第三十五話 シンデレラ
※痛い描写が続きます、ご了承ください※
こちらを見下ろすエウリノームの両手が上げられた。
腕を変質させる気か?
距離を取って身構えるが、その手はパチパチと軽快に、拍手を奏でるだけだった。
「見事、実に見事です! まるでアクション映画を見ているようでしたよ!」
「映画じゃ、失禁シーンはカットされるでしょうけどね」
場違いに感極まった声を上げ、あまつさえ拍手するエウリノームを、ちろりと見た。
「さすがの貴女と言えども、選り抜きの猛獣たちが相手では無残に蹂躙されるのかと思っていましたが……杞憂でしたね。私までお鉢が回って来るとは、正に、上げ膳据え膳ですよ」
一歩こちらへ歩み寄りながら、銀色の死神はぺらぺらと語る。
相変わらず、その美貌にたたえられているのは、うっとりするような笑顔。
いや、前回よりも生き生きしていないだろうか。
「美しさと強さを兼ね備えた方が、実際どれだけ世の中にいると思いますか?」
「さぁ」
全く見当もつかないので、生返事をするしかない。さり気なく、義手の調子を確認しながら、警棒を握り直す。
大丈夫、まだ電気手甲も、一・二回なら十分な威力を発せるはずだ。
こちらの思惑などお見通し、とばかりにエウリノームは笑みを濃くした。
「ほぼ皆無、というのが、私の経験を通しての結論です。やはり荒事を好むのは、むさ苦しい方が多いですからね。だから私は、とても嬉しいのです」
両手を広げた。ついに変質が始まる。
鎌へと変貌するまで、今度は待たない。
跳躍し、警棒を叩き下ろす。しかし残念、わずかに早く変質を終えた鎌が、硬質の一撃を押しとどめた。
そのまま、鎌に警棒を絡め取られそうになったので、あえて自ら手を離す。
一瞬、エウリノームの視線が、明後日へ飛んだ警棒へと向けられる。その間に彼へ背を向けて、地面へ手を付く。
急にかがんだ敵を、再びわずかな間、エウリノームは見失った。腕と足のバネを使った後ろ蹴りを、態勢を立て直さんとする彼の胴へ。
幸いにして細身のパンプスは、鎌の間を潜り抜け、彼の胸部を打つことに成功した。
さすがの殺し屋も呼吸を乱し、たたらを踏む。あんな先端で突かれたのだ、そりゃ痛いに決まっている。
追撃できるのは、今しかない。
くるりと地面に円を描いて、方向転換。跳ね起き、膝から先をしならせて、次は顎へ打ち付ける。もうパンチラなんて、お構いなしだ。
「ぐっ」
かすかにだが、彼からうめき声が漏れた。顎から脳へと続く強打で、体全体をふらつかせている。
今しかない、電気手甲の致命打を浴びせるんだ。闘争本能が、己を鼓舞する。
間合いを詰め、拳を振りかぶるが、
「ぁがッ!……ぅあァッ!」
離れた場所から、苦痛の声がした。無意識に振り返る。
いつのまにか手錠を切断していたエリオが、鉈を拾い上げていた。それをメフィストの大腿部へ突き刺し、ぐりぐりとねじ込んでいる。
つい先日、斬首現場だって目撃したというのに。
彼が苦悶の声を押し殺そうとする様は、予想以上に冷静さを失わせた。
「やめっ……やめてぇっ!」
思考の列が乱れ、不覚にも金切り声を上げた。
瞬間、何かが全身からはじけ飛んだ。
それは耐久時間を迎え、効果を失ったナノスーツだった。
ガラスのように透明な保護膜は、シャラシャラと音を立てて、全身から剥がれ落ちた。部屋の照明を反射し、足元に光沢を作る。
「おやおや、シンデレラのタイムリミットが来たようですね」
艶やかな囁き声が、無防備となった私の耳に注がれる。
苦痛を受けるのは、今度は自分の番だった。
さすがはビースト。人間離れした回復力でもって立ち直ったエウリノームが、左の鎌を振るった。
相手へ突き出しかけたまま、宙をさまよっていた右手が、手首の辺りから切断される。コードやネジや、その他金属パーツが、鎌の軌跡に合わせて宙を舞う。
拳は二・三度跳ねて、やがて血みどろの床に転がった
痛覚はなくとも、腕を切り落とされた衝撃で冷静さを失っていた頭は、途端に恐慌を来した。思わず体が固まり、反撃も防御も忘れる。
今度は右の鎌が、腕を欠いて、がら空きの右肩へと振り下ろされた。鋭い切っ先は薄手のワンピースをあっさり貫いて、肉と骨に刺さった。
痛みよりも、熱を先に感じた。
そして情けなくも、押し込まれる鎌に倒されるがまま、呻くことしか出来なかった。
勝利を得たも同然のエウリノームは、しかし不満げに、こちらを見下ろしている。
それが気に食わず、歯を食いしばり、睥睨する。
「ほら、さっさと殺しなさいよ……なぶり殺しは、勘弁してほしいね」
「まぁまぁ。そう、怒らないで下さいよ。私も同じく、先ほどの横槍は不本意なのですから」
それにしても、と深々と彼が息を吐いた。次いで、鎌を抜き取る。
血が、とめどなくマグマのように吹き出し、モスグリーンを濃い赤へと染めていく。
痛みも増したが、泣きわめいてやるものか、とふらつく頭で自尊心を奮い立たせる。左手で噴出口を押さえ、上半身を起こした。
意識が混濁しつつあるこちらへかがみこみ、彼は両の鎌を、腕へと再変質させた。
そして血にまみれた手で、頬を撫でてくる。
「やはり美しい」
何言ってんだ、こいつ。
「生気も、勝機も失いつつあるというのに、貴女の瞳は媚びることすらせず、未だ闘志に燃えている。まるで、戦士達を天空の戦場へと誘った、ワルキューレのようだ」
恋人へ愛を囁くように、その口調はどこまでも甘ったるい。
「これ以上貴女を傷つけることは、私の倫理観に反します。そう、出来る事ならば、こうしてずっと、貴女を見つめ、愛でていたい」
朦朧とする頭でも、エウリノームの発言が頓珍漢なことだけは、確信できていた。
「ベタベタ触んないでよ。あんた、脳みそ腐ってんじゃないの?」
と言い返してやりたかったが、口を開いても、舌が思うように回らない。段々、傷口を押さえる左手の力も抜けてきた。
その間にも腐った脳みそは、天使を連想させる微笑で、断りもなく肩を抱いてくる。
「ああ、無理をなさらないで。私にその体をゆだねて下さい」
「おいおいおい! 何言ってるんだ、お前は!」
皮肉にも、こちらの意思を代弁してくれたのは、エリオだった。メフィストの血がしたたる鉈を振り回し、激高する。
「そいつは敵! お前のナンパ相手じゃない! オレらの神聖な処刑を邪魔しに来た挙句、部下もボコボコにした凶悪な女だ! さっさと殺せ!」
「嫌です。だって、好みなんですよ。もう、どストライクです」
人の頭を勝手に撫でながら、エウリノームが即答する。かろうじて、まだ動く左手で、その手は払い落とせた。
「つれない女性だ。でも、そこがいい」
しかし、めげる様子はない。怖いよ。
「お前、本気で言ってるのか……?」
エリオも鉈の先端をさまよわせながら、戸惑いの表情だ。
「だから心の底から、私に彼女は殺せない、と申し上げているのです」
「なぁ、エウリノーム。状況分かってるのか、お前は?」
「そちらこそ。最近夜遊びのし過ぎで、判断力が鈍っていませんか?」
言うが早いか、人の体を抱きかかえたまま、エウリノームが走る。エリオに肉薄した。
「頭に血が昇っていらっしゃるようなので、少し血を抜いて差し上げます」
片腕を鎌へと変え、上司の右足を、撥ねた。
耳をつんざく絶叫が、血なまぐさい部屋にこだまする。右足を斬り落とされ、エリオは無様に地面へと突っ伏した。
それでも、血の川を作る切断面を押さえ付け、歯を食いしばり、彼は怒りをたぎらせた。
「お前っ……誰に手を上げたか、分かっているんだろうなぁ?」
「ええ、支部長ですね。現地のボスの足を、斬りましたね、私は」
ホープダイヤの瞳が、嘲笑するように細められる。
「ですが、私の直接の雇用主は、あくまでマンフロア・ファミリーの大ボスなのです」
「そんな、ガキ……みたいな言い訳で、どうこう、出来ると思ってるのか? なぁ?」
息も絶え絶えの、エリオの台詞の合間、合間に、かすかな音がした。
コンクリートや岩石のような、何か硬いものがひび割れる音に似ている。
「俺を無視して……好き放題してんじゃあねぇ!」
それは、上半身に打ち込まれたボルトごと、メフィストが体を引っぺがす音だった。
壁の一部をも抉り取って、強引に拘束を解き、エウリノームの眼前へと躍り出る。
血とコンクリートにまみれた右腕が、振りかぶられた。
喪失と再生の繰り返しで、疲労困憊のはずなのに。
顔面へのストレートは重かった。エウリノームが私の体を放り出し、大の字で倒れるほどに。
投げ出された私の体を無造作に受け止めたのは、メフィストだった。子猫でも捕まえるように、首根っこを乱暴に引き寄せられる。
よろよろと見上げれば、極太のボルトはまだ、体中に刺さったままである。つくづく一番人間離れしているな、と徐々に遠のいていく意識の中で考える。
「俺をボコるのは良しとしてもよぉ、エリオの兄貴とヒカルに手ぇ出すのは、お門違いじゃあねぇのかい? あぁ?」
いつも通りのべらんめぇ口調で、鼻血を垂れ流しながら身を起こしたエウリノームへ、啖呵を切った。
「とにかく、ヒカルは渡せねぇな。コイツは俺の所有者なんだよ!」
ホルマリン漬けのカエルよろしく、まだ腹の傷が塞がり切っていないくせに。
恰好付けるの好きだなコイツ、と心中で笑いながら、意識はブラックアウトした。




