第四話(上)
師父のいない夕餉を囲ったあの日から半月が過ぎた。
あれから一度も師父は道場に帰っていない。宣言通り、新たな任務に従事しているらしい。いつものことと言ってしまえばそれまでだが、その姿が見えぬ景色にどこかしら空虚感を覚える。
一方、師父の帰りを待つわたしたちの生活には大きな変化があった。夕餉の席でアルが持ち出してきた電子ピアノがその発端――あれ以来、道場には調子っ外れな音楽が昼夜を問わずに鳴り響いていて、そのうち壁にまで音楽が染み込むんじゃないかと気が気でない。
コウも変わった。初めはアルが弾くのをただ監督するだけだったのに、いつの間にか練習に付き合って歌詞を口ずさむようになっていた。これはアルが『コウの歌に伴奏する』ことを強硬に主張した結果で、初めは師父に打たれた記憶からか消極的だったコウも、やがてその熱意にほだされる形で一緒に歌い始めたのだ。
かつて師父は、愛を歌いかけたコウを叩いて止めさせた。
再び歌い始めたコウを止めないのは、もしかすると師父への反逆なのかもしれない。
けれどわたしには、あんなに無邪気に顔をほころばせながら歌うコウを止めることは、どうしてもできなかった。コウはきっと、歌うためにこの世に生を受けた。魚が川を泳ぐように、鳥が空を飛ぶように。歌うことこそがコウの定めであり幸せなのだと……あの子の歌声を聴いていると、なぜかそう思わずにはいられないのだ。
わたしだけでもコウの想いを認めてあげよう。
あのときの気持ちは、いまも変わっていない。
サムライの生き様とは、すなわち死に様。大義と信念のために己の生死を捧げる――それこそがサムライのサムライたる由縁。あの子の想いを護る――その誓いに能う力を手に入れるためにも、日々剣を磨き、心身を鍛え、一日も早く師父のような本物のサムライとならねばならない……のだが。
「んー、ここの通りも探知機に反応なし。なかなか引っかからないねえ」
「なあ……」
「ん?」
「これ、本当に意味があるのか……?」
何と言ってよいのやらわからず、仕方なく思ったままを口にする。すると少し間を置いて、やや戸惑ったような声がイヤホンから返ってきた。
「そりゃあ……あるさ、もちろん。出現場所の候補はかなり絞れてるけど、それでも怪人氏がどのポイントに現れるかまでは読めないしね。だから足使って捜索するんだよ」
「いや、それはわかっている。わたしが言っているのは、この格好だ」
そう言って、カエデは自分の姿を見下ろす。襟元がフリルになっているブラウスに、ベージュのレディーススーツ。ご丁寧にハンドバッグまでついている。あまりこういう装いをしたことはないが、おそらくは仕事帰りのOLに見えるのだろう。それはいい、それ自体は特に問題ない。問題大有りなのはタイトスカートとパンプスだ。歩き難いことこの上ないし、これでは腰の木刀もロクに振るえない。まったくもって機能的じゃない。それに――
「これまでの被害者統計から見る限り、怪人氏はどうも若い女性を好むみたいだしね」
「だが出現場所の候補は絞れているのだろう? つまり、あらためて誘き寄せる必要はないわけで、だったらこの服装の意味は何だ? さっきから違うのばかり引っかかって、むしろ捜索の邪魔な気がしてならない」
ちなみにこれまでの戦果は、酔っ払い六名、ひったくり一名。全員、関節を決めて都市警察に引き渡し済みである。
「……実を言うと、『カエデちゃんスタイルいいからタイトスカートとか似合うだろうなー』的一身上の嗜好により、此度のきみの服装を決めた経緯もないではなく……」
「おまえ……」
「すとっぷ、すとーっぷ! 冗談、冗談だって、カエデちゃん、怒らないで!」
二度と減らず口を叩けぬよう、その首斬り飛ばしてやろうか? と半分ぐらい本気で思う。
『虫が好かない』という言葉があるが、こうまでそれを体現した輩も珍しい。このたわけたキャラのせいで、初対面から十分と保たずに敬語を使うのも諦めた。師父曰く、敬意を払う謂れなき相手に偽りの礼を以って接することなかれ。サムライとして恥ずべき行いである。
「人の命が懸かっているのにその不真面目な態度は何だ! 恥を知れ! 恥を!」
インカム越しに叱り飛ばしても、返ってくるのは無数の言い訳じみた詫びの言葉ばかり。カエデにしてみれば「謝るぐらいなら最初から真面目にやれ!」というもので、腹の虫はまるで治まらない。ああ、何が悲しくてこんなのと組まねばならないのか。
――せっかくの、栄えある聖櫃騎士としての初仕事だというのに!
……そう。生活に大きな変化があったのはコウだけではない。カエデもまた管理局より正式に聖櫃騎士として叙任を受け、いまは最初の任務『怪人ブラッドアイの捕縛』に従事している真っ最中だった。
聖櫃騎士叙任の知らせがもたらされたとき、カエデは珍しく心の底から喜びに打ち震えた。それは偉大な師父の任務を引き継いだというのも然ることながら、遥か遠き日の宿願がついに叶えられたことへの歓喜。
管理局の使者から叙任の知らせがもたらされたとき、最初に浮かんだのは亡き父の顔。
カエデがちょうどいまのコウぐらいの年齢だった頃、プライムシティは都市成立以来最大の危機を迎えていた。都市の要石である『デバイスタワー』に、テロ組織『アウトサイド』擁する違法改造ドロイドの群れが大挙して押し寄せてきたのだ。
最下層地表より伸びる全二三〇〇階にも及ぶ長大な魔塔――このデバイスタワーが供給する都市結界によって、方舟五大都市の地盤は天空に固定され、人類の生存に適した環境が生み出されている。すなわち、デバイスタワーを攻撃されるということは、数千万を数える都市市民すべての命が危険にさらされているということに他ならない。
このデバイスタワー防衛戦において、カエデの父ホムラはついに戦場から帰ってこなかった。彼もまた聖櫃騎士団の成員であり、民を救うために己が命を投げ打って戦ったのだ。幼くして母と死別していたカエデは、この事件でついに唯一の肉親をも失った。
望めば管理局の提供する孤児養育支援プログラムを受けることもできた。
そうでなくとも、カエデを引き取って育てると申し出てくれた親戚もいた。
だが、カエデはそれらの道を選ばなかった。守られて在ることを拒否して、形見の聖櫃章を胸に父と同門だったセツナに弟子入りしたのだ。なぜならカエデの目には、すでに己が命を賭して進むべき道が見えていたから。
いつか父が志し、その生を終えるまで歩み続けた道を――牙持たぬ誰かの明日を守るための道を――わたしも往くのだと、棺に納められた父の遺体を前にカエデは固く誓ったのだ。
――あれから八年。
やっと亡き父に顔向けできる……と思っていたら、ついてきたのがこのたわけ者なのだ。
名目上は経験の浅いカエデを指導する監督官だが、敬意を払うに足る相手でないことはすでに述べた。確かユルギナとかいう名前だったが、その名が記憶野に留まっている時間もそう長くはあるまい。ともかくも本捕縛作戦におけるバックアップを担当しており、後方に姿を隠してターゲットの探知、および結界の敷設などを行っている。
「……でもまあ、まさか戦闘装備のままうろつくわけにもいかないでしょ? だいぶ人通りは減ってるけど、それでも人目ゼロってこともないし」
しばらく黙り込んでいると、ユルギナが後講釈を始めた。どうやら窮地を脱したと見てとったらしい。その見解は間違っているぞと歯を剥くカエデだったが、いい加減付き合うのも腹立たしかったので、ここらで打ち切ることにした。
「かといってこんな動き辛い服で探す意味もないだろうが。明日から道着で来るからな!」
「……それはそれで、人目引く気がするけどなあ」
そんなこんなでひとまず口論は棚上げとなり、その後しばらく夜の道を練り歩く退屈な時間が続く。
「……師父はいまどんな任務に就いているんだ?」
「ごめーん、それ機密事項なんだよね」
暇潰しに口にした問いかけはすげなく回答拒否され――と思いきや、ユルギナもこちらの意図を察してか「ま、差し障りのない範囲ならいいか」と譲歩してきた。
「えっとね、ある人物の追跡調査をしてもらってるんだ。もうほとんど潜伏場所絞り込んでるみたいだったし、解決も時間の問題じゃないかな? 手っ取り早くこっちも解決しちゃえば、週末はお師匠さんと一緒にご飯食べられると思うよ」
「…………」
なんとなく胸の内を見透かされたようで気まずくなり、カエデは聞こえなかった振りでそのまま話題の矛先を変えた。
「その追跡調査というのは、この怪人事件よりも重大事なのか?」
「管理局的にはね。カエデちゃんもそのうちわかってくると思うけど、組織ってのはとにかくメンドイんだ。人が増えれば増えるほど喧嘩の種もたくさん撒かれるし、綺麗事ばかりじゃ回らなくなる……っと」
それまでのお調子者めいた口調から一転、ユルギナが低い声で囁いた。
「反応検出。ターゲット、半径二〇〇メートル以内にいるね」
心臓が一度大きく跳ねて、カエデはぐっと息を呑んだ。
修行の成果が試される瞬間がついにやってきた。敵は怪人ブラッドアイ……方舟の民に眠れぬ夜と死の恐怖をばら撒いてきた連続猟奇殺人犯だ。相手にとって不足はない。小刻みなピッチでやかましく騒ぎ立てる心臓の鼓動。背から腕にかけておこりのように武者震いが走る。
「慌てない。落ち着こう、まずは深呼吸」
子ども扱いされているようで癪に障るが、事実初陣なのだから仕方がない。素直にユルギナのアドバイスに従って深呼吸する。
「それじゃ、今回のターゲットの情報を復習しようか。彼らと対峙するときに絶対にやっちゃいけないことは?」
「敵の口車に乗ること。特に『契約』を結んではならない」
「そう、それやっちゃったら最後、魂を握られて何がどうあろうと逆らえなくなるからね」
今回のターゲットである怪人ブラッドアイは、秘術師機関の調査により九分九厘人間でないことが判明している。その正体は、おそらくTYPE―Dと呼ばれる非公認幻想種――悪魔そのものだ。
彼らは極めて限定的ではあるが、因果律操作に当たる稀有な能力を備えている。「願い事を三つ叶えてやる代わりに、おまえの魂を寄越せ」というあの定型句だ。対象の運命に直接干渉する凶悪極まりない能力であるが、幸いなことにその力の行使には対象の同意――すなわち契約が必要不可欠であるため、そこさえ避けておけば敵は真価を発揮できないというわけだ。
「さて……それじゃここからは、きみのお手並みを拝見させてもらおうかな。こっちの計器のデータ、きみのオーブに自動転送するようにセットしたから、それでターゲット追跡して。僕は敵さんに逃げられないようこの付近一帯に結界張る準備に入るから。あ、できればターゲットを見つけても、すぐに交戦に入らないで時間引き延ばしてくれると嬉しいな」
「了解」
カエデは眼差しを厳しくし、短く指令呪を唱えた。
「カエデ・ダイドウの名において命ずる。――聖櫃よ、開け」
《声紋認識。カエデ・ダイドウと認証。聖櫃武装を展開します》
電子音声が微かに響き、カエデの胸元に下げられたペンダントがかちりと音を立てた。閉じられていたはずの聖櫃の蓋がスライドし、そこから零れ出した閃光のような輝きにカエデは包まれ――次の瞬間、彼女は戦闘装束を身にまとってその場に立っていた。
正式な騎士としての階位を得た者には、聖櫃騎士団より戦闘装備一式が封入された聖櫃が下賜される。父ホムラの形見より現れたのは、朱色を基調とした陣羽織に侍足袋。鉢金の正面に輝く疑似水晶には、地平に扇状に突き刺さる無数の武器種というデザインの聖櫃騎士章が浮かび上がっている。数百万の結晶体からなるそれは、装着者の精神そのものにリンクし、自動で情報収集・解析・翻訳を行う戦闘補助ソフトウェア『オーブ』と呼ばれる。
そして手には、父より継ぎし秘刃『朱雀』――聖櫃騎士となった者一人ひとりに与えられる専用武器の一振りで、その刀身には脆弱な人の身で人外のバケモノどもと戦うためのテクノロジの粋が込められている。
――戦場に臨む、サムライの姿である。
転送されてきたターゲットの居場所が、オーブを通じてカエデの視覚野に展開される。
カエデは通りを駆けだす。風をまとっているかのように身体が軽い。壁ぐらいなら重力を無視して疾走できそうだ。武装に付与された身体施呪の加護に感謝する。
家路の途中か、終艇も終わったこんな夜更けに道を往くサラリーマンがひとり。駆ける足音に気づいてカエデのほうへと振り向き、その視線が額に輝くオーブの位置で固まる。一般的な方舟市民なら『聖櫃騎士章を戴く何者かが戦闘装束で街路を駆けている』という光景が意味する事実は一目瞭然。バケモノとの戦闘に撒き込まれたら堪らないとばかりに、悲鳴をあげてカエデの進行方向とは逆の路地へと遁走していく。
そうして歩を進めるカエデだったが、疑似視野内のターゲットのマーカーとの距離が縮まるにつれ、あたりから街の気配が遠退いていくことに気づいた。まるで別の世界……時間の流れが止まった世界へと足を踏み入れかけているような……そんな違和感。さらにその気づきを肯定するかのように、額のオーブが注意喚起のメッセージを脳裏に出力。
《付近一帯に惑星法則改竄の痕跡を確認。改竄形跡から逆解析開始……完了。意識誘導系の結界が展開されている可能性があります》
カエデはその場で足を止めて状況を再検討する。意識誘導系の結界――簡単に言うと、なんとなくこのあたりに寄りつく気をなくさせる、人払いの結界である。
人払いをしてまで行われる何かが、世のため人のための善行であるなどとは到底思えない。ターゲットの属性を考えれば、今宵も新たな犠牲者を生むための結界として機能しているのはほぼ確実。
ユルギナの言葉を思い出す。奴の時間を稼いで欲しいという言葉を思えば、様子見をせずに現場へと急ぐのは下策かもしれない。しかしすでに接近を気取られている可能性や、いままさに敵が仕事を終えて逃走せんとしている可能性、さらにはこの空間に連れ込まれただろう被害者がまだ生きているとしたら……。踏み込まないのは、その見知らぬ誰かを見殺しにするということに他ならない。
カエデは意を決して強く足を踏み出す。路肩に転ばる空き缶を蹴飛ばし、照明の消えた薄暗い十字路を突っ切りひた走ること十数秒……マーカーが示す位置に辿り着くと、ついにそこに蹲っている人影を見つけた。迷わず叫ぶ。
「動くな! 都市警察だ!」
幻想種災害と対テロのエキスパートである聖櫃騎士団員は、その性質上、都市警察の特別捜査官としての権限を持つ。
いきなり叫び声を浴びせられた人影は、ぎょっとした様子でカエデへと振り向いた。浅黒い裸体を晒している、端正な顔立ちの男。しかし豪奢な金髪の隙間からはねじくれた獣の角が突き出しており、オーブから送られてくるターゲット種族の一般像とほぼ一致する。
「怪人ブラッドアイ! 不法入都、および都市市民殺害の容疑によりおまえを拘束――」
大音声で口上を述べる最中、カエデは怪人の足元に転がる物体に気づいて言葉を失った。すでに命の灯は消えているのだろう……カエデ自身とほとんど変わらない年頃に見えるOLが、力なく四肢を投げだした格好で倒れている。
――助けられなかった。
苦い悔恨はしかし、視界も眩むような激烈な怒りによって掻き消された。
犠牲者は、裸に剥かれた上で全身にあの緋色の目を描き入れられていたのだ。
ニュースで何度となく流れていた光景。被害者に刻み込まれた血の刻印。しかし、いざ目の当たりにした本物の、なんと禍々しく正視に堪えないことか! どのような精神の在り様がこのような凶行をもたらすのか? 踏み躙られ、嘲られる死者の尊厳。理解できない。理解したくもない。
犠牲者は自らの不用心ゆえに、今回の不幸を呼び寄せたことは間違いない。因果応報。飲み会帰りだったのかは知らないが、こんな深夜にひとりで人気のない路地を歩いていれば、怪人でなくとも何らかのトラブルに巻き込まれかねなかったのは誰が見たって明らか。同情の余地はどこにもない。
どこにもない……けれど。
それでも、こんな終わりを迎えねばならない道理があるか……!!
同じ女として、OLを襲った悲劇に言いようのない理不尽を覚えるカエデ。だが、それを為した怪人は悪びれたふうもなくぬけぬけとおどけて見せる。
「げ、管理局の掃除屋連中かよ。まいったなぁ……俺、おまえらと事構えるつもりはねえんだけど。なぁ、見なかったことにしねぇ?」
「貴様……!」
両手をひらひらさせながら「戦争反対~」などとうそぶく怪人に、知らず、噛み締めていた奥歯がぎしりと軋みをあげる。
「ふざけるなよ……人ひとり殺しておいてそんな……許されるわけがあるかぁ!」
今回、怪人に対し管理局より与えられている指示は『生死問わず』。その選択はカエデの判断に一任されており、彼女は迷わず激情の命ずるまま朱雀の握りに手をかけて飛び込んだ。
サムライの真骨頂は抜刀術。鞘から抜いた初太刀ですべてを終わらせるクラス専用技。相手によって武器を使い分けるということをせず、長きに渡り常識に背を向け、サムライとしての理に魂を委ねた者のみが会得し得る絶技だ。そして、身体施呪されているいまの自分の間合いは普段の倍以上。この距離なら一息で首を跳ねられる!
その見立てを証明するかのように、瞬速の一撃は怪人の首筋へと吸い込まれ、そして――カエデの顔が驚愕に引き攣る。
朱雀の剣先が怪人をすり抜けた。……まったく、何の手応えもない!
予想外の出来事に目を見開くカエデに、怪人がニヤリと口角を吊り上げる。腕を伸ばす怪人の指先から、蒼い雷光の如き魔力の線が生まれてカエデを捕食せんと飛来する。オーブの警報が大音量で脳内に炸裂。「くっ!」飛んできた魔力線のうちのいくつかに貫かれながらも、カエデは地面を転がって怪人から距離を取る。
「うひぃー、おっかねぇえなアンタ! いきなり斬りかかってくるか普通?」
「馬鹿な……確かにその首斬り飛ばしたはず、いったいどういうカラクリだ!?」
「別に大したことじゃねえよ。俺たちゃ土塊から生まれたあんたらとは組成からして違ってね、幽霊じみた身体にもなれるのさ。掃除屋にしちゃあ勉強不足だったなお嬢ちゃん」
ケラケラと嘲笑われ、カエデは憎々しげに怪人を睨みつける。
確かに幻想種には人類とまったく性質を異にする多様な種が存在する。管理局に公認され、都市内でも見かけるのはそのほとんどがストレートA――人類と同じ環境に適応できる酸素呼吸種族だが、幻想種全体を見渡せば特定の形を持たない冷血のガス状生命体だって存在する。ターゲットが人の似姿を取り、人語を解している以上、対人類の攻撃手段が通じるという先入観がカエデにあった。
だが、まだ勝負が決したわけではない。
常に幽体化していられるかは怪しいところだし、時間を稼げばユルギナも応援に来るはず。常に先手先手で攻撃し続ければ、最後には押し切れる。そう状況を読んで、再び朱雀を鞘に装填しようとするカエデだったが――
「ま、それよりアンタ、自分の心配したほうがいいぜ」
「……?」
「王手かかってるって言ってんのさ。そうさな、まずは『その物騒な得物を捨てろ』」
「何を馬鹿な……!?」
吐き捨てようとしたその刹那、朱雀を握る右手の感覚が消失した。手のひらから零れ落ちた朱雀が、地面に落ちて「ごとり」と重い音を響かせる。
「――――!?」
背筋が凍る、というまさにその言葉通りの感覚にカエデは見舞われた。滅茶苦茶な焦燥感が身体中のあちこちから湧き上がる。理由もわからず叫びたくなる。喉は一瞬にして乾ききり、心臓はむやみやたらに大きく脈打つ。節制は跡形もなく失われ、後に残ったのはサムライとは名ばかりの無様ばかり。
「貴様……わたしに何をした!?」
「いやぁー、アンタそんなの振り回して危ねえからさ、ちょっくら魔法をかけてね」
「おまえたちは対象との契約がない限り、その不思議な力の行使はできないはずだ!」
「……と、思うよな? ところがどっこい、じゃじゃーん!」
もったいぶった仕草で怪人が伸ばした手のひらを裏返す。見惚れるほどに滑らかな人差し指。そこに嵌められた、血を練り固めたような宝石をあしらった指輪……。
「ちっとばかし前に妙なツテから手に入れたんだが、こいつがスグレモノでよ。わざわざ営業かけんでも魂引っ張り出せちまうんだな、これが」
カエデは自分が置かれた状況をたちどころに理解した。まずい、致命的すぎる。さっき交差した瞬間に浴びせられた青い魔力線の出どころが指輪だとすれば、現状のすべてが符合する。つまりこいつは、本来対象の同意が必要なはずの契約を、指輪を使うことで押し売りで成立させたのだ……!
「ってわけで、すでにアンタの魂の一部は俺と契約済みってわけ。ま、まだ潜って書き込みしただけで、引っ張れたわけじゃないけどな。だが、契約絆を通じて強制命令ぐらいは出せる。そら『お嬢ちゃん、眠くなれ』」
《警告! 指向性のある言霊が、オーナーの自律神経に働きかけています!》
オーブが騒ぎ立てるが、その警報さえも絶望的なまでに遠い。まぶたが堪らなく重い。膝が落ちて、もはや立っていることすらできない。
「こんな、子供騙し、に……!」
「無理無理、いくら足掻いても契約にゃ逆らえねえよ。さて、予定外に活きがいいの引っかけちまったけどどうすっかな? ま、いいや。とりあえず『眠れ、眠れ』」
意識の帳が落ちる――。




