紅の記憶
西暦二〇五〇年、八月。
「俺を斬れッ! 雷刃!!」
少年は剣の師であり、親友でもある男を斬り殺した。
肌を灼く高熱、目に焼きつく炎の色。眼下には絶命した親友が仰臥しており、鈍色の刀身にはべっとりと紅の血液が付着している。
親友だった男の死体から夥しい量の血が溢れ、赤黒い血液がダークグレーの床を蚕食していく。親友の愛剣は主人を失い、亡骸の傍らで重く沈黙している。
少年は声の限りに絶叫しながら両脚を折り、崩れるように床に伏臥した。右手に握り締められたままの刀がかたかたと震える。左腕はあらぬ方向に折れ曲がり、右脚は完全に折れていた。口腔から血が溢れ、その味すら意識することなく少年は傷だらけの体を転がして、仰臥した。
喉を灼くほどの叫びを吹き抜けの天井に投げかける。痛覚神経の遮断すらできず全身が激痛に苛まれる。辺りは火の海、紅蓮の火焔が少年を取り囲み退路を塞ぐ。
数多の火の粉が少年を炙り、苛烈な炎が酸素を奪う。室内の酸素濃度が加速度的に低下し、少年はもう指の一本も意識して動かすことができなかった。
脱出は不可能。出血も酷く、全身の火傷はとうに許容量を越えている。少年の体から徐々に体温が失せていき、もう半刻と持つまい。薄れゆく意識の中、少年はもう自分が長くないことを直感的に理解していた。
「――くそ」
遠い天井が滲む。少年の漆黒の瞳から滂沱と涙が溢れ出す。胸中に様々な感情が渦巻き、その捌け口が見つからない。霞む視界を激情のままに睨め付けることしかできない。
「くそ、くそ……くそ……っ!」
仲間は皆死に、葛藤の末に親友を斬り殺した。敵はいつの間にか消えていた。
その時。
「……少年」
薄れゆく視界の端、影をひとつ認めた。燃える室内に立ち少年を見下ろすそいつは、逆光を背負って影の塊のようになっている。
仲間は皆死んだ。ならばこいつは――敵だ。
瞬間的にそう判断した少年は、すでに瀕死の身をわずかに震わせ瞳にばかり強烈な敵意を燃やした。今の自分は戦闘はおろか立ち上がることさえ叶わない。
「……良き眼をしている。しかしそれは愚行だ。死を早まるだけだ」
芯の通ったその声は絹のような滑らかな響きであった。血が入って見えなくなった左目も歪ませてその影を凝視する。黒衣を押し上げるふたつの膨らみを認め、女であると推測する。
「生きたいか、少年」
厳然たる声音が降り注ぎ、よく見えない表情から鋭い眼差しが注がれた。死にゆく少年の前にして、女はそれだけを問うた。はっきりとした毅然な声に、少年の茫漠とした意識が焦点を取り戻す。
「生きて戦い、貴様とその仲間を傷つけた敵を倒したいか」
その声に応答しようとするが、少年には頷く力すら残っておらず、代わりに双眸に燃えんばかりの激烈な敵意を宿らせた。
意思力があらん限りに込められたその両目から放たれる視線を、女は泰然と受け止め首肯した。
「その意義や良し。……貴様は人間と機械の狭間にいる。だが、これからは機械と兵器の狭間にい居続けなければならない。その覚悟はあるか」
確認の意を滲ませたその声に、少年は焼き付く喉を懸命に震わせ掠れた声を絞り出した。
「……ああ。いいぜ……。あいつを殺せるなら、人間やめてやるよ……ッ!」
《怒りとは酸である。注ぐ相手より、蓄える器をより侵す》、マーク・トゥエイン。