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幻代群像 -MystArk-  作者: 水沫ゆらぎ
Dealings with evil
17/46

第一話

 聖なるかな 聖なるかな 聖なるかな

 昔いまし 今いまし 永久にいます 主を讃えん


 願わくば 御身の御名を 崇めさせたまえ

 救いの子をもたらし 約束の地へと導きたまえ

 御心の天に為るごとく 地にも為させたまえ

 我らに罪を犯す者を我らが許すごとく 我らの罪をも赦したまえ

 我らを試みに遭わせず 悪より救い出したまえ

 方舟と力と栄えは 限りなく汝のものなればなり


 父と 子と 聖霊の御名において

 主よ 憐れみたまえ――


 結びの聖句を唱えると、契約を終えた『神』の欠片がクロフォードの身体から飛散した。

 右腕にびっしりと刻まれた聖痕から光が消失し、クロフォードの魂が永遠の楽土から墜ちていく。耳の傍を轟々と過ぎてゆく灼熱の風に、脳髄まで焼き焦がされる感覚。だが、そんな狂おしい苦悶の最中にも、クロフォードの視線は眼下の青い惑星に注がれている。

 視界一面の海と、そこに浮かぶ染み一点。――方舟。

 初めは砂粒ほどの大きさでしかなかったそれが、墜落に伴いクロフォードの視界に幾何級数的に広がり、一瞬の後には激突。暗転。――そうして、彼の意識は現世へと帰還した。眼の焦点が定まってくるにつれ、ともに祈りを捧げていた信徒たちが像を結び始める。

「どうもありがとう御座いました。これで本日のミサを終了します」

 敬虔なる神の僕――クロフォード神父は、聖印を切って儀式の終了を宣言した。

 厳かなる祭祀の場が、一転して市民会館に早変わりする。怖いもの見たさで参加してみたらしい少女たちが談笑を始めれば、次回の礼拝について板所のメモを取り始める生真面目な学生もいる。変わったところでは、私設孤児院に勤務している情操教育用ドロイドなんてものまで。神の門戸は、何も人類のみに開かれているわけではないのだ。

 ミサの伴奏をしていた受付嬢のミリアムが、近所の子供たちにピアノを弾いてとせがまれている。そしてもちろん、こうして信徒の様子を観察しているクロフォードも、井戸端会議に興じていたおばさん連中に声をかけられ、取り囲まれた。


「神父は~ん、今日も格好良かったでぇ」

 しなを作った声でクロフォードを捕まえたのは、プライムシティ二番街の町内会役員を務めるカリーニ女傑だった。彼女は教会前の通りにずらりと並ぶ賃貸アパート群の大家でもあり、支払いの滞りがちな居住者たちから悪鬼の如く恐れられているとか何とか。

「はは、そう言ってもらえると私も張り合いが出ますよ」

 実を言うと、クロフォード自身も少々苦手な(豪快な気質が特に)相手だったりするのだが、もちろんそんな態度はおくびにも出さない。

「お世辞やないでぇ? ウチは毎週、神父はんのピカピカを見に来とるんや。あれはごっついご利益があるでなあ」

 カリーニ女傑が、クロフォードの袖捲くりしたカソックの右腕を見て、ありがたそうに手を打ち合わせる。

 かつて地上を水没させた大厄災――史書に『リヴァイアサン・ショック』と記された惨事の爪痕は、単なる物質的な破壊の域に留まらなかった。惑星一帯の次元法則までもが擾乱された結果、無数の文化が正統進化の道標を失い、第六知覚器を備えない人類の眼にも元素精霊たちが映り込むようになるなど、世界の在り様は大きく様変わりした。


 もちろんその変容は宗教ひとつとっても例外ではない。今日では、旧時代に栄えていた宗教の多くが方舟国教『アーク教』に吸収・統合され、広く方舟市民の信心を支えている。

 母体が旧時代のキリスト教であるため、アーク教にもその特色が色濃く継承されているが、クロフォードの右腕に刻まれた疑似聖痕『神字エミュレータ』は、いかなる旧世界の宗教とも一線を画すだろう。

 秘術師たちにより、かつては一握りの聖職者のみが有していた超能力――水を葡萄酒に変え、一粒の小麦から無数の粒を生み出し、嵐を鎮め、病人を癒す、といった奇跡の原理が解明され、前述の刻印型ソフトウェアとしての再利用性が確立された。強々度の信仰を糧に、可能性の源たる超越仮想概念『神』を己が身体に降ろし、霊性に応じた超常現象を意のままにする術を人類は得たのだ。

 神降ろしを行った者の肉体は原子レベルで聖別されるため、女傑の言葉どおり、放たれる聖光には簡易的なお祓いとしての効能もなくはない。とはいえ、神ならぬ身のクロフォードとしては拝まれても反応に困るというもの。愛想笑いを浮かべるしかなかったが、そこで女傑が「そういえば」とぽんと手を打ち鳴らした。

「昨日、ガラの悪そうなのがうろついてたンやけど、神父はんはご存知ですかいな?」

「ガラの悪そうな?」

「鳥みたいな頭のとたぷたぷした男の二人組や。どっちもサングラスかけて黒のスーツ着とる。平日の昼間からうろちょろしとるさかい、水撒いてやったら慌てて逃げてったわ!」


 豪快に笑い飛ばすカリーニ女傑に苦笑しつつ、水を撒かれて退散した哀れな二人組とやらに黙祷を捧げる。

 そんな調子で小一時間ほど井戸端会議につき合うと、女傑とその一味も満足したのか、のしのしと赤絨毯を踏みしめて扉の向こう側へと消えていった。こっそり溜息をついてミサの後片付けに手をつけようとしたそのとき――ひとり、席から立たずにその場で俯き続けている少年がクロフォードの目に留まった。

 クロフォードはその少年に見覚えがあった。教会からふたつばかり路地を挟んだ先にある青果店の息子だ。いつもは母親に連れられて来るのだが、今日はどういうわけかひとりでミサにあずかりに来たようだ。

「やあリッヒ、いつも熱心なことだな」

 少年の名を呼ぶと、彼は肩を震わせてのろのろと顔を上げた。そこにはどこか怯えたような表情が浮かんでおり――クロフォードと視線が合うとまた所在なさげに俯いてしまった。

 ははあ、とクロフォードは思った。

 クロフォードは微笑を浮かべて、リッヒの手前の椅子に腰かけた。

 ――迷える子羊の悩みに耳を貸すことも、神父の大切な仕事である。




 ボクは罪を犯してしまいました、とリッヒは告白した。

 うちは借家だから大家のおばちゃんに怒られるし、ちょっと目を離すとこいつはすぐに軒先の野菜で遊んじゃって、それで捨ててこいって。でも、ミアキスに訊いたら《現在、中央公園における野良猫の推定繁殖数は許容水準値をおよそ30%超過しています。処分該当固体として対応します。よろしいですか?》って――。

 リッヒが目に涙を溜めて外から抱えてきたのは、『拾ってください』と油性ペンで走り書きされたダンボールと、そのなかで瞳を丸くして鼻面を突き出している一匹の子猫だった。

 話を継ぎ合わせると、怪我をして動けなくなっている子猫を介抱したものの、父親に見つかって捨ててこいと命じられ、仕方なく拾った中央公園――プライムシティの基盤中枢部に広がる市民公園――に戻そうとしたら、園内を巡回していたミアキスに見つかり進退窮まったということらしい。

 ミアキスとは、中央公園を巡回警邏する二足歩行の猫型ガイド・ドロイドのことである。平日はビジネスマンの息抜きに、休日は家族連れのオートキャンプ等に利用される中央公園だが、まれに園内で繁殖した野生動物がひょっこり外へと迷い出てしまうことがある。そういう間抜けな動物を安全な場所に戻したり、病気になった動物を伝染病予防のために隔離するなどして公園内の環境均衡を図るのが、ミアキスの主な仕事である。他にもゴミのポイ捨てやキャンプの後片づけをしない等、マナーの悪い利用者には教育的指導――ゴミを投げつける、コブラツイストを決める、同僚の小蠅型機体、ベルゼブの集団をけしかける――を行うなど、その仕事ぶりは非常に多岐に渡る。


 ともあれ――リッヒの思い詰め方も相当のものだと、クロフォードは内心で苦笑した。子供というのは得てして繊細な心をその身に宿しているものだが、猫を拾ってきて『罪を犯してしまいました』と泣きじゃくる子はなかなか見ない。硝子細工のような心を壊してしまわないように、こちらも細心の注意と誠意を以って応えねばなるまい。

「リッヒ、君にひとつ大切なことを教えよう」

 クロフォードはしゃがみ込み、リッヒの肩に手を置いて言った。

「神様はね、君のすぐ傍にいるんだ。いつだって君の行いを見守っている。善い行いに対しては報恩を、悪なる行いに対しては罰を。神様は方舟に生きるすべての人々の行いを、赤ペンで採点しているんだ」

「……ボクがこの子を拾ってきたときもいたの?」

 なんだか学校の先生みたい、と不思議そうな顔をするリッヒ。けれど、その瞳はすぐに憂いの色を帯びる。

「でもボク、神様なんて見えなかった……」

 力なく俯いてしまったリッヒに、クロフォードは辛抱強く語り聞かせる。


「見えやしない。君の言うとおり、神様はそう簡単に我々の前に姿をお見せにはなられない。けどね、確かにそこにいるんだ。でなければ、どうして君がその子猫を介抱してあげられただろう? この冬の日、吹けば消えてしまいそうな命の灯を必死に守り抜いて、君と巡り合った。それはね、この子が神様に『生きる』ことを赦された証だと私は思うよ」

 ダンボールのなかの子猫が小さく「にゃあ」と相槌を打った。純朴なリッヒとは対照的に、悪戯好きそうな目をしぱしぱとまたたいて生欠伸を噛み殺している。この分だと、別にリッヒが拾ってこなくとも、他の猫の餌を拝借するぐらいは要領良くこなしそうだったが、もちろんそんな冗談を口にするわけにもいかない。

「そして君は、助けを求めるその子の声を聞き抱えあげた。それは何ら見返りを求めるものではなく、ただただ弱いモノを救いたいという真心から行われた行為――善行と呼ぶに相応しい行いだ。確かに思慮は足りなかったかもしれない。その子を連れ帰ることで、大家さんやご両親に迷惑をかけてしまったのは事実だろうから。だが子猫を助けた君の行いは、神様に花丸をもらえる立派なものだ。罪を負うべき悪なる行いでは決してない。胸を張っていい」

 クロフォードが断言すると、泣きべそをかきながらもリッヒが微かに微笑んだ。

「さしあたっての問題は、子猫を無事に育てられる環境が整っていないということだな?」

 リッヒが頷く。せっかく戻った笑顔が、また不安げな曇りに塗り替えられてしまう。


 クロフォードは力強く微笑むと、その大きな手のひらで優しくリッヒの頭を掻き混ぜた。

「大丈夫、こういう場合にぴったりの方法がある。リッヒ、神の御名において君に宿題を与えよう。子猫の里親を募集するポスターを作って、街中の掲示板に貼りつけてくるんだ」

 リッヒはぽかんとした表情でクロフォードを見つめ返してくる。

「引き取り手が見つかるまでは、当教会で子猫の万全なる保護を約束しよう」

 その台詞がリッヒの脳に染み込むまでにきっかり三秒。

 クロフォードの言葉を理解すると、リッヒの表情は輝かんばかりの喜びで満たされた。

「……はいっ! 神父さま、ありがとう御座いますっ」




 数分前までの様子が嘘のような勢いで、リッヒは教会を飛び出していった。

 希望に満ちた子供の後ろ姿を見送りながら――クロフォードの顔に浮かぶのは悔恨と苦悩。

 告解に訪れる信徒たちに、都合のいい嘘で塗り固めた言葉を返す――この罪深い行為だけは幾度繰り返しても慣れない。クリニックで精神病患者を相手に施す催眠術とまったく変わらない。少なくとも、クロフォード本人はそう思っている。

 神の赦しを空約束することで信徒を欺き、神の御心と証してアーク教の、ひいては管理局の規範を埋め込んでいく。信頼を踏みにじる悪辣非道。詐術と何ら変わらないではないか。

 神などいないのだ。

 クロフォードはそれを知っている。骨の髄までその事実を思い知らされながら、しかしどうすることもできない……。

 人気のなくなった礼拝堂で、クロフォードはひとり、虚ろな眼差しで祭壇上部に掲げられた救世主像を見やった。背に天使の羽根を生やした子供の像。全身から茨を生やし、胸に十字架を抱いて器物の微笑みを浮かべている……。

 すべては二年前のあの日。

 あの運命の日に、クロフォードの神は喪われた――。

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