7、ビンテージくん
7、ビンテージくん
クールな子だった。パーカーのフードを目深にかぶって、表情がよく見えなかった。初日から取るように指示すると恥ずかしいことを理由に拒否された。人見知りなのかなと軽く見ていたけれど、何日経っても変わらなかった。
いつも俯き気味で、口は一文字にきゅっと結んでいたから、怒りをため込んでいるようにも見えた。幽霊は未練の質によって各々の感情が色濃く出る。パジ山くんのネガティブが脂肪として現されたのも一例だ。
授業で挙手することはなかったけれど、指名すればぽんと答えてくれた。スポットを浴びたのが国語の授業。小説の主人公の心境とか、型にはまった答えがない問題に、彼は物語の背景を深く読み込んだ上で考えを述べたし、作文も光っていた。
余計なことは話さない。用事がなければパーカーの前ポケットに手を突っ込んで動かない。霊体になって得た技なのか、影を薄くして、庭の置き石のように空気と溶け込んでいた。あっ、いたんだ、とぼくは焦ってしまうことがしばしばあった。一時的に霊感が高まっているにもかかわらず、幽霊は見えなくて当たり前だと諭された気分にさせられた。彼はワガヤくんと対照的で、そっとしてもらいたい派だった訳だ。
休み時間は席から夜空をじっと眺めているだけ。暇そうに見えたから読書を勧めた。おすすめは「坊っちゃん」だ。家から持ってきた文庫版だ。現実逃避になると彼は断ろうとしたから、読書は人生を豊かにすると説いた。苦笑いされて、ぼくは唇を指で潰した。
人生だなんて、この子たちの前では詭弁だ。相手が幽霊であることを忘れていたなんて言い訳は通用しない。「気持ちぐらいは受け取れるよ」とビンテージくんは文庫本を受け取ってくれたからいいものの、申し訳なく思ったし、コトブキ先生の小言も素直に聞いた。人生ではなく魂が豊かになると言えばよかった。
ビンテージくんは読んだら必ず返すと約束して、いつも「坊っちゃん」をパーカーの前ポケットに入れて肌身離さず持っていた。寺で読書していたらしい。聞けば「山嵐」や「赤シャツ」など登場人物の人柄について感想を言ってくれた。
相変わらず休み時間はじっとしていた。本に集中し過ぎて周りに気づかなかったら大変だし、自分の言動を抑えるためにじっとしていると彼は言った。
ビンテージくんは自身の暴力と悪口を恐れていた。ワガヤくんと取っ組み合いするのは、パジ山くんを守るために仕方なくやることで、本当は必死でワガヤくんを殴ること、罵声を浴びせることを我慢していると明かした。事実、彼が一度暴発させた言葉は悪意がこもっていて突き刺さるものがあった。ワガヤくんも押し黙ってしまうほどだった。
ワガヤくんのことも気にかけているビンテージくんは根の優しい子だ。それを彼は強く否定した。本当に二人のことを考えているなら、ワガヤくんが調子に乗る前に、パジ山くんが涙を見せる前に、行動を起こしているはず。きっとワガヤくんをぼこぼこにしてしまうだろう。それはパジ山くんのためではなく、自分の気を晴らすために。
「これ以上、悪者になりたくないし。悪い子は閻魔様に舌を引っこ抜かれるんだぜ」
彼流のジョークだ。舌を出して抜く素振りを見せた。けれどやけに信ぴょう性があってぞっとさせた。慌てて、きみは絶対に天国に行ける、大丈夫だと強く言っても不安な顔。天国とは良い人が行くべきところだと言って。
「だけど良いこともできないし。正義の味方面をしようとしても、絶対に相手を叩くし、嫌なことを言っちゃうんだよ。そんな奴が天国に行ったら、先生なら迷惑だろ」
「そんなことはないぞ」
「おれだって本当は天国に行きたい。会って謝りたい人がいて……。でも天国はすごく広いだろうから。会える訳がないし。だったら行く意味もない。おれは『蜘蛛の糸』のカンダタになるんだ」
詩を作る授業では、彼はこんな印象的な詩を残していた。
『ブドウ園のイノシシ』
イノシシが飛んで逃げてった
地面を見るのイヤになって
恵みの朝日いっぱいもらった
大粒ブドウを甘そうに
人目も気にせず堂々と
ついばむ小鳥にあこがれて
逃げたイノシシを追いかけて
いい子の味方の神様の
ブドウ園目指した狩人は
お家のこともすっかり忘れ
イノシシが無言でいつも見た
水たまりの夜見つめてる
狩人仲間は狩人やめて
いつかはブドウ酒買うだろう
イノシシ追いかけたことさえも
忘れてブドウ酒飲むだろう
心が貧しい哀れな自分に酔っているだけだと自虐した。ビンテージくんはクールの裏ではネガティブだった。しょうがないことだった。幽霊として現世にとどまっているのは未練があるからで、前にも触れたように、子どもの幽霊は繊細。精神は不安定なものだ。
やるせなさに酔っていた訳ではない。ビンテージくんなりの言葉で心をコントロールしていたのだ。幽霊に必要なのは節制だと、彼は誰よりも理解していた。彼は心から善霊であろうとしていた。
ぼくは良くないとわかっていつつも、生前から引きずるみんなの悩みを解消させたかった。それ自体はビンテージくんも批判しなかった。とはいえ根本的な問題は解消しないし、いつか墓穴を掘るぞと釘を刺してきた。そうやって時々悟っているような眼差しを向けてきた。
ネガティブであっても班の中で一番しっかりした印象だったから、班長であるエイゴくんの右腕として、ばらばらなメグミ班を少しずつまとめていってほしいと願った。たとえ残り半年もない関係でも、笑って卒業してほしかったからだ。それも彼は批判しなかったし、「できることなら……」と意欲もあった。けれど彼は自信を持てなかった。
「パジ山だけはどうしても近寄れない。どう接すればいいかマジでわからない。構ってあげたいけど、怯えられるのが余裕で予想できるし、そうさせる自分が死ぬほど嫌いだから」
本当に嫌そうな顔をしたものだから、無理強いはできなかった。彼は自己嫌悪で苦しんでいた。
パジ山くんがコトブキ先生の後を追って教室の外を出歩くようになると、ビンテージくんもじっとしている頻度が減った。
ベベちゃんは「おかあさんといっしょ」でも有名な「どんな色がすき?」という歌が大好きで、答えてくれるまで何度も「どんな色がすき?」と誰かに歌いかけ、踊っていた。ビンテージくん相手も例外じゃなかった。彼は黒っぽい赤と答えた。ワガヤくんが「かっこつけ」と難癖つけたけれど、ケンカに発展することはなかった。
それがきっかけだったのか、無人のところで一人歌を口ずさむ場を見かけるようになった。歌っている間は悪口を言えないからだった。お気に入りはビーズの「ねがい」だった。ちなみに前ポケットに手を突っ込んでいるのは暴力を振るわないようにしている行為だった。
ベベちゃんは例外だったけど幽霊児童は笑顔が少ない。ちょっと目を離せば憂いの目で物思いにふけっていることが多かった。ビンテージくんはその典型で、歌っている間もそんな目をしていた。
寺の幽霊たちの情報網は警察いらずだ。市民のプライベートに明るい。そしておしゃべりだ。しゃべることが彼らの娯楽であり、ストレス発散法だからだ。
ぼくの謹慎の件も、その理由もいつの間にか触れ回っていた。たとえメグミとして働いていても、顔を知られていては意味がない。
ビンテージくんの耳にももちろん入った。ドーワくんと定期的に連絡を取っているのか、自分たちよりもその子を優先した方がいいと、ビンテージくんはとても気にかけていた。
「おれらはいないも同然なんだから、生きてるやつの未来のこと考えてやれよ」
気持ちはわからない訳じゃなかったけれど、さみしい言葉だ。こうしてこの子たちはここにいて、授業を受けている。ぼくは幽霊児童の教師で、みんなぼくの生徒だ。それを彼は否定したのだった。ぼくは今の仕事、そして自分の受け持つ生徒も大事にしたいのだと力説したけれど、ビンテージくんにはかっこつけしいの優柔不断な奴に見えたに違いない。始終、納得できないという顔をしていた。
後日またドーワくんの件で、ぼくの方から登校するよう後押ししてくれないかとお願いしてきた。どうやら彼は枕元に立って学校に行けと説得したらしい。けれどドーワくんは学校には味方がいないから、ぼくが戻ってくるまでは行きたくないと拒否していた。
「来年の三月までなら守ってあげれるんだよ。おれが味方になってあげれるんだってば。それなのに、やっぱりおれじゃ駄目ってこと? 今更悪い子がいい子になっちゃ、閻魔様は都合悪いのかよぉ」
ビンテージくんは苛立っていた。八つ当たりはできないから貧乏揺すりがひどくなって、花瓶がカタカタ鳴った。
ドーワくんに電話でそことなく聞いてみれば、彼は真夜中のトイレから戻ったら知らない男子がいたという夢を見たという。気持ちの方ははっきりしていた。ぼくがいなければ、またいじめられると思っていた。ぼくがみんなを引っ叩いたばっかりに、どんな顔で登校すればいいのかわからなかったこともあるだろう。
大丈夫、その子はとても頼もしい守護霊になってくれるよ。結局は他人任せに断言すると、ドーワくんは曖昧に相槌を打つだけ。
「ゆうれいって、どうやって生きてる人を守るん?」
返答に詰まって、同様に曖昧な相槌を打った。後になって、ビンテージくんにも似たようなことを投げかけていたと知った。ビンテージくんはショックだっただろう。相当に悩んだに違いなかった。
彼の導き出した答えが、体育など教室を離れているうちに、彼は黒板にたくさんのメッセージを書くことだった。
大切なのは
全員がなかよしこよしになるんじゃなくて
あいつがいるのはイヤだけどあの子がいるからいいやって
誰かがたくさんガマンすることない
さびしくない組み合わせができるということ
平均が常識じゃなくて
知っといた方が役に立つことを
心の中でバカにしながらでも
分かりやすく教え合えるということ
大切なのは
赤色がスキな人や青色がスキな人
ぼくらの知らない色がスキな人がたくさんいて
無理やりまぜても汚い色になるし
色より形やにおいがスキな人だっているということ
同じスキなものばかり同じキライなものばかり見ていたら
足元の花やゴミや
遠くの虹や苦しんでる人に気づいても
それがそこにある理由を考える人がいないということ
大切なのは
桃太郎に出てくる鬼は見てる人にとって悪いやつ
だけど桃太郎だらけじゃつまんないし
鬼だってすごく大切な役だから立派にやってて
劇が終わったらみんなで手をつないで頭を下げてるということ
どんなに悪役がかっこよくても
現実でマネしたらただの悪い人でかっこわるい
でもちゃんと頭を下げて謝ってあくしゅができたら
見ていた人にとってもいいことだということ
ビンテージくんはいろんな教室に書いて回った。教えてくれたのが、たまたまH小でこっそり授業に参加していたエイゴくんだ。国語の授業の消し忘れだと思って、夜になってからノートに書き写すまで忘れないでいてくれてよかった。ぼくは感動して涙が出そうになった。この詩は今やN小の生徒たちにも教えてあげているくらいだ。
さて、H小の生徒や先生たちは誰がこの詩を書いたのか、「犯人」探しを始めた。A氏がしゃしゃり出てきたせいでぼくに疑いがかかったけれど、その時間帯のコンビニのレシートを残していたから疑いは晴れた。もちろん、防犯カメラにもばっちり映っていた。あとでビンテージくんに余計なことしてごめんと謝られた。余計なものか。これくらいインパクトがある方が印象に残るのだ。
やがて校長が、これはいたずらではなく意識改革だと言い出すや、誰かの親がうちの子がやったと名乗って、その子がほめられたらしい。けれどその子は漢字テストの点が悪かったから担任が気づいて、親の方が叱られた。本当はうちのビンテージくんがやったんだって自慢したかったけれど我慢した。どうせ信じてくれないし、ほらやっぱりあの人は頭がおかしいわってA氏がしゃしゃり出てくるのだ。
ビンテージくんは本物のいじめとじゃれ合いを見極めるのが難しいと語った。これは勉強になった。例えば笑顔には種類があって、楽しくて笑っているのか仕方なく笑っているのかよく観察しなくちゃならない。彼はとても難しい顔をしていた。あの子はずっと、いじめっこだった自分と向き合って、乗り越えようとしていた。
ビンテージ効果はしっかりとあったと思う。エイゴくんに頼んで教室の雰囲気を観察してもらった。聞く限りではみんなの意識は少しずつ良い方に変わっていったと思う。
ところがだ。Aくん率いるグループといえば反省はおろか、新たに別の子を標的にしている最中だった。彼らにはビンテージくんの心の叫びは届いていなかった。
最近のビンテージくんはすごく怖い顔で、オバケみたい。パジ山くんは心配そうだった。
冷静でいようとし続けたせいでマグマが噴火しかけている。ぼくは彼が「おにいちゃん」のような悪霊になってしまうのではないかと恐れた。その予感は当たってしまった。
休日にドーワくんから電話があった。再び知らない男子が枕元に現れたけど、今度はまるで黒い鬼みたいだった。味方がいないなら、悪い奴を学校から追い出しといてやる。そう言っていたと教えてくれた。
松方さんからも電話があった。急いでH小に向かった。松方さんと合流して鍵を開けてもらった。
屋上に出ると、真っ青な顔をしたAくんが端っこに立っていた。涙声で助けを求め、震えれば震えるほど、あるいは貧乏揺すりだったのか、フードに顔と二本の角のついた「かりうど」が見え隠れした。自己嫌悪とAくんたちへの怒りに、別の悪霊の卵による悪影響が足されて作り出された悪霊の卵だ。
「先生、邪魔すんな」と彼はAくんの口からしゃべった。
「私が悪い力を閉じ込めます」
時間稼ぎをぼくに委ね、松方さんは経を唱え始めた。ぼくは刺激を与えないように説得を始めた。
「こんなことをしたら地獄に落ちちゃうぞ。そうしたらもう謝りたい子に会うチャンスがなくなるぞ」
「それはもういいよ。馬鹿は死んでも治らないんだよ。じゃあもっと悪い奴になって、いい子の代わりに他の悪い奴を懲らしめて、みんなまとめて一緒に地獄に落ちてやるんだ。地獄は人の手じゃどうにもなんない馬鹿が行くとこなんだし、こいつだっておれと一緒で死んでも馬鹿のままなんだから、ずっと地獄に閉じ込めておいた方が絶対にいいよ」
「お前は馬鹿じゃないぞ。先生が知っているビンテージくんは、悪いことをしてもきっちり反省することができて、他人が昔の自分みたいにならないようにするにはどうすればいいか、たくさん考える奴だ」
ぼくはゆっくりしゃべり、ゆっくりと「かりうど」に近づいた。
「先生。それって生きてる間にやっとかなきゃいけなかったんだよ。おれは無期懲役なんだから、あいつの代わりにブドウ園で働かなきゃいけなかったんだよ。あいつのお父さんとお母さんに怖い目でにらまれても、殴られたりしてもいいから、一緒に働いてなきゃいけなかったのに」
興奮して、青かった顔も真っ赤だった。
「あいつが死んだ途端に、おれは焦るし、みんなだってあの時声をかけてればとか、悩みを聞いてあげてればとか、とてもおとなしくて優しい子だったのにかわいそうとか、止められなかった自分が辛いみたいな雰囲気で同情してもらってるし、おれと一緒にいじめてた奴らは、死んだら負けとか、メンタル弱すぎとかいって笑ったんだ! あいつらも全員まとめて地獄に送って、舌を抜いてもらうんだ!」
「そんなことをしたら謝ることもできなくなるぞ!」
「どうせ許してくれないんだからいい!」
ぼくは金縛りに襲われた。重々しかった「おにいちゃん」の時とは違う、全身から血が吹き出そうな刺々しい感情だった。
顔がくちゃくちゃのAくんは歯をカタカタ鳴らしていた。イノシシ狩りをやめた「かりうど」は狩人狩りをしようと背を向けて、Aくんを幽霊の世界に引っ張り込もうとした。Aくんはありったけの力で泣き喚いた。
ぼくは泰京プロレスの元レスラーだということを思い出して、足腰の筋肉を強く意識してもがいた。危うくぎっくり腰になりそうだったけど、力一杯腕を伸ばしてAくんの手を掴んだ。ビンテージくんの意識がぼくの中に押し寄せてきた。
イノシシの頭をした少女が、小鳥を追ってブドウ園の中を駆けている。
やがて少女は空を駆け上がって、イノシシのかぶり物だけが残された。
はたして少女はどんな表情だったのか、狩人のぼくは想像できなくて。
背後のブドウ園の素晴らしさには気がついたけれど、管理しているイノシシ少女の両親は、どんな気持ちでブドウの世話をし続けているのやら。
子どもに注ぐことができなかった愛情を、代わりにブドウに与えてやっているのかな。
それとも恨みを込めてやっているのかな。
ぼくはイノシシのかぶり物をかぶって、仲間のふりをしたなら簡単にブドウを一房もらえた。
とっても甘酸っぱい。
おいし過ぎてほっぺたが流れ落ちちゃうなあ。
そういえば少女ちゃんは作文で、将来は家族でブドウを作りたいって発表してたなあ。
うちのブドウは世界一おいしいって自慢して、うざかったなあ。
それなのに、あの子はもう食べられないのかあ。
馬鹿だなあ。
天国にもブドウ園はあるのかなあ。
やっぱり味が違って、恋しくなっちゃうかなあ。
ようし、ぼくが持っていってやろう。
一粒食べちゃったけど、それくらい許してくれるさ。
種を植えて育てれば、いくらでもブドウ狩りができるんだし。
ぼくはブドウ園を駆け抜けて、その先の屋上から天国へ向かった。
だけど失敗してブドウを潰しちゃった。
赤ワインになっちゃって、あーあ、もったいない。
二度と食べられないや。
カーツ! 松方さんの発声で意識から弾かれた。「かりうど」もAくんの体から追い出されて、屋上から飛び出た。ぼくは慌てて腕を伸ばしたけれど、手に触れられた気がしただけで、彼は落ちていった。地上にぶつかると黒っぽい液体が弾けて、それを松方さんは木の札に封じ込めた。
ぼくはAくんを抱きしめて背中をさすることを優先した。ビンテージくんに言われた通り、生きている方のことを考えた。
ビンテージくんがまた屋上に現れると、今まで取らなかったフードを取って、Aくんに「ごめん」と一言謝った。Aくんはずっと震えていた。
札が寺で燃やされ、「かりうど」の怨念が供養されるのを見守った。
ビンテージくんはもうフードをかぶらなかった。彼の額には小さな突起が二つあった。生前の無念で卑屈になって、魂の形状が少し変化していたからだった。
ぼくは少女ちゃんの墓参りに行くことを提案した。ビンテージくんは幽霊になってからは一度も訪れたことがなかった。少女ちゃんの墓はキリスト教の墓地にあって、作法がわからなかったから、合掌と礼だけにとどまった。ビンテージくんはずっと黙っていた。謝罪の言葉は実際に会う時まで取っておきたいからだった。
再びドーワくんから電話があった。またビンテージくんかなと思ったけれど、今度は天使見習いの女の子が枕元に現れたらしかった。名前は「コウシュウ」。ドーワくんは彼女の言葉を鮮明に覚えていた。
「学校なんて無理して行かなくていいよ。だってイヤじゃん、ノートをやぶかれたりするの。勉強なら通信教育があるし、塾もあるし、図書館だって家庭教師だってあるんだもん。友だちが欲しいなら、近所の喫茶店にいつもいるおじいちゃんに話しかけてみるっていうのもアリだよ。元中学校の先生で、文芸サークルに入ってて、病院でリハビリしてる孫のために子どもむけの小説を書いてるんだよ。きみが絵を担当するっていうのはどう? いいアイデアだと思わない?」
ドーワくんは早速おじいさんに会って意気投合。勉強も教えてもらえる上にカフェオレをおごってもらえるのが幸せで、孫に絵を褒められたし、友だちになれて最高に嬉しかったと後日に報告をもらった。
ビンテージくんにコウシュウちゃんのことを報告すると、彼は動揺を隠さなかった。コウシュウといえば甲州。ブドウの品種だ。
「おれ、卒業したら天使学校に申請する!」
そこは世界のいろんな宗教や神話を学ぶことができ、どの天国や地獄のどの神様の下で働きたいか考えることのできる教育機関だと職員から聞かされていた。就職は成績だけで左右されない。人格のみで推薦や試験免除のスカウトだってありえるという。ぼくが面白いと思った職業は地獄検察官と地獄弁護士だ。閻魔大王様の独断で全ての罪人を裁く訳ではないのだ。
「立派な天使になったら堂々と会いに行ける! いい奴になったんだって信用してくれる! 先生、おれ頑張れるよ!」
具体的な目標が見つかったビンテージくんは生き生きしていた。額の突起はいつまでもそのままだったけれど、それは生前の愚かだった自分を受け入れたからで、悔い残らず気持ちよく卒業するにはいい兆候だった。
屋上で「ねがい」を歌いながらかっこよく踊っている姿が見られるようになった。その間は暴力を振るえないからだって言い訳して。
臨時教師の一人はダンスが得意で、体育の授業で取り入れていたものだから、試しにぼくも家で踊ってみた。運動不足で足がつっちゃったからダンスの授業は諦めた。ビンテージくんに笑われた。彼はいい笑顔を見せてくれるようになった。
やがてパジ山くんや、時々ベベちゃんがまざるようになって、ぼくのダンスダイエットは始まった。幽霊だからこそできるミラクル技もあって、ぼくはへとへとだった。
放課後も勉強会だから気を抜いちゃいけない。メンバーが増えてリビングも騒がしくなった。芽衣子の寝つきの良さには救われた。
ビンテージくんは毎週本を借りた。ぼくの家が図書館で、小説は読破した。だけど「坊ちゃん」だけはいつまで経っても返してはくれなかったからあげることにした。十年経っても本棚には一冊分のスペースが残ったままだ。