4、エイゴくん
4、エイゴくん
エイゴくんはハーフだと第一印象でわかった。生前の詮索に含まれるかもしれない。だからやすやすと確認できなかったけれど、始業式後のホームルームで、彼は簡単にイングランドと日本のハーフだと自己紹介した。はきはきとしゃべる子で、理科を一番頑張りたいと言った。にこりと笑うと尖った耳がぴくりと上がって、えくぼもできた。もしかするとそれが花の精に思わせた一因かもしれない。
エイゴくんはガリ勉タイプだった。超がつくほど真面目に授業を聞いていたし、たくさん挙手をしたし、わからないことは休み時間になってからでもぐいぐいと聞きにきた。
全ての問いに答えられたら、ぼくも疑問を口にすることができた。たとえば物に触れることができるのかということ。そうじゃなきゃ席に着けません、ノートも取れません、と真面目に返答してくれた。
やろうと思えば物を動かすことも、物音をたてることもできる。ポルターガイスト現象というやつだ。エイゴくんはこと細やかに説明してくれたのだけれど、現世科学の粋に収まりきってなく覚えきれなかった。「僕と先生は違う次元にいるので」「厳密には触れている訳じゃないです」「幽霊は筋肉を鍛えられません」「代わりに精神力を鍛えることができます」と、教わったことはぼんやりと頭に残っている。
確かなのは、この子たちがぼくに触れることができでも、ぼくの方から触れることは叶わないということ。手を握られてもぼくは握り返すことはできず、握手が成立しないことだった。
あの子は勉強熱心なあまり、周りが問題を起こしていても知らぬふりをしていた。たまに静かにするよう注意をしていたけれど、それは勉強に集中できないからで、問題を起こしていること自体には興味がないようだった。
何度かワガヤくんに逆ギレされていたことがあった。筆記用具や教科書をばらまかれると、エイゴくんは激怒した。胸倉を掴む、肩を揺さぶる、突き飛ばすのケンカが始まる。それにはビンテージくんもイライラを募らせて、「いい加減にいい子にしてろよ」と怒った。
ベベちゃんに職員室から引っ張られては、ぼくは三人を仲裁しようとした。三人に触れることはできないから、言葉で収束させなければいけなかった。エイゴくんは興奮していた。
「この人は義務を果たそうとしていません。勉強する気がない人はここにいる必要ないですよね、先生」
「勉強することが義務なら、ワガヤくんもこの教室にいるべきじゃないかな?」
「だったら何とかしてください。勉強に集中できません。先生だってうるさくされたら授業しづらいですよね?」
まあ、そうなのだけれど。彼の言い分を肯定しつつ、まずケンカはよくないことを諭そうとすると、自分は正当防衛で、勉強ができる権利を侵害されたから勉強時間を守ろうとしただけだと言い張られて、ぼくは舌を巻いてしまった。
みんなの迷惑にならないよう、歯がゆくもワガヤくんを教室から出すしか考えが及ばなかった。ぼくは次の授業までワガヤくんに付きまとわれ、尻を蹴られた。ワガヤくんがすっきりすれば、次の授業は滞りなく進められた。
エイゴくんの勉強熱心は下校後も続いた。帰りの会が終わると一旦は姿を消すも、始発に乗ろうとしていたぼくについてきた。ぐったりと座るぼくの右半身がひやりとして、見れば彼が何気なく座っていた。彼は初めての電車に感銘を受けていた。
車両では二人きりで、誰かが乗ってくるまで会話をすることができた。他の五人とは初めて同じクラスになって、ワガヤくんだけ顔見知りだったらしい。エイゴくんは級友に興味を抱いていなかった。
幽霊児童の下校後は基本的に自由行動。幽霊だから墓地に戻らなきゃいけないというルールはなかった。代わりにMGSを卒業するまで家族と接触してはいけない校則があった。
「それは悲しいね」
「それは悲しまないようにです」
エイゴくんは平気に見えたけれど、執着は幽霊児童にとって悪影響となるからだなんて、かえって毒になる気がした。
みんな下校後はどこに帰っているのかというと、思い思いの場所に行って時間を過ごす。幽霊になると睡眠の習慣が薄れ、ぼうっと夜になるのを待つ子が多い。それは生前への執着が弱まることにもつながるというのだけれど、それが最善なのか疑問だった。エイゴくんの場合は午前中も学校へ行き、欠席になっている所に座って授業を聞いていた。
彼はたくさん質問してくるぼくのことを不審がった。先生とは何でも教えてくれる存在なのに、逆に教えてあげなきゃいけないなんて、変な先生だと思われた。
帰宅すると芽衣子は眠っていた。ダイニングテーブルには焼きおにぎりとお茶漬けのもとがあった。彼女はよくさっぱりした食べ物を用意した。
一人だけ特別に勉強を教えては学力に大きな差ができてしまう。それでも勉強が「生きがい」だったエイゴくんの質問攻めに応じた。初日は算数だった。
本当に勉強が好きなんだね。何気なく言うと、そうではなく、勉強ができることが好きだと答えた。そのニュアンスの訳は、すぐ知ることとなった。
空が白ばむ頃には、眠気はマックス。エイゴくんがまだいたにもかかわらず、うとうとしてしまっていた。彼は何度もぼくを呼んでいた。その声が遠くなっていくと、どん、と椅子から落ちた。床に尻もちつくことはなく、水中のように全身がゆったりとして、真っ暗闇の中でぼくは身を任せた。
やがて、医療ドラマで聞いたことのある電子音が近くなってきた。心電図だ。それから、シュコー、シュコー、と人工呼吸器だろう、誰かがマスクの中で呼吸をしている。
一体誰だろう、と目を開けようとしても開けられない。音だけが頼りだった。せーちゃん、せーちゃん、と何度も女性が涙声で呼びかけていた。「セイロ」と時々男性が呼びかけていた。珍しい名前だったし、男の子か女の子かわからなかった。
わずかに視界が開けて、ぼんやりと男女が映った。カラーテレビと白黒テレビの映像を交互に見せられているみたいで、白黒テレビの時は映像がよく乱れ、音声も古ぼけた。
「セイロ。学校に行くんだろ。宇宙に行くんだろ。がんばれ。がんばれ」
男の方が励ました。
ぼくは芽衣子に起こされた。ベッドで寝るよう促されたが、そのまま彼女が朝食を用意してくれるのを待った。
男の言葉が引っかかった。エイゴくんに付き合った日に限ってその夢を見た。
夢のことを勉強の合間に話した。エイゴくんは無言でノートの端っこに本名と書いてちぎり、ぼくにそっと渡した。本人は肯定も否定もしなかったけれど、それが彼の生前の名前だった。いい名前だね、と率直な感想を述べると、えくぼを見せてくれた。
エイゴくんは生きていた時からたくさん勉強していた訳ではなかった。幽霊になってから勉強できる喜びを知り、死後も授業の遅れを取り戻そうとしていた。幽霊だからいくらでも時間があると思うかもしれないけれど、これは大きな間違いだ。幽霊として、特に子どもたちはどうやって学んでいけばいいのだろう。その前に、死んだことをどう受け止めればいいのだろう。そっちの方が大変な時間を有する。
エイゴくんに構っていられない時はコトブキ先生に質問するように頼んだ。けれど三度目になって、わからないからメグミ先生に聞いて、とコトブキ先生に言われたらしい。エイゴくんがする質問は、たまに複雑ではあったけど問いかけ方の問題で、内容はぼくらが教えられる範囲に収まっていた。彼女の方が教師歴は長くて、教え方もうまかったから、忙しいからではなくわからないからという言い訳は何だか変だぞと思った。
それとなく、コトブキ先生に真相を尋ねると、彼女は幽霊児童への教育に懐疑的だった。生きている子どもと違って、義務教育じゃないし、進学も就職も強いられていない。授業を行う意味なんてどこにあるのかと。
けれどもエイゴくんは勉強がしたい。勉強がしたい子が目の前にいるから、教師は喜んで教えてあげるべきだと思った。
メグミ先生はおめでたい人ですね。難色を示されて、ぼくはむっとした。それはコトブキ先生でしょう、などと言い返してしまった。彼女は、そうですね、と笑顔で対応したからぼくの負け。
五度目になって、エイゴくんはコトブキ先生に質問するのを諦めた。というのも、コトブキ先生は高いヒールをはかずともぼくより背が高くて脚も長くて、モデルさんみたいだと女子幽霊に人気だった。ベベちゃんとピュアちゃんもよくべったりしていた。彼はその子たちに嫉妬された。
「どうして女の子ってたくさん集まるとこわいんだろう」
エイゴくんはぽつりと言った。ぼくは小学生の頃に、女子グループに追いかけ回されたり、無実の罪で怒られたりしたことを思い出した。女子グループほど鉄壁はないと、あの頃は怯えていたなぁと失笑した。
「それは一人じゃ心細いからだよ」
エイゴくんには言わなかったけれど、コトブキ先生は女子幽霊たちにとってお母さんのような存在だったのだろうと思う。
エイゴくんが自宅に来なくなった。質問の頻度も減った。なんと、休み時間に居眠りするようになった。ハイペースで勉強をしてきたせいだろうとぼくは軽く見ていて、授業中で睡魔と奮闘している姿は微笑ましく思っていた。
危惧したのがビンテージくんだった。先に述べたように、幽霊になると睡眠習慣を失い、それは生前への執着の弱まりにつながる。彼は、エイゴくんがこの世に未練を持ち始めたに違いないとぼくに知らせた。
未練を持つことがそんなにいけないことなのか、というのは観点がずれた問いで、幽霊が夢を見ることに問題があった。へたをすれば危険だった。
夢は精神の世界の入り口でもあり、他者とつながる場所でもある。欲求が表れる場所でもある。次元が違うという。死者が夢に出てくることがあるのは、それがあの世とこの世の通信手段の一つだからだ。生きている人が覚醒すれば内容を忘れることがほとんどなのは、覚醒することで精神の世界との通信を断つからだ。
幽霊は夢の影響を受けやすい。生きている人よりも夢の世界に近いところで生きているからだ。確固たる精神を持たない幽霊が、未練を持ち続け、そして悪い夢に苦しみ続けたなら、どうなるか。それが幽霊児童で、他者の欲にとらわれたらどうなるか。
先生ならわかるだろう。ビンテージくんに悟られ、ホラー映画を連想した。三大欲求といわれている睡眠が、幽霊にとっては成仏の妨げになるなんて、誰が想像できるだろうか。
無事に卒業できるように、なぜエイゴくんが眠るようになってしまったのか。原因を取り除くために、放課後はどこにいるのか尋ねた。内緒にされたから、ビンテージくんが代わりに聞き出すようお願いした。すると、やっぱり秘密にされたから尾行したらしい。
そこはセイロくんが亡くなった病院だった。そこに一人の女の子が長期入院していて、ビンテージくんの推理によれば、元素の図鑑を見つけたから、その子の夢は科学者かもしれなかった。「せいろ」と書かれたスペースシャトルのキーホルダーを見つけたから、彼は彼女と同期の患者で、宇宙飛行士が夢だったのかもしれなかった。ビンテージくんを名探偵だと褒めると、「むしろストーカーなんですけど」と苦笑い。
ぼくはビンテージくんをつれて病院に足を運んだ。女の子は集中治療室にいて様子をうかがえなかった。エイゴくんの姿は見えないとビンテージくんは言った。幽霊同士でもよくあることらしかった。
担当の看護婦にこっそり声をかけ、担任だったと嘘をついた。その子はセイロくんと院内学級で勉強をしていたという。集中治療室に移ってからは寝るのを嫌がって、睡眠導入剤もみんなに説得されて泣く泣く飲んでいたのが、昼寝も楽しむようになったらしかった。
時々、女の子はセイロくんから勉強を教わる夢を見ていた。女の子が生徒役で、セイロくんが白衣を着た先生役。教室でマンツーマン。しかも英語で。セイロくんが念じれば、教卓の上にあらゆる鉱物、元素の模型が出てくる。天井はなく、宇宙が広がり、セイロくんが念じれば、あらゆる惑星、星座が回る。授業が終われば、セイロくんは女の子が抱いた疑問を持って、EIGOと書かれた小さなスペースシャトルに乗って帰っていく。
だったらどうして、エイゴくんは自宅まで来てまでぼくに教えを請うのをやめたのか。女の子の疑問が尽きたからなのか。あらゆる疑問が浮かび上がった。何でもかんでもずかずかと、教師と生徒だからといって、少しは距離を縮められているだろうと思っていたところで、土足で私情に踏み込んでいいのか。幽霊は繊細なのに気が触れたらどうするのか。
慎重になっていた。そこで、かねがね臨時教師の間で話題になっていたことを振り返った。幽霊児童の生前に関する記憶のイメージ、あるいはフラッシュバック現象(厳密には違うんじゃないかと結論に至った)についてだ。これらは一方的にぼくらの頭に流れ込んでくるけれど、逆にぼくらの方から接触することは可能なのかどうなのか、議論していた。
ビンテージくんに教わった通り、夢が通信手段なら、いけそうな気がした。ただし、エイゴくんだって毎度のように女の子の夢に到達できる訳ではなく、ラジオとかでいうチューニングがポイント。見たい夢を確実に見ようとして見られるものじゃない。
一つアイデアが浮かんで、試すことにした。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」と「銀河鉄道999」のレンタルビデオを枕元に置いて、看護婦が教えてくれた女の子の夢をイメージして寝てみた。
三日ほどして、うまくいった。
気がつけば座席に腰を落としていた。おお、憧れの銀河鉄道と思いきや、どうもいつもの快速電車らしく、がっかりした。これではジョバンニも、カムパネルラも、メーテルも乗っていない。
宇宙が広がり、線路がどこまでも続いていた。どこから降ってきているのか、滝のそばを通った。踏み切り以外にもバス停が見えたので、銀河バスが運行しているようだった。
観光気分に浸って、小学校の夏休みに祖母と電車に乗ってたくさん出かけたことを思い出した。一時間に一、二本しかない田舎だったから、乗り遅れまいと祖母を急かしたぼく。へとへとになっていたら、反対側の窓から天の川が見えて、祖母が織姫と彦星の物語を聞かせてくれたことを思い出した。この銀河快速さえあれば、二人は雨の日でも会いに行けたろうに。そして、祖母にも会えそうな気もした。
トンネルに入ったのか外は真っ暗になった。気がつけばぼくの部屋。
失敗だった。ぼくは涙を浮かばせていた。
四日連続、銀河快速に乗車することができたけれども、教室にたどり着けずにいた。ぼくに限ってなのか、トンネルの突入はレム睡眠からノンレム睡眠への移行を現していたらしく、夢は途絶えた。起床はだるかった。この頃には昼夜逆の生活習慣に慣れ親しんでいたのだけれど、意識して夢を長く見ようとしていたせいか、満足に熟睡できなかった。
そしてエイゴくんのうつらうつらは日ごとに悪化。女の子のいる世界へ現実逃避、いや、帰向しようとしていると思われた。ぼくも、不覚にも職員室にいる時は呆然としていることが多くなって、プリントの採点ミスがちらほら。ワガヤくんに叱られた。テストの点にはうるさかったエイゴくんはぼうっとしていた。
何度目の正直か、また銀河快速に乗った。またトンネルに入ってしまい、この手は無理なのかと諦めかけていたけれど、この時はビンテージくんが途中乗車していた。
「危ないって言ったのはおれだから、おれもついてく。先生の仕事にも支障が出てるし」
トンネルはワープゾーンだった。抜けるとダイアモンド色の巨大高層建築物がぶら下がっていた。まさに宇宙ステーションだった。あらゆる飛行物体が四方から行き来して、衛星がたくさん回っていた。いろんなタイプのロボットが乗客の荷物を運び、立体映像の駅員がアナウンスをする。SFへの憧れがぎっしり詰まっていた。
かなり気になった。ただここで降りたらやばい気がした。遠ざかっていく宇宙ステーションは銀色の蜘蛛の巣状に輝いていた。二度と見られない光景だった。
ようやく下車すると、一教室分しかない質素な廊下が駅のホームだった。
「授業が始まるから席に着いてください」
待っていたかのように開口して、白衣に角帽のエイゴくんは毅然と入室を促した。女の子も平然としていた。夢だから、ぼくらがやってきても当たり前のように感じたのだろう。小学生用だったから、椅子も机もぼくには窮屈だった。
ぼくは適当に右寄りの後方に着席した。ビンテージくんは、無意識だったのか、窓際後ろの角っこに座った。彼の生前の名前から、その席だった。
「今夜で最後の授業です」
エイゴ先生の授業はわかりやすかった。秀才だった。彼には夢という最高の器材、教材があった。それを最大限に利用しようとしていた。しゃきしゃきと杖を振る様が、魔法使いを彷彿させた。問題を投げかけ、見事正解すれば七色の光の花やハトを舞い踊らせた。
ぼくはいつの間にか小学生になっていた。小さな拍手が聞こえた。祖母が遠い田舎から授業参観に来てくれていた。
ばっちゃん! ぼくは得意げになった。
チャイムが鳴って、エイゴくんは元気よく言う。
「これより履修証明を授与します」
女の子は皆勤賞で金メダルを受け取った。
「これで手術を受けられるようになったよ。だからがんばって。きみなら平気だよ」
エイゴくんは彼女とハグをした。女の子はもう会えないのかと寂しがっていた。エイゴくんは言い淀んで、ぼくは思わず口を出した。大丈夫に決まっとるわい!
「何てったってこの大宇宙は彼のものなんだぜ。白鳥座だって南十字星だって、彼のものにできるんだ。だからきみと会えることぐらいお茶の子さいさいなんだ」
祖母がいるから余計に強がった。女の子は目を丸くさせたけど、笑ってくれた。そして流れ星になった。病室に戻ったのだと思う。
ぼくらはエイゴくんのスペースシャトルに乗った。祖母もついてきてくれた。EIGO号はロボットの操縦で、大きな金平糖が燃料だった。火室の中の金平糖は砕けて星の粒となって噴射した。スペースシャトルに蒸気機関車の火室があるなんて不可思議だったけれど、それがエイゴくんにとってわかりやすいシステムだった。
これでエイゴくんに心残りはない。きっと居眠りだって解消されると、ぼくは子どもながらに思っていた。だけれど、祖母がそっと肩を叩いてきた。祖母は操縦席のパネルの方に指を差していた。
EIGO号は帰路から大きく外れていた。ロボットがわざとそうさせていた。ロボットは渦巻きの目玉を回しながら言った。
「ガッコウ、ニハ、モウ、イキマセン。ベンキョウ、ハ、モウ、シマセン」
一番驚いていたのがエイゴくんだった。ロボットはエイゴくんの心の一部。彼にしかロボットを説得できなかった。
「ウチュウ、ニモ、モウ、イキマセン。ナノデ、ウチュウ、ノ、ソト、ニ、デルノデス」
宇宙の外には何があるのか、気にはなったけれど、そうなるとぼくらは二度と現世に戻れない。まだ勉強がしたい、だから学校に戻りたいとエイゴくんは言った。ロボットはナゼ、ドウシテと繰り返すばかりだった。
「ナンノ、タメ? ナゼ、ベンキョウヲ、ツヅケル、ノデスカ? ボクハ、モウ、ウチュウヒコウシ、ニハ、ナレマセン。カガクシャ、ニモ、ナレマセン」
「ぼくは先生になれるよ! 勉強をすれば、誰かに教えられるよ! 実験は大成功したんだよ! 幽霊でも先生になれるんだよ!」
「ジャア、ナゼ、ガッコウデ、ベンキョウ、スルノデスカ? ガッコウ、ジャナクテモ、ドコデモ、ベンキョウハ、デキマス。ナゼ、デスカ? オシエテ、クダサイ。セイロセンセイ」
エイゴくんはパニックになって、EIGO号にも影響した。あっちに行ったりこっちに行ったりして、金平糖もバチバチと火花を散らせて激しく踊った。ロボットはエイゴくんに答えを求めて、首をぐるぐる回した。ぼくは落ちつくように肩を抱きとめた。
「先生が焦っていたら、生徒も不安になるよ。大丈夫だよ。ここはきみの夢の中なんだ」
「コレハ、ユメ、デハ、アリマセン。コノママ、デハ、メグミセンセイ、ハ、イッショウ、メヲ、サマス、コトハ、ナイ、デショウ。コノママ、デハ、ウチュウノ、ソトニ、オチテイク、デショウ」
「それは困る! 明日の晩も授業があるんだから」
「授業に出なきゃ! 皆勤賞取らなきゃ!」
エイゴくんが顔を真っ青にして叫ぶなり、ロボットの首が吹っ飛んで、スペースシャトル内をあちこち飛んで壁をへこました。天井を突き破った。緊急ランプが点滅した。EIGO号は巨大なサソリの尾に突き刺さろうとしていた。
祖母が動いた。祖母は流れ星になって、火室に飛び込んだ。巨大なエネルギーがスペースシャトルの進行方向を変えさせて、そのまま地球に向かわせた。
ぼくの祖母はいつも静かに、大胆な行動を起こしていた。授業参観だって、周りは若い親ばかりだったのに。もし生きていたら、ぼくが体罰問題を起こした時、勝負用のアフタヌーンドレスを着てさりげなく現れたと思う。いつもは地味で、イエスマンならぬイエスウーマンな祖母だったけれど、重箱の隅を楊枝でほじくるPTA副会長を前にすれば、きっと鉄の女と化していただろう。本当に、ぼくには甘い人だった。
起床したら名案が浮かんだ。コトブキ先生と相談して、子どもたちを学校から徒歩で行ける、見晴らしのいい河川敷まで連れていった。
初めての野外授業。天体観測には最適な天気だった。ぼくは知人から借りた望遠鏡を組み立てた。
エイゴくんに特別授業をしてもらおうかな。ぼくの提案にエイゴくんはびっくりしていたけれど、やる気を見せてくれた。いきいきとしながら、星座の解説をしてくれた。そして冬の大三角と、冬のダイアモンドを教えてくれた。
人は死ねば星に戻る。この日ほど強く思ったことはなかった。この子たちも天へ旅立つ日が来る。寂しくなった。
エイゴくんは休み時間になると、積極的に周りと会話をするようになった。勉強のこと以外にも、流行を話題に盛り上がっていた。あの女の子に対する意識が緩和された分、クラスの統率に気を配るようになって、班長らしくなった。面白かったのが、テスト範囲をパジ山くんとで熱心に予想していたことだ。ベベちゃんまで協力して、ぼくの行動を貼りつくように監視していた。
「みんなで勉強をするって、すんごく楽しいですね。ぼくは国語が苦手だから、ビンテージくんに教えてもらおうかな。ベベちゃんは算数が苦手だから、遅れちゃっている分、ぼくが教えてあげています。お互いの得意不得意を知るって、とても大切だということなんですね。同じ授業をしていても、みんなが同じだけ頭に吸収できるとは限らないから、だから教え合うということなんですね。もっと早く気がつけばよかったなぁ」
あの子のおかげで、ぼくは今でも勉強をする意味を大切にしている。女の子は今頃どうしているのだろう。まだ夢の中の授業を覚えているだろうか。