第四話 ペナルティ
ビースト誕生のきっかけは、国の超少子化および超高齢化であった。
国力はみるみる減少し、国としての豊かさも、国際社会での発言力も、それに伴って低下しつつあった。最後の発言力については、「元々皆無だったのでは?」という意見もあるらしいが、私は近代史の専門家ではないので、あしからず。
ただ、国の偉い方々は、打開策を打ち出すべく、話し合ったという。
「移民をもっと受け入れて、労働力になってもらおう」
まず、誰かが提言した。それは実践されたが、言語・文化・そして宗教の壁は思った以上に分厚く堅牢で、あえなく頓挫。
「すべて機械に任せよう」
と誰かが言った。しかし、それもレアメタルの高騰が主要因となり、夢物語に終わった。
一方で、老いゆく国は皮肉にも、ips細胞を初めとする、遺伝子医療の分野においては、目覚ましい発展を遂げ続けていた。
最後の誰かが、
「それなら、細胞から人を増やせばいいんだ」
と言った。
以前に発言した二人に加え、多くの人間が反対した。
「クローンは危険だ、そして倫理的に問題だらけだ」
それらの非難に、なぁに、とその誰かは鷹揚に答えた。
「遺伝子を一%でもいじれば、それはもう同一人物じゃない。いや、もはや人ですらない。獣と一緒さ。人とマウスの遺伝子が、どれだけ共通しているか知っているかい? 実に九十九%さ。つまり残りの一%が、人間を人間たらしめているんだよ」
誰かさんはそう締めくくった。
その誰かさんが社長を務める会社が指揮を執り、遺伝子強化人間が造られることとなった。
国際社会の非難を受けながらも、成果は期待以上。高い能力を持つ労働力、すなわちビーストは、あらゆる方面で活躍・貢献した。
やがて、同じく高齢化にあえいでいた、他の旧先進国でもおっかなびっくり、その技術は利用されていった。
現在、言い出しっぺの誰かさんから、何度か代替わりしている株式会社プランシー社が、私の勤め先でもある。
途中でコンビニエンスストアに一度立ち寄り、本を模した端末『ウィッカ』が示すアミィの元へ走る。
ビーストたちは純粋な国民ではなく、あくまで労働力として生み出されている。よって、日常生活においても、いくつかの制約を設けられている。
その一つ目が、定期健診の受診義務であり、二つ目が行動範囲の制限義務だ。
所有者の指定する行動範囲を逸脱した場合、そのビーストにはペナルティが課せられる。
微妙な不自由さが、中世ヨーロッパの農奴に近いよな、と同僚が呟いていたことを思い出した。
アミィはよほど、パニックに陥っていたのだろう。黒の腕輪が警告を示すのも無視して、駅から更に南側の、まんじゅ商店街を通り過ぎた道を、でたらめに走ったらしい。
そこでとうとう指定範囲から外れ、ペナルティが発動したようだ。
「あのぅ……助けて、ください」
到着した場所でアミィは、ダンゴ虫のように地面に転がっていた。
よく見ると、その体にはキラキラしたものが渦巻いている。
ペナルティとして腕輪から発射された、拘束用のナノワイヤーだ。正直、実際にペナルティを発動させたドジな人、いやビーストを見るのは、初めてであった。
思わずしばし、感心したように眺めてしまい、慌てて我に返る。
「助けますが、もう逃げないでくださいね。何度でもこのワイヤー、めげずに出ますから」
はい、としおらしく答えたところで、アミィは少し目をぱちくりさせた。
「あら……保安課さん、女性だったんですね?」
「声も低いし、顔もキツいので、よく男に間違えられます」
うなずきながら、ポーチからウィッカを取り出した。
本型の情報端末であるウィッカは、ビーストも含めた一人一人の身分証明書である。また、子供にとっては教科書でもあり、社会人にとっては仕事道具でもあり、あるいは、翻訳機でもあり、月刊誌でもあり、スケジュール帳でもあり、アルバム帳でもあり、映画館でもある。持ち主の分身とも言えるものだ。
端末側面から接続コードを取り出し、黒の腕輪に添える。光を反射しない漆黒の表面に流れる、無数の数字と英字の一部が光り、ツルンとコードの端子部分を飲み込んだ。
そして端末から、ペナルティ解除の許可を送り、終了。
かすかにシュン、と何かが巻き取られるような音がした。同時に、吐き出すように接続コードも解放される。
ナノワイヤーによる拘束が解け、体を捻って安堵するアミィを、急かして立ち上がらせる。
「まだ指定範囲外だから、急いで戻って。三十秒後にまたワイヤーが出ます」
「は、はい!」
自分が転がっていた郵便ポスト前を一瞥し、ぱたぱたと駆け足で引き返す。
「服の汚れを気にするのも、後回し!」
「あ、はい!」
そして商店街の出口脇に停車させていた、社用車まで到着。耳をそばだてても、アミィの腕輪から警告音は聞こえない。
ようやく、指定範囲内に戻って来られたようだ。
ふぅ、とアミィは胸に手をあてて、深い息を吐いている。
拘束状態から抜け出た安堵だろうか、それとも、家に戻ることへの悲嘆だろうか。
カウンセラーでない人間が考えても、それは詮無い事。
車の後部ドアを開け、乗車を促しながら、あらかじめ買っておいたカフェオレのパックを、アミィへ渡す。
「あなたの好きな飲み物として、事前に伺っております。それを飲みながら、諦めを付けて帰りましょう」
「ありがとうございます」
従順な性格に造られているアミィは、もはや抵抗どころか、拗ねた態度すら見せなかった。
はかなげな笑顔が、同性ながら胸に来た。
車の中でも、彼女はほぼ無言であった。こちらにも、根掘り葉掘りと彼女の心情を聞き出す、義務や権利はない。
ちらりと彼女をバックミラー越しに見ると、初見時より頭がぼさついていた。おそらく全力疾走および、ワイヤーで転倒したせいだろう。
私自身はボブカットという、ほぼセット不要の髪型なのだが、女のたしなみとして手鏡ぐらいは常備している。
赤信号で停車中に、腰のポーチから取り出して渡した。
「バックミラーでは見辛いでしょうし、どうぞ」
「何から何まですみません」
軽くお辞儀をした彼女の、質素なワンピースの襟元から、細い金の鎖がちらりと見えた。
それには同じく、金の指輪が通されていた。一見すると、ワンピースと同じく質素なデザイン。しかしよくよく見ると、中抜きによってレース状の意匠が施された、上品な代物だ。
「保安課さん、私よりお若く見えるのに、しっかりされてますよね」
不意にアミィから話しかけられ、指輪には気づいていない体を装う。
「確かに年齢はあなたより下ですが。オフの時は、高校時代のジャージ姿なので、目も当てられませんよ」
「オン・オフの切り替えがお上手なんですね。私……の、旦那様、みたいです。鏡、ありがとうございます」
ゆらゆらと色を変える髪に手櫛を通し、鏡を返すアミィ。
彼女が所有者である久世の名前を呼ぶ時、一瞬、言いよどんだ様に思えたのは何故なのか。
まさか、複数の男女が集うことでよく発生する修羅場の一種、不倫か?
それはないない、と心中でかぶりを振る。