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幻代群像 -MystArk-  作者: 水沫ゆらぎ
Dealings with evil
21/46

第五話

 数日降り続いた雨もあがり、プライムシティはその日、久方ぶりの快晴に恵まれた。

 オンライン・ポータルサイトの『今日のお天気』コーナーでも軒並み晴れマークが踊っており、身を切るような冬の寒さは依然として続くものの、今週は折り畳み傘を持ち歩かなくてもよさそうです、と一言アドバイスの欄に短く記されている。

 二番街の空にもうっすらと朝日が射してきて、立ち並ぶ家々に切り取られた太陽の形が、空へと飛び立つコンドルのようにも見える。しかし、そんな絶好のお散歩日和だというのに、通りを歩くサラリーマンも、早朝マラソンに精を出すご老人も見当たらない。

 それもそのはず……その一角には二日ほど前に住民への強制避難命令が執行され、ゴーストタウンと化していたのだから。だが無人のはずの街の一角では、年代物のハードディスクが発する異音にも似た耳障りな詠唱駆動音と、紺色の制服に身を包んだ警察官たちの声が静寂に取って代わっていた。

「第四星子点より報告。聖光照射灯、聖水循環炉、賛美歌振動板、最終稼動確認完了。問題なしです」

「第五星子点、同じく完了」

「第六星子点、同じく完了」

《OK。それじゃ皆さん、径が開くまで待機よろしく。たぶん三分後ぐらいです。それじゃ》


 秘術師機関の擁する未来視能力者たちが割り出した径発生地点。その中心点を囲むように配置された秘術師と警官たちが、各々の装備の最終点検を行っている。周囲一キロという長大さで点在するそれぞれの星子点からは、異音の正体である呪力発生装置からの魔力線が六芒の形に延びて、今回の『戦場』を形成している。これは幻想種たちへの包囲陣であると同時に、彼らの力を抑制する簡易結界としての役割も果たしている。

 また、あたりにはシルフとノームに働きかけて作成された『浮き島』がいくつも漂っている。半日と保たずに崩れ落ちる臨時の足場だが、戦場を広く見渡すことのできる利点は計り知れない。その浮き島のひとつに、地上の秘術師たちに指示伝達を行っているユルギナと、厳しい眼差しで径発生地点を睥睨するクロフォードの姿があった。

「ねえクロフさん。これ、筋斗雲セットって名前つけて宣伝したら売れると思いません?」

「……購入者が転げ落ちて販売中止が関の山だろうな」

 心中に湧く苦々しさを噛み殺して、クロフォードは視線を向けぬまま答えた。この道化ときたら、浮き島に乗り込んでからずっとこの調子である。地上はすでに、どこもかしこも戦場特有の緊張感に包まれてきているというのに。


「またまた。そう邪険にしないでくださいよ。これは僕の地だから変えようないんですって。それに仕事はちゃんとこなしてるでしょう?」

 そう言ってお手上げの構えを見せるユルギナ。人を食ったような不真面目な輩だが、それだけは認めないわけにはいかなかった。径から出てくる幻想種の対抗属性を備えた武装の数々、翼ある敵への対応手段として用意してきた浮き島など、総合的に見て不足のない的確な作戦と言える。そして何よりクロフォードがしてやられた感を覚えるのが……

「あ、もしかして新米君の名前出さなかったこと、まだ怒ってます?」

「……知っていたら来なかった」

「あはは」

 教会でユルギナに誘いを受け、丸一日悩んだ末に結局足を運んだつい二時間ほど前、クロフォードは聖櫃騎士団が派遣した正騎士格の人物を知った。

 新米聖櫃騎士の名はカガホ・ダイドウ。クロフォードの師匠筋に当たる人物の直系で、物心ついたときから戦闘のイロハをその身に刻み込まれてきた、筋金入りの『サムライ』だ。

 幻想種との対峙経験こそないのだろうが、かつての第三位『剣姫』から皆伝を受けた男に「今回が昇格後初の仕事になる新米君」などという侮った表現は断じて相応しくない。


 その青年は、いまはクロフォードたちの対角の星子点上空で待機していた。彼が第一星子点から第三星子点のエリアを担当し、残りをクロフォードが担当する。星子点の維持・防衛を最優先に動く他の要員たちに対し、青年とクロフォードは、戦場を自在に駆け巡る独立友軍の立場で本作戦に臨むことになる。

「ま、でもクロフさんが来てくれて助かりましたよホントに」

「心にもないことばかり言って、そのうち舌を引っこ抜かれても知らんぞ」

 クロフォードの精一杯の嫌味にユルギナはお腹を抱えて爆笑した。そのまましばらく笑い続けて、クロフォードがいい加減渇を入れてやろうかと思案し始めた頃、ずれた眼鏡を直しながらこんな台詞を呟いた。

「いやあ、なんか今回のは嫌な予感がするんですよ。最近立て続けに妙な事件ばかり起きてるでしょう?」

 そう言ってユルギナが嘆息したまさにその直後、空間が裂ける轟音と衝撃波がクロフォードたちを襲った。吐く息さえ白く染まる冬の早朝に生まれた墨一点。闇の色をした亀裂からバケモノたちが溢れ出してきた!


「来たな」

「予定時刻より少し早かったですね」

 ユルギナはヘッドセットのインカムをオンにした。

《皆さん、作戦開始のお時間です! ちゃっちゃと片して家に帰りましょう!!》

 ユルギナの号令とともに各星子点に配置された特殊機材が起動されていく。戦場のあちこちから神の威光を称える聖歌が鳴り響き始め、聖光効果つきの照明が、魔力線が形作る戦場の外壁――流れ落ちる聖水でできた滝を美しく照らしだす。

「それでは行ってくるが……君の守りは考えなくていいのか?」

「ああ、僕は大丈夫です。ここに自前の用心棒がいるので」

 莞爾と笑って自身の肩を指差すユルギナ。そこには先日見た仏頂面の使い魔が、腕組みしたまま瞑想していた。

 クロフォードはひとつ頷くと、浮き島の淵から足を踏み出して地上へと落下していった。




 ――思った以上にブランクが酷い。

 自分の肉体が思ったとおりに動かない現実に、クロフォードは歯噛みした。

 聖櫃騎士団を退役してからも日々のトレーニングは欠かさなかったが、それでも実戦から遠ざかったために失われた要素は数え切れないほどあった。往時ならば一撃で仕留められただろう相手にあと一歩が踏み込めず、そのせいで敵の反撃を躱わすという余計なプロセスが生じる。必然的に討ち漏らしが増え、敵に回復と再起の機会を与える。〇コンマ一秒の奪い合いとなる戦場において、それはまさしく生死を分かつ結果を呼び込みかねない。

 クロフォードは深く息を吐いて頬を叩いた。

 集中できていない。――いまはただ、目の前の敵を屠ることのみを考えるべきだ。

 クロフォードは足を止め、神字エミュレータを起動。五体を呪化強化して家屋の壁を蹴り、付近の上空を漂っていた浮き島へと飛び上がる。

 やはり敵幻想種の大部分は星子点に集中していた。さきほど散らしてきたばかりだが、再び寄り集まっていまは第四星子点が混戦状態になっている。星子点同士が線で繋がることで戦場を維持しているため、その一角が崩されるとエリア内にいた幻想種が外に溢れ出てしまう。半年前に起きた脱出事件もそれが原因で発生している。同じ轍を踏むわけにはいかない。


 浮き島から浮き島へと土を蹴り、第四星子点へと急行すると、部隊から孤立している数名の警官、秘術師らの混成チームが目に入った。どうやら負傷者の救出に手間取っている間に、このような事態に陥ってしまったらしい。クロフォードは即座にその只中へと身を投じる。

「神父!」

 警官の声に幻想種たちが振り向き、いっせいに飛び退いて距離を取った。

「こいつらは私が相手をする。君たちは最寄の隊に合流して、小隊長の指示を仰ぎなさい」

「はっ」

 怪我人を担いで警官たちが退却していくのを見送りながら、クロフォードはテンペストを構えて敵の様子を窺う。

 やけに警戒されているらしかったが、その理由はすぐに判明した。さきほど討ち漏らした幻想種が敵陣に含まれている。狼と熊を合わせたような外見をしたそいつが、殺戮の宴を告げる集合咆哮をあげた。周辺区域から続々と敵個体が集まってクロフォードを取り囲む。その数、実に九体。

 心得のない者からすれば、それは絶体絶命の窮地にしか見えなかったろうが、あいにくクロフォードの心中にあったのは血が沸くような高揚感だった。


 ――実戦の勘を取り戻す相手としては申し分ない。

 鎌を掲げた死神姿の幻想種と、山羊頭の幻想種が踊りかかってくる。

 クロフォードは腰溜めに構えたテンペストを一閃。無策に突っ込んできた連中をまとめて薙ぎ払った。光輝に包まれた連中は、聖句を唱えながら十字を切って神の身元へ強制シフト――クロフォードの背後で様子を伺っていた幻想種たちに衝撃が走る。そして次の瞬間には、動きを止めた連中の頭上に聖榴弾が山なりの弧を描いていた。爆裂したそれは、内部に含んでいた聖水や複製聖骸布の切れ端を撒き散らし、結果として敵の一団は大混乱に陥った。

 クロフォードは懐からパルスライフルを取り出して発砲。しかし銃器の心得がないため、ロクに狙った場所にエネルギー弾が飛ばない。

「やはりこういったものは好かんな」

 クロフォードは諦めてテンペストに手を伸ばしたが、その柄は掴ませじと突進してきた狼熊によって弾かれてしまった。

「……なるほど、狙いは悪くない」

 一度痛い目を見ただけあって、正面から突っ込む愚は犯さず仲間に攻めさせて隙を窺っていたわけだ。悪知恵が働くというか何というか。テンペストさえ奪えば無力と判断したらしく、狼熊は無造作にクロフォードに掴みかかり……そしてその浅はかさの代償を、自身の命で支払うこととなった。


 クロフォードの重心が深く深く沈み込む。

 踏み込んだ足が地面にめり込み、それを軸にタービンのように身体が半回転。無防備な背を預けるようにして敵に触れる。あまりにも澱みなく行われた一連の動作は、それが攻撃行動だということを相手にさえ気づかせることなく完了した。

 ――大爆発した。

 迫撃砲でもぶっ放したのかという轟音とともに、身の丈二メートル半はあろうかという狼熊の身体が吹き飛び、爆散したのだ。

 これがクロフォードが師より受け継いだ無手の切り札――浸透勁だった。足首から始まり、腰や肩などの各関節部位の捻転によって生じる運動量、それらを損なうことなく一点に集約して放出することにより破壊力に転化する、幻の技術。素のままで打ってさえ、突き抜けるエネルギーは対象の内臓を破壊するのに充分な威力を誇るのに加え、身体施呪によって強化されたそれは、爆薬じみた威力を誇る凶器と化す。

 残り六体。

 自分たちが狩る側ではなく、狩られる側であるということを思い知った幻想種たちは、大慌てで散り散りに遁走し始めた。


 クロフォードが気勢をあげて進撃を開始する。最高の打突を、最適の角度で打ち込む。それだけを考える鬼神と化して。クロフォードの信仰する神にその名はないが、触れる者すべてを呑み干していく嵐のような行進は、まさしく戦場を征く不動明王だった。

《お見事、お見事~》

 追撃をかけた最後の幻想種を討ち取ると同時に、通信素子から気の抜ける声と拍手の音が聞こえてきた。

「ユルギナか。どうした?」

《戦況も落ち着いてきましたし、そろそろ締めの時間かなと。切りのいいところで引きあげてきてください。カガホくんにも招集かけてます》

「心得た」




 径の内部へと足を踏み入れたクロフォードを出迎えたのは、定まった形を持たず、たえず揺らめき仄暗い色彩を見せる異次元回廊だった。

 教会の隠れ部屋への結界を潜り抜けるときと同種の違和感に襲われ、クロフォードは強く奥歯を噛み締めた。足元のぐらつき、視界の歪み。せりあがる嘔吐感を数秒堪えると、やがてたわんでいた回廊が均質な闇色の道となって、クロフォードの前に広がった。径の磁場と肉体が同期したのだ。

 薄緑色の輪郭線だけが縦横無尽に周囲を走って、トンネル状に道を浮かびあがらせている。

「大丈夫ですか」

「問題ない。君こそ径を潜るのは初めてなのだろう?」

「ええ。でも聖櫃騎士団の仮想空間で散々訓練しましたから」

 カガホはクロフォードに向き直って敬礼をした。上位の者に対して礼を尽くす、聖櫃騎士団における正規の型だった。

「お久しぶりです、クロフォードさん。お変わりないようで」

「君も元気そうで何よりだ。前に会ったのは……」

「三年前です。祖母の葬儀のときです」

「カエデ様には世話になった……君は変わったな。あのときはまだ年端も行かぬ少年だった」

「はっ、恐縮です」


 追憶のなかの少年と、目の前にいる青年を重ねてクロフォードは微笑した。

 立ち居振る舞いを見れば一目でそれと知れる。大任を拝した若者にありがちな血気に逸る振る舞いを見せるでもなく、さりてと徒に怯えるわけでもなく――カガホは己とそれを取り巻く環境を在るがままに受け入れて、その上でさらなる高みを目指さんとする本物の闘士だった。三年前の時点で、いずれは階位を与えられるに相応しい才気を示していたが、その魂は時を経てさらに好ましく成長したようだ。

「祖母が言っていました。無手の戦闘術を知りたいのならクロフォードに学べと。おまえには流派の表を、奴には裏を伝えたと。……数多の武勲を打ち立てた先代七位、『銀釘』と戦場を同じくすることができて光栄です」

「そんな必要はなかったと、さきほどユルギナに愚痴を零してきたばかりなのだがね」

 一瞬、虚を突かれたあどけない表情をカガホが見せた。それから、自分が最大級の賛辞を受けていることに気づいて頭を下げた。

 ふと、クロフォードはこの青年にすべてをぶちまけたい衝動に駆られた。

 私が娘のために悪魔と取引したのだと知ったら、カガホは何と言うだろう? たったひとりの娘を蘇らせるために、万の民を裏切る行いをしているのだと知ったら。

 クロフォードはかぶりを振って、通信装置の状況をスタンバイに設定した。

「先に進もう。ユルギナ、聞こえているか? これより『力場』に突入する」

《はいはい、さくっと散らしてきちゃってください》

「了解」

 カガホが先に立って、ふたりは径の奥へと進んでいった。




 方舟の市民の多くは、径を単に『空間に開いたバケモノが出てくる穴』と認識しているが、これをより詳細に言い表すと、『異なる次元同士を繋ぐサブエーテル領域の侵入口』となる。サブエーテル領域とは、次元跳躍艇などがワープ航法を行う際に通過する亜空間のことで、宇宙に満ちる次元粒子『エーテル』を介して開閉が行われる。

 エーテルには恒常性が備わっており、通常、開かれたサブエーテルへの通行扉――径は永続しない。さらに方舟五大都市には『都市結界』と呼ばれる特殊なフィールドが張り巡らされており、管理局の指定するポート以外からの開閉は拒否されるよう条件づけられているが、市外組織アウトサイド――そしてその裏で糸を引くとされる超越者らは、特殊なアーティファクトを用いることで原則そのものに攻撃を仕掛けてくる。

 吹き鳴らすことで無数の次元からひとつを確率選択して開く角笛。紙面に記述した接続式でもって次元移動を行う接続書。配された次元同士を結ぶ二対のクレッセント――クロフォードが知っているだけでも、エーテルに干渉して径を生じさせる祭器は相当数存在する。そしてこれらが使用された場合、サブエーテル領域内に径を維持しようとする力場が形成されるため、攻め込まれた側は能動的な解呪処置を迫られるのだ。


 径の出口で対処網を敷いて行われる迎撃戦に比べて、力場への侵入は遥かに危険が伴う。敵性組織の本隊が待ち受けているのは無論のこと、物理法則さえ彼らに都合のいいように捻じ曲げられている例もあり、数に任せた生半可な兵力の動員はいたずらに犠牲を増やすばかり。そこで攻略においては、単体でも戦局を左右し得る戦闘力保持者――すなわち、クロフォードらのような人間兵器を投入するのが基本となる。

 クロフォード、カガホ、両名共にすでに戦闘態勢。クロフォードはテンペストの聖威を最大にまで引き上げているし、カガホもテンペストと同種の武装――聖櫃武器『朱雀』と『玄武』の抜刀態勢を維持したまま歩を進めている。ふたりとも、力場に近づくにつれて尋常ならざる気配が濃くなってきたことに気づいているのだ。ここまで、表に溢れ出た幻想種たちの残党にまるで遭遇しないことも、逆に彼らの警戒感を掻き立てていた。

 やがて領域内の力場に辿り着き……ふたりは言葉を失った。

 世界が色を変えた。目に映る光景の威容――クロフォードらを取り巻くのは、遙かなる年輪を刻んできた大理石造りの支柱。厳かなる大宮殿。つい数歩前まで薄気味悪い回廊を歩いていたはずが、いまや白亜の居城の床を踏みしめているのだった。


「なん……です、これ? クロフォードさん、これが力場ですか?」

「いや、私もこんな異様なものは初めてだ。これはまるで――」

 旧き時代、ギリシアの地にそびえていたとされるパルテノン神殿――そう続けようとしたクロフォードの言葉が途切れた。

 クラシック交響曲の如き優雅な調べが聞こえ始めたのだ。

 まるで彼方で演奏されているかのように繊細で、だが耳にする者の畏怖を掻き立てずにはおかない旋律。

 次第に宮殿の静けさを塗り潰していくように朗々と鳴り響き始める。

《クロフさん!! カガホくん!!》

 アームデバイスの通信球の色が、グリーンからレッドに切り替わった。径の外にいるユルギナからの強制通信だ。

《径に異常発生! Lvと属性に変化が生じ……うわわ、なんだこれ!? タイプ・アンノウン! Lv測定不能?! ヤバいヤバい、ふたりとも状況放棄して全速で離――》

 ユルギナの言の途中で通信球は色を失い、だがそれより早くふたりは方舟側への径へと駆け出していた。しかし、そんな彼らの目の前で空間が捻れて径が遠ざかる。あたかも彼らの運命を嘲笑うかのように。やがて径は虚空へと溶けて、彼らは出口のない力場に取り残された。


 いまや宮殿に鳴り響いている音楽は、ふたりの耳を圧するほどに大きく膨れあがっている。

 そしてそれは、ついに音とは別の姿を取って溢れ出てきた!

「なっ……!?」

 光。溢れんばかりの聖光。神聖和音をともなう輝きが力場に顕現する。神々しささえ感じさせる光の奔流が、何らかの形を取ろうと収束し始めている……!

 カガホが抜刀した。

「焼き尽くせッ!!」

 彼の意志が命ずるまま、朱雀の刀身が火の鳥と化して解き放たれた。周囲の空気を孕んで大きく羽ばたきながら光の主を包み込み、骨も残さず蒸発しそうな凄まじい閃熱を炸裂させる。

 怪異に即座に反応して攻撃行動に移ったカガホに対し、躊躇のために動くことのできなかったクロフォード。

 結果として、それが両者の明暗を分けた。

『汝は罪の報いを受けるであろう』

 硝子玉を思わせる透きとおった声が、荒れ狂う炎のなかからカガホに罰を宣告した。それと同時に掻き消える炎の鳥。光の主が、何らかの手段でカガホの攻撃を無効化したのだ。そして次の瞬間、カガホは自らが放った業火に包まれて炎上した!!


「カガホ!!」

 立ちのぼる火柱に炙り尽くされ、悲鳴すら洩らせずに崩れ落ちるカガホ。

 やがて炎が消えた。駆け寄ったクロフォードが目にしたのは、全身火傷を負ったカガホの散々たる有様だった。ところどころ炭化している部位まで見て取れ、もちろん意識は失われている。通常の成人男子の場合、第III度の熱傷が全身の30%を超える場合に重度熱傷と判定されるが、これは明らかにその範疇――対抗術式を組み込んだ装束に身を包んでいなければ、ショック死しているレベルだ。

 クロフォードは疑似聖痕から『治癒』を起動。快癒を促す光の泡に包まれて、カガホの吐息が落ちついた深いものへと変わる。人体に備わった自然治癒力を極限にまで高める性質の術式だが、あくまでその源は被術者自身であり、本人の体力次第の側面もある。つまるところ、急場を凌ぐ応急処置でしかない。一刻も早く『復活』をかけてやらねばならなかったが、この状況下で施術中完全に無防備となる選択肢を選べるはずも……

『それは偽りである』

 光の主が紡いだ言葉に、クロフォードは注意を引き戻された。

 いまや敵ははっきりと人型を為そうとしていた。力場を満たさんばかりに無尽蔵に放出していた光を吸い戻すようにして凝縮していく。


 クロフォードはカガホを抱え、いまにも弾けそうな焦燥を抑えつけながら高速思考。

 状況は最悪の一語。たまたま敵に助けられたが、このまま意識のないカガホを庇いながら立ち回るなど狂気の沙汰だ。上手く注意を引きつけてから放り出さねば、次代を担う若き戦士はこの場で屍となってしまう。

 しかし光の主はクロフォードたちに向かってくる気配を見せない。

「何が偽りなのだ!?」

 クロフォードは時間稼ぎのつもりで問答に応じた。

 結果、急所を串刺しにされた。

『堕ちたる者よ、汝は恐れているのだ。いま汝が執り行っている術式とは違い、それは奇跡の領分となる。私欲のために邪悪と契約を交わした身に、果たして神聖なる力を行使する資格があるのかと――』

「――――ッ?!」

 絶句するクロフォードを尻目に、光の主がカガホに向けて指をかざした。

 クロフォードはカガホを抱えたまま飛び退ったが、それは攻撃を意図したものではなかった。その証拠にカガホの全身が強い輝きに包まれ、見る見る内に細胞が賦活し始めた。水泡が縮んでいき、炭化した組織は剥がれ落ち、そこから樹木が生育するように肉が盛りあがっていく。まるでフィルムの逆回しのようだ。


 クロフォードの全身が総毛立った。瞬く間に生気を取り戻していくカガホ。復活の術式に似ているが何かが違う。感じたままを述べるなら、これは『カガホを作り直している』ような。これはいったい? いや……。

「おまえは……なんだ……?」

()

 宣言と同時に光波が力場に迸った。そしてさきほどまでの大音量が嘘のような静寂の中心に現れたのは、茨の冠に紫の薄絹をまとった男――伝承に謳われる旧き聖者の似姿だった。

 聖者は――いや、神は透徹な眼差しをクロフォードに向けた。そこにはいかなる感情も読み取れない。人の心を見透かす真実の瞳は完全に無色であらねばならない、反響体であるがゆえに一切の揺らぎも認めてはならないとでも言うように。

 ただ対峙しているだけで魂を削り取られていくようなプレッシャー。

 本物なのかと疑う気持ちは露ほどにも浮かばなかった。

 なぜこんな場所にという思いはあっても、目の前の存在が神を語る不埒者であるなどという考えは欠片も生じなかった。

 カガホを癒した凄まじい奇跡を目の当たりにしたからというのもあったが、何よりもクロフォードにそれを知らしめていたのは、突如として膨れあがった自身の信仰心――その場に跪いて赦しを乞いたいと願う畏敬の念だった。これが偽者であるわけがない――偽物であるならば、この全身の震えはどこから来るというのか?


 神はいたのだ。そして我が行いを、天の頂より見下ろしていたのだ。

 クロフォードはカガホを地面に下ろし、そして震えを噛み殺して裁きの瞬間を待った。

 後悔はあった。

 自身の生への未練ではない。……キリエをひとり方舟に残してしまうことの苦しさだった。

 すまないキリエ。父さんは、ついにおまえを救ってやることができなかった。できる限りの手を尽くしても、おまえに魂を取り戻してやることができなかった。新しい命を与えてやることができなかった。父さんは――…

 だが、神はクロフォードにいかなる裁きも下しはしなかった。

『心して聞け、ゲオルク・クロフォードよ。方舟に危機が迫っている』

 呆気に取られたクロフォードに、機械のごとき無表情でそう告げる神。

『先代の柱が役目を終えようとしているのだ』

 一瞬、クロフォードは混乱したが、すぐに神が何を指して『柱』と言ったのか思い当たった。この方舟五大都市層を護る都市結界、その生成に要する、ある希少な特質を秘めた……

『このままでは邪悪なる者どもがはびこり、方舟は未曾有の混沌に支配されよう。我が計画は水泡に帰す。ゆえに、汝は新たな柱を立てねばならぬ』

 だが、クロフォードはまだわからずに呻いた。

「……なぜ私に……貴方に背いた私にそのような大任を?」


当代の柱を育てしは汝(,,,,,,,,,,)ゆえに(,,,)


「――――」

 クロフォードの頭蓋のなかを、神の紡いだ言葉がビブラートを効かせて飛び跳ねる。

『三日後、天より星の降りきたる刻限に、汝の娘――キリエ・クロフォードを我に捧げよ』

「――馬鹿なッ!!」

 その言葉の意味を理解して、クロフォードは我を忘れて絶叫した。

「なぜ、なぜあの子が!? そんな馬鹿な話があってなるものか!! あの子は何の力も持たず、何の訓練も受けていない……ただの幼子! 人が生き、そして死ぬという真理さえ、本当には理解できていない子供なのです!! 私の命ならいくらでも捧げます! 神よ!!」

『すべては我が摂理のうちなのだ。汝の堕落も、かの幼子が柱として捧げられることも。ゆえにこそ、我は当代の柱の寄る辺として汝を選んだ。邪悪なる者どもの姦計により穢れた汝の魂は、人柱に杭を打ち、その血に触れることでのみ清められる。汝の罪は贖われ、そしてすべては調和する』

 薄ら寒さとともにクロフォードは悟った。これは確かに神だ。方舟と人類に救いをもたらす、我が信仰そのもの。

 だが同時に機械だ。一切の論理的矛盾も許さない、プロセスから生まれて結果へと還る神。機械は信仰など求めない。ただ『為す』ために在るのだ。

「私に死後の救いなどいらない! 慈悲を! あの子に慈悲をお与えください、神よ!!」

『汝、悔い改めよ――』

 話は終わりだというように、神はクロフォードに向けて手をかざした。

 クロフォードの意識野は光に塗り潰され、抗うこともできずにその先の闇へと溶けた――。

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