第十三話 王家の末裔
※ヒロインによる痛い描写がございます※
※ヒーローが痛い目を見ています※
黒紐でしっかり閉じられた束は、狙い澄ましたかのように、メフィストの頭頂部に落ちた。
「っかぁー! いってぇっ! またあのウサ公かよ!」
宙をにらんで、メフィストは叫んだ。
「ごめん、あの子不器用で」
「本当に不器用だけかぁ? 俺に恨みでもあんじゃねぇのかよ……で、何だよ、コレ?」
「今回、事情が込み入り過ぎてるから、色々と書面上の手続きが要るの。そもそも所有者からウチに、彼女の保護依頼も入ってないしね」
勝手に書類を繰っていた、メフィストの手が止まる。
「マジかよ? 俺らが連れ出したの、三日も前だぜ?」
「マジだよ。で、実は彼女が全く教育を受けてないんじゃないかって、ウチに垂れこみがあって。その所有者に、話聞いてるところだったの」
しかし「時間がない」「外出中」とはぐらかされている内に、サウジーネが逃亡。そしてモンペリエの塔に保護された、との情報が入った。
我が社の諜報課の、お手柄である。
サウジーネの保護作戦前に、彼女の記録は閲覧済だ。
バイオ・リアクター内での教育を中止して摘出され、所有者の手に渡っていた事実が、そこにはあった。
所有者の中には、実子のように一から教育を受けさせたい、と事前学習を断る者もいる。その場合、ビーストへ教育を与える義務は、会社から所有者へと移行する。
彼女の所有者は、まずその義務を怠った。
おまけに、彼女が働いていたのは、飲食業に含まれるクラブではなく、明らかに風俗店。就労内容の告知義務にも違反している。
「あー……、なんだよ、それ。その店長さん、マジでぶん殴りたくなったぜ」
放っておいたら書類を握りつぶされそうなので、唸るメフィストからひったくる。
「ウィッカを没収していることも含めて、なんやかんやと契約違反になるから。彼女と所有者が接触しないよう、異例事案の手続きをしなきゃいけないということ」
「それでこの、紙束ってぇことか? ビースト造ってるハイテク企業にしちゃあ、随分とアナログじゃあねぇか」
「異例・不測に弱いの。大会社の性ってやつね」
書類の束と、一緒に落とされていた万年筆を取り、サウジーネに渡す。
「お名前は書ける?」
「うん、きたないけど……」
「大丈夫、大丈夫。新しいお家を用意するから、ここにお名前書いてね」
「うん」
彼女は無知な分、素直だった。
社有のマンションへの入居手続き、契約違反による、プランシー社側からの契約破棄の申出、またそれに対するサウジーネの了承等々を、彼女のつたない署名で完了していく。
ついでに彼女の黒の腕輪へウィッカを繋ぎ、移動制限の白紙化を指示。
最後に通信を、保安課へ。
「サキ。手続き終わったから、送還お願い。ついでにメールも送るから、後処理よろしく」
「はーい」
書類と万年筆は、無事時空の歪みに吸い込まれた。同時にウィッカで社有車を手配し、サウジーネにマンションの鍵も手渡す。
「なんだか早ぇな」
消えゆく歪みをにらみながら、メフィストが呟く。
「異例だらけだから、かえってサインだけで済んじゃうの」
「そうじゃねぇよ。お前ぇだよ」
どこぞの名探偵のように、こちらを指さす。
「なんか、お前ぇ……今日は仕事が、テキパキし過ぎじゃあねぇか?」
「それは、だから、今回は全面的に所有者に、問題があるパターンだから」
「でもよ。普通なら絶対ぇ、会社にサウジーネの嬢ちゃん連れてって、書類書かせてるんじゃねぇか? 上司があの、回りくどい刺又野郎ならよ」
「そうかな?」
鋭い。
「しかも、あの鈍くさいウサ公に後処理任せるたぁ、バカボンのパパに地雷処理任せるようなもんじゃねぇのか?」
失敗したのだー、と爆死するパパを想像し、こみ上げてきた笑いを噛み殺す。
「お前にもあったんだなぁ、笑いのツボ」
何とも楽しそうなメフィストを、目で黙らせる。
咳払いして、仕切り直し。
「ああ見えて、あの子、事務処理はすごい的確な」
「極めつけは車だよ、車。今日はてめぇで運転しねぇのかい?」
くっきり二重の真紅の瞳が、陰湿に細められる。見られていたのか、ウィッカを。
「この前は、俺の頭かち割ってまで運転したってぇのに、今日は仕事仲間に頼んじまうのかい?」
オフィス待機の同僚に、運転を依頼したことまでバレているとは。
名探偵メフィストは、わざとらしく狭い部屋をうろつき、
「あと、一番おかしいのが……そう、その服だっ!」
クワッと目を見開いて、こちらへ振り返った。怖いよ、オーバー過ぎて。
「何で今日に限って、オフィスレディなファッションなんですかねぇ? お姉さん?」
「それは、これから、用事があって」
「そういや、直帰にこだわってたなぁ! チョッキ!」
メフィストの興奮は著しい。サウジーネは夫婦喧嘩を見守る子供のように、呆然としている。
「仕事より大事な用事って、何なんすかねぇ? 人の手足ベキ折った詫びに、それぐらい教えてくれてもいいんじゃあないですか?」
この出歯亀め、と眉間にしわを寄せていると。
「でも、ま、目星はついてんだがな……」
メフィストは極悪な笑顔になる。
その笑みに、図らずも背筋が伸びてしまった。
「男だろ?」
「なんで」
しまった。わずかに顔が引きつっていた。
よどみなく、彼は足元を指さし、続けた。
「靴だよ、靴。お前ぇ、いっつもヒールか、かってぇブーツじゃねぇか? それが今日はふわふわスカートにぃ、ぺったんこのお靴ぅ、と来たもんだ。どうせ合コンってぇヤツだろ? てめぇがデケぇから、ちょっとでも小さく見せたぁーい!って、乙女心は立派なんだろうが……野郎に好き勝手されてたお嬢ちゃんがいるってぇのに、よくもまぁ、平然と男漁りに」
ぺらぺらと動くメフィストの顔を、両手でガッキリ押さえこむ。次いで真っ直ぐ、見据えた。
そこでようやく言い過ぎた、と悟ったらしく、彼の表情が愛想笑いに切り替わる。
「あー、俺、なんかされちゃう?」
それには答えない。
「仕事は済ませた。引き継ぎもしている。それで何か、社会人として問題でも?」
「えーっと……ない、かな? ……調子乗っちまいやした、すんませ」
「もう遅いよ」
顔を押さえていた両手をわずかに浮かせ、親指をそれぞれ、メフィストの両目に突き立てる。寒天を押しつぶしたような感触を、指先に覚えた。
「ぎゃあああぁっ!」
赤い目から赤い涙を吹き出して、メフィストは絶叫した。ホラーである。
ひきつったサウジーネの悲鳴も上がる。
「目がぁ! 目があぁぁ!」
「うるさいよ、ラピュタ王家の末裔」
そのまま足で彼を蹴倒し、血にまみれた手を、備え付けの浴室で洗う。
おろしたての服にまで血が飛び散らなくて、何よりだ。
「……メフィ、だいじょうぶ?」
棒立ちのサウジーネが、足元で悶絶するメフィストと私を、青い顔で交互に見比べた。
「ああ、大丈夫、大丈夫。この子、不死身だから」
「半不死でい、ばかやろう……」
喘ぎ喘ぎの声を背に聞きながら、サウジーネの手を引いて部屋を出た。
タイミングよく、ホテル入り口に車両が到着した、との通信が入る
よもやま話。
ビーストには苗字がないため、重要書類には署名+識別番号を記入するのが通例となっているようです。