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幻代群像 -MystArk-  作者: 水沫ゆらぎ
盗っ人クエスト!
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第三話

 その教会にイチローが辿り着いたのは、もうすっかり日も落ちた刻限だった。

 街区間公道から二番街へと乗り入れ、配送ナビゲータに指示されるまま配達をこなし、気づけば背負い袋の中身もあらかた片づいていた。

 あたりに並ぶ個人商店も軒並みシャッターを閉めていて、通りを往く人々の姿もぽつぽつとしか見られない。そんなアーケードを抜けた先にぽつんと鎮座している教会も、やはり本日のお勤めは終了というわけか扉が閉まっている。

 イチローは背負い袋を漁り、なかから目当ての本を取り出した。

 表紙に魔法少女のアニメイラストが描かれた『Wish & Tarot』という占い情報誌である。

 ナビに表示されたタイトルと、手に持っている小冊子のそれに違いがないことを確認。

「神父さんでもこんなん読むんだな」

 教会などという場所とはとんと縁のないイチローであるから、さしたる興味も湧かない。

 この本を放り込んで今日の仕事は終いとばかりに新聞受けを探してうろつき回っていると、そこに誰かが囁きかけてきた。

 ――遊び心が足りねえなァ、兄ちゃん。

「ん?」


 背後を振り返るも、そこには何者の姿もなく。

「……空耳か?」

 眉を潜めて周囲を見回しても、人っ子ひとり見当たらない。イチローは憮然とその場に立ち尽くした。

 そのうち誰かの囁く声を聞いたという認識さえあやふやになってしまったが、それでも呟きの内容に、イチローは強く心を掻き乱されるものを感じた。

 遊び心。なるほど、どこのどなたか知らんが仰るとおり。「何か起これ俺の人生」と唱えるなら、その『何か』が起こり易い状況を整えてやるぐらいの心意気は必要なのだろう。成果ばかり期待してリスクは背負いませんってんじゃ、チャンスの神様だって呆れてどこかに行ってしまう。

 イチローはしばらく黙考すると、新聞受けに放り込みかけていた占い情報誌を袋に戻して、少し教会から離れた。

 目当てのものを探して屋根に視線を走らせていると、それは教会本堂ではなく離れのこじんまりとした建物のほうについていた。イチローは口元を緩めてそちらへと歩いていく。

 それは奇妙な建物だった。おそらくは神父や教会職員たちの宿舎なのだろうが、入口がどこにも見当たらないのだ。明かり取りの窓さえなく、四角四面の黒牢を思わせる。教会本堂から続いているため、本堂を経由すればもちろんなかには入れるのだろうが、それでも随分と不便そうな造りもあったものではないか。


 あたりに人の気配がないことを再確認。

 ――さて、ゲームスタートだ。

 イチローは独りごちると、垣根の上に身を投じ、煙突目指して登攀を開始した。

 荷物袋を背負った見習いサンタが、屋根の端に手をかけて懸垂に勤しむというシュールな図。だが、これこそサンタクロース業界のフォーマルスタンダード。古今、インターホンを押して「プレゼントのお届けにあがりました! へい!」などとのたまったサンタクロースはいない。住居への侵入は、正々堂々屋根の煙突から忍び込むのが作法である。

 服の内側から財布を掠め取るのはお手の物でも、こうした肉体労働に関しては人並みの体力しか持ち合わせていないイチローだから、屋根の上に身体を引っ張り挙げた頃にはぜえぜえ肩で息をする始末だった。

 世のサンタクロースのおっさんどもは、あんな煙突にも突っかかりそうな肥満体でよくこんな重労働をこなせるものだ……吹き出る汗を拭いながら真面目に感心したが、よくよく考えてお供のトナカイがソリを引いて空から進入するわけで何の苦労もしていない。まさかこんなところにまで、年功序列の波が押し寄せていようとは。イチローはサンタクロース業界の腐敗を嘆いた。


 ともかくも煙突まで這い寄って内部を覗くと、まるで冥府への入口のように仄暗い闇が顔を覗かせていた。

 底がどうなっているのか見えないが、少なくとも侵入者防止用の網が張ってあったり焚き木が燃え盛ったりはしていないようだ。煙突も、手を伸ばすまでもなく両端につっかえる程度の幅しかなく、どうにか壁を伝って降りていけそうだとイチローは結論を下した。

 ぐい、と足を踏み出して煙突へと潜り込む。

 ――思ったよりも、狭い。

 荷物袋を前に抱え直し、背中を壁に押しつけてずりずりと煙突内部を下っていく。

 逆登攀作業は予想していたよりも遙かにキツかった。人工的な構造物であるため、完全に垂直で、おまけに凹凸がまるでないのだ。せめて姿勢だけでも変えられればと思うのだが、両手が使えないせいでそれもままならない。結果、延々と腰への負担が蓄積され続ける。

(くそったれ、書店バイト暦三年目を舐めるなよ……!!)

 歯を食いしばって滲むような痛みに耐える。

 ひとつ気を抜けば底まで真っ逆さま――まさか死ぬことはないだろうが、それでも煙突から転げ落ちて重症・入院というオチは避けたい。少なくとも、そんな間抜けなサンタクロースをイチローは知らない。


 一歩。また一歩。煙突から繋がる階下へと降りるため、イチローは全体重を片足に預けて、自由になったもう片方の――

 ――伸ばした足が空を切った。

 悲鳴をあげる間もあらばこそ、バランスを崩したイチローは、煙突内で腰を支点に半回転。当然、崩れた体勢のまま自重を支えきれるはずもなく……イチローはなすすべなく墜落した。盛大な音ともに塵が舞いあがり、積み上げられていた焚き木に、全力で突っ込んでしまう。

「あいたたたたた……」

 イチローは悪態をつきながら身を起こし、あたりに散乱した焚き木に額を押さえた。

 焚き木がクッションになったのか、軽い打ち身の他は大した怪我もなかったが、それでもこれは想定外の大惨事。とっとと元に戻して、郵便物を置いて撤収しないとまずい。イチローは、転げ落ちた部屋の内装へと視線を向けて……そこで初めて、ベッドの上で眠たげに目を擦っている少女に気がついた。

 ばっちり目が合ってしまう。

 まるで時間が止まったかのように、イチローは少女と見つめ合ったまま停止した。

 本当にいまさらながらではあるが……イチローの脳裏に『両脇を都市警察に固められて留置場にご招待』という未来予想図がくっきりと浮かんだ。




 微動だにできずに数秒ほど見つめ合っていると、状況に理解が追いついたらしいパジャマ姿の少女が目を丸くしてこう呟いた。

「わわ、びっくりっ」

「……お、お邪魔してます……」

 イチローの脳は人生最大の臨界稼動を開始した。

 落ち着け、俺。冷静になるんだ。この程度のイレギュラーなんてどこにでも転がっている。イチローは自身の仕事の数少ない失敗例を思い出した。風精翼艇のなかで、スった財布についていた鍵束を鳴らして青くなったこと。あれは確かに大失敗だったが、結局は車体が軋む音に紛れてくれて助かった。今回だって似たようなものだ。見つかったのは間違いなくミスだが、それだけで全部が決まってしまうほどの致命傷じゃない。相手はまだ一○歳にも満たないような小娘一匹……どうとでもなる!!

「えっと……お兄ちゃん、泥棒さん?」

(おぎゃあああああああああああっ!!)

 核心を突かれて心のなかで悲鳴をあげるが、かろうじて外に漏らすのだけは堪える。

 ……オーケイ、なかなかやるなお嬢ちゃん。実に的を射た指摘だ。知らない人の家に勝手に入ってくるのは泥棒さんだもんな? でもなお嬢ちゃん、世のなかには知らない人の家に勝手に入って回る職業ってのが、もうひとつ存在するのさ!


「ちっち、お兄さんはサンタさんだ。ほら、お嬢ちゃんにプレゼントを持ってきたんだよ」

 イチローはその場で姿勢を正すと、脂汗たらたらの営業スマイルを浮かべた。

 必要なのは演技力、与えられた役割を忠実に演じる力――思い込みの力だ。孤児だった俺は、生まれたときからトナカイのポールと一緒に過ごしてきた。サンタクロースの爺ちゃんの隣で、次の家に配達するプレゼントの仕分けを行い、一仕事終えればポールを洗ってやって、房の掃除に干草のワラの入れ替えと働き詰め。そんな生活を十数年続けて、ついに今年デビューした生粋の新人サンタクロースだ!

 イチローは、自分の人生をこれ以上ない真剣さで捏造し始めた。なにせ……NGを出したらそこで両手に手錠が回ってしまう!

 イチローの涙ぐましい努力の甲斐もあってか、少女は目を輝かせて手を打ち合わせた。

「すごーい、サンタさんってホントにいたのね! でも、サンタさんなのにお爺ちゃんじゃないの?」

「今年の冬から配属された新人でね。まだ、相棒になるトナカイも決まってないのさ」

 少女は物珍しげにイチローを眺めていたが、やおら「あっ」と声をあげてお辞儀した。

「わたし、キリエ・クロフォードです。お兄ちゃんは?」


「俺は……っと、企業秘密だ。サンタのお兄さんで結構」

「キギョーヒミツ?」

「最近はサンタ業界も色々うるさくて、本名がバレると規則違反で失業してしまうのだ」

 手がかりを残すのもまずいと思い、口からでまかせを並べてみたが、キリエは素直に感心したようだった。イチローは、荷物袋から件のお届け物を取り出して手渡した。

「あー、新しい号の Wish & Tarot! お兄ちゃん、ありがとっ」

「どういたしまして」

 どうにか調子良く丸め込めてホッと一息。

 さて、長居は無用である。「それじゃ俺はこれで!」とばかりに、降ってきた煙突の検分を始めると、キリエにくいっと服の裾を引っ張られた。

「もう帰っちゃうの?」

 寂しそうな瞳に見つめられて、思いがけずイチローはうろたえてしまう。

「サンタクロースは、〆切り前に職場に戻ってタイムカード押さないと、魔法が解けてクビにされちまうんだよっ」

 ここで情を見せた結果、少女の保護者に捕まりましたでは洒落にならない。イチローは頼むから聞き分けてくれよと少女を諭すが、しかし見る見る内にキリエの瞳に涙が溜まり始める。


 ――ダメだこれは。

 イチローは絶望的な気持ちで呻いた。泣く子と地頭には勝てないのが世の摂理。そしてサンタクロースは、いつだってちびっこたちの味方なのだ!

「ちょっとだけだからな!」

 サンタクロースの帽子の上から頭を抱えて叫ぶと、途端に少女は華やかな笑顔を見せた。

「えへへ、嬉しいな。何して遊ぶ?」

「あんまり時間のかからんやつ」

「はーい」

 キリエは少し黙考した後、折りたたみ式のパイプ椅子を部屋の隅から引っ張ってきて、サイドテーブルの前に相向かいになるよう並べた。そしてどこから取り出したのか、黒無地の布をテーブルに敷くと、イチローに向かいの席を勧めて Wish & Tarot の袋を破き始めた。

「……何が始まるんだ……?」

「せっかく Wish & Tarot 持ってきてくれたから、お礼にお兄ちゃんのこと、占ってあげよっかなって。何か占って欲しいことある?」

 何やら妙な話になってきたぞとイチローは眉をひそめるも、にこにこしながら答えを待っているキリエの手前、無下に断るのも気が引けた。


「あー……それじゃ来週の運勢でも頼むわ」

「そーいう漠然としたのじゃ難しいよう」

 キリエは唇を尖らせて、

「たとえばぁ……『素敵な恋人が見つかりますか?』とか『片思いのサトウさんに告白したら上手くいきますか?』とか、そういうのないの?」

「ないなあ」

「むぅ……お兄ちゃん、人生に潤いがないわ」

「……放っといてくれ……」

 いたたまれなくなって天井を仰ぐと、そこでまるで天啓に打たれたように、ある考えがイチローの頭に浮かんだ。

「ああ、それなら何か『面白いこと』でもないか占ってくれよ」

「面白いこと?」

「うむ。『このところ人生が干乾び気味なので、一発逆転ホームラン希望』って感じだな」

「一発逆転ホームラン? うーん、大丈夫かなあ……」

 小首を傾げながらも、キリエは小冊子についていた無数のタロットカードを取り出して布の上に広げた。そしてすべてを裏にしたまま、両手で掻き混ぜるようにしてシャッフルし始めたのだが、そのときキリエの左手薬指に嵌められたリングがイチローの前に露わになった。


 それはまるで、血の滴がそのまま固められたような……

「お兄ちゃんも一緒に混ぜて。ちゃんと願いごとを頭に浮かべながらよ」

「あ、ああ、随分と本格的なんだな」

「ちゃんとやらないとダメなんだから。この本の占い、すっごく当たるって評判なのよ?」

「そら楽しみなことで」

 ふたりでタロットカードを混ぜる音だけが室内に沈泥していく。

 無言でカードを混ぜるだけというのも退屈なもので、イチローの目は自然とキリエの指のリングに吸い寄せられてしまう。不吉な輝きを溢し続けるそれを見つめていると、キリエが手を動かしながら口を開いた。

「パパがね、この指輪を外せるようになるまでは、外に出ちゃダメだって言うの」

「なんだそりゃ? 外せないのか」

「うん、力任せにぎゅーってやっても全然ダメ。病気が治るまでは絶対に外れないんだって」

(その病気とやら、俺にゃ伝染らんだろうな?)

 イチローは心のなかでツッコミを入れたが、もちろんサンタクロース見習いとしてそんな野暮なことは聞けない。代わりにキリエの家族構成を確認することにした。


「お嬢ちゃんのパパって言うと……神父さん、だよな?」

「うん。わたしのパパ、すっごく強いのよ?」

 もしお兄ちゃんが泥棒さんだったら、ぼっこぼこのけちょんけちょんにされちゃうんだから、とキリエは嬉しそうにくすくす笑い声をあげる。

 この小娘、まさかわかっててからかっているんではあるまいな? イチローは思わず渋い顔になったが、しかし笑いが途絶えると、キリエは一転して寂しそうな顔を見せた。

「どうした?」

「パパ、すっごく強いんだけど……でもね、最近はいつも辛そうにしてるの。やっぱりわたしが病気になっちゃったからかなあ……」

 しょんぼりした口調で呟くキリエ。

 イチローは肯定も否定もせずに黙ったままカードを掻き混ぜていたが、やがて自嘲するように嘆息して言った。

「お嬢ちゃんとこの事情は知らないけどさ、大人になるとみんな大変なんだよ。下げたくもない奴に頭下げなきゃ生きていけないし、誰かに怒られても、ニコニコ笑ってなきゃいけない。世のなかってのはホントに辛いことばっかりだ」


 接客業は笑顔が大切、外で笑って内で泣くのさと付け足すと、キリエが不思議そうな顔でセッキャクギョー? とまた首をかしげた。

「わたし、大人になったら強くなれると思ってた」

「ンなこたない。年を取るほど弱くなって、泣きたいことばかり増えていくのさ」

 目を丸くして真剣に聞き入っているキリエ。イチローは「こういうのは俺の柄じゃないんだけどな」と苦笑して先を続けた。

「ここからは、行きつけのバーのマスターからの又聞きなんだが……そんな弱い大人が、どうして辛い人生を投げ出さないでいられるのかっていうと……それはひとえに守る者がいるからなんだと」

 そこで言葉を切ると、イチローはカードを掻き混ぜる手を止めて、キリエの額を人差し指でとんとんと叩いた。

「そんなわけだから、お嬢ちゃんは病気でも何でも、とりあえず楽しそうに笑ってるこったな。それが育ての恩に報いる子の勤めってやつだ」

 キリエはしばらくぼうっとした顔でイチローを見つめていたが、その表情がゆっくりと嬉しそうなものに変わっていった。


「お兄ちゃん、偉い学者さんみたい」

「ただのサンタクロース見習いでさ」

 ふたりで笑っていると、キリエが「もういいかな」と言ってタロットカードを混ぜる手を止めた。シャッフルを終えたカードをひとまとめにして、それらを綺麗に三等分に分けて、イチローの前に差し出してきた。

「お兄ちゃん、カードの山をどれかひとつ選んで」

 イチローは言われるまま右端のカードの山を指した。キリエに「どっちの端を上にする?」と問われたので、それも適当に指定すると、選ばれなかったカードの山がテーブルの脇へと除かれ、指定したカードの山から四枚のカードが、裏返しのままイチローの前に並べられた。

「お兄ちゃん、心の準備はいい?」

「おうよ」

 イチローが頷くと、キリエは胸の前で手を組み目を瞑って唱えた。

「それじゃいきまーす。The Star will bring you fortune ... ... Come forth!」

 するとキリエの祈りに呼び覚まされたかのように、並べられたカードがいきなり光を放ち始めた。


 光の洪水が飛び散る星の飛沫となってあたりに降り注ぎ、イチローは思わず仰け反った。

 どこからか「ぱんぱかぱーん!」というめでたい効果音がしたかと思うと、左端に配置されたカードがひとりでに翻った。カードに印刷されていた図柄は『愚者』。風呂敷袋を背負ったいたずらっ子なプーカが、イチローに向けてウインクひとつ……と、次の瞬間あんぐりと口を開けてしまう突拍子もない出来事が起きた。イラストがカードから飛び出してきたのだ。


《おにーさんの悩み、ボクよっくわかるなあ。一度しかない人生だもの、細く長くでウジウジするより、短くたって、燃えて散って花火で行きたいよね! おっけーおっけー! ボクがとびっきりの一発逆転ホームラン用意してあげるっ。それじゃ次、行ってみよー!》


 息もつかせず喋り終えると、小妖精はどろんと消えてカードのなかへと舞い戻った。すると今度は俺の番だとばかりに、その隣のカードが引っくり返った。『運命の輪』。ど派手な赤のフェラーリが、いまにも飛び出さんばかりの構図で収められて……と、こいつもやはり飛び出してきた!


《Hey! Hey! 来てるぜ来てるぜ! 熱いチャンスの大波に、いまにも呑み込まれちまいそうだぜー! あんたにこの大波を乗りこなせるかい!? 忘れ物はきちんと届けてやるのが社会の常識だぜー! Hey! Hey!》


 部屋中をマフラーから真っ白な爆煙をあげて駆け巡ると、愚者のカードと同じように札のなかへと消えていった。そして次なるカードは『塔』。天井にも届きそうな壮大な塔、その屋根部分に閃光が奔ったかと思うと、真っ二つに裂けてばらばらと崩れ落ちた。


《遙か古の時代よりヒトは愚かにも我に挑戦してきた。救い難き傲慢、尽きることなき強欲。楽園を求めし幾多の者どもは傷つき倒れ、やがて物言わぬ躯と成り果てた。……ヒトの子よ、よく考えることだ。選択肢は、汝が手にしているものだけなのか否か。一度でも答えを過てば、汝を待つのは破滅のみと知れ……!》


 そしてイチローが最後に引き当てたのは、あろうことか『死神』のカードだった。その不吉な符丁におののくも、カードから出てきた死神はなぜか鎌の代わりにお茶とポッドを持参していて、おまけに逆位置だったのか逆さまで正座していた。旨そうにお茶を飲み干す(ちなみに飲んだお茶はどこかへ消えた)と、のんびりと呟いた。


《……ま、人生なんてもんは、なるようにしかならんて……》


 毒にも薬にもならないありがたい教えを残して死神も去ると、一連の奇跡はフィナーレを迎えたようだった。選んだ四枚のカードが宙に浮かび上がったかと思うと、脇に寄せられていたカードまでもが誘われるようにそこに加わって、部屋中を乱舞し始めたのだ!

 それはさながら夜空に飛び跳ねる星の祭典。『See you. Have a nice weekend!』と一文字ずつ形取ったあと、すべての光が消えてカードはひとまとめにテーブルに降り注いだ。

 キリエがゆっくりと目を開けた。

「どう、お兄ちゃん。わたし、占いのときはずっとお祈りしてるから、何が出てきたのかわからないの」

 しかしイチローは、ぼんやりと宙を見つめたまま何も答えない。

「お兄ちゃん?」

 無理もないことではあるが。

 種も仕掛けもない本物の魔法に圧倒されて、彼の脳は完全にシャットダウンしていた。

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