山奥の村のお侍様
「ひだまり童話館」の第3回企画「のんびりな話」の参加作品です。
昔々、ある山奥の村に春山太兵衛というお侍様がおりました。
このお侍様は、この村に最初から住んでいたわけではありません。実は、だいぶ前に村の端で行き倒れていたのです。
お侍様は、村の誰よりも大きく、がっしりとしたお方でした。まだ若く熊のような大男に、村人達はとても驚きましたが、村外れの空き家を借りて静かに暮らすお侍様を見て安心したようです。
そのうち、お侍様は村人達と田畑に出るようになりました。ですから、すぐに村の子供達もお侍様に懐き、一緒に遊ぶようになりました。
「お~い、太兵衛さん! 昼飯だよ~」
「おお、お冬さん、ありがとう」
今日も畑仕事を手伝っていたお侍様は、村娘に呼びかけられて振り向きます。
この、お冬という娘は、村長の一人娘です。年の頃はまだ十五、六、お侍様よりは十ほども年下でしょうか。村娘らしく日に焼けてはおりますが、なかなか美しい娘です。
「お冬ちゃんは、太兵衛さんにベッタリだねぇ」
お侍様と一緒に働いていた若い村人が、お冬に向かって冷やかしの声をかけました。それに周りの村人達も同じように笑っています。
「な、何を!」
お冬は頬をリンゴのように赤く染めています。
「意地悪を言うものではないよ」
畑からのっそりと上がってきて、お冬の手から包みを取ったお侍様は、大きな手で結び目を解くと、ヒノキの薄板で出来た弁当箱を開けてニッコリと微笑みました。
「美味しいな……さあ、皆も食べよう。お冬さんも、お昼はまだだろう?」
畑の横に座ったお侍様は、ゆっくりと食べた後、再びお冬に笑いかけます。
「太兵衛さん……さあ、皆も早く食べて!」
ますます頬を染めたお冬は、お侍様の横に座ると自分も弁当箱を手に取りました。そんな様子を、村人達は穏やかな笑いを浮かべながら見つめています。
◆ ◆
そんな長閑な暮らしをしていたお侍様は、ある時、川に釣りに出かけました。
幅の広い川には、欄干の無い素朴な橋があります。そして、その縁に胡坐をかいて座り込んだお侍様は、静かに釣り糸を垂れました。
穏やかな日差しの中、いくら待っても竿はピクリとも動きませんが、お侍様は全く気にならないようです。気持ちの良い風が吹いているので、釣れなくても良いのかもしれません。
「む?」
暖かい日差しのせいか目を細めていたお侍様は、急に真顔になりました。ゴゴゴッ、という物凄い地鳴りと共に、橋が揺れたのです。
お侍様は川岸へと戻ろうとしましたが、あっという間に橋が崩れて川の上に落ちてしまいました。
ですが、お侍様が乗っていた辺りは元のままだったので、川の中に放り出されることはありません。とはいえ上流から鉄砲水が押し寄せたため、橋の残骸はグングンと速度を上げていきます。
「こうなっては仕方がない」
お侍様は、そう呟くと残骸の上にゴロンと横になりました。何とも悠然とした様子ですが、周りには材木が凄い勢いで流れていますし川は泥で中が見えません。ですから泳いで渡るのは、無理なようです。
◆ ◆
横になったせいか、お侍様はそのまま眠ってしまいました。
そして、目が覚めたお侍様が辺りを見渡すと、残骸は川岸へと着いていました。そこで、お侍様は岸へと上がると、上流に向かってゆっくりと歩き始めました。
だいぶ流されたのか、そこはお侍様も知らない土地でした。近くの村で尋ねると山奥の村と同じ領地のようですが、地震は無かったと言うので、とても遠くに来たようです。
そして、その日は村で世話になったお侍様は、翌日、山奥の村を目指して再び歩き始めます。
その日の昼頃、お侍様は、とある町へと着きました。お侍様は、お腹が空いていたので、どこかでお金を稼ごうと考えました。実は、お侍様が僅かに持っていたお金は泊まった村に置いてきました。ですから、今は無一文なのです。
幸い、お侍様は一刀流の免許皆伝の腕前です。そこで、どこかで剣術指南でもしようと思ったお侍様は、町道場を探しに行きました。
「すまぬが、剣術指南をさせてもらえぬか? 故郷に帰る途中だが、同じ流派のよしみで何とか……」
「おお、ちょうど良い! さあどうぞ!」
突然来たのだから簡単には受け入れないと思ったお侍様でしたが、意外にも門人達は喜びの表情で出迎えました。なんと、この道場には他流の武芸者達が上がり込んでいたのです。そう、道場破りです。
「お前が次の相手か!」
なんと、道場の中央で待っていたのは、お侍様よりも背の高い男でした。モジャモジャのヒゲにギョロリとした目は、まるで鬼のようです。しかも、周りにいる男達も負けず劣らずの形相でした。
「いかにも。面倒だから一度に来い」
「なんだと、俺達全員を相手するというのか!」
木刀を借りたお侍様の言葉に、武芸者達は真っ赤になって怒り襲いかかります。
しかし、お侍様は焦ることもなく、武芸者達を叩きのめしていきます。おっとりとした様子のお侍様でしたが、実はとても強かったのです。
鬼のような武芸者達の木刀は、お侍様に掠りもしません。反対に、お侍様の木刀は面白いようにポカリ、ポカリと当たっていきます。
いくらもしないうちに、全員を倒したお侍様は、門人達に向かって言いました。
「すまぬが、腹が減っているのだ。何か食べさせてくれないか?」
そんなお侍様の言葉に唖然としていた道場主や門人達ですが、次の瞬間には大喜びし、沢山の食べ物やお礼の品を運んできました。
◆ ◆
次の日、お侍様は引き止める道場主達を後にして、再び山奥の村を目指しました。しかし、今日も村には着きません。そこで、夕方に着いた町で宿を取ることにしました。
前日、沢山お礼を貰ったので、今日は立派な宿屋に泊ります。とはいえ、村まではまだ遠いようなので、お侍様は、一番安い小さな部屋を選びました。
「む……」
その夜中、お侍様は突然目を覚ましました。そして、刀を持って廊下へと出ます。
「そこで何をやっているのかね?」
「ちっ、見つかっちまったか!」
廊下の先にお侍様が見たのは、盗賊達でした。覆面姿の彼らは、一斉にお侍様へと襲い掛かってきます。
「また面倒なことに……主、盗賊だぞ!」
お侍様は、そう叫ぶと彼らを峰打ちで倒していきます。大勢の道場破りすら相手にしなかったお侍様ですから、あっという間に盗賊達を打ち倒します。
「こ、これは……お侍様、ありがとうございます!」
宿の主やその家族、奉公人達が来たとき、廊下や庭には大勢の盗賊が倒れ、その真ん中にお侍様が立っているだけでした。
「主よ。後は任せたぞ。まだ眠いのでな……」
全員に縄をかけ終ったので、お侍様は一つアクビをして部屋へと戻って行きます。そんな様子を主達は呆然として見送っていました。
◆ ◆
宿の主達は、やはりお侍様を引き止めました。ですが、お侍様は山奥の村へと旅立ちます。相変わらずゆっくりと歩くお侍様ですが、宿で残りどのくらいか聞いたので、明るい顔をしています。
もう少し進めば、この領地の城下町に出て、そこから二三日で村のようです。そして、城下町に着いたお侍様は、そこで一泊することにしました。
「もし、少し尋ねたいのだか……」
騒がしい城下町に首を傾げたお侍様は、側にいた町人に語りかけました。
「ああ、こっちだよ!」
町人は、お侍様が何も言わないうちに大きな屋敷へと案内しました。宿屋にしては随分立派な建物です。
お侍様は、城下町には大きな宿もあるものだと思いながら、中に入っていきました。宿屋でもお礼を貰っていたので、宿賃には不自由していなかったのです。
「それでは、お名前と流派をお聞かせください」
奉公人の言葉に、少々疑問を抱きながらも、お侍様は素直に答えました。その日はかなり歩いたこともあって、早く休みたかったからです。
「これは……」
翌日、お侍様はお城にいました。実は、案内されたのは武芸大会に出る者が泊まる場所だったのです。御前試合に出たい武芸者が沢山集まっていたので、町人も勘違いしたようです。
茫然としていたお侍様ですが、今さら試合に出ないわけにはいきません。お侍様は、家臣達の指示に従って、予選試合へと向かいました。
「決勝戦!
東、当藩剣術指南役、直心影流、伊藤宗矩殿!
西、一刀流、春山太兵衛殿!」
なんと、お侍様は決勝まで進んでしまいました。
早く村に帰りたいお侍様ですが、やはり武士ですから、わざと負けるわけにはいきません。その結果、お殿様がご覧になる本選まで勝ち進んでしまったのです。こうなると、下手に手抜きをすることも出来ません。
「いざ!」
「おう!」
剣術指南役の鋭い声に、お侍様も負けないくらいの気合で応えます。
二人は同じくらいの背格好ですが、僅かにお侍様の方が大きいようです。とはいえ、剣術指南役の方も、胸板は厚く袖から出た腕は引き締まり、長年の鍛錬を思わせる油断のない構えです。
暖かな日差しの中、そこだけがヒンヤリとしているような試合の場は、剣術指南役が上段から振り下ろすと、一瞬にして様子が変わりました。
スルスルと近づいてきた剣術指南役は、鉄をも断ち切る勢いで木刀を振り下ろしました。しかし、お侍様は頭上で逆らわずに流し、逆に剣術指南役の腕に一撃を入れたのです。
「勝負あり!」
呆気ない結末に周りがどよめく中、お侍様は静かに一礼をしました。
◆ ◆
ついに、お侍様は村に帰ってきました。ですが、周りの様子が変です。
「太兵衛さん……」
村長の娘、お冬は悲しそうな顔をしています。実は、お侍様には、町の道場主、宿屋の主、そしてお殿様の使いが訪れていたからです。
「春山殿、あなたは剣術指南役の伊藤殿を倒したのです。ぜひ我が藩に仕官を」
お城から来た使いは、お殿様に仕えるようにとお侍様に言いました。そして、それを見ている者達は、皆複雑な表情をしています。道場主は跡継ぎに、宿屋の主は用心棒にでもと思っていたようですが、流石にお殿様の使いの前では、それは言い出せません。
「もったいないお申し出ですが、私はこの村で暮らしたいのです。
この村の人達は修行の途中で倒れた私を、温かく受け入れてくれました。その恩は、まだ返し終わっていません」
お侍様の言葉を聞いたお冬は、その表情を輝かせました。反対に、お城から来た使いや道場主、宿屋の主は残念そうな顔をしています。
「城でもそのように仰せでしたな……では、殿からのお言葉を伝えます。
『春山太兵衛、そなたに宣以の名を授け、村の代官に任ずる。時折は城に来て剣術指南をしてくれ。それなら良いだろう?』……これが、殿のお言葉です」
『宣』の一字は、お殿様の名前から取ったものです。流石に、これは断るわけにいきません。
「謹んでお受けいたします」
お侍様は、お殿様の気の利いた御言葉にほんの少し笑いを浮かべました。そして、使いの方に平伏して答えます。
「春山殿、我らもここに来て修行します! お邪魔にならないようにしますので、どうか!」
「わ、私の所も門人の方で良いので、お願いします!」
お殿様の所ならともかく、村に来ればお侍様とも会えるので、道場主と宿屋の主は大喜びです。
「村まで来ていただけるのなら、私に否やはありません」
もちろん、お侍様が拒むことはありません。そして、お侍様の言葉を聞いた聞いた一同は、皆一様に顔を輝かせました。
◆ ◆
春山太兵衛宣以となったお侍様は、しばらくするとお冬を妻としました。そしてお侍様は、約束通り時々お城に行ってお殿様や若様に剣術の指南をしました。
お侍様やお冬は、その後も山奥の村で幸せに暮らしました。村には、お侍様を慕う多くの門人が集い、いつしか剣術の名所となりました。
けれども、お侍様は、相変わらず田畑の仕事も手伝いました。そんな姿に、門人達は最初は驚きましたが、お侍様やお冬の楽しそうな姿を見て、お侍様と一緒に働くようになりました。
時折お侍様に、お城で勤めればもっと良い暮らしが出来るのに、と訊く人がいました。そんな時、お侍様は必ずこう答えました。
「私はこの村で暮らしたいのだよ。それに、お城では、こんなに自由にできないからね」
そう答えるお侍様の顔は、とても幸せそうで、尋ねた人も思わずニッコリと微笑んだということです。
お し ま い
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