6、パジ山くん
6、パジ山くん
パジ山くん。その名の通りパジャマを着ていた。ぽっちゃりして、班で一番の大柄。いつも凍りついた表情をして周りに怯え、授業中にワガヤくんたちが騒ぐとびくりと震わせて、ことが収まるまで耐え忍んでいる様子を見せていた。
エイゴくんもまたしかりだけれども、この子にとってリラックスして勉強する環境ではなかった。突発の大きな音自体ひどく苦手だった。それから、パジ山はネガティブの塊。あの脂肪はネガティブでできている、なんてピュアちゃんが言ったことがあって、それが随分印象的だった。
パジ山くんはライナスだ。スヌーピーで有名な漫画に出てくるキャラクターで、彼もブランケットを手放せない。体の一部と言ってもいい。唯一の心のよりどころであり、身を守る鎧だ。ぼくが何気なく近づけば、何されるかわからないといった具合によれよれのブランケットをたぐり寄せた。
ぼくよりもコトブキ先生の方がまだ安心感を持てるようだった。休み時間になれば、彼女の後ろをついて回っていた。
女子グループには馴染めず、距離を置いて見つめていたのをコトブキ先生は気づいていた。それなのに進んで彼に声をかけようとはしなかった。理由は一人一人構っていられないというものだった。
「彼女たちで手一杯なんです。男の子なんだから、メグミ先生が相手してやってくださいよ」
「あの子はコトブキ先生の方がいいんですよ」
「私は母親でも保母さんでもありません。いくら幽霊でいつまでも子どもだからって、卒業しなきゃならないものがありますでしょう? メグミ先生?」
凄まれて、ぼくは引き下がった。女性の押しには弱いのは今でも変わらない。
ブランケットだけではなく、ぼくも彼の心のよりどころになりたかった。だから一緒にコトブキ先生の後をついて回ることで積極的にパジ山くんと話をしようとした。
「そのブランケットはお気に入りなの?」
「おにいちゃんのやねん」
「お兄ちゃんがいるんだあ」
こんな風にほのぼのした雰囲気作りを心掛けた。パジ山くんが首を横に振ったから、慎重に「そうなんだねえ」と言葉を選ぶと、また首を横に振られた。
「おにいちゃんのやねんけど、おらんねん。おらんねんけど、おんねん」
苦悶の表情から感じ取ったのは、うまく説明し切れない色々深い訳があるということ。生前の話題はなるべく避けるなんて難しい。
パジ山くんは学校が終わってもコトブキ先生の後を追い、玄関前で座っているらしかった。コトブキ先生は仕事とプライベートを完全に分けて、誰かを家に上げるのを嫌っていたからだ。肌寒くなった時期に、たとえ幽霊で気温を感じないのだとしても、あんまりじゃないか。
それで軽率にも芽衣子に相談してしまった。朝食の時にほぼ直球に問いを投げつけていた。「幽霊って信じる?」と。唐突だったので怪訝に思われたけれど、彼女はいてもいなくてもいいと答えた。
「じゃあ、もしも淋しがりやな幽霊が後ろをついてきたらどう思う? ちなみに子どもで、親に会ってはいけないっていう縛りがある」
「あたしでよろしければだけど。どうせ霊感ゼロだし」
ぼくはパジ山くんに彼女を推薦した。本当はぼくが構ってやれれば良かったのだけれど、エイゴくんのマンツーマン授業でいっぱいいっぱいで、それが済むとぐったりだった。
昼間のパジ山くんは本当に芽衣子と一緒にいた。尋ねれば彼女の仕事の様子を教えてくれたし、初めは遠慮していたものの、べったりしている様子が休日に見られるようになった。
料理している様子をじっくり見ては、その匂いを確かめていた。ぼくらが食べている時もじっとしていたから、せめて正座をやめるように言った。一緒に食べられないのは変な感じで、何だか罰を与えているように思えたからだ。
芽衣子がホットカーペーットの上で昼寝をしていると、パジ山くんはブランケットをかけて一緒に眠っていた。親子に見えた。
ぼくも近くで眠った。真っ暗で手足も伸ばせない窮屈な夢を見た。
どうやら体は逆さになっている。外側から雑音を拾った。どんと全身に衝撃を受けて目を覚ました。
芽衣子はうなされていた。揺さぶり起こすと彼女は号泣した。かなり嫌な夢を見た以外に口を割らずトイレに駆け込んだ。ぼくはドア越しに謝った。
不本意で悪夢を共有させてしまったのだ。パジ山くんは彼女のそばを離れ、家に来なくなった。けしてきみのせいじゃないと言ったのは逆効果で、彼は悲しそうだった。ぼくは後悔した。
この頃から、芽衣子は虐待のニュースを見るたび不快な顔をして、チャンネルを変えたり、テレビを消したり、「最低!」と怒鳴った。「恵は子ども好き?」「何歳でも?」と、レーウンさんと同じ質問もした。鈍いぼくはそれであっとなった。
ぼくには、生徒に挨拶する時にヤアと軽く手を上げる習慣があった。パジ山くんに対してもそうしていた。パジ山くんはいつもびくりとしていた。ぼくは彼に挨拶する時だけは手を上げないことを心がけた。
コトブキ先生が幽霊児童を家に入れないことも理解した。悪夢によって、先に先生が潰れてしまっては駄目なのだ。
ワガヤくんがブランケットを引っ張り、引きずり回すことが頻繁に起こった。一度きつめに叱ると、デブばっかり構ってんじゃねーよデブ、と逆ギレ。
ははあ。嫉妬だな。ぼくは呆れながらも、乱暴な言葉遣いを注意した。何と言われようと、あの子に構わずにはいられなかった。
昼間は松方さんの寺にいてはどうかと勧めてみた。あの人は寺を幽霊児童の学童保育所として解放している。精神統一こそが悪霊にならない秘訣といって、大人幽霊も交えて座禅を組ませるなどしていた。
みんな個性的だ。急性アルコール中毒で死後もふらふら赤ら顔の幽霊。肺がんで死に、常に鼻から煙を吹き出させている元ヘビースモーカー幽霊。ビンテージくんも通っているし、彼はパジ山くんを気にかけていたから、一緒にいたらどうか言うと、パジ山くんは頷いた。
ところが、ビンテージくんに寺での彼の様子をこっそり聞いてみると、初耳だと怪訝な顔をされた。実際、あの子は寺に通っていなかった。
休み時間はかくれんぼ状態だ。パジ山くんは叱られると思って目線を合わせないから、怒ってないことをアピールしながら近づかなければならなかった。
ぼくは寺に行っていないことをあえて聞かなかった。すると珍しくパジ山くんの方から話を振ってくれた。少しは心を開いてくれたのだと嬉しかった。
「先生のお母ちゃん、やさしい? ぼくのお母ちゃんもな、やさしいねん。ほんで一緒に寝れる時な、ぎゅってしてくれんねん」
母親のことを話す彼はいつも嬉しそうだった。
「先生は、おにいちゃんおるん?」
「先生は一人っ子。でも親戚のお兄ちゃんがいてね、いつも遊んでもらってた」
「おにいちゃん、好き?」
「うん。パジ山くんは?」
「うーん。わからん」
「先生はパジ山くんのことも好きだよ」
「なんで?」
「そりゃあ、優しいところがあるから」
「ワガヤくんは?」
「ワガヤくんも好きだよ」
「なんでいつも怒るん?」
「それは悪ふざけをするからだ。パジ山くんだって、ブランケットを引っ張られたりして嫌な思いしてるだろ?」
してないよ、とパジ山くんは強く首を横に振った。
「ぼくはエエ子やからね。エエ子にしてなな、お母ちゃん心配すんねん」
「本当のこと言わない方が不安になるんじゃないかな?」
「言わへんかったらな、ないのと一緒なんやで」
彼は人差し指を立てて「ないしょ」の仕種。
その日の昼間、また真っ暗で窮屈な夢を見た。外に出たい欲求が膨らむばかりで、じれったさに叫ぶこともできない。
またどんと衝撃が来て、目覚めると金縛りに襲われた。
上に乗っかっていたその子は赤黒く汚れた裸足で器用にぼくの頭を挟み、ぬっと顔を近づけてきた。まばたきができず、どのクラスの子か声をしぼり出すだけでも一苦労だった。
ブランケットをかぶっていて、ブランケットにどろどろとした顔がついている。ハロウィンパーティーにいそうなゴーストがにたりと笑っていた。
「先生は、お母ちゃん好きなん?」
パジ山くんの声だったけれど、冷静に考えてみれば「おにいちゃん」の方だったのだろう。ぼくは苦しさに答え損ねた。
「ぼくな、ほんまはお母ちゃん嫌いやねん。だってな、お母ちゃんアホやもん。ほんでな、先生は、お父ちゃん好き? 何番目のお父ちゃん好き? ぼく、お父ちゃんも嫌いやねん。一番目も嫌いやしな、二番目も嫌いやしな、三番目も嫌いやねん。せやから先生、お父ちゃんにならんといてな」
いなくなると金縛りもなくなった。汗だくになって、ふらふらと脱衣場に行った。鏡を見ると、頬に赤黒い足跡が残っていた。臭くてぬるぬるしていた。
それから芽衣子の妊娠が発覚した。「おにいちゃん」はいち早く察知して、不安だったに違いない。芽衣子は強気で「産むからね、お父さん」と主張した。ぼくも「もちろん」と強く出て抱き締めた。結婚式は両家の親と相談して延長した。
来年父親になることを、一番にパジ山くんに伝えた。
「だから、パジ山くんはおにいちゃんだな」
「ぼく、おにいちゃん? オバケでもなれるん?」
彼は目を丸くして、それから照れ臭そうにした。
お兄ちゃんになれるという思いからか、授業中で凍った表情をしなくなった。たまにびくりと震えても、いけないいけない、しっかりしなきゃ、と顔つきを変えた。凛々しい眉毛。なかなか男前な顔をしていた。
ぼくは学校ではトイレに行くことがないようにしていた。真夜中のトイレはやっぱり怖い。けれどその日はどうしても我慢できなかった。
鏡に子どもたちは映らない。手を洗って、寒気に振り向けば、「おにいちゃん」がいた。
「なんでお父ちゃんになるん? ならんといて言うたやん。ほんでやな、なんで弟がおにいちゃんになるん? ぼくがおにいちゃんちゃうん?」
赤黒いぬるぬるをブランケットの中から滴らせながら、「おにいちゃん」は詰すり寄った。洋式トイレに追い詰められて、ここでようやく幽霊の恐ろしさを体感することとなった。ホラー映画は平気な方だったけれど、この瞬間を境に駄目になった。
「もちろん、きみもお兄ちゃんだ」と言う声も足も震えた。「おにいちゃん」も個室に押し入って、逃げ場を失った。体温も失われていくようだった。むくりむくりと「おにいちゃん」は天井まで大きくなり、見下ろした。
「弟はな、かわいそうな子やねん。さみしい子やねん。お母ちゃんも弱い子やし、せやからぼくがなんとかせな、なんとかせなずっと思っててな、おにいちゃんは我慢強い子やねんで? なあ、トイレに流したろか? なあ、お父ちゃん。しつけたろか? お父ちゃん」
今にも卒倒しそうだった。情けないことに少し漏らした。それを「おにいちゃん」はけたけたと笑った。
「な? お父ちゃんって怖いやろ? せやからなったらアカンねやで?」
ようやく出ていった。ぶるぶる震えていると、授業が遅れていることを怒ったエイゴくんが探しに来た。腰が抜けたぼくはコトブキ先生に授業を任せた。
保健室で横になっていると、松方さんが心配して来てくれた。トイレで貧血を起こしたと聞きましてと前置きして、パジ山くんの彼のもう一つの人格が悪霊になる可能性があることを明かした。
ぼくが時期に父親になることを伝えると、松方さんはお祝いの言葉を送ってから真剣な面持ちになった。
「おにいちゃんは父親というものを恨んでおりますからね」
松方さんは寺の敷地内にいる幽霊から得た情報が豊富だった。パジ山くんの母親の彼氏は裁判の途中で発作を起こし、病院で衰弱死寸前まで追いやられたという。ぎりぎり、パジ山くんは保護されたのだ。隔離したことによって彼は正気を取り戻し、MGSに通えることになったのだ。
それなのにメグミ班から去らなければならなくなるかもしれない。あの子が悪霊になってしまうことによって別の問題が起こるからだ。類は友を呼ぶといって、悪霊は悪霊を呼んでしまう。外部から寄ってきたなら、校舎に侵入されるのを松方さんが未然に防いでくれるのだけれど。他の幽霊児童が悪影響を受けて、校内で悪霊の卵が増えてしまう、なんてこともありえた。
どうにかして、「おにいちゃん」と和解しなければ。けれど肝が冷えたぼくは、顔を思い出すだけでも身震いした。昼間はお寺に預けたいと松方さんにお願いするだけで、この時は精一杯だった。
しばらく「おにいちゃん」は出なかった。その代わりに、少しずつパジ山くんに自然な笑顔が見られるようになった。自分の方からビンテージくんやピュアちゃんに声をかけていたし、成長したことにほっとした。
芽衣子のお腹の中にいる命も、たった一ヶ月にもかかわらず成長が目に見えた。超音波検査で確認した時は、嬉しいような怖いような曖昧な気持ちになって、食欲が減退した。十円禿げは百円禿げになった。ケーがマタニティブルーになってどうすると芽衣子に呆れられた。子持ちの臨時教師に悩みを打ち明けて、少し気が楽になった。
この頃にビンテージくんが、パジ山くんの様子が最近おかしいとこっそりぼくに伝えに来た。
実は先月もそうだったらしい。本当は先々月もそうだったのかもしれないけれど、あの頃は何に対しても怯えていたから微妙な違いに気がつかなかったと彼は言った。意外と本人は口が堅いから、先生の方からうまく聞き出してほしいとのことだった。国語が得意なんだから楽勝だろう、なんて無茶苦茶で苦笑いだ。
当人を見つけると、ブランケットを腹部に丸めて気分悪そうにしていた。保健室に連れて行こうとしたけれど、別に具合が悪い訳でもないし、ピュアちゃんが休んでいるからと言って聞かなかった。
彼は何かを隠していて、それを逸らすかのように赤ちゃんの近況を知りたがった。順調だよと教えると顔色が良くなった。
「ほんまに先生はお父ちゃんになるんやね。どんなお父ちゃんになるん?」
考えて、自分の父親のようになりたいと答えた。
「ぼくのお父さんね、怒ると怖いんだ」
「ぶたれたん?」
一回だけあった。初めは自分がいじめられているという悩みを打ち明けていたけれど、自分の前にテッタがそうだったことを父さんは知るや激怒した。ぺちんと平手打ちをした。
泣くほど痛かった訳じゃない。ただ仁王様みたいな顔をぼくに向けたのがショックだった。今いじめられているのはぼくなのに。
どんなに泣いても父さんはムッとしていて、一生許してくれないんじゃないかと怖くなった。だから泣くのをやめて、勇気を出して謝った。父さんは抱き締めてくれて、お前は卑怯者じゃなくなったと言った。
父さんはその後、人数分の駄菓子を携えていじめっこの家を一軒一軒回った。みんな謝ってくれたけど、ぼくはクラスにいられなくなって、卒業式まで不登校になった。父さんは咎めずにたくさん本を与えてくれた。勉強も毎晩のように教えてくれた。恵は謝ることのできる男になったから、次は許すことのできる男になろうって頭をなでてくれた。
先生はそういう男になったのかとパジ山くんに聞かれた。今でも顧みるけれど、この時もドーワくんの件を思い返して、はたしてそんな男になれているのか首をかしげてしまった。
「許す男ってやっぱりエライん?」
「許す男よりも、柔軟な男がいいなあ」
ぼくはパジ山くんに乱暴した男をいつまでも許さないだろう。
「ストレッチしたらええんとちゃうん?」
「心のストレッチは難しいんだなあ」
「うーん。ほなな、深呼吸したらええねん。ここがな、ふくらむやろう?」
胸を抑えるパジ山くんが健気だった。ぼくは少しずつ隠し事を引き出すことにした。
パジ山くんがトイレで白いドロドロを大量に吐いてダウンしたと、ビンテージくんが職員室にいたぼくに血相変えて報告しに来た。ちょうどその頃、校舎の廊下が赤黒いドロドロで汚れていたことが問題になっていた。「おにいちゃん」が通った跡だ。
そして土曜の夜、夢の中に「おにいちゃん」は現れた。一ヶ月ぶりだった。彼は窮屈な場所にいたぼくの頭を掴み、ずるりと赤黒い場所に引きずり降ろした。
ぼくは黄色い水にまみれながら、呼吸が覚えたてのように喘いだ。大きい「おにいちゃん」は腹を蹴った。はよう、ほら、はよう、と何度も。
「謝ってや。先生。謝ってや。やないと一生許さへんで」
謝らなきゃいけないことをした覚えはないから耐えていた。衝撃と共に男の罵声が耳元で爆発した。夢だとわかっていたから、目が覚めるのを待った。少しの間だけだ。この子は毎日のように痛めつけられていたのだから、これくらいなんてことはないと我慢し続けた。
けれどやっぱり辛かった。おなかと背中がひっつきそうなくらい胃が悲鳴を上げた。しだいにブランケットは赤黒くなって、目玉はサイケデリックに光り始めた。ギャーギャーと赤ちゃんの泣き声が響き渡り、波紋が広がった。
悪霊になりつつあるのかもと焦ったぼくは許しを乞うことにした。そうすると「じゃあお父ちゃんにならんといてな」と言うものだから断ると、「おにいちゃん」はカンカンだ。
「アカン! お父ちゃんになったらぶつやんけ! こうやってぼくにもお母ちゃんにもぶつやんけ! 悪いことせえへんでもな、気に食わへんかったらおなかぶつやんけ! おにいちゃんは我慢せなアカンからな、でも弟はたくさん食わなアカンかったんにな、食われへんからな、おなか鳴るやんか。ほんでもお父ちゃん怒るやんか!」
「ぼくはそんなことじゃ怒らない。本当に悪いことをした時だけだし、滅多なことでぶつなんてことしない」
「ちゃうもん! お父ちゃんは悪い奴なんや!」
ばたばたと上で暴れられ、ぼくはとうとう大声を出した。
「こら! いい加減にしなさい!」
彼はびくりとして暴れるのをやめた。赤ちゃんの泣き声も消えた。ぼくが立ち上がると後ずさりして切なそうにした。まだ彼の方が大きかったから見下ろされていたけれど、怖くなかった。
しばらく見つめ合って、「おにいちゃん」はおずおずと「ごめんなさい」と言った。ぼくは両手を広げた。「おにいちゃん」は膝を折ったのか背を低くして、ぎゅっと抱きついた。夢の中だったから感触があった。ふかふかのブランケットだった。よしよしと背中をさすると、彼はすすり泣いた。赤黒かった場所は見知らぬ狭い部屋に変わった。
「生まれてくる赤ちゃんが心配だったんだよな。ありがとう。先生は優しいお父ちゃんになるから安心して」
すると先生だったらぶたれてもいいなんて言い出すものだから驚いた。
「だってな、先生やったらな、そのあとぎゅうしてくれるやろ?」
わざと悪いことをするなんて駄目なので、次のテストで八十点以上取ったらぎゅうすると約束した。パジ山くんはちょっぴり成績が悪かった。
「先生。もう怖い顔してへん?」
してへんしてへん。そう言うぼくの顔を覗いて安心するやべたついてきた。「おにいちゃんもな、甘えたい時があんねん」と、目が覚めるまで離れず、大きいままだったから身動きが取れなかった。夢から抜け出す前、彼は遠くの桃色の光を指差した。
「あれな、先生の赤ちゃんやねんで。まだあんなにちっちゃいんにキレイやねえ。大事にしてや」
日曜の朝から食欲全開で、芽衣子と健康的な料理を作るのが楽しくなった。
パジ山くんはエイゴくんに積極的に声をかけ、放課後も家に上がって熱心に勉強するようになった。テストの答案用紙を見たら、名前が「パジ山ブランケット」になっていた。もう「おにいちゃん」は出てこない気がしたけれど、出席簿の空欄に「ブランケット」と書き足しておいた。
答案を返すと、パジ山くんはすぐぼくに飛びついた。ぼくも背中に腕を回したけれど、もちろん感触はなかった。それでも目を閉じれば何かがいる感覚はあった。パジ山くんも満足そうにしていた。何だか首元の肉が落ちているようだった。ネガティブが落ちたのだろう。
ベベちゃんが窓を開けて騒ぎ出すので何事かと思えば、しし座流星群だった。天から降った新しい命が流れ星になるのだと思うと感慨深いものだった。
パジ山くんが慌てて手を合わせて願い事を唱えた。無事に元気な赤ちゃんが生まれますようにと。「これでもう大丈夫やで!」と自信満々な笑顔には安心させられた。
これがきっかけで子どもには星に関連する名前をつけた。可愛い女の子だ。弟も二年後に生まれたし、二人とも大きな怪我も病気もなくすくすくと育っている。元気が有り余っているから、パジ山くんのお願いは効果抜群だ。
弟の方が少し霊感を持っていて、たまに「お兄ちゃんが遊びに来てる」とコップを一つ多めに用意してジュースを注ぐことがある。年を重ねるごとにそれは薄れていくのかもしれないけれど、「ブランケットを卒業するのとおんなじだよ」とあの子が言っているから、しょうがない。