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幻代群像 -MystArk-  作者: 水沫ゆらぎ
Lost Memory
39/46

第七話

 いつしか降り始めた雨が、怒涛の勢いで激しく窓を叩いていた。

 自動ドアで隔絶されたこちら側にまで伝わってくる微かな冷気。運がよかった。身体の芯まで沁みる暖房の暖かさを噛み締めながら、カエデは思う。束の間ではあれど、こうして身体を休める時間が取れたのはありがたい。この先、いつ次の休息が取れるかわかったものではないのだから。

 窓の表面を伝う雨滴の向こうには人の群れ。すでに終艇もなく、本来ならほとんどの住人が寝静まっている時間帯だというのに、いまや歩道は人でごった返している。つい先ほど発令された避難勧告に従い、地区ごとに定められたシェルターへとみんな移動しているのだ。

「それにしても嫌な揺れですねお客さん。こんな長いこと続くなんて初めてですよ。こりゃそのうち車も止められちゃうかな……」

 不意にタクシーの運転手に声をかけられ、カエデは言葉に詰まった。

 雨とともに始まった地震も次第にその勢いを強めていた。プライムシティの地盤は宙に浮いており、基本的に地震という概念とは縁がない。管理局によるメンテナンスで人為的な揺れが発生することはあっても、制御されていない形での自然震は構造的にあり得ないのだ。にも関わらず、一向に止まる気配の見えない振動……。これは管理局のシステムそのものに何らかの異常が発生しているのだと、多少なりと頭の回る者ならすぐ気づく。避難勧告を無視して営業を続ける図太い神経の運転手も、やはり不吉な臭いは嗅ぎつけているらしい。


 運転手はカエデの反応がないことなどお構いなしに喋り続ける。

「やっぱりさっきのアレが原因かなあ? お客さんは見ました? あの打ち上げ花火みたいなの。いったいこんな時間に何だってんだかねえ。なんかヤバいのの前触れじゃないといいんだけど……あ、ダメだ、交通規制入った」

 車道の先にカラーコーンと、信号棒を振って入ってきた車を迂回路へと誘導する警官の姿。ここから先へは進めませんよというわけだ。しかしカエデの目的地――道場はまさにこの先。走れば二分弱。迂回する気もしている余裕もない。

「ダメですねお客さん、これ以上は進めませんわ」

「ああ、ここまででいい。助かった」

 精算機にミストカードを通し、ドアが開くなり傘も差さずに飛び降りて駆け出す。

 最善を尽くしているつもりではあったが、それでも嫌な予感しかしなかった。失敗したかもとは決して考えるな、恐怖は思考を鈍麻させ、四肢を縛る鎖と化す。そう長らく師父に節制を叩き込まれてきたカエデだが、今回の幻想ばかりはとても振り払える気がしない。

 何か、坂道を転げ落ち始めてしまった感覚。賽を投げれば確実に負け、皿を運べば確実に手から零れて割れるような、そんな益体もない確信。進む先には後悔で塗り固められた未来しか待っていないような、そんな恐ろしい予感ばかりが募る。


 怖い。たまらなく怖い。

 失われてしまうかもしれない平和が脳裡をぐるぐる廻る。家族で過ごした、あの在りし日の食卓の情景。それがまだ手のひらから零れていないがゆえに……彼女は何があろうと走り続けなければならぬ。

 走る。人込みを掻き分けて走る。どこか遠くで悲鳴があがった。だが、それさえも無視して通りを駆けてゆく。自分は聖櫃騎士失格だ、とカエデは思った。いまの自分は正義の徒ではない。助けを求める人々の声に耳を塞ぎ、あくまで自分の欲望のためだけに奔走しているのだから。

 だが、それでも。この衝動に逆らうことなどできようはずがなかった。

 ――コウ。どうか、無事でいてくれ……!


        *       *       *


「アレは廃棄種っていってね。まあ、うちのお偉いさんが便宜的につけた名前なんだけど」

 まるで雪のように降り注ぐ天蓋の残滓……。

 その煌めきに心奪われていると、隣でユルギナがぽつりと呟いた。

「宇宙には生命が満ちるのと引き換えに生じるゴミ捨て場みたいなのがあってね。そこに出されるゴミが一定量を超えると、アレが出てきて破壊の限りを尽くすんだ。ポピュラーなのは、太陽ビーム砲みたいなのぶっ放して惑星ごと蒸発させようとするタイプかな。……たぶん生命に対する対存在みたいなものなんだろうね。本来は調整が利くような代物じゃないはずだけど、いったいどういうわけかプライムシティに持ち込めるよう細工したみたいだ。いやはや、敵さんも思い切ったことするもんだよ……」

「何だそれは……方舟はどうなる!?」

 天蓋を突き破り、彼方へと消えていった龍の姿は、おそらくプライムシティ中で目撃されただろう。そろそろ終艇もなくなる時分であるが、あれだけの大異変が起きた以上、騒ぎが拡大するのは火を見るより明らか。この上まだ何かあるとなれば、もう本気で収拾のつかない事態となってしまう。


「んー。廃棄種は管理局のほうでどうにかするだろうし、こっちで気にすることじゃないね。どうにもならなかった場合なんてのは、それこそ考えるだけ無駄だし。それより僕としては、あれを持ち込んだ怪人氏がいつの間にか姿を消してることのほうが頭が痛い……」

 カエデは戦慄とともにあたりに視線を走らせた。……いない! 影も形もない!

 油断。取り返しのつかない失着。敵と相対したなら、そいつを仕留めるまでは絶対に意識を離すなと、そう幾度となく師父に教えられてきたのに!

「僕の張った結界も廃棄種におじゃんにされて、その隙に飛ばれたね。ま、都市結界だって吹っ飛んじゃう威力だからどうしようもない。でも、結局指輪は回収できずかぁ……また始末書の山に埋もれそうだなあ」

「のんびり溜息などついてる場合か!? 追うぞ!」

 ぼやくユルギナの背をどやしつけるカエデだが、しかし当のお相手はまったく気乗りしない様子で肩を竦めるばかり。

「そんなこと言われてもね……どこに転移したかもわからないし、追いかけようがないって。ほら、足跡もさっきの爆発で綺麗に消されちゃってるし。廃棄種がエーテル吸ってるから、まだプライムシティ内にはいるだろうけど」

「ぐ……」


 言葉に詰まるカエデ。正論である。それは認める。しかし道理としていくら正しかろうと、それで納得できれば苦労はない。まるで動じないユルギナに言いようのない苛立ちを覚えていると、そのとき懐で携帯端末が鳴った。取り出してパネルをクリック。バーチャルディスプレイが立ち上がり、寝間着姿のミルカが映し出される。

「あ、やっと繋がった! もしもーし!」

「ミルカか。すまない、いま取り込んでる。あとでかけ直――」

「あ、せっかく繋がったのに切るな馬鹿! あんた無事なの!? 空のアレ見た!?」

「見たよ! その絡みで取り込んでるんだ! だからまた後で――」

「で、問題はあんたんち! いったい何がどうなってんの!? 警察に連絡したほうがいい!?」

 予想外の爆弾を投げ込まれ、カエデの心臓が恐怖に凍る。

「待て、話が繋がらない。どういうことだ!?」

「ってことはあんたいま外ね。わたし、いまローゼン・ホテルに泊まってんの! それで部屋から夜景見下ろしてるんだけど、あの風精翼艇駅近くのでっかい敷地ってあんたんちでしょ? なんか空に龍みたいなのが飛んでった直後から、ずっとこんな感じなんだけど!?」

 ディスプレイの映像がぐるりと回る。ミルカが端末のレンズ部を彼女の見ている光景へと向けたのだろう。カエデの目にもソレが大写しになった。それは確かに屋敷の敷地だった。そしてその一角から、黄金色のベールめいた霧が渦を巻いて空へと立ち昇っている……!


「ああ、そうか。都市結界が壊れたから羽化しちゃったんだ」

 脇からディスプレイを覗き込んだユルギナが「なるほどね」と頷いた。

「これが何かわかるのか!?」

「うっ……わかるけど、状況から察するにちょっと喋るわけにもいかないというか……」

「いいから喋れ!」

「いや、その……うーん。まあ、見てのとおりだよ。カエデちゃんちで事件発生中ってわけ。……すまないけど、これ以上は僕の口からは言えないね。機密事項に触れちゃう」

「くっ!」

 カエデの頭にあるのはコウの安否だ。なぜならコウは歩けない。師父も任務でいないいま、コウの傍にいるのはあのたわけたアルだけ。その事実がカエデの心を不安で締めつける。

 無理やりにでもユルギナを締め上げて吐かせるべきか? しかし相手ははっきりと譲らないという意志を見せている。いまは一秒でも時間が惜しいのに、最悪、時間だけ浪費して何の手がかりも得られないなんてことにもなりかねない。

「ま、そっちは誰か他の人が回されるだろうし、僕らもこっちの仕事の後片付けをしようよ。被害者の子も供養してあげなきゃ可哀想だしね。さて、さっきの爆風でどこまで転が……って、ちょ、カエデちゃん!?」

 カエデは踵を返すと、そのままユルギナの制止の声を振り切って屋敷へと駆け出した。


        *       *       *


 そしていま、彼女はついに目指す道場の敷地をその視界に捉えた。

 タクシーから降りて五秒と保たず全身ずぶ濡れ。陣羽織が濡れて肌に張りつく感触の不快。すぐにでも道場に駆け込んで着替えたいところだったが、いまはコウの無事を確認するほうが先決だ。

 災害時の緊急避難所に指定されている敷地には、万の民を収容できるドーム状のシェルターがある。その入口に押し寄せて列を作っている人の群れ……付近の区画から警官らに誘導されてきた市民たちだ。彼らは入館を待つ間、一様に身を寄せ合って破れ目が広がる虚空を見上げている。

 光の龍が彼方へと突き抜けていった直後からずっと続いている揺れは、いまや足を止めずともはっきり感じ取れるほどになっている。誰もが方舟に何かが起きていることを本能的に悟っている。いま、プライムシティは滅びに晒されているのだと。そんな人々が縋るように視線を向ける先、金色に輝く朧な粒子が空の破れ目へと立ち昇っている……。

 実物を己が目で確かめて、カエデは言葉を失った。

 金色の幔幕を舞台に、名も知らぬ無数の妖精たちが所狭しと跳ね回っていた。袋から砂金を掬ってあたりに撒く妖精、ふわふわと舞う天使の羽根を降らす妖精、華麗なステップを踏みながらラッパを吹き鳴らす妖精、様々だ。シルフに似ているが、そうでないことだけはわかる。これは風の乙女たちの属性ではない。


 秘術師としての訓練を受けていないカエデに彼らの正体は計りかねたが、それでもなぜか、彼女は彼らの優美な姿からコウの歌を思い出して――ぞっと背筋を震え上がらせた。

 コウはシェルターのなかにはいない。カエデはそう確信した。道場にもいない。コウがいるのは、あの黄金色の奇跡の直下だ。そうに決まっている。だが、こんな――。

 いったい何が起こっているのか。形のない悪寒に打ち震えるカエデ。そこに覚えのある声がかかった。

《カエデサン!!》

 顔を向けるまでもなかった。この一年、何度も耳にしてきた特徴ある電子音声。

「アル!」

《ああ、よかった、捨てる新聞あれば拾う大衆紙あり!》

 相も変わらず頓珍漢なことを抜かしているが、いまのカエデにはそんな戯言に付き合っている余裕はなかった。

「コウは!?」

《坊ちゃんが大変なのデス!!》

 まったくの同時だった。カエデは泥濘に足を突っ込むのもいとわずアルの傍へと走り寄る。

「何がどう大変なんだ!? 無事なのか!?」

《坊ちゃんが意識を失って倒れたのデス! さらに身体のあちこちから植物の根や蔓のようなものが生え出シ……!!》


 ――やっぱりだ。

 両脚から力が抜け落ちて、カエデはその場に崩れ落ちないよう堪えなければならなかった。

 悪い予感はいつだって当たる。明らかに、尋常ではない何かがコウの身に起きている……!

「医者は! 医者は呼んだのか!? 師父に連絡は!?」

《ワタクシ、緊急コールを押して坊ちゃんの容体をお医者様に伝えて……しかし、それから数分と経たぬ内に信じられぬことが……いきなり強盗どもが押し入ってきたのデス!》

「はぁ!?」

《坊ちゃんは、そいつらに攫われて……》

 カエデの顔面が神経症にかかったかのように引き攣る。

 何だそれ……?

 何だそれ……!?

「おまえ……おまえっ!!」

 もはや思考は形にならず、爆発した衝動の求めるがまま、カエデはアルのメタルボディのフレームに掴みかかっていた。

「それを黙って見ていたのか!? その強盗どもとやらが押し入ってきて、コウを連れて行くのを『はい、どうぞ行ってらっしゃいませ』とばかりにただ突っ立って見ていたのか!? ふざけるな……ふざけるなよ! おまえ、いったい何のために師父に雇われたと思ってるんだ!! わたしも師父も外に出ていて、あの子が頼れるのはおまえしかいなかったんだぞ!? それをおまえ……このポンコツが!!」


 ずっといけ好かない奴だと思っていた。こいつと付き合っていて、何度苦虫を噛み潰したか知れない。だがこのとき……カエデは初めて、アルに憎悪すら抱いて激昂したのだった。

 しかし、その怒りも長くは続かなかった。

《……ワタクシが何の抵抗もシなかったと、ソう仰るのデスか?》

 雨音と木々のざわめきだけが世界に満ちる微かな沈黙の後、アルは絞り出すようにして呟いた。マニピュレータがカタカタと鳴っていた。何か、駆動系に異常が発生したかのように、小刻みに震えている。

《賊どもに坊ちゃんが攫われるのを、ワタクシがただマニピュレータを咥えて見ていたと……本当にソう思うのデスか……!?》

 アルの電飾の双眸が、真っ赤な警告色に輝いてカエデを真っ向から見据えていた。

 器物であるはずのその目にカエデは怯んだ。否、眼差しだけではない。電子音にさえ本物の怒りが宿っていた。人間が抱くそれと何ら変わらぬ、煮え滾るマグマにも似た激情。それはまさしく、カエデがアルにぶつけた感情そのものだった。まるで鏡に映る自分の心を透かし見たように、カエデはたちどころに真実を悟った。


「アル、おまえ……」

《……坊ちゃんは、あのストリームのほうに運び出されました。ワタクシ、屋敷の外に蹴り出サれたのデスが、必死に隠れて彼らを追いかけマシた。だから、ソれだけは間違いないデス。しかし、多勢に無勢。ワタクシでは坊ちゃんを助けられまセん。だから、ここで応援を待っていたのデス。ワタクシには無理でも、旦那様かカエデサンを見つければ、きっと……》

「……すまない、わたしが悪かった」

 こいつはこいつなりに最善を尽くしたのだ。己が無力に歯噛みしつつも、それでもできることをやったのだ。それがカエデにもわかったから、彼女は激情のままにアルをなじった己の不明を恥じ、目を伏せた。

 しかし、アルはカエデのそんな惰弱を許さなかった。

《カエデサン、ワタクシの目を見てください》とアルは間髪入れずに言った。

 まるで神に命じられたように、カエデは即座に顔をあげた。

 アルの電飾の目の色は、いつの間にかもとのクリアブルーに戻っていた。

《……坊ちゃんが仰いました。『遠慮なく喧嘩できる相手はもう友達だ』と。そしてワタクシのデータベースにもうひとつ、友達とは『気兼ねなく頼み事のできる相手』とありマス。カエデサン、ワタクシたちは友達デスか?》


 一瞬、カエデは呆気に取られてアルを見つめた。いきなり何を言い出すのかと、そう思ったのだ。けれど、アルの声音はとても冗談を言っているような雰囲気ではなくて……だからカエデは自然と頷き、肯定していた。

「そうだ、友達だ」

《……ああ、安心しマシた。それならカエデサンに、頼み事、ありマス》

 アルは背筋を正し、右のマニピュレータを側頭部のすぐ傍まで持ち上げた。

 どこに出しても恥ずかしくない、一本芯の通った敬礼だった。

《ワタクシに代わり、どうか坊ちゃんをお助けください》

「――! ああ、任せておけ!」

 カエデは転瞬、そのまま脇目も振らずに疾走を再開した。

 ますます勢いを増す雨に打たれながらも、いまやカエデの眼差しは不惑不退の決意に漲っていた。そこにあるのは、予感などという膨大な未来のたかが一片に怯み鎮火される小火ではなく、他の欠片すべてを呑み干してなお、望んだ未来を掴んで引き寄せるまで荒れ狂う、劫火の如き猛き意志だった。

 リレーのバトンを渡された思いだった。カエデは決して己がひとりではないことを知った。

 あの子を救いたいと、そう願っている者がいる。わたしも、アルも、そしてもちろん師父だってそうに決まっている!

 奪われたなら、取り返す。……絶対にコウを取り戻す!


 しかし――それから二分と経たぬうちに、その決意は冷や水を浴びせられることとなった。

「止まれ!」

 黄金の幔幕を明かり代わりに、普段は敷地の住人ですらよりつかない『森』に敷かれた石畳の路を駆けていたカエデ。そんな彼女を呼び止める声。舌打ちしたい衝動に駆られるも、彼女は指示通り足を止めて制止の声をかけた者たちが姿を現すのを待った。

 すでに『KEEP OUT』と印字されたコーションテープを踏み越えてこの場にいる。呼び止められるのも無理はない。

 面倒ではあったが、考え方を変えればチャンスでもある。ずっとこのあたりの警邏を続けていたなら、道場に踏み入ったという痴れ者たちの手がかりを掴んでいるかもしれない。

「聖櫃騎士団の正騎士、カエデ・ダイドウだ。照合願う! この先に、複数の不審人物が方舟市民を連れて逃げ込んだとの目撃証言があった。いま、そいつらを追っている! 誰か、怪しい連中を見かけなかったか?」

 額の聖櫃章を示して情報提供を呼びかける。しかし応えはない。

 カエデの脳裡を過ぎる強烈な違和感。所属を明らかにしたにもかかわらず、警官たちの一様に緊張した面持ちで、じわじわと包囲を狭めて間合いを詰めてきている。不穏。何かがおかしい。そういえば、なぜ彼らは都市警察の標準制服ではなく、対テロ鎮圧用装甲服で武装しているのだ?


 カエデが本能的に腰を落としたのと、真後ろにいた警官がネットランチャーを装甲服から取り出したのはほぼ同時だった。

 発射された捕縛網が空中で放射状に広がる。その気配を五感で捉えたカエデはその場で反転。旋回の勢いも利用した朱雀の一閃で網を斬って落とすと、さらに色取り取りのストレージキューブが空から降ってきた。

「――!!」

 本来は幻想種を捕獲するための秘宝具だが、犯罪者を捕縛するなどの用途にも使えるため、都市警察官らの特別装備としても採用されている。もちろん、こんなものに閉じ込められては堪らない。カエデはオーブに命じて戦闘衣のブースターを起動、即座に包囲の一角にぶちかましをかける。

「ぐあっ!」

「馬鹿野郎、包囲を崩すな!!」

「まずい、キューブが……うわあああ!?」

 まろびながらも囲みを脱出して振り返ると、ちょうど蓋の開いたキューブから魔法陣が立ち上がったところだった。そこから生じた光の網に捕らえられた不運な警官が数名、悲鳴を残してキューブへと吸い込まれる。

 奇襲に失敗した警官たちは、搦め手は無理と悟ったのか今度は電磁ロッドを取り出して戦闘態勢に入った。カエデはまなじりを吊り上げて叫ぶ。


「何者だ、貴様ら!?」

「プライムシティ警察です! 貴女が聖櫃騎士団の騎士ということも認識している!」

 指揮官と思しき年嵩の警官が、カエデの誰何の声に応えて叫び返してくる。そして、

「しかし現在、貴組織から貴女の捕縛指令が出ているのです!」

 飛び出した衝撃の言葉に、カエデは目を見開き絶句した。

 ワケがわからない。こいつらこそがコウを攫った強盗かとも思ったが、しかし彼らの切迫した表情は、まさに職務を果たさんと懸命になっている公僕そのもの。犯罪者の集団にはとても見えない。

「どうか、大人しく縄についてはいただけませんか?」

 これも真摯な言葉だ。これが苦し紛れの出まかせというのなら、居並ぶ警官たちは今日から全員ムービースターになれる。

 不自然をひとつずつ潰していけば、最後に残るのは限りなく真実に近いだろう結論。すなわち、彼らは正真正銘、本物の都市警察であるという答え。捕縛指令についても思い当たる節がある。なにせつい先ほど、現場放棄をやらかしてここまで駆けてきたばかりだ。あのぐるぐるメガネ経由で聖櫃騎士団に連絡が行っててもおかしくはない。

 聖櫃騎士失格どころの騒ぎではない。ここで彼らの言葉に従わないなら、カエデはもはやただの犯罪者に成り下がる。


 瞬きほどの逡巡。

 身震いするほどの葛藤に、奥歯がぎしりと軋む。

 カエデは朱雀を鞘に納めた。代わりに木刀を手に取(,,,,,,,,,,)()構える(,,,)

「すまないが、聞けない」

 カエデは決然と言い放った。

 すでに選択は為されていた。あの幸せな夢のなかで、カエデは父に「己のサムライを貫く」と誓ったのだから。

 サムライの名誉も、聖櫃騎士としての未来もいらない。

 それを捨てねばコウを守れないと言うのなら、喜んで燃えるゴミの日に出してやる。

 アルに託された想いを届ける。――ここで足を止めるわけにはいかない!!

「退いて欲しい。……でなければ、骨の一本や二本は覚悟してくれ」

「……捕まえろ!!」

 お互いに、これ以上の言葉は無用だった。指揮官の合図とともにいっせいに打ちかかってくる警官たち。向かってくる敵を叩き伏せるべく、カエデが一歩目を踏み出さんとしたまさにそのとき――


「――――っ!?」

 いきなり地面から身の丈ほどの漆黒の壁が突き出し、カエデは後退を余儀なくされた。警官たちにとっても想定外の出来事なのか、次々に壁の向こう側で狼狽の声があがる。

 カエデたちの交戦を阻むかのように生じた壁は、やがてぽろぽろと端から剥がれ始めて霧散した。だが、この場にいる全員が理解不能の事態に混乱したまま立ち尽くすしかない。

 いったい何が起こった? その疑問に答える者があった。

「そこまでにしておけ」

 声はカエデの背後から届いた。

 弾かれたように振り返るカエデの目に映ったのは、彼女のよく見知った人物だった。

「――師父!!」

 忽然と姿を現した闖入者は――セツナ・クルスその人だった。

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