頭ごなしに怒られたかなで君が反射的に謝る。あ、やっぱりこの人が例のメイド長っぽい。

「まったくでございます。罰として今後一切外出は禁止です」

「いや、それは無茶苦茶だよ」

 いきなりメイド長がわけわかんないこと言うので、思わず口を挟んでしまった。

「……なんですかあなたは」

「あ、メイド長。この人は……」

「存じております。例の誘拐犯ですね。捕えろ!」

 メイド長が号令をかけた直後。今までどこに潜んでいたのか、突然現れた二人の黒服があたしの両腕を片腕ずつ拘束した。

「くっ……!」

「いつきさんっ!」

「のこのこと湊家の屋敷にやってくるとはいい度胸です。お坊ちゃまを誘拐した罪は重いですよ」

「ち、違うんだよメイド長! いつきさんはボクを助けようとしてくれただけで……!」

「そ、そうそう! なんか黒服の集団に追いかけられてたから助けようとしたの! あれがこの子のSPだなんて知らなかったの!」

 メイド長をなだめにかかるかなで君に乗っかってあたしも抗議する。若干嘘混じりだけど。

「……なるほど、そういうことでしたか。それは、坊ちゃまを保護していただいてありがとうございます。あとはこちらで引き受けますので、お引き取りください」

 優しく聞こえるその言葉だが、顔にははっきり『帰れ』と書いてあった。……でも、ここで引き下がるわけにはいかない。

「……いや。帰るのはかなで君の外出許可をもらってからだよ」

「……はい?」

「かなで君、この家からほとんど出られないって聞いたよ。お坊ちゃんの安全が心配なのはわかるけど、ちょっと過保護過ぎじゃないの?」

「……あなたには関係のない話です。お引き取りください」

「そうはいかないよ。かなで君は今の生活が嫌だから家を飛び出したんでしょ? それが改善されるまでは引き下がれない」

「……しつこいですね。つまみ出しなさい」

 あたしの両腕を拘束していた黒服たちが、そのままあたしを敷地の外へ連れて行こうとする。……しょうがない。あまり手荒な真似はしたくなかったんだけど。

「話を!」

 叫ぶのと同時に両脚を強く踏ん張ると、黒服たちの袖をそれぞれひっ掴み、そのままダブル一本背負いで黒服たちを投げ飛ばした。

「……聞いてもらえるよね?」

『………………』

 メイド長をはじめ、投げ飛ばされた黒服、野次馬のごとく集まっていたそのほかの黒服、そしてかなで君までもが、その光景に唖然としていた。……よし、これでこの場の空気はあたしが支配した。

「別にかなで君はいつでも自由に外出できるようにって望んでるわけじゃないんだよ。ただ、勉強の合間に息抜きがしたいだけなんだ。でも今のままじゃ、外出にはSPがぞろぞろついてきてまったく息抜きにならない。だからそのSPの代役を、あたしに任せてくれない?」

「……SPの代役を、あなたに……? そんなの――」

「今の、見てなかった?」

「………………」

「それに、さっきはそのSPたちをあっさり撒いてるんだよ? 加えていうなら、剣道全日本チャンピオン」

「なっ……け、剣道全日本チャンピオンって……まさかあんた、あの千堂樹か⁉︎」

 あたしの発言に、投げ飛ばされた黒服の片方が動揺気味に食いついた。

「そうだよ?」

「え、千堂樹って、あの運動能力が桁違いの⁉︎」

「瞬きしたら最後、一瞬で試合が決着するという、あの⁉︎」

「『神速の化け物』の異名を持つ、あの千堂樹⁉︎」

 なんか黒服たちがざわつきだした。というかあたし、そんな異名で呼ばれてるの? 初耳なんだけど。もっとまともな異名なかったのかな……。

「……千堂樹とは、そこまでの人物なのですか?」

 黒服たちの反応に驚いた様子のメイド長が、黒服の一人に向かって尋ねる。

「そりゃもうヤバいですよ! 俺たちが束になっても抑えられるかどうか……」

「そ、そこまで⁉︎」

 うん、完全に化け物扱いだね。まあ、おかげで狙い通りに話が進みそうでありがたいっちゃありがたいけど……ちょっと複雑。

「……わ、わかりました。あなたがSPの代わりをするのを認めましょう。ただし、週に一度。それ以上は譲歩出来ません」

「ん……まあ、いいか。かなで君もそれでいい?」

「あ…… はっ、はいっ! ありがとうございます、いつきさん!」

「いえいえ」

 ふう。なんとか目標は達成かな。うまくいってよかった。

 こうしてあたしは、かなで君のSPの代わりをすることになった。あたしと一緒でかなで君の息抜きになるのかどうかはわからないけど……でも、黒服がぞろぞろついてくるよりはマシだと思う。とはいえ、準備しておくにこしたことはない。かなで君に喜んでもらえるように、色々考えておこう。



かなで君と出会った週の日曜日。あたしの部活も休みで、かなで君も日曜の午後は勉強の予定が入ってないということで、必然的に出掛けるのは日曜日になった。現在湊家の門の前で待ち合わせ中。

「……ねえ、樹」

 同じくあたしの隣でかなで君を待つてっちゃんが声をかけてくる。

「なに、てっちゃん」

「……どうして私まで、一緒に出掛けることになってるのかしら」

「てっちゃんも一緒のほうが楽しそうだったから」

「……そんな理由で私は睡眠時間を奪われたのね……」

「……いやてっちゃん、もう二時なんだけど?」

「……普段はもう二時間くらい寝るわ」

「寝すぎだよ!」

 平日はちゃんと起きるのに、休日だとめちゃくちゃ惰眠を貪るんだよね、この子。とはいえ、夕方まで寝たら寝すぎだよ。

なんてやり取りをしていると、門がゴゴゴゴと開き、かなで君がひょいっと顔を出した。

「こ、こんにちは。お待たせしました」

「こんにちわー。そんなに待ってないから平気だよ」

「こんにちは。早速だけど、私も一緒で大丈夫なの?」

 会うなりすぐ尋ねるてっちゃん。もー、心配性だな。さっきあたしが大丈夫って言ったのに。

「あ、はい。ボク一人だと、いつきさんのボケを処理し切れる自信がないので、いてくれると助かります」

 あれ、そういう理由⁉ あたしの想定と全然違うんだけど⁉

「あー……確かにそうね。わかったわ、それじゃあご一緒させてもらうわね」

 てっちゃんも納得しちゃうの⁉

「それじゃあ樹、早く行きましょ」

「行きましょう! ボク、ずっとこの日を楽しみにしてたんです!」

 いや、あたし個人的にはさっきの二人のやりとりについて追及したいんだけど……ああっ、ダメ! こんな期待に満ち溢れた目を向けられたら、もう出発するしかない!

「よしっ。じゃあ出発しよう! かなで君は、どこか行きたいところある?」

「うーん……あ、そうだ。ボク、この街に住んでるのにあそこに行ったことないんですよ」

「あそこ? ……ああ、なるほど。あそこだね」

 かなで君の言わんとすることを読み取ったあたしは、目的地までの道順を計算しながら宣言する。

「じゃあ、今日はそこに行ってみよっか。いざ、出発!」

「おー!」

「……なに、このノリ」

「はいはい、てっちゃんも行くよー」

 テンションの高いあたしたちに若干引き気味のてっちゃんの手を引っ張り、あたしたちは目的地に向けて歩き出した。

「ちょっ、自分で歩けるから放しなさい! 恥ずかしいわ!」


「うわぁ……!」

 到着したのは、この街最大級の建物、駅前の大型ショッピングモール。市外や県外からも多くの客が訪れるこの施設に、この街に住んでいながら行ったことがない人はそうそういないと思う。

「いつきさんいつきさん! おっきいですね!」

 その数少ないうちの一人であるかなで君は、さっきから興奮しっぱなしだ。

「だよねー。あたしも初めてきたときはびっくりしたよ」

「……でもこれ、湊家の敷地とそんなに変わらないんじゃない?」

「そんなことないですよ! ウチよりぜんぜん広いです!」

 まあ、その辺の真偽はさておき。いつまでも外観を眺めていてもアレだし、そろそろ中に入ろう。

「う、うわっ、すごい人……!」

 中は大勢の客でごった返していた。まあ、日曜日だもんね。かなで君がはぐれないようにしっかり見てなきゃ。

「さて、どこから見てまわろっか。かなで君、どこか行ってみたいお店とかある? 特にないなら、適当にぐるっと回りながら気になった店を見ていくスタイルでいこうと思うんだけど」

「あ、それでお願いします! なんか、お店がいっぱいありすぎてよくわからないので」

 案内板を見ながらそう答えるかなで君は、既に若干目をまわしている。まあ確かに、最初はお店がありすぎてよくわかんないよね。あたしも目的のお店にたどり着くのに一時間以上かかったし。

「じゃあ、適当に一階から見てまわろっか」

「はいっ」

というわけで、モール内を一階から順に見てまわる。ペットショップで猫をひたすら眺めたり、人生初だというクレープを買い食いしてみたり、あたしとてっちゃんでかなで君をコーディネートしてみたり。中でもかなで君が一番テンションが上がってたのは、意外なことにゲームセンターだった。

「うわー! これが噂のゲームセンターですかっ!」

「うん。ゲームセンターもお初?」

「はいっ。前々から興味はあったんですけど、いつもSPにとめられてて……きょ、今日は入ってもいいですかっ?」

「うむ。許可しよう」

「やった!」

 SP代理として許可を出すと、かなで君はゲームセンターの中に駆けて行った。それを見失わないように追いかけつつ、あたしはてっちゃんに話しかける。

「こうしてみると、ホントに小学生みたいだよね、かなで君」

「まあ、今までろくに外出もさせてもらえなかったわけだし、心境としては初めて外に出た子供に近いんじゃないかしら」

「そっか……本当はみんなが小学生のうちに経験することを、かなで君は今の今まで経験できなかった、ってことなんだね」

 そう思うと、偶然にもかなで君と出会って、ほぼ流れと勢いとはいえかなで君を助けられて、心底よかった。だってそうじゃなかったら、かなで君はゲーセンの楽しさすら一生知らないままだったんだから。

「……よしっ。それじゃあかなで君に、ゲーセンの楽しみ方を目いっぱい教授するとしますか!」

「……そうね。でも、あなた流の楽しみ方を教えるのはやめておきなさい。誰もついてこれないから」

「そんなことないよっ!」

 酷い言い草だ。

「あっ、いつきさん! これ、どうやって遊ぶんですかっ?」

 抗議のようにてっちゃんの脇腹をつつきまくっていると(ちなみに超無反応)、かなで君があたしを呼んだ。どうやらUFOキャッチャーの遊び方がわからないらしい。

「OK、お姉さんが教えてあげよう。まずはこの筐体を――」

「揺らさないわよ?」

「わっ、わかってるよ! ちょっとしたジョークだよ!」

 それやったら店員さんに怒られるし。……べ、別にやったことあるわけじゃないよ?

「こ、こほん。えっと、まずはここに百円を投入します」

「はいっ」

 かなで君が財布から百円玉を取り出し、筐体に投入する。

「そしたら、この一ってボタンが光ったでしょ? まずはこれを押して、このアームを横に移動させるの」

「は、はい。やってみます」

 かなで君はボタンに手を添えると、ちょこん、と一瞬押した。アームは少し横に移動しただけで止まってしまう。

「あ、あれ? いつきさん、これ動かないですよ?」

 既に光を失っているボタン一をカチカチと押し続けるかなで君。……うん、あたしの説明不足だった。

「ごめんかなで君。これ、アームが動くのはボタンを押してる間だけなの。先に説明すればよかったね」

「あ、そうなんですか?」

「うん。……あっ、でも、ちょうど奥のほうの景品が狙えるかも。かなで君、今度はその隣にある二ってボタンを押して。あたしがストップっていうまで離しちゃだめだよ?」

「は、はいっ」

 かなで君がボタンを押すと、アームは筐体の奥へ動き始める。あたしはそれを筐体の横から眺めてタイミングをはかる。……よし、そこ!

「ストップ!」

「っ!」

 あたしの声に反応したかなで君が、素早くボタンから手を離す。アームはゆっくりと下がっていき、目当ての景品をしっかりとらえ、そのまま……。

「……よしっ、ゲット!」

 綺麗に取り出し口まで運ばれ、見事に一発ゲットした。

「すごいよかなで君! 初挑戦であんな綺麗にゲットするなんて!」

「いっ、いやそんな! いつきさんの指示がよかったんですよ!」

「いやいや、かなで君の実力だって。ほら、早く受け取って」

「は、はい!」

 あたしが促すと、かなで君は取り出し口に手を突っ込んで、見事にゲットした景品……猫のクッションを取り出した。

「……湊君、猫好きなのね」

「はいっ。昔ボクの家の敷地内に、よく遊びに来てたんですよ。結構可愛がってたんですけど、最近はあんまり来なくなっちゃったので少し残念です」

 いいなー。あたしも猫好きだけど、猫アレルギーだから触れないんだよねー。

「あっ、あのコーナーはなんですかっ?」

 ゲットした猫のクッションを袋に入れてもらった後。かなで君が次に興味を示したのは、音ゲーコーナーだった。

「あれは音ゲーコーナーだね。音楽に合わせて太鼓叩いたりボタン押したりするゲームが集まってるんだ」

「へ~! 面白そうですね!」

 興味津々といった様子で音ゲーコーナーへと向かっていくかなで君。音ゲーの沼はハマると抜け出せなくなるんだけど……まあ、かなで君なら大丈夫だと信じよう。別にガチにならなくても全然楽しめるしね。

「うわっ、いっぱいありますね……どれがオススメですか?」

「うーん……個人的には、初心者におススメなのは太鼓かな。音符が二種類しかないし、他の音ゲーに比べたら簡単だと思うよ」

「なるほど……じゃあ、それをやってみます!」

 ということで、早速あたしとかなで君で『太鼓の鉄人』をプレイしてみる。まずは曲選択。

「かなで君は、普段どういう曲聞く? 当然聞いたことある曲のほうが叩きやすいんだけど」

 太鼓に限らず音ゲー全般に言えることだね。

「うーん……普段はクラシックしか聞かないですね」

((さすがお坊ちゃん……))

 まあ、若干そんな気はしてたけどね。

「じゃあ、クラシックの曲をやろうか」

 あたしは太鼓の縁を叩いてジャンル『クラシック』を選択し、太鼓の面を叩く。すると、収録されているクラシック曲がバッと表示される。

「この辺がクラシック曲だね。そんなに多くはないけど、どれがいい?」

「そうですね……あ、第九とか入ってるんですね」

「じゃあ、一曲目は第九にする?」

「はい!」

 太鼓を叩いて曲を決定する。今度は難易度決定画面。

「一番左の『梅』が一番簡単で、『竹』『松』って右に行く毎に難易度が上がって、一番右の『化物』が一番難しいよ。初心者は『梅』か『竹』くらいがいいかな」

「じ、じゃあ、『梅』にします」

 かなで君が難易度を決定する。あたしは……まあ、いつも通り『化物』でいいかな。

「かなで君は、上のレーンを流れてくる音符に合わせて太鼓を叩いてね。赤なら面、青なら縁だよ」

「が、頑張ります!」

 そうこうしてるうちに曲が始まる。第九なんて久しぶりにやったけど、まあこれくらいなら余裕だね。というわけで、初挑戦のかなで君の様子をチラリとうかがう。

「うっ、うわっ! いつきさんのほうの譜面すごっ!」

 自分のほうの譜面ではなく、その下のあたしのほうの譜面を驚いていた。うーん、やっぱり同時にやるのは失敗だったかな。そのせいでかなで君、自分の譜面まったく見てないし。

「か、かなで君! それよりも自分の譜面見て!」

「あっ、は、はい!」

 あたしが声をかけると、かなで君はようやく自分の譜面に集中する。そして譜面に集中さえしてしまえば、そこはピアノを習っていたりもするかなで君、リズム感はバッチリで、見事にノルマクリアに成功した。

「な、なんとかできました……!」

「おめでと、かなで君! その感じなら、『竹』でも普通にできそうだね」

「あ、ありがとうございますっ。それにしてもいつきさん、やっぱりすごいですね。一つもミスしてないじゃないですか」

「いやいや。あれは『化物』の中では簡単なほうだし」

「あ、あれでですか……。どうやったらそんなにうまく叩けるようになるんですか?」

「うーん……まあ、一番は回数をこなすことかな。何回もやってれば、自然と上達していくし。それ以外にも、画面の右側を見ながら叩くようにしてみるとか、主要な三、四、五連符あたりを叩けるようにするとか、いろいろあるけど……まあ、その辺はもっと慣れてきてからだね」

「は、はあ……」

 ……かなで君、後半なに言ってるかわかんね、って顔してたね。うん、彼を音ゲー沼に引きずり込むわけにはいかないし、この辺でやめておこう。

「じゃあ湊君。今度はあれをやってみない?」

『太鼓の鉄人』のプレイを終えると、てっちゃんがそう提案してきた。その指がさす先にあるのは、『クイズ黒猫アカデミー』略してQNAだった。なぜ黒猫のKではなくNなのかと言うと、その方が語呂がいいからだ。

「……あれはどんなゲームなんですか?」

「クイズゲームよ。とある事情で黒猫にされてしまった主人公が、元の人間に戻るためにいろいろなクイズを解いていくの」

「へ~! クイズならボクにもできそうです!」

 かなで君が食いついたので、次はそのQNAをやってみることにする。二人掛けの椅子にどうにか三人で腰かけ、ゲームスタート。

「……ちょっ、ちょっと狭いですね……」

 女子高生二人に挟まれるかたちになったかなで君が、顔を真っ赤にしながらそう呟く。やだ可愛い。

「そうね……じゃあ樹。あなた、私たちの後ろで立って参加しなさい」

「え、あたし⁉」

「当然よ。あなた、クイズゲームではまるで戦力にならないでしょ?」

「ひどっ!」

 でも否定できないから困った! しぶしぶ席を立って、二人の後ろから画面をのぞき込む。画面では、人間に戻る手掛かりになるかもしれないクイズ大会の一回戦が始まろうとしていた。どんな大会やねん。

「一回戦は八人で争って、クイズが五問。下位二人が脱落よ。解答時間の速さも得点になるから、頑張りましょうね」

「はいっ!」

 てっちゃんの説明が終わるのと同時に、一回戦が始まる。クイズのジャンルは文系。

『第一問。関ヶ原の戦いは西暦何年?

 一、七九四年  二、一一九二年

 三、一六〇〇年 四、三〇五一年』

「これは簡単ですね。三です!」

「あれ、二じゃないの?」

「……樹。あなたなにを言ってるの?」

「え、だってほら、覚え方あったじゃん。なんだっけ、『いい国だったね関ケ原』とかなんとか」

「……いい? 湊君。ああいう大人になったらダメよ?」

「は、はあ……」

「ちょっとっ‼」

 ちなみにクイズの正解は三だった。おっかしいなー……。

『第二問。「女郎花」何と読む?

 一、アサガオ 二、ヒマワリ

 三、タンポポ 四、オミナエシ』

「……え? 正解なくない?」

 オンナロウハナじゃないの?

「いや、これでオミナエシって読むんですよ。だから答えは四です」

 かなで君が四を押す。正解だった。どうやったらあれでオミナエシって読むんだろう。漢字って難しい。

※頑張れ日本人

『第三問。「鯛や平目の舞い踊り」と言えば?

 一、桃太郎 二、浦島太郎

 三、金太郎 四、乙姫様をお守りします!』

「これは四だね!」

「黙りなさいソシャゲ脳。普通は二よ」

 てっちゃんが二を押す。正解だった。……いや、これは選択肢作った人が悪いよ。こんなのとある一部の勢力は絶対四押したくなるじゃん。

『第四問。一五八二年。明智光秀が謀反を起こし、織田信長を自害に追い込んだ事件は?

 一、木能寺の変 二、本能寺の恋

 三、本能寺の変 四、本能時の変』

「……え、どれ?」

「「嘘……⁉」」

 だ、だって全部似てるんだもん! 遠くからじゃ違いがよくわかんないんだよ! 本能寺の変くらいは知ってるよ! ちなみに正解は三だったらしいよ!

『第五問。「てっちゃん」と言えば、次のうちどれ?

 一、鉄道マニア  二、鉄棒マニア

 三、レバーマニア 四、東武鉄子』

「……待って⁉ 四番の選択肢はどういうこと⁉」

 なんか、てっちゃんがQNAに登場した。

「いいなー、てっちゃん。QNAに出れて」

「ちっとも嬉しくないわ! 私の個人情報保護はどうなってるの⁉」

 てっちゃんがエキサイトしている間に、かなで君が一を押した。それが正解で、見事一回戦は全問正解。余裕で準決勝に進出した。

「やったねかなで君! すごいね、やっぱり頭いいんだ」

「いや、あれくらいの難易度なら誰でも……いえ、なんでもないです」

 ん? どうしてあたしの顔を見て言葉をひっこめたんだろう。

「……あとでQNAに抗議の電話入れとくわ」

「……ほ、ほどほどにね」

 このときのてっちゃん、めっちゃ怒ってたな。

 続いて準決勝。ここでもクイズは五問で、下位二人が脱落するらしい。ジャンルはアニメ・ゲーム。

『第一問。次のうち、千葉県が舞台になっていない作品は?

 一、おれいも ニ、おれがいる

 三、はがない 四、きんもざ』

「ぼ、ボクにはさっぱりわからないんですけど」

「三だよ。はがないは岐阜県かな」

「……相変わらずアニゲーは強いわね」

「ホームグラウンドだからね」

 文系クイズでは力になれないけど、こっちならなんでも来いだよ。

『第二問。ゲーム「あかね色に染○る坂」に登場する、白石な○みの口癖は?

 一、ちゃうねん ニ、なんですかもう

 三、あによ   四、ちなうんです』

「…………」

「ほら樹、早く答えなさいよ。ホームグラウンドなんでしょう?」

「さすがにエロゲーは守備範囲外だよ!」

 昔アニメ化もしたらしいけど、ホントにちっちゃい頃だから全然知らないし。

「……なんでこのゲームがエロゲーなのは知ってるのよ」

「まあ、結構有名なタイトルだし」

 言いつつ、適当に四を押す。外れた。正解はニだったらしい。知らねーよ。というか、全年齢向けのクイズゲームにこんな問題出すなよ。

『第三問。ゲーム「魔法使いと○猫のウィズ」に登場する、アリエ○タに関して間違っている情報は?

 一、誰もがア○エッタを求めて諭吉を羽ばたかせた

 ニ、人気投票では常に上位に食い込む人気キャラ

 三、おしとやかで真面目な性格

 四、あばばばば』

「……ソシャゲ脳を頼るまでもなく、これは四で決まりよね」

「いや、答えは三だよ」

「「四は正しい情報なんですか(なの)……⁉︎」」

 二人がアリ○ッタに興味津々っぽい。でも今はそれよりクイズだよね。アリエッ○についてはまた後でじっくり語ってあげよう。ちなみに答えは三で合ってた。

『第四問。次のうち、「キュアドリ○ム」の変身時の決め台詞は?

 一、大いなる希望の力! 二、情熱の赤い炎!

 三、安らぎの緑の大地! 四、知性の青き泉!」

「一! 答えは一だよ!」

「「はやっ……」」

 これはイージー問題だったね。ニチアサ万歳!

 さて、残すところあと一問。すでに一つ間違ってるし、決勝に残るためには確実に取りたい一問だ。

『第五問。猫クイズ! にゃにゃー、にゃんにゃー、にゃにゃにゃ、にゃんにゃん、うなーなー、にゃー?

 一、にゃんにゃにゃ ニ、うななななー

 三、ぎにゃー    四、うにゃん』

「「「……わかるかっ‼︎」」」

 直感で四を押してみたけど、答えは三で不正解だった。そしてその結果、準決勝敗退となった。……納得できねぇ……。


 とまあ、最後こそ微妙な感じだったけど、概ねゲームセンターを満喫しきった。ゲーセンを出た頃には結構な時間になっていたので、そろそろ帰宅することにする。

「かなで君、今日はどうだった?」

 ショッピングモールを出て湊家に向かう道すがら、かなで君に尋ねてみる。

「それはもう、楽しかったです‼ 今までで一番楽しい時間でした‼」

 大満足! という感じの感想が返ってきた。うん、ここまで喜んでもらえたなら、今日は大成功かな。

「それはよかった。いい息抜きになったかな?」

「もちろんですっ! こんなに楽しいことが毎週あるなら、勉強だってぜんぜん頑張れそうです!」

 その言葉を聞いて、あたしは心底安心した。だって、これがかなで君の息抜きになってなかったら、あたしがやったことは全部無駄だったってことになるから。ちゃんとかなで君の力になれたみたいで、本当に良かった。

 そうこうしていううちに、湊家の前まで戻ってきた。

「いつきさん、東武さん、今日は本当にありがとうございましたっ!」

「いやいや、かなで君が楽しんでくれたならなによりだよ。それに、あたしたちも楽しかったし。ね、てっちゃん」

「……そうね。朝樹に起こされたときはなんで私まで、って思ってたのだけど、私も楽しかったし、結果的には来てよかったわ。よかったら来週からも呼んでちょうだい」

「もちろんです! 来週からもよろしくお願いします!」

「任せなさい!」

「……あなたたち。もう結構な時間なのだから、あまり大きな声を出すのはやめなさい」

「「ご、ごめんなさい……」」

 確かに、もう外暗いしね。そろそろお開きにしようか。

「じゃ、かなで君。また来週ねっ」

「また来週」

「はいっ、また来週です! 楽しみにしてますね!」

 笑顔でそう告げると、かなで君は門の内側へと入っていった。やっぱ可愛いなー、かなで君。ああいう弟が欲しかった。

「……樹、湊君のこと相当気に入ってるのね」

「うんっ。弟にしたい男の子ナンバーワンだよ」

「弟、ね……。ま、いいけど。一つ忠告しておくと、あれでもあの子十六歳なのよ。そこは覚えておきなさい」

「え……? ど、どゆこと……?」

「まあ、私の勘が間違ってるならそれでいいのだけど……」

「んん……⁇」

 なんだかよくわからない言動のてっちゃんは気になったけど、結局その日はそのまま解散した。なんだったんだろうな、帰り際のアレ。



 それから毎週日曜日は、かなで君とてっちゃんの三人で毎回どこかへお出かけした。カラオケしてみたり(かなで君、めっちゃ歌上手かった)、屋内プールに遊んでみたり(てっちゃんがおぼれかけた)、映画を見てみたり(ホラー映画で、てっちゃんとかなで君が失神しかけた)、スケートしてみたり(てっちゃんが死にかけた)……なんかてっちゃんが危ない目に遭ってばっかりだね。

まあそれはさておき。毎週毎週、三人でそれはもう楽しく遊びまくった。その回数が多分、二桁には届いた頃だったかな。てっちゃんの忠告なんてもう頭の片隅にも残っていなかった、その頃。ソレは起こったんだ。


 それはいつものように、湊家前でかなで君が出てくるのを待っていた時のことだった。

「ご無沙汰しております、千堂様。東武様は初めましてですね」

「……メイド長?」

 門の向こうに姿を現したのは、かなで君ではなくメイド長だった。

「はい。本日はお二人にお話がございましたので、こうして私が出向かせていただきました」

「「は、はあ……」」

 あたしたちが戸惑う中、メイド長は門の向こうから話しはじめる。

「結論から申しますと、お二人には今後一切、お坊ちゃまと関わらないでいただきます」

「「……は?」」

 その言葉の意味が、しばらく理解できなかった。

「ちょっ、どうして⁉ なんで急にそんなことになるの⁉」

「理由は二つございます。一つは、湊家次期当主として相応しくない言動や知識が、お坊ちゃまに増え始めたことです。増え始めた時期から考えて、おそらくお二人の影響だと思われます。もう一つは、年頃の異性がいつまでも近くにいるのは、お坊ちゃまの結婚の障害になる可能性があるからです」

「け、結婚⁉︎」

 思わぬ単語が聞こえてきて、反射的に声が出た。な、なんで結婚なんて話になるの⁉︎ かなで君、まだ十六歳でしょ⁉︎

「はい。お坊ちゃまは一人息子ですので、早くに後継ぎを残してもらはないと困りますから」

「んなっ……!」

 結婚どころか、子供の話まで⁉︎ いくらなんでも気が早すぎるんじゃないの⁉︎

「では、私からの話は以上ですので」

「あっ、ちょっと! まだ話は――」

 一方的に話を終えると、メイド長は敷地の奥へと消えていった。残されたのは、未だに現実を処理しきれていないあたしと、手を顎に当てて考え込むてっちゃんだけ。

「……やっぱり、こうなったわね……」

「やっぱりってどういうこと⁉︎」

 まるでこうなるのを予想していたかのようなてっちゃんの言葉に、あたしは詰め寄って問い質す。

「ちょっ、とりあえず落ち着きなさい!」

「あっ……ご、ごめん……」

 立て続けにいろいろあって、冷静さを失ってたみたい。

「 ……ここで話すのもアレだから、場所を変えましょう。『なっちゃん』でいい?」

「う、うん……わかった」

 てっちゃんのおかげで少し落ち着きを取り戻したあたしは、てっちゃんに連れられるまま『なっちゃん』へと向かった。


「……それで、やっぱりっていうのはどういうこと?」

 テーブルについたあたしは、すぐさまそう尋ねた。

「……以前、私が忠告したのを覚えてる?」

「忠告……?」

 なんか、記憶の片隅にあるようなないような……。……うん、ないな。

「やっぱり忘れてたのね……。まあいいわ。実は最初に一緒に出掛けたときから、いつかこういう展開になるんじゃないかと思ってはいたのよ」

「そ、そんなに前から?」

「ええ。多分あなたは知らないと思うけど、湊家と言えばこの辺りでは有名な、かなり古くから続く名家なのよ」

「へ~、そうなんだ」

 うん、お察しの通り知らなかったよ、そんなの。

「で、それが?」

「……まだわからないの? 湊君はそんな名家の一人息子なのよ?」

「……⁇」

 てっちゃん、キミがなにを言いたいのかわからないよ。

「……血よ。遥か昔から受け継がれてきた名家の血を、絶やすわけにはいかないでしょう? だから湊君は、万が一が無いよう必要以上に過保護に育てられているし、早くに結婚して子孫を残すことを要求されている。もしそうなら、樹や私は障害でしかないから、いずれ接触を禁じられる」

「あ、あたしたちが障害っ?」

「メイド長の言っていた通りよ。湊君に樹や私みたいな庶民的な言動がうつってしまえば、湊家に相応しいような名家の娘との結婚は厳しくなるでしょうし、毎週のように同じ年頃の異性と楽しくお出かけしているような人物と結婚したいなんて思う人はいないでしょう?」

「……そういうことか」

 てっちゃんの説明で、ようやくあたしは事の全てを理解した。要するに、湊家の血を残すためにかなで君は早く結婚しなくちゃいけなくて、でもそれにはあたしとてっちゃんが邪魔になるから接触禁止になった、ってことか。

「……なにそれ! あたしたちやかなで君の意志は⁉」

「そんなのが通じると思う? 相手は古くから続く名家よ?」

「だからなに⁉︎ その血っていうのは、かなで君の意思や自由を奪ってまで守らなきゃいけないものなの⁉︎」

「私たちとは感覚も住む世界も違うのよ。個人よりも家。それが当たり前なの」

「間違ってる……そんなの間違ってるよっ!」

「私だってそう思うわよ。こんなの時代錯誤だって。……でも、そう思うのは私たち庶民だけ。あの人たちにとってはそれが普通なの。私たちごときが声を張り上げたって覆らないの……!」

「てっちゃん……」

 感情を無理やり押し殺したようなその声に、あたしはなにも言えなくなる。……そう、だよね。この理不尽に怒ってるのも、なにもできない現状に悔しさを感じてるのも、あたしだけじゃないよね……。

「……ごめんてっちゃん。てっちゃんだって悔しいよね」

「……当たり前よ。あんな風に一方的に友人を奪われて、しかもそれが本人の意思じゃなくてくだらない家の事情だなんて……そんなの納得できるわけないでしょ。けど、文句を言ってるだけじゃ現状はなにも好転しない。私たちにできることを考えないと……」

「うん……そうだね」

 あたしたちがここでなにもできないと、かなで君はまた屋敷から出られない生活に逆戻りだ。そして好きでもない人と結婚させられて、子孫を残すことになる。……姉として、そんな未来だけは絶対に許せない。あたしたちが引き下がることでかなで君が幸せになるなら話は別だけど……今のままじゃ、かなで君は絶対に幸せになれない。ここでなにもしないわけには、いかない。

「……よしっ」

 気合いを入れ直すと、あたしは立ち上がる。

「……樹?」

「ちょっと、湊家に乗り込んでくる」

「……はあ⁉ 突然なにを言い出すの⁉」

「いや、だから殴り込みに……」

「悪化してるわ! というか、行ってどうするのよ⁉︎」

「さあ?」

「無計画!」

「でも、ここでじっと考え込んでるよりはいいと思うんだ。あたしそういうの苦手だし。それに、行動しなきゃなにも起こらないよ」

 あの日、かなで君が動いてくれなかったら、あたしたちが出会うことはなかった。後のことなんか考えず、今を変えるためにとにかく行動したその結果、偶然あたしと出会って、かなで君の今は変わったんだ。だから、今度はあたしが。

「……そうね。確かに、樹にじっとしてるのは似合わないわね」

「そうそう。あたしってば行動派だから」

「頭脳はヘッポコだものね」

「おいこら」

 誰の頭脳がヘッポコだ。前回のテストはちゃんと全部赤点回避したんだぞ。

「……でも、その行動力は樹にしかないものだから。……湊君のこと、頼んだわよ」

「……任せときなよ。あたしを誰だと思ってんの?」

「頭脳がヘッポコな――」

「それはもういい!」

 と、とにかくっ。なにはともあれ、まずは動こう。あとのことは、その時考えればいいや。

「じゃ、行ってくるね」

「ええ。いい知らせを待ってるわ」

「おう!」


 喫茶店を飛び出したあたしは、一度自宅に寄ってあるものを取ってくると、そのまま湊家へ向かう。まず最初の壁になるのは、その敷地内への侵入方法。インターホンとか押しても入れてくれるわけがないので、ちょっとアレな方法で侵入するしかない。かなで君が屋敷を飛び出すときに使った生垣の間から侵入するのが一番安全そうだけど……ここはやっぱり、正面突破だよね。

湊家の敷地の周りを全速力で駆け抜けながら、だんだんと近づいてきた二メートル以上はある門を見据える。……多分いける!

門の手前で右足を強く踏み込み、助走で得た勢いをそのまま上への跳躍力へと変換すると、走り高跳びの要領で背面跳び。門を越えたあとは、空中で後方に一回転してしっかり足から着地。ふぅ、意外と余裕あったね。門がもう少し高くても平気だったかな。

さて。第一の壁は越えたし、さっさと屋敷に向かおう。かなで君はきっとそこにいる。

「ここを通すわけにはいきません」

「おっとと」

駆け出そうとしたら矢先、どこに隠れていたのか黒服たちがゾロゾロと現れて、あたしの行く手を阻んだ。

「……そこをどいて」

「そうはいきません。千堂様だけは意地でも通すなと、メイド長から言われておりますので」

「……なら、しょうがないね」

あたしは背負っていた袋の中から、愛用の竹刀を取り出す。一度家に帰った時に持ってきたものだ。あっちが女子高生相手に大人の男何十人体制で来るなら、武器ぐらい使ってもいいよね。

「大会前だから手加減できないけど……覚悟してね?」



「……はぁ」

 何度目になるかわからない溜息が、湊奏の口からこぼれる。彼は自室のベッドの上で膝を抱えながら、なにやら騒がしい様子の窓の外に目を向ける。

(……いつきさんたち、今頃どうしてるかな……)

 いつもとなんら変わらない庭の様子を眺めながら彼が思いを馳せるのは、本来ならば今頃一緒にどこかへ出掛けていただろう一つ年上の二人。今朝になってから突然メイド長によってくだされた外出禁止令のために、彼が二人と出掛ける機会はもう二度と無くなってしまった。

(いつきさんたちのおかげで、せっかく楽しい日々を送れるようになったのに……)

 ずっと屋敷の中で暮らしてきた彼にとって、彼女たちと出掛ける先々で経験したことは、全てが新鮮で楽しかった。屋敷の中にいるだけでは絶対に知ることのできなかっただろう楽しさを、数え切れないほど教えてもらった。そしてそもそも、屋敷に囚われていた彼をそんな楽しさいっぱいの外の世界へと連れ出してくれたのは、樹だ。彼女が出会って間もない自分のためにメイド長と対峙してくれたその姿は、本当に格好良かった。彼にとって樹はヒーローであり、お姉さんであり、感謝してもし切れない大切な人なのだ。なのに……。

(こんなかたちで終わっちゃうなんて……そんなの……!)

 立ちはだかったのは、やはり自分の持つ『湊家』という壁。メイド長の言うこともわからないわけじゃない。彼だって自分の代で古くから続いてきた血を途絶えさせたいわけじゃないし、毎週一つ年上のお姉さんたちと出掛ける男と結婚したい人なんていないとは思っている。だが、だからって何故、自分の自由はここまで奪われなければいけないのだろう。初めてできた大切な人たちと、縁を切らなければいけないのだろう。

(いつきさん……!)

 願わくばもう一度会いたいそのお姉さんの名前を、叶うならもう一度自分を連れ出してほしいそのヒーロー名前を、強く念じる。

――はたしてそれが届いたからなのか。

『ここかっ!』

バゴンッ、という音と共に、奏の自室のドアが吹っ飛んだ。

「は……?」

 あまりに現実離れしたその光景に、奏は唖然としながら元々ドアがあった場所に目を向ける。そこには――

「迎えに来たよ、かなで君」

「いつきさん……‼︎」

そんな現実離れを簡単にやってのける、奏のヒーローが、そこにいた。



「いつきさん……‼︎」

 言いながら、かなで君があたしの方に駆け寄ってくる。よかった、直感でこのドア破壊したけど、ここがかなで君の部屋で合ってた。

「かなで君……‼︎」

 駆け寄ってきたかなで君を、そのまま抱きしめる。一時はもう会えないかもしれないと思ったけど、無事再会できて、本当によかった。

「……い、いつきさん……苦しいです……!」

「おっと」

 嬉しさのあまり、力加減がうまくいってないみたい。慌ててかなで君から手を離す。

「大丈夫?」

「けほっ、けほっ……は、はい、大丈夫です。っていうかいつきさん、どうしてここに⁉︎」

「ちょっと殴り込みに」

「な、殴り込み⁉︎」

「うん。なんかメイド長から説明されたけど、あんな終わり方やっぱり納得できないし。だから、ちょっと抗議しに」

「それでこの屋敷に⁉︎ 警備とか結構厳しかったんじゃ……」

「まあ、大会前の準備運動には丁度よかったかな」

 門のところの黒服は五分で片付いたし、鍵のついたドアは大体蹴破ったし。

「湊家のセキュリティが準備運動……相変わらずですね、いつきさん」

「まあ、全日本チャンピオンだからね」

「いや、もはやそういう次元ではないです」

 なんか真顔で否定された。あたしなにか間違ったこと言ったかな……。

「……まあ、それはそれとして。いつきさん、これからどうするんですか……?」

「さあ?」

「ノープラン⁉︎」

「うん。どうするかはかなで君と会ってから決めようと思って。かなで君は、あたしたちとのお出かけ、続けたい? それとも家のためならって、諦める?」

「それは……でも、メイド長の決定には……」

「そういうのが聞きたいんじゃないんだよ。かなで君の、本音が聞きたいの」

「……そんなの……そんなのっ、続けたいに決まってるじゃないですかっ! こんなかたちで終わるなんてごめんです!」

「ん……それを聞けて安心したよ」

 かなで君もあたしたちと同じ気持ちでいてくれてよかった。

「じゃ、早速抗議に行こうか」

「え? えっと、どこへ……?」

「そりゃもちろん、こんなことしやがった張本人のところだよ」


 かなで君に案内されて、今回の件の元凶がいるらしい執務室へとやってくる。もちろんノックなんかせず勝手にドアを開け放つ。

「たのもー!」

「……今後一切、お坊ちゃまには関わるなと言ったはずですが」

 不機嫌さを隠そうともしない声で、デスクの向こうからメイド長が睨んでくる。恐ろしく冷たい視線だが、その程度でひるむあたしではない。

「確かに言われはしたけど、よく考えたら別にその通りにする必要はないよね」

 あたしにメイド長の言うこと聞く理由なんてないし。

「はあ……面倒ですね。やはりあの時、SP代理など認めるべきではありませんでした」

 ため息を吐きながら、メイド長が立ち上がる。そのままデスクの前まで出てくると、スッと拳を構えた。

「……言っても聞きそうにないので、実力行使でいかせていただきます」

「のぞむところだよ」

 あたしも竹刀を構えて、メイド長を見据える。あのメイド長、意外とできるな。黒服みたいに圧勝とはいかないかもしれない。でも……かなで君のためにも、絶対に勝つ!

「「いざ!」」

 掛け声とともにお互い一気に距離を詰めると、最初の一撃同士が――

「こら! 屋敷の中で暴れない!」

 ――ぶつかる前に、開けっ放しのドアの向こうから聞こえてきた声に制止された。

「おっ、お母さん⁉」「奥様⁉」

 その人物を知っているらしい二人が、驚きの声をあげる。察するに、この人がかなで君のお母さんなのだろう。

「早めに仕事が片付いたので帰って来てみれば、気絶したSPの山が築かれているし、ドアはあちこち破壊されているし……百合、これはなんの騒ぎ?」

 ……百合?

「申し訳ありません、奥様。不覚にも不法侵入を許してしまいました」

 あっ、メイド長の名前⁉ あたしてっきり作中ではメイド長としか呼ばれない名無しキャラだと思ってた!

※メタ発言やめろ

「不法侵入って……この子が?」

 かなで君のお母さんがあたしに目を向ける。まあ、この場にいる人の中で不法侵入に該当するのはあたししかいないからね。

「初めまして。不法侵入の千堂樹です」

「え、それ認めちゃうんですか⁉」

「まあ、実際不法侵入だからね」

 嘘を言ってもしょうがない。どうせ監視カメラの映像とかあるんだろうし。

「千堂樹……もしかしてあなたがあの、奏のSP代理の?」

「はい、そうですけど……」

 初対面のはずだけど、なんであたしのこと知ってるんだろう。

「奏から話は聞いているわ。いつも息子と遊んでくれてありがとうね」

 なるほど、かなで君経由か。納得。

「それで、その千堂さんが何故不法侵入を?」

「ちょっとメイド長の決定に納得できなくて、抗議に。ね、かなで君?」

「は、はいっ」

「……百合、説明して」

「はっ、はい。一時は場の空気に呑まれて千堂様のSP代理を認めましたが、最近お坊ちゃまに湊家の者として相応しくない言葉遣いや知識が増えてきたのと、このまま千堂様たちとの外出を続けていてはいずれお坊ちゃまの結婚にも障害が生じると思い、千堂様たちがお坊ちゃまに関わるのを禁じました」

「……なるほど、そういうことね……」

 メイド長の説明を聞いたかなで君のお母さんが、顎に手を当てて考え込む。やがて顔をあげてメイド長を見ると、こう言った。

「百合。間違っているのはあなたよ」

「お、奥様⁉」

「あなた、奏のことちゃんと見てる? この子、千堂さんたちと出掛けるようになってから、本当に楽しそうに笑うようになったのよ? あんなに楽しそうに友達の話をしてくれる奏、初めてだったわ。仕事もあってあまり奏と一緒にいてあげられない私でも気づくのだから、ずっと一緒にいるあなたが気付かないわけないわよね? なのに、奏と千堂さんたちの縁を切るの?」

「そっ、それは……ですが、このままでは湊家が……」

「確かにそれも大事だけれど、それ以上に奏の意思を尊重しなきゃダメでしょう? 何事も家優先なんて、もう時代錯誤よ。撤回しなさい。いいわね?」

「……は、はい……」

 かなで君のお母さんに強くそう言われると、メイド長は力なく頷き、そのまま肩を落として執務室を出て行った。

「ごめんね奏、それに千堂さん。百合も悪気はないと思うの。昔から湊家によく尽くしてくれる子で、今回の件も湊家のためによかれと思ってのことだったんだと思うわ。だから、あまり怒らないであげて?」

「は、はあ……」

 まあ、かなで君のお母さんにそう言われちゃったら、そうするしかないか。でもまあ、とにかくこれで……!

「やったねかなで君! これでこれからも一緒にお出かけできるよ!」

「は、はいっ! ホント、いつもいつもありがとうございます、いつきさん‼」

「いいっていいって。かなで君のSP代理として……お姉さんとして、当然のことだよ」

 今回なんとかなったのは、ぶっちゃけかなで君のお母さんが現れてくれたおかげだ。けどそれは、あたしがノープランでもとにかく動いた結果で。不法侵入までして、かなで君に会いに来た結果で。やっぱり、じっとしてないで動き出してよかった。

「あら、仲いいわね二人とも」

 かなで君と抱き合って喜びを分かち合っていると、すぐそばからそんな声がかかった。そ、そうだった、かなで君のお母さんがいるんだった! 慌ててかなで君から手を離すと、なんとかごまかしを試みる。

「い、いえあの、これは…………そ、そうだ! ドアの修理代は払えません!」

 しまった、焦って変なこと言っちゃった! まあ実際払えないけど!

「ふふっ、それは気にしなくていいわ。あなたは奏のために頑張ってくれたのでしょう? なら、弁償を要求したりはしないわ。代わりに、これからも奏をよろしくね?」

「……はっ、はい!」

 こうして今回の件は、無事に解決した。早くてっちゃんにも伝えに行かなきゃ。



 樹が屋敷を後にした後。樹が帰るのを見送った奏の母は、同じく隣で樹を見送った自分の息子に声をかける。

「奏、千堂さんのこと好きなの?」

「ぶふっ! お、お母さん⁉ なんで急にそんなこと……!」

「だって、千堂さんを見送る視線がそういう感じだったから……」

「……い、いつきさんはそういうのじゃないよ。なんていうか、こう、憧れのヒーローみたいな感じというか……それにそもそもいつきさん、多分ボクのこと弟としか思ってないし……」

「ふーん……」

 その息子の言葉から何を読み取ったのか、母はニヤニヤしながら考え事を始める。やがて何かを思いついたのか、ポンッと手を叩いた。

「あ、いいこと思いついた。奏、四月を楽しみにしてなさい」

「四月……?」

 なぜ急にそんなことを、と思った奏だったが、母はニヤニヤするだけで答えてはくれなかった。奏がその答えを知るのは今から約一カ月後の、四月に入ったその日である。



「――はっ! お弁当忘れた!」

 高校三年の始業式を終えて帰ってきた教室でなにげなく鞄の中身を確認したあたしは、今日も今日とて弁当が入っていないことに気付いた。最近やらかし過ぎな気がするな。

「……今日は始業式とHRだけだから、お弁当はいらないはずだけど」

 今年も同じクラス、隣の席のてっちゃんがそう返してくる。でも、それは残念ながら知ってる情報なのだ。

「剣道部は午後から練習だからお弁当がいるの!」

「あー……乙」

「てっちゃんさすがに雑過ぎない⁉ あたし泣くよ⁉」

 今年もてっちゃんは相変わらず冷たい。

「……で? 結局お昼どうするの? 今日は確か購買もやってないわよ?」

「な、なんだってー⁉」

 それはすっかり忘れてた! 今日は早めに気付けたから購買でいいやと思ってたのに! やりやがったな購買のおばちゃん……!

「じゃあ、またコンビニまで行かなきゃいけないのか……」

「またって……前のときはコンビニにたどり着いてすらいないじゃない」

「そうでした」

 あの時は道中でかなで君と会って、色々あって、色々あったなぁ……懐かしい。

※語彙力ゴミかよ

「ねえねえ、次はどこ行く?」

 ちょうどかなで君のことを回想したので、ついでに次の日曜日の行き先についててっちゃんに意見を求めてみる。

「その話はまた後ね。そろそろHRが始まるわ」

 てっちゃんがそう言った直後、担任が教壇で話し始めた。てっちゃんには予知能力とかがあるんだろうか。

「えーでは、HRを始める前に、転校生を紹介する。湊、入れ」

 高三で転校生? なんか珍しいね……って、湊……? いやでも、かなで君は一つ年下なはずだし……。

「し、失礼しますっ」

 緊張でやや上擦った声と共に教室に入ってきたのは、ものすごく見覚えのある小さめのシルエット。

「初めまして、湊奏です。一年と短い間ですが、よろしくお願いします!」

「「ぶふっ!」」

 思わずてっちゃんと一緒に吹きだしてしまった。ちょっ、マジでかなで君じゃん! なんでここに……!

「……だ、大丈夫か千堂? それに東武も」

「「だ、大丈夫です……」」

 本当は全然大丈夫じゃないけど! 脳の処理がまったく追いついてないけど!

「そ、そうか……じゃあ、湊の席はあそこ、千堂の後ろな。何か困ったことがあったら千堂に聞け」

「は、はいっ」

 担任に促されたかなで君が、あたしたちのほうに歩いてくる。

「いつきさん、これ、お母さんからです」

 すれ違いざま、かなで君が一通の手紙をあたしの机に置いていく。かなで君のお母さんから……? なんだろう。とりあえずHRが終わるのを待ち、放課後、クラスメイトに囲まれて質問攻めにされているかなで君を見守りつつ手紙を開封する。

『千堂さんへ。驚いた? いい機会だったから、奏を学校に通わせてみることにしたわ。とはいえ安全面の心配もあるし、色々とアレな手段を用いてどうにか千堂さんたちと同じクラスに入れさせてもらったわ。だから、学校での奏については完全に千堂さんにお任せするわ。あ、ちゃんと報酬も出すわよ? 今までSP代理だったのが、正式にSPになったと思ってくれればいいわ。それじゃ、奏のことは任せるわね。PS、主と使用人の恋って、珍しくないと思うのよね』

 ……まあ、かなで君がこのクラスに配属された理由は分かった。でも、最後のPSは一体どういう意味……?

「あー……なるほど。湊君のお母さん的にはそうしたいわけね」

 手紙を横から覗き込んでいたてっちゃんが、そんなことを言う。

「てっちゃんにはわかるの?」

「ええ。私も同じ気持ちかしら」

「んん……⁇」

 ますます意味がわからなくなってきた。……ま、いっか。考えてもわかんないものはわかんないし。それよりも、これから始まるかなで君との学校生活をどう楽しむかを考えよう。

「よーしかなで君! 今年は目いっぱい楽しむぞー!」

 質問攻めから解放されたかなで君がこちらにやってきたのを確認すると、あたしはそう宣言する。

「はっ、はい! よろしくお願いします、いつきさんっ!」

「……樹、あなた受験」

「それはNGワードだよ‼」


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― 新着の感想 ―
[良い点] 折々しこんであるネタが良くできていて、思わず吹くシーンがあって…………そのせいで外で読むことができなかったじゃないですか! 樹ちゃんぶっとんでたねー、そしてオカン強し。メイド長とのバトル…
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