悠久の時の中、その想いは色褪せない
永遠の迷路に閉じ込められた少女。運命と言うものは残酷だ、切ないほどに。
終焉の刻、終暦一二〇〇〇年。終わりの始まりから永劫にも近い時が経過していた。
『彼女』は鏡のように煌めく水面の上、木製の揺り椅子に腰を落ち着かせて胎児のように膝を抱えている。
ほろほろと降って来るような陽の光を浴び、初夏の澄んだ涼やかな微風に純白のワンピースの裾を揺らしつつ、額を両膝に当てて静かに瞼を閉じていた。
無音に近い長閑な世界に『彼女』の静かな吐息のみが小さく響く。
「――私を産み落とした彼方よ」
少女小さな唇から独り言ように呟き、ささやかな吐息を洩らす。
「どうか教えてくださいませ」
かすかな吐息、否。
水面を静かに凪ぐ風に踊るそれは、哀愁を滲ませた詩だった。
なぜ 人は戦うのでしょうか
なぜ 人は争うのでしょうか
なぜ 人は傷つけあうのでしょうか
なぜ 人は許しあうことができないのでしょうか
狂える剣獣 その刃に乗せるのは憎悪か敵意か闘志か
その鋭利な刃は誰を斬り裂くのか
その冷徹で鋭い眼光は誰に向けられるのか
その意思を果たした時 貴方は何を望むのか
あの暗闇に 貴方は孤独
この水面に 貴女は孤独
妨げられようと 阻まれようと 叶えられずとも
――わたしはあなたを愛みます
目が痛くなるほど鮮やかな空、無限の蒼穹に溶けたその少女の奏に応える者はいない。彼女は主人からとうに見放されていた。愚かで憐れな『色欲』はこの青空の境界で悠久にも等しい時間を過ごしてきた。
遙か彼方まで果てしなく真っ平な水平線が続き、どれだけ目を凝らしても地上は見通せない。湖はどこまでも青く、磨きたてた青銅の鏡の色をしている。湖は空の色を映して沈み、鏡のように眩しく目を射る穏やかな水面はさざ波ひとつないほど静かだ。
抜けるように青く澄み切った透明な大空に、真白い綿菓子のような雲がいくつも湖面の上に泛んでいる。
少女はわずかに瞼を揺らし、その形の良い唇から湿った吐息を零す。
悲しげな旋律は、水晶のように澄んで繊細で綺麗な歌だった。しかしその唄は誰にも届かない。
少女が敬愛して親愛する六人の家族も、皆が少女のことを諦めていた。きっと彼女たちと主人にしてみれば、少女の行いは憐憫すら覚えるほどの愚行なのかもしれない。
幾度と無く『任務』の放棄を促された。命じた主人ですら少女の行動を制しようとした、他の六人も同じように少女を止めようとした。
だが少女は止まらなかった。止められなかった。茨の道への歩みを止めること、立ち止まることは少女にとって諦めることと同義だ。一抹の希望を求める少女が停止することはない。
閉じられた瞼がゆっくり、ゆっくりと持ち上がる。長い銀色の睫毛は切なげに揺れ、しなやかと言うには細すぎる剥き出し両脚を静かに崩して真っ平で空の色を映しているように真っ青な湖面に脚先を触れさせる。
小さな波紋で水面に砕けた太陽がちかちかと震え、澄んだ湖面は陽の光をはね返して鱗のように輝き光る。
清らかな水はタンパク質、リン酸塩なども含有する弱いアルカリ性の液体である。生物のいない少女だけの世界、たった一人の湖。青と白の世界は時の経過を感じさせず、ささやかな風鳴りだけが響く。
両脚の五指で水の冷たさを感じ取りながら少女は歌うような、囁くような、甘い響きを持つかすかな声で空気を震わす。
「……あなたと別れてから今日で一年。一万と二千年の前では三六五日など霞むほどの短さでしょうが、私にとっては久遠にも等しい時間……。ようやく逢えますね……この時をずっと待っていました」
陽の光をはね散らす長い銀髪を宙に靡かせ、少女はそっと両の掌を持ち上げ重ね合わせ、自分の胸に当てた。白いワンピース越しに安らかで穏やかな鼓動がかすかに伝わってくる。
溢れんばかりの情愛を胸に抱く少女は、ビードロをこすり合わせたような透き通った響きで世界を震わす。煌めく双眸に決意を宿らせ、今から会いに行く想い人に語りかける。
「私があなたを守るから……。だから……あなたは私を守らないで」
清冽な美声に仄かな悲哀を滲ませて、少女の意識は遙か過去へと飛翔していった――――。