第九話 椎茸
久志が、窓口課の女性へがなり立てた内容を、罵詈雑言や脱線を省略して、簡潔にまとめれば、
──プチ家出中の久志君(A大学在学・留年中)が、中学時代からの友人である護君(W大学在学・写真部所属)の下宿先に押しかけた。
快く受け入れる梅ノ辻家。そしてゼパールが夕飯を提供。
しかし、その料理の中に、久志君の大嫌いな椎茸が入っていたため、彼は食べることを拒否。ゼパールは
「そんなことじゃ大きくならないぞ!」
と、笑顔で彼の肩を叩く。
だが、その大きな腕から繰り出された肩叩きの威力は甚大で、途端に激痛が、彼を襲った。
翌日、彼は病院を訪れ、頸椎捻挫(俗称ムチウチ)と診断される──
「つーか、もうハタチなんだから、これ以上デカくなんねぇって、分かんないワケ? アタマ足りてるの?」
と、久志の注釈が入ったところで、実に胡散臭い訴えは締めくくられた。
いや、当事者達の第一印象や身なり、そして言動に引きずられてはならない。ゼパールは、史のボディーガードという役割も兼ねるため、肉体面で大きな強化が施されているビーストなのだ。
例え被害者が、外で破廉恥行為をするバカだとしても、その訴えを端から否定することは、話し合いを混迷化させるだけだ。
「そのハタチの大人が、肩叩かれたぐらいでよ、ムチウチになんのかい?」
胡坐に戻ったメフィストは、初っ端からケンカ腰だった。
ああ、禁句言っちゃったよこの子……畳に突っ伏したい気持ちに駆られる。
「ハ? なに、オレ、ウソついてるって思われてんの? マジ心外なんっすけど」
鼻で笑っているものの、久志の頬にやや、赤みが差している。そりゃ怒るだろう。
挑発に乗られる前にメフィストを制止しよう、と手を伸ばしかけるが、それより早く、ぐるりとこちらを振り向かれた。
「おい。ほんとにアイツぁ怪我してんのかい? 病院にも下調べしてんだろ?」
真紅の目は、訝しげに細められ、ほっそりした鼻梁にも、しわが寄せられている。
「そりゃ、病院と保険会社には確認済ですが……そっちもしてるんじゃ?」
「あいにく俺にゃあ、あんな汚ぇ字を読む特異性がねぇもんでな。診断書って、何語で書かれてんだよアレ?」
「まぁ、そうですね」
ため息一つ。ウィッカから、病院での治療内容を引き出す。
「初診時の彼岸市立病院から転院され、現在は朝倉整骨院で通院中ということですが。両院共に、自覚症状より頸椎捻挫と診断したものの、他覚的所見は見当たらない、という見解です」
「ってぇと?」
「お医者さんは、痛みの原因を見つけていない、ということですが」
「ほぉらなぁ! 俺の思った通りじゃねぇか!」
元々、ムチウチって自覚症状はあるけど、原因が分からないケースが多いから厄介なんだよ、と言う前にメフィストが立ち上がり、吠えた。
あまつさえ久志を指さし、やーいやーい!と囃し立て、タチの悪い笑顔を浮かべている。君はいじめっ子の小学生か。
色あせた彼のジーンズを引っ張り、調子に乗っている、赤い瞳のビーストを御する。
「あのね。ゼパールさんの身体能力が常人を逸脱している、というのも事実ですからね」
ウィッカをなぞり、四半期前に行われた定期健診の結果も表示。
公平な采配を求めてやって来た使者のために、フォローを入れるこの徒労感よ。
「ほらほらァー、やっぱバケモンじゃーん」
今度は久志が片肘を座卓に載せ、せせら笑う。
どうしよう、バカが二人だ。しかも一方は、ビーストの権利を主張する団体所属。もう一方は恐らく、嫌ビースト思考をお持ちだ。今日中に収拾が付くのだろうか。
ちらり、と見ると、史は達観した表情で、二人を見守っていた。
言いたいだけ言わせた方がいいだろう、という顔である。肝の据わった女性だ。
ここからは、加害者であるゼパールすら置いてきぼりにした、二人の舌戦だった。
「あのさ、そんなダサいカッコしたムキムキマッチョに、後ろからいきなり殴られてんだよ? 誰だって怪我すんじゃね? っつーか、ムチウチで済んでるのが、マジ奇跡だろって」
「あ? 殴っただぁ? いつ、誰がだよ? 椎茸食えねぇお前に、ゼパールが発破かけただけだろうがタコ。話盛ってんじゃあねぇぞ! そもそもな、今時カラー巻くなんざ、お前と当り屋ぐらいしかいねぇんだよ!」
「ハ? ヤクザ扱いとか、マジ勘弁。っつーかさ、アンタ、オレと年、大して違わなくない? 学校も行かないで、何エラそうにしてんの?」
ビーストはバイオ・リアクター内で培養されている間に、高校卒業レベルの学習まで脳に叩き込まれてるんだよ、と言おうかと思ったが、巻き込まれたくないので控えた。
「ケッ! 仕事しねぇで親のスネかじってバカ大学行ってる分際で、ナマ言ってんじゃねぇぞコラ。こちとら、てめぇらの分も働いてんだろが!」
「いや、オレ、バイトしてるし。マジでスネとかかじってないし」
バカ大学については否定しないのか。
「あぁ? 学費も全部てめぇで出してんのか? 出してねぇだろ? そのくせプチ家出なんざ、しょっぺぇことしやがってよぉ。甘えてる証拠だろ、オイ。おまけによ」
顎をしゃくる。
肌が褐色なので分かりづらいが、メフィストも顔を赤くしていた。
「んなブランド物の、クソでけぇ、わざとらしいロゴの入った、クソだせぇ上にクソ高ぇカバンなんざ持ちやがってよ。その代金も、全部てめぇで払ってんのかい? 払ってるにしてもよ、ゼパールに飯作らせてんだ。まず、この家に金入れんのが筋じゃあねぇのかい? あぁ!」
「ハ? なんで? あんなヤバい飯に、なんで金払わなきゃいけないワケ?」
じっとりと久志に見られ、ゼパールは折り目正しく座ったまま、頭を深く下げた。まるで武士のような所作である。
「私の腕が及ばないばかりに、面目ないです」
「男が性もねぇことで、土下座するんじゃねぇ!」
メフィストの喝が入る。
「ほらほら落ち着いて、メフィストさん。それに、ゼパールのご飯は美味しいわよ」
伏せたまま、微動だにしないゼパールの亜麻色の髪をワシャワシャと撫でまわしながら、史がようやく口を開いた。
「いつも栄養のバランスも考えてくれているし、レパートリーも豊富だし、私助かってるもの。ねぇ、護? ちっとも、『ヤバい飯』じゃないわよね?」
「え、あぁ……」
不機嫌な友人と、凛とした祖母に挟まれ、護は目を泳がせていた。煮え切らない孫に、史がすねたように眉を潜める。
「もうっ、少しははっきりしなさいな。メフィストさんや久志君を、ちょっとは見習ってみたら?」
「……」
本気か冗談か分かりかねる祖母の発言に、護の目はまた、困惑の海をたゆたった。
大きく音を立てて、久志が舌打ちを一つ。
「あーぁ、やっぱ護ん家に来んじゃなかった。家はボロいし、部屋中ババアの加齢臭だし、コイツは何考えてんのか分かんねぇしさ」
脇で護を小突き、息を大げさに吐き出す。
これみよがしのため息に、土下座のまま石のようになっていた、ゼパールの顔が上げられる。その表情は、ビーストというより鬼に近かった。