3、MGS
3、MGS
謹慎を言い渡されたその日、ずっと丘のベンチに座って橙色の校舎を眺めていた。右手のひらはじんじんと熱がこもったままで、夕日のせいではなく怒りのせいで赤いように思えた。
ずっと悔んでいた。けれどどうすれば問題が解決するのか、具体的な考えはどうしても浮かばなかった。自分の感情ばかりで独善的。教師に向いてない気になった。
そこへ声をかけてきたのがレーウンさんだった。ハードボイルドの映画に出演していそうなダンディーなスタイルで、パナマハットが似合っていた。ソンブレロじゃなかったのに、どうも色違いのパンチートにも見えた。それくらい、はつらつとしていたし、ロマンスグレーや法令線のふさわしさが老いの中の余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)具合を感じさせられた(今改めて思い出せば、果たしてこの方に「年齢」や「老い」という概念が備わっていたのかどうか……)。
レーウンさんはにこやかに隣に腰を下ろして、ブドウの絵が描かれたミルクティーのペットボトルを差し入れてくれた。GBEの職員だと名乗り、はて、そんな略称の団体はあっただろうかと頭をひねった。会議の時は一杯一杯で、この方が同席していたことまで気が回っていなかった。いや、はたしてこの方は本当にその場にいたのだろうか。
「保護者の方でしょうか?」なんて、失言だったと指で唇を掴み潰した。余計なことを言ってしまったかも、やってしまったかもという時にこの癖は出た。
レーウンさんは、A氏の言い分はおかしい、処分は手厳しい、とおっしゃってくれた。それに甘えて、これは理不尽だと歯痒い思いをぶつけてしまった。空回りしているようで余計むなしくなった。今となっては恥ずかしい話だし、最後まで耳を傾けてくださったこの方には頭が上がらない。
来年度までどう過ごすのか。レーウンさんの投げかけに、投げやりに、何か一つ資格取得に勉強すると答えた。
「きみ、いつまでも敗北感に浸っていても仕方がないぞ」
と失笑して、ぼくの片膝を軽快に叩いた。
得意教科は国語だったかと、問われた。得意というより好きだったのだけれど、なぜ知っていたのか不思議だった。
ぼくは金子みすゞが好きだった。勝手にメロディーをつけて、登下校で一人口ずさむのが好きだった。ぼくは漢字を眺めるのが好きだった。その漢字が一つの塊から意味のない模様に感じるまで、異国の呪文だと感じるまで、ぼうっと見ているのが好きだった。
子ども好きかどうか尋ねられ、ええまぁ、と濁らせると、何歳から何歳までかと追及された。そんな質問はされたことがなかった。何歳でも、と答えてしまうと、保育士になろうとは思わなかったのか、子どもだったら何でもいいのかと続けられて戸惑った。変な人に絡まれたなぁとまで思ってしまった始末だ。
最後に、念を押すけれどと、どんな子でも分け隔てなく、かつ臨機応変に接することができるかどうかを問われた。
「退職するまでに何人の子どもと接するんです? できるようにならなきゃ、教師なんてやってられないんじゃないですかねえ」
と、ぼくは悩んだ末に答えた。口が渇き、一声かけてからミルクティーを頂いた。ブドウ、どちらかといえばマスカットの甘味があとを引いた。
本人には聞けずじまいだったけれど、このミルクティーがその夜、苦行を強いたのだと思う。帰宅するや胃に異常を感じ、嘔吐した。続けざまに便意を催して下痢をした。
これを三度繰り返してから、どうにかベッドまで這ってよじ登ると全身から汗が吹き出し、悪寒に震えた。頭がじんとしびれ、すっと意識が吸い込まれる感覚が来た。
あっ、気を失うゾ。我ながら冷静な分析だった。
いつの間にバスに乗ったのかわからない。気絶した瞬間にはもう車内にいたのか、それとも第三者が導いてくれたのか。その第三者からの支給だったのか、均一区間内のみ有効の一日乗車券カードを握り締めていた。
外は真っ暗で、路面しか見えなかった。やけに静かな走行だった。路線図を確認すると、漢字とひらがな、カタカナがごちゃごちゃで文字化けしているかのような、日本語のようでそうじゃない、翻訳を間違えた訳でもなさそうな、文法が奇妙な文章があって、嫌なものを見てしまった気がした。乗車券だけがぼくの知っている日本語が印字されていたものの、よくよく見れば均一区間を示しているだろう楕円に書かれた地名は、やっぱりどこか奇妙だった。
あの悶絶だったのだ。あのまま死んでしまったのかもしれない。このバスはあの世への送迎バスで、渡し賃として六文銭の代わりに乗車券を何らかの情けで渡されたのではないか――。実際に、これは疑似的にも臨死だったのかもしれない。けれども神秘さを感じられないくらい不安を駆り立てる空間だった。
ぼく以外にも乗客がまばらにいて、きょろきょろと不安げにしていた。未成年ではないだろう男女と、初老の男女。年配らしき男性が運転手に目的地を問いただそうとしたり、降ろしてもらおうとしたりしていたけれど、運転手は「危険なので、走行中は立ち上がらないでください。他の乗客のご迷惑となるので、大声で話すのはご遠慮願います」と淡々と注意するのみ。信号機はなくて、バスは止まる気配がなかった。
ようやく、終点「やままえ」で強制下車。乗車券を改札機に通すと文字化けした日付が印字された。外を出てすぐに「JSY入り口」と看板あって、ぼくらは矢印に導かれて、国会議事堂のような建物を目指した。その建造物は赤くて、燃えているような感じだった。
クラシックが流れていた。後々、曲名が気になってクラシック専門のCDショップで音痴ながらも説明すると、どうやらヴォ―ン・ウィリアムズの「揚げひばり」らしい。それは秋の出来事なのに春の曲だなんて、考えすぎかもしれないが、ここでは時間の概念がぼくらの世界と違っていたのかもしれない。
フロアには子どもと老人の姿はなく、これは現役教師の人々が招集されていたのだ。「揚げひばり」は十五分程度の曲だから、それくらい待たされていたはずだ。GBEにお越しの方、と案内人がぼくらを「不定期MGS臨時教員説明会」会場に招いた。
ぼくは適当に席に座って、置かれていた書類――閻魔帳を手に取った。そこでJSY(Judgment Seat of Yama)が閻魔庁、GBE(Ghost Board of Education)が幽霊教育委員会、MGS(Midnight Ghost School)が夜間幽霊学校の略だと知った。
壇上に鬼の顔の役員が現れ、ぼくらの招集理由を述べた。今年下半期の全国未成年幽霊数が多く、保護と鎮静、そして状況説明に人員を割いてしまい、専門教師が不足した。よって九月中旬から三月中旬までの後期臨時教師を緊急選抜したとのことだった。定年間近でまた経験するとは思わなかった、と隣が感慨深そうに呟いていた気がする。
給与について説明し出すと、ぼくはとっさに現実に引き戻された。そうそう給料! 謹慎中の身だったぼくにとって一番大事なことだった。貯金は高校生から地道にしていたものの、今後の生活を考えれば崩したくはなかった。役員が提示した給与は破格の額で、しかもこれは副業に該当しないので心配ご無用。万が一その点で問題があればこちらで対処するときた。怪我の功名とは少しとばかり違うような気もするけれど、安直にもこの話に乗った。
ぼくは両隣を真似して閻魔帳に必要事項を記入しサインした。それから壇上まで列を成して、自分の番になった。
「芦田さん。あなたはメグミ先生と呼ばれていましたね。では、慈しみを込めて「メグミ」先生にしましょう」
なぜか胸ポケットにあった捺印を閻魔帳に押したなら、いつもの苗字ではなく「メグミ」に変わっていた。その上にGBEの印鑑を押された。それからぼくはずっと心の中に「慈しみ」という言葉がある。
気がついた時には妻(当時は婚約中)の芽衣子が接骨院での仕事から帰宅していた。白目をむいていたぼくを寝間着に替える他に、海苔とネギたっぷりの玉子雑炊を作っていてくれていた。
茶碗一杯だけ食べてから、謹慎のことを明かした。彼女は「あれま」と呟くだけだった。お茶漬けみたいにあっさりした性格なので、ぼくは拍子抜けしなかったし、謹慎中は夜間学校の臨時教師になるかもしれないと、確信があった訳でもないのに告げることができた。彼女は「へえ」と和やかでありがたかった。謹慎の理由を問い詰められていたら、ぼくは意気消沈して言えなかっただろう。
翌朝には、JSYから閻魔帳と、新学期の日時と場所の地図が書かれたプリントが入った封筒が「メグミ」宛てで届いていた。夢ではなかったのかと高給のことを頭の隅に置いた。半信半疑になりつつ、閻魔帳を開いてみると「メグミ班」の出席簿がついていて、七つの枠に六人の児童の「名前」が記されていた。
エイゴ
パジ山
ピュア
ビンテージ
ベベ
ワガヤ
ニックネーム、あるいは匿名? 頭をひねらせてももっともらしい理由は浮かばなかった。どうせあの世の方々の方針なのだろう、この世の人間には理解し難い理由でもあるのだろうと、夢の結婚式費用を目の前にして細かいことは気にしていられなかった。妙に気持ちが急いていた。この事実を知ったら、あの六人はなんて思うだろう。
そう、六人という数も気になった。おや少ないぞとも思ったけれど、普通に考えればそれは不謹慎だった。実際は何十人もの生徒を専門教師が受け持っていて、こぼれてしまった数を泣く泣く「初心者」のぼくたちに割り振って任せただけのこと。人手が足りないということは、それだけ子どもの命は落としているということ。閻魔帳を持たされたということは、その落ちた命を受け止めるということに他ならなかった。
ぼくは終電に乗り、GBEに指定されている小学校へと初出勤した。残業終わりらしきサラリーマンとかが乗り降りして、やがてぼく一人になった。急に怖くなって、イヤホンを片耳につけて音楽を聞いた。
当然ながら町中は無人。校門だって閉鎖されていて、電気もついていなかった。閻魔帳はいたずらに過ぎなかったのではと怪しみつつ、同封されていた職員カードを首にかけ、誰がいるかも不明なまま「名前」を名乗った。
松方さんが顔を覗かせ、校門を開けた。松方さんはJSYの試験に合格した特別警備員だった。昼間は住職を務め、ごつい顔つきで声も渋いけれどとても優しい目をしたおじさんだ。この人はMGSを安全に運営するに当たって重要な方だった。
校舎に入ろうかという時、寒気がした。うへへ、と二宮金次郎像の影で丸まって潜んでいた女の子に笑いかけられた。ぼくは仰天した。
これが幽霊児童との初めての出会いだ。メグミ班の一人「ベベ」ちゃんは、どんな先生がやってくるのか興味津津に待っていた。どぎまぎしながら挨拶すると、ベベちゃんは「うへへ、うへへ」と無邪気に、歓迎しているのか、それともからかっているのか、周りを飛び跳ね、下腹のぜい肉を掴んだ。こら、と注意しても、彼女はケタケタと笑い続けた。
点灯されていない夜の校舎に薄気味悪さを感じたけれど、ベベちゃんがずっと「うひひぴん。うぴょぴぴょん」と、スキャットよろしく歌ってスキップしていたおかげで和らいだ。足音はなかったし、月光による影もなかったけれども。髪のキューティクルといった照りもなかった。その代わりに、別の光源が彼女に陰影や照りを作って立体感を出していた。声も壁一枚越しあるいは糸電話のようで、直接声がこちらまで届いているようには聞こえなかった。
どういうことかというと、この場にはいるがこの世界にはいない。正真正銘の幽霊だということだ。
校長室を見つけた時にはあの子は姿をくらましていた。入室すると、校長がこれで全員だとレーウンさんに告げた。レーウンさんはMGS認定の学校を管理なさっていて、言わば全MGSの会長のような立場。この時は臨時教師が全員出勤したか確認のために各地顔出ししている最中だった。実際は、職員カードに出勤したかどうかわかる機能がついていたらしく、本当にただの顔出しだった。校長の方は校舎を貸し出すのにいて、契約中に見たのはこれが最初で最後。次に見たのは数年後で、N小の卒業式の来賓席にいた。
職員室には懐中電灯をお揃いに持つ臨時教師が集合していて、ぼくが入室するなりGBE職員が改めて説明を始めた。
点灯消灯の必要はないこと。
ぼくらが受け持つのは来年卒業を控えた六年生であること。
児童六人ずつ割り振り、それを教師二人一組で各班を受け持つよう決められていること。
ぼくらの使命は、無事に卒業式を迎えること。
なんだ、当たり前のことを。ところがこれが難題だった。授業は自由にしてもよいとされ、かえって悩むこととなった。
児童とは「名前」で呼び合い、生前の詮索は極力控えるよう忠告された。あくまでぼくらが教育指導するのはこれから目の当たりする幽霊児童であり、現在の彼、彼女たちだからと。
副担任の「コトブキ」先生と共に、メグミ班の教室に入ると息を呑んだ。くっつけられた二つ分の席が各自のスペースで、ぼくからみて左の机に花瓶が置かれていた。各自違う花束が六つ、生けられていた。これらの花は子どもたちの心情と人格、そして亡くなった月を表していた。
本格的に全身が粟立った。ぼくは平常を装って教壇に立ち、黒板に「名前」を書き、自己紹介をした。
「ぼくはメグミと言います。新学期、いっしょにがんばっていきましょう」
蛍光灯がまたたいた。少年のはきはきとした「起立」の一声で青白く点灯した。六つの椅子が一斉に下がった。
「礼、可視化」で、六つの頭頂部が前を向いていた。花の精が花瓶から顔を出したかのような、不思議な瞬間だった。唾を飲み込むことも忘れていた。
「よろしくおねがいします。メグミ先生」
と、ぼくから見て前列右の少年、班長の「エイゴ」くんはにこりと微笑んだ。ベベちゃんは後列左でにこにこと頭を左右に振っていた。前列中央の「ビンテージ」くんはフードを目深にかぶっていたので表情は見えず、エイゴくんの後ろの「ワガヤ」くんは腕を組んでにらみ、その隣の「パジ山」くんは不安げに、ビンテージくんの左隣の「ピュア」ちゃんは不満げに俯いていた。
エイゴくん。ビンテージくん。ピュアちゃん。
ワガヤくん。パジ山くん。ベベちゃん。
この子たちがぼくとコトブキ先生の生徒たちだ。これがなかなかドーワくん以上にひどい悩みの種となって、ぼくを苦しめることとなった。子どもの幽霊ほど繊細で、心のケアが難しいものはない。MGS臨時教師は生半可な気持ちではやれなかった。
始業式は通常通りに体育館で行われた。電気は青く光り、時として輝きを揺らめかせるので、正体は人魂じゃないかと思わせたけれど真相はわからない。
全四十二名、七つの班の子どもたちよりも最後尾に立ったぼくら十四名の担任たちの方が緊張していて、レーウンさんはマイクの前で失笑しつつそれを指摘なされた。