第十九話 キューバリブレ
※ちょっと下品な表現があります。小学生レベルのシモネタですが、ご了承ください※
ガラス片のささった部分からは、血は一滴も流れず、ただ、人工皮膚に切れ目が入っただけである。
いつも気だるそうなメフィストの表情が、ほんの少し引き締まる。
「義手ってぇ……手首だけかい?」
「肘から。電流も、これのおかげで出せてる」
感電死したことを思い出したのか、メフィストが苦い表情を浮かべた。
「アレ、自前かよ……タチ悪ぃな。で、原因は何なんだ?」
「義手の?」
そう、とメフィストはうなずく。その当然、と言わんばかりの様子には、秘め事に対する下世話な好奇心は感じられなかった。
ただ純粋に、彼は知りたいのだろう。
ちらりと横を見れば、ゼパールは正面を向いて、静かにビールをあおっていた。妙な聞き耳は立てない、バーの良き客人の姿となっている。
一つ息を吸い、今度はゆっくりと言葉を紡いだ。
「腕がないのは、生まれつき。親が『子供は天からの授かりもの』って、自然交配にこだわった結果の賜物」
ちなみに、両親はこれで懲りたのか、妹は人工授精で産んでいる。
「そっか。ついてねぇなぁ、お前ぇも、親御さんも」
「ね」
メフィストの、思いがけない雨空を仰ぎ見るような静かな口調につられ、つい同意してしまった。
「ある意味、デザインされた遺伝子のあなた達とは、真逆だ」
「あー、そういや、そうだな。よくこの仕事選んだな?」
「障害者の雇用枠に引っかかって、運よく入社出来ただけなんだけどね」
図らずも、自嘲するように口元が歪む。
淡々とした会話の内に、人工皮膚に刺さった破片は、全て抜き取られた。 自己修復機能が働き、無数の小さな穴は塞がれていく。
後は何も言わず、メフィストはテーブルを拭き、割れたグラスをちり取りに掃き入れ、ごみ箱に捨てた。
「ごめん、グラス割っちゃって」
そのうつむきがちの横顔へ、自然と謝罪の言葉が出た。
「一個ぐれぇ、構やしねぇよ」
横顔が、ニヤリと笑った。
「その、横のデケェのなんざ、何個食器をダメにしちまったか、数えらんねぇぐらいだぜ?」
「え。ゼパールさん、それはだめでしょう」
「……」
そっぽを向いて、当の本人はサラミを食べていた。
その反対側から、椅子を動かす音がした。
カウンター席に、サウジーネとアミィも座っている。
「ひかるちゃん、だいじょうぶ?」
「うん、ごめんね、急に泣き出して」
青い瞳をうるませているサウジーネに、濡れた頬を緩ませて笑う。
「それはいいとしてよ」
新しいグラスを三つ用意しながら、メフィストが身を乗り出した。
「で、結局合コンはどうだったんだい?」
「これだけ私が荒れたのに、そこ訊く?」
正直、呆れた。
「目ぇ潰した詫びだと思って、しょっぺぇ戦歴を聞かせろよ。一杯おごってやるからさ。何がいい?」
にっかり笑うメフィストを、真顔で見据える。
「じゃ、ゴッドファーザーで」
「なんでぇ、ザルかよてめぇ」
「まぁね」
空の大ジョッキが、すかさず掲げられる。
「私もお代わり」
アミィとサウジーネも、続いて挙手。
「私たちは、ソフトドリンクで」
「あたし、おさけのめないの」
「あー、あー、分かったよ、てやんでぇ! ついでにてめぇらも、一杯負けてやらぁ!」
手で顔を覆い、天を仰ぐメフィストに笑いながら、一応、あらましを話す。
まだ気分が完全に晴れたわけではないので、男性たちに対してかなり、批判的な内容になってしまったが。
サウジーネには分かり辛い話だからだろうか、彼女は無言でオレンジジュースを飲んでいた。
「ケツの穴のちっせぇ野郎どもだなぁ。元々、店員のねーちゃんにつっかかり過ぎだってんだよ」
男性側を擁護するかと思いきや、メフィストもキューバリブレをあおりながら、渋い顔を浮かべている。
「私たちを超人のように祭り上げ、勘違いされるのは、こちらとしても迷惑千万というもの」
鼻の下に泡を付け、ゼパールも重々しく言ったが、正直、その顔では説得力がない。
そしてトイレの件になると、聴衆は大いに吹き出した。
カウンターを叩き、メフィストは涙目で大笑いしている。
「ぶっ……お前っ、トイレまで乗り込んだのかよ? ひー、腹痛ぇー! 絶対ぇ尿意止まってるぜ、そいつら! それで、膀胱破裂にでもなっちまったらお慰みだな」
アミィも肩を震わせ、口元を押さえている。
「いい気味ですよ。さすが光さん」
下戸らしい彼女は、サウジーネと同じくオレンジジュース片手に、珍しく息を荒げていた。
「そういう、陰口を叩く方って嫌なんです」
久世邸ではまず見せなかったであろう、思いきりしかめた顔が、周囲へ向けられた。
口周りの泡を拭い、ゼパールも大きくうなずく。
「うむ。正々堂々と相手と向き合うのが、人として当然のマナーであろうよ」
「まぁな。女子高生じゃあねぇんだからよ、連れションした挙句に、コソコソ悪口言うなってぇ話だな」
キューバリブレを飲み干し、メフィストが口元をゆがめた。
「金押し付けるついでに、連中のナニ引っ張りだしてやって、チャックに挟んでやりゃあ、なお笑えたぜ?」
「ヤだよ、汚い!」
想像しただけで、寒気が走る。
ここまでつまらなそうにストローを噛んでいたサウジーネが、ぐい、と首を突っ込んでくる。
「メフィはおちんちん、大きいの?」
「ひぇっ?」
素っ頓狂に叫んだのは、メフィストだけではなかった。四人が目を丸くして、サウジーネを恐々見る。
だが、本人は問題発言をした意識などなさそうだ。
「ナニって、おちんちんのことでしょ? お店にくるおっちゃんが、ナニの大きさが男の大きさって言ってたの。メフィは大きいの?」
「え、あぅ、その」
褐色の肌が、みるみる赤くなっていく。
思考力は幼児と大差ないサウジーネに、それを慮る器量はない。
また、幼子特有の「ねぇねぇ、教えて教えて」攻撃は、加減というものを知らない。
アミィと私も、どうフォローすべきか分からず、表情もあいまいなまま、成り行きを見守っているしかなかった。だって、ナニなんて付いてないんだもの。
ゼパールは、自分に火の粉が降りかからぬよう、こっそり背を向け、息を殺していた。
「ねぇ、大きいの?」
「ふ、普通です!」
裏返った声が、たまらず叫んだ。
耳まで真っ赤にして、両手で顔を覆い隠すメフィストは、セクハラされる新人OL のようだった。
狼狽する彼を見ていて、ふと、疑問が湧いた。
「ね、メフィスト。あんたって、年いくつなの?」
「へ?」
両手を離して向けられた顔は、かすかに涙ぐんでいた。
そこまで恥ずかしかったのか、と一瞬面喰ってしまった。ゴッドファーザーを、一口含んで続ける。
「若く見えるけどさ、ちゃんと成人してるの? 普通にガバガバ、酒飲んでるけど」
「そういえば」
と呟いたのは、アミィとゼパールの二人。
君たちも知らなかったのか、おいおい。
真顔になり、メフィストはしばし黙った。
こちらも黙って彼を見つめる。
「……してるんじゃあ、ないでしょうかね?」
「なんで疑問形なの」
やや勢いを込めて、カウンターを叩いた。
「生まれ年いつよ? ほらほら、誕生日言いなさいよ」
「知らねぇよ! 俺らの場合、年齢なんざ曖昧じゃねぇか!」
確かに。バイオ・リアクター内にて肉体年齢十五歳程度まで、短期間で培養されるのが基本なので、曖昧と言えば曖昧だが。
「そりゃそうだけど、リアクターから出た時に何歳だったかぐらい、覚えてるでしょ? 教えなさいよ。それが嫌なら、干支答えなさいよ」
「しつけぇよ! てめぇ、やっぱ酒癖悪ぃじゃねぇか! だいたい干支なんざ、ビーストが知ってるわけねぇだろ!」
「あら、私は未年ですよ」
あっけらかん、とアミィの声がした。のんびりとジュースをすする彼女を、二人で眺めた。
「あー、それっぽい」
図らずも、メフィストと同時に呟いた。
「ちなみに、私は巳年です」
「あ、意外」
爽やかなゼパールの笑顔に、再び同時に呟く。
メフィストは次いで、こちらを指さした。
「するってぇと、あれか。お前んとこのウサ公は、やっぱ卯年かい?」
「ううん。寅年生まれのはず」
「なんだよ、そこは抜かりなく造れよ! 中途半端な仕事しやがってよぉ」
再び大仰に天を仰いだメフィストに、思わず笑う。アミィたちも、笑っていた。
結局、彼の年齢についての詰問は立ち消えとなったが。
居酒屋を出た時の、惨めな気持ちもどこかへ消えていたので、よしとしておこう。